第14話


「奴は今、公園にいる」


 ベルゼブブの言葉に従って、アルマは動き出す。

 クラウンにはエルの見守りを頼み、ガブリエルとベルゼブブを連れて公園に向かった。

 トルソの住処がある公園だ。

 到着すると、そこにはアスモデウスらしき悪魔と、呆然としているトルソが立っていた。目には光がない。


「トルソ!」


 アルマが名を呼んでも、トルソは返事すらしない。まるで、人形のように大人しい。

 アスモデウスがクスクスと嗤いながらトルソの頬に触れた。


「この子は、もう私の可愛いお人形なの。ガブリエル様に呪いを半減させられたけど、心は私のモノ。私のいう事なら何でも聞くわ」

「この……!!」


 甘い手つきでトルソに触れるのに腹が立ち、銃を向ける。しかし、それに対応するようにトルソが剣を構えた。

 取り戻さなければ、とアルマは覚悟を決める。

 すると、横からガブリエルが一歩前に出た。


「アスモデウス。何故、その子に呪いを与えたんだ?」


 フフ、とアスモデウスは笑った。


「聖職者だったからよ」


 彼女の微笑みに、影が落ちる。


「若い聖職者が、生意気にも私達を倒せると意気込んでいた。その姿が大層ご立派なことで、とても腹が立ったの。だから、あの日、あの時、この子に、私からプレゼントしてあげたの――未来永劫、神に愛されない身体になるように」


 ケタケタと笑う姿は、正に悪魔だった。

 アルマは怒りで腸が煮えくり返りそうになった。


「お前……!!」

「でも、生きててよかったわ。こうして私のお人形になったんだから」

「トルソは、お前の玩具なんかじゃない!!」

「玩具よ。人間なんて、みーんな玩具じゃない」


 アルモデウスの声に、憎しみが宿る。


「私達より後に生まれておきながら、神の愛を受けるに値するですって? 冗談じゃないわ。私達はお前達の為に生まれた訳じゃないのよ。私達は神の為に生きてきたのに、こんな裏切りってないじゃない? お前達は玩具で充分……でも、一番許せないのはあなたよ、ガブリエル様」


 アスモデウスがガブリエルを睨む。彼は悲しげに目を細めた。


「悲しい顔も綺麗ね。何で、ルシファー様に愛されていながら、あの方の傍にいないの? どうして、あの方が求めているのにお傍にいてあげないの? 私は、私だったら、ルシファー様に何でもしてあげられるのに……どうしてルシファー様は、あなたばかり見るの?」

「アスモデウス……」

「ルシファー様の愛を受けたいのに、どうしてルシファー様の愛は、あなたにっばかり向けられるのよ!!」


 怒りに満ちた金切り声と共に、アスモデウスの背中から羽が生える――四枚羽だ。


「私の方が美しいのに、私の方が応えられるのに、まだ天使であるあなたが求められるなんて、許せない!」

「私は、ルシファーの想いに応えるつもりはないよ」

「……!!!」


 声にならない叫びを上げる。そしてアスモデウスは、姿を変えた。桃色の毛をした、巨大な猫のような存在になった。


「許さない……許さない……! ルシファー様の愛を一心に受けるに値するのは、この私よ!!」


 グルル、と唸るアスモデウス。それに反応するかのように、トルソが剣を構えている。

 アスモデウスの威圧感が、今までの悪魔とは比較にならず、アルマは顔を歪めた。銃を構える手に震えが走る。

 そんなアルマの肩に、ガブリエルの手が触れた。そして、優しく言った。


「私を、使って」


 ふわり、と目の前一面に羽が広がった。

 苦痛はなく、身体は軽い。

 アルマの身は白い衣に包まれ、両手には白い剣を持っていた。清浄な力が、胸の奥底から沸き上がる。


『彼女を取り戻そう』


 これが、ガブリエルが憑依した姿だった。

 アルマは強く頷き、トルソと向き合った。彼女の目には憎しみが宿っていた。アスモデウスの影響を受けているのだろう。


「全力で行くからな……トルソ!」


 同時に走り出す。トルソは大剣を振り上げ、アルマを叩き斬ろうとする。アルマはそれを跳んで避け、トルソの頭上から剣を振りかぶり、彼女の剣を叩き落そうとする。

 硬い剣の音が響く中、アスモデウスが動く。アルマの背後に回り、その背中に向かって牙を剥く。しかし、それはベルゼブブの拳によって防がれる。顔を思い切り殴られ、アスモデウスは地面に転がった。


