第3話
朝、アルマはジーゴの酒場に向かった。
この酒場は夜通し営業しているため、常に開いている。
酒場に入ると、カウンターに黒髪の男が座っていた。それを見て、アルマは顔を曇らせながらも近付いていく。
男も、アルマの気配に気づいたのか、振り返って青い目でアルマを見た。
「おはよう、アルマ。不機嫌な顔してんな」
「お前の顔を見たからだよ、クラウン」
はっきりとそう言われ、クラウンは苦笑いする。その前でジーゴがアルマに「なんか飲むか?」と尋ねるが、彼女は顔を横に振った。
「今日の依頼は?」
「俺よりクラウンに聞け。今日は大事になるかもしれねぇぞ」
「どういう意味だ?」
答えずにジーゴはその場から離れた。
クラウンに目線を向けると、彼はにんまりと笑って言った。
「情報、欲しいか?」
アルマはうんざりしながら、腰のポケットバッグから金を取り出し、クラウンに渡した。
「毎度」
「……で、今度はどんな悪魔の情報だ?」
隣に座るアルマに、クラウンは顔を横に振った。
「今日は悪魔じゃない。悪魔崇拝者の情報だ」
その言葉に、アルマの目の色が変わる。そこには微かな怒りが見て取れた。
「どこだ」
「南にある、スラム街手前のデパ地下。そこに数人の悪魔崇拝者を見た」
「あいつら、また何か企んでいるのか……」
「武装している連中だったから、一人でいくのは危険だと思うぜ」
「わかった」
それだけ言ってアルマは椅子を立ち、外に向かう。クラウンは、慌ててその背に声をかけた。
「いいか、俺の勘だがあいつら、悪魔従えてると思うぞ。トルソも連れてけよ」
しかし、アルマは答えず、そのまま出ていった。
クラウンは小さくため息をついたが、ふとある事に気づき、離れた場所にいるジーゴに向かって言った。
「なぁ、あいつの目って、赤かったっけ?」
都市の南には、昔は大きなデパートがあった。それは、地下にも広く創られており、電車も通っていた。
今では廃墟と化し、もはや誰も来ることはない。ある者達を除いては。
アルマは、高く聳えるデパートを見上げる。そして、拳を握りしめて中へと入っていった。
割れた床のヒビには草が生え、割れたガラスが散乱している。
人気のない、薄暗い静寂の中、アルマの足音だけが響く。
すると、頭上からしわがれた声が響いた。
『やはり来たか……』
『貴様が来ることはわかっていた』
『ここで足止めをさせてもらうぞ、エクソシスト』
聞こえてきた声は、三つ。三体か、とアルマは銃を構えて顔を上げる。そこで、彼女の目は見開いた。
天井に張り付いている黒い物体――否、獣のような異形の姿をしながらも、背中に黒い蝙蝠のような翼を持つ者たち。どこぞの本で見た、悪魔の姿そのものだった。
悪魔達が飛び掛かった。アルマは走り、攻撃を避ける。悪魔達は地面に降りると不思議そうにアルマを見た。
「お前、我々の姿が見えるのか?」
「馬鹿な、たかが人間に我らの姿が見えるはずはない」
「では何故避けられた? まぐれか?」
悪魔の方もアルマに驚くが、彼女は舌打ちをしながら銃を乱射した。
一体は頭を打ち抜かれ、その場から消滅する。残った二体が驚きの声を上げる。
「やはり、この女見えているぞ!」
「まさか、神の加護を受けているとでも!?」
二体は一斉に襲い掛かる。今まで相手にしてきたどの悪魔よりも速く、アルマは避けきれないと判断して身をかがめた。
悪魔の腕が宙を裂く。その下から悪魔の顎に向かって銃を放ち、もう一体を消滅させた。
そして、その背後から襲い掛かる悪魔に向かって咄嗟に足蹴りを放つも、それは当たらなかった。
次の瞬間には、悪魔の大きな手が、アルマの頭を鷲掴んでいた。「はは!」と悪魔の嗤いが響く。
アルマは、悪魔の手を掴もうとしたが、空気を掴むようにすり抜けるだけだ。まるでもがいているかのような姿に、悪魔はケタケタと笑う。
「馬鹿め! 人間が我々に触れられるとおも――」
パァンッ、と悪魔の頭が吹き飛んだ。
アルマの頭を掴んでいた腕は消え、その場で座り込む。何が起きたかと思う前に、背後から声が響いた。
「お前、我々と契約していることを忘れていないか?」
振り返ると、ベルゼブブと、ガブリエルがいた。ガブリエルは、なんとなく怒っているようにも見える。
「奴らは霊体だ。生きた人間が簡単に触れると思うな」
ベルゼブブの忠告に、アルマは疑問をぶつける。
「じゃ、じゃあ何で見えて……霊なんて、普通の人間には……」
「言っただろう、お前は我々と契約しているのだ。悪魔が見える様になったのは当然だ」
「……あんた、あいつらの仲間じゃないのか? 殺していいのか?」
その問いに、ベルゼブブの顔は一気に不機嫌になった。
「ふざけるな。あんな紛い物と我々を一緒にするな」
「紛い物……?」
「それはともかく、この先に行くんだな?」
アルマはハッとなって立ち上がる。
ベルゼブブは、アルマの横に立つと聞いた。
「この先に、悪魔崇拝者がいるようだな。お前、何か因縁でもあるのか?」
「それは……」
顔を逸らす。答えないアルマに代わるようにガブリエルが言う。
「彼らを放置してはいけない」
その言葉に、アルマは顔を上げる。
ベルゼブブはため息をひとつ。アルマの背中を押した。
「仕方ない。援護してやる。最低限だけだ」
アルマは驚きながらも、口を結んで走り出す。その後ろを二人がついてくる。
地下に向かって、止まったエスカレーターを駆け降りていくと、下から6体の悪魔が飛んで向かってきた。
アルマは銃を構えて撃ちまくるが、当たったのは3体。残りの3体が目の前に来たかと思えば、ベルゼブブに肩を掴まれ後ろに追いやられる。彼女が手を翳すと、まるで蒸発するかのように悪魔が悲鳴をあげて消えて行く。
悪魔が悪魔を倒すなんて、と疑問を感じていると、ベルゼブブは視線を感じたのか、吐き捨てるような声で言った。
「こんなものを悪魔と呼ぶとは……馬鹿にしている」
「どういうことなんだ?」
「まだ何も知らんでいい」
そう言って先に行ってしまうので、アルマも慌てて後を追うが、背後からガブリエルが言った。
「後ろからも来た」
その言葉通り、同じような悪魔達が追ってきていた。
再び銃を構えるが、そこで、ガブリエルが銃に触れた。すると、銃が淡く光った。
「これで撃ってごらん」
戸惑いながらも、言われた通りに撃つと。放たれた銃弾は途中で分裂し、青い矢となって悪魔達を射抜いた