「お前の相手は私だ。地獄に帰りたいと思うまで、存分に相手をしてやろう」

「お前まで、お前までガブリエル様の味方なの!?」

「当たり前だろう。私は昔からガブリエルの意見しか聞いてない」


 怒ったアスモデウスがベルゼブブに牙を剥く。ベルゼブブは、両手を広げてあの黒い者達を呼び寄せる。

 トルソと剣を交える中、アルマは先ほど三人と話した内容を思い出す。


「アスモデウスの相手は私がしよう」


 ベルゼブブが言った。


「アスモデウスを地獄に送らなければ、呪いを解くことはできない。今は、心まで失っているかはわからんが、私は奴を地獄送りにする」

「なら、私はアルマと一緒になって戦えばいいか」

「……本当はやめてほしいのだがな、致し方ない。だからアルマ――お前の手で友人を押さえろ」


「はぁああ!!」


 双剣を華麗に回しながらトルソの剣を弾く。しかし、武器を失ったトルソは、今度は拳で殴りかかってきた。頬に彼女の拳が当たる。ベルゼブブの時と違い痛みは感じるが、構ってはいられない。

 アルマは双剣を放って、自らも拳で応戦した。鈍い音が響く中、アルマは叫んだ。


「トルソ! 私の一番の理解者はお前だけだ! だから、あんな悪魔になんか、負けるな!!」


 トルソの目が見開かれる。アルマの腹に拳が入るが、そのままトルソの両肩を掴んで、地面に押し倒した。

 馬乗りの体制になって、アルマは暴れるトルソを抑え込みながら、ベルゼブブに向かって叫んだ。


「ベル!!!」

「よかろう」


 その声に応え、ベルゼブブは片手を上げた。黒い者たちがアスモデウスの身体に絡みつく。逃がさないと言わんばかりの締め付けに、アスモデウスは悲鳴を上げた。


「ぎゃぁぁっ! この、私が、お前なんかに!!」

「うるさい声だ。とっとと帰れ」

「……! お前だって、ルシファー様を、愛し――」


 その言葉に、ベルゼブブの声色が変わる。


「は?」


 ビリ、と空気が震える。ベルゼブブは、怒っていた。

 その凄まじい威圧感に、アルマは冷や汗を流して思わず力を抜いていたが、トルソもまた手を止め、恐怖で震えていた。


「私が、なんだと?」


 彼女の顔が、影で黒く染まる。見えるのは、あの赤い目だった。


「貴様らは、私のお陰で蘇ることができたというのに、恩どころか、仇で返すとは――抹消するぞ」


 アスモデウスは怯えた顔をして、涙を流し始めた。


「ご、ごめんなさい……だって、同じ、ルシファー様を……!」

「黙れ。言い訳は聞かん。大人しく地獄に帰れ」

「嫌!! 帰りたくない! あんなつまらない場所に!」

「つまらない……?」


 空気が、さらに重みを増した。


「私が創り上げた地獄を、つまらない、だと? 貴様、いつから私より偉くなった? 本当に消してやろうか」

「嫌ぁああもうしない! もう、ベルの嫌なことしないからぁ!!」


 あの七大罪の悪魔が、子供のように泣き叫び懇願している。その様を、アルマは呆然と見ていることしかできなかった。

 ベルゼブブは片手を前に出し、唱え始める。


「地獄の檻」

「や、やめて!!」

「我は導く者」

「ベルッ!!!」

「彼の者を地獄へと導かん――愛するルシファーに、また連れ出してもらうんだな」


 地面から巨大な口が現れる。その口は、アスモデウスの巨体を、すっぽりと飲み込んだ。悲鳴と共に、アスモデウスは口に飲み込まれていった。

 大口が消え、辺りはシン、と静まり返った。威圧感も消えた。

 いまだ呆けるアルマの中に、ガブリエルの声が響く。


『アルマ。トルソの、目を』


 アルマは、トルソの目を見た。眼帯が外れたそこは、抉られた眼窩に赤黒い膿のようなものが溜まっていて、酷い状態だった。 

 アルマは、トルソに言う。


「トルソ、目に触れるぞ。少し、ううん、だいぶ痛いと思う。でも、これで呪いを消すから。我慢してくれ」


 トルソの片目がアルマを見る。まだ虚ろだったが、微かに頷いた気がした。

 アルマは、トルソの呪いの目に手を触れた。ジュ、と焼けるような感覚と痛みが双方に走った。


「ぎゃあああッ!」

「うっ……ッ……!」


 激痛に身を捩るトルソに、アルマにも同じだけの痛みが襲い、手が浮きそうになる。

 その手の上から、ベルゼブブの手が重ねられる。

 顔を上げると、彼女は無表情のままだったが、その目は優しかった。


「抑える。そのままガブリエルに従え」


 頷いて、目に触れ続ける。

 後ろからガブリエルの言葉が響く。


『天にまします我らが父よ、あなたの名が称えられますように。どうか、彼女にあなたの愛の手を――』


 すると、トルソの目が薄く光った。黒い膿が光に変わり、粉が散るように消えていった。

 火傷の痕は残ったものの、その目は、抉られた痕だけになった。

 これで呪いが消えたのだろうか。アルマは不安になってベルゼブブを見た。彼女は小さく頷く。

 すると、トルソが、呻き声を上げた。


「う……うぅ……ア、ルマ……」

「トルソ! トルソ、大丈夫か?」


 ぼんやりとしていた彼女の顔に、いつものあの笑顔が浮かぶ。


「まさか、お前に助けられる、なんてな」

「トルソ……!!」


 強く抱きしめる。友達を失わなくてよかった、と喜びに涙が溢れた。その背を、トルソが躊躇いがちに抱き返す。

 ふと、アルマは、体から力が抜けるのを感じて顔を上げた。

 少し離れた場所にガブリエルが降り立つ。しかし、彼はすぐに、ふらりと地面に座り込んでしまった。ベルゼブブが慌てて支える。


「大丈夫か?」

「だ、大丈夫……」


 そう言ったものの、とても息苦しそうだった。ぜぇぜぇ言いながら、胸を手で押さえていた。

 アルマはその様子に驚いたが、トルソもまた驚いていた。


「天使が、あたしを助けたのか……?」

「トルソ。身体は? もう変なところはない?」

「あぁ、だるいが、何とかってところだ……もう、あの悪魔の囁きも聞こえてこない」


 そう答えるトルソに、ベルゼブブが付け加える。


「アスモデウスは地獄の奥底に送った。数百年は地獄から出てこないだろう」

「……この悪魔が、アルマの契約者。へっ、べっぴんさんもいるんだな」


 トルソの軽口をよそに、ベルゼブブはガブリエルに肩を貸した。


「アルマ、私はこのままガブリエルをあの廃教会に連れていく。力を使ったのだ。今は弱ってしまっている」

「ガブ、大丈夫か?」

「悪魔が多い場所での力の使用は、天使にとって不利だ。しかも、神の加護も少ない地域のせいで猶更だ。天使は、神の力に支えられてこそ存在できるのだからな」


 説明するベルゼブブに、ガブリエルは苦笑いした。


「少し休めば、元には戻る」

「戻らんだろう。神に頼んで力を――」


 と言いかけた時、ガブリエルの身体が無数の鎖に囚われる。そして、ベルゼブブの元から引きはがされる。


「ガブ!?」


 アルマが慌てて手を伸ばしても、その手は掴めなかった。

 公園の、鉄でできた城の天辺に、黒髪の男がいる。その身体から鎖が出ていた。囚われたガブリエルは、その男の隣で逆さづりにされていた。

 ベルゼブブは驚いたが、すぐに怒りの目を見せた。


「マモン……!!」

「よう、ベル。まさかアスモデウスを地獄送りするとは。くわばらくわばら」


 ケタケタと笑う男に、アルマとトルソは唖然とした。

 マモン、と言えば、七大罪の『強欲』を司る悪魔だったはず。つまり、先ほどのアスモデウスと同じ上位の悪魔だ。

 ガブリエルは、逆さづりにされ、尚且つ締め付けてくる鎖のせいで酷く苦しんでいた。


「お前! ガブを離せ!!」

「それはできねぇな。悪いが、このまま連れていくぜ」

「貴様、まさか地獄に連れて行くわけではあるまいな?」


 その問いに、マモンはニタァと笑った。


「いや? 俺はサタンに持っていく」

「ルシファーに命令されたのではないのか!?」

「いや、俺は俺の意志でサタンに従う。あいつ、ガブの羽欲しがってたからな。もぎ取ったらルシファーに渡してくれるだろ」

「馬鹿者、そんなことをしてみろ――天界の天使達が戦争をしにくるぞ! ガブリエルがどれだけ特別か、お前達もわかっているはずだ!」

「むしろ、サタンはそれを望んでいるんだ。俺も、どちらかと言えば戦いに賛成だ。殺し合いは楽しいからなぁ」


 怪しく笑うマモンに、ベルゼブブは怒りを露にして飛び上がる。しかし、その前にマモンの鎖が、彼女が繰り出した蹴りを防ぐ。そして、彼は黒い靄になって消えて行く。ガブリエルも共に。


『助けに来るんなら、悪魔崇拝者の拠点で待ってやるよ。まぁ、サタンとは違う拠点になっちまうが、たまにはお前と戦いてぇしな。じゃぁな』

「待て!! マモン!!」


 消えて行く声、ベルゼブブは地面に着地した後、悔しそうに地面を叩いた。


「くそ!!」


 ひび割れる地面。

 アルマとトルソは黙って見ている事しかできず、また状況も把握できていなかった。

 ガブリエルが連れ去られてしまった。しかも、七大罪の一角に。

 ベルゼブブはしばらく沈黙していたが、やがて立ち上がり、アルマたちに振り返る。その顔は、無表情だった。


「アルマ、トルソを連れて戻るぞ」

「え、でも、ガブは」

「マモンはああ言った。我々が行くまでガブリエルには何もしないだろう……お前達も満身創痍なのだ。一度戻って休むぞ」

「ベル……」


 あくまでこちらを気遣う。しかし、その手が怒りで震えているのを、アルマは見逃さなかった。

 ぐっと堪える。自分だって、今すぐにでもガブリエルを助けに行きたい。しかし、トルソをこのままにもしておけない。

 アルマは、トルソの手を握った。


「トルソ、混乱しているだろうけど、行こう。そこでいろいろ説明する」

「……わかった」


 トルソは、アルマの問いに迷うことなく頷いた。

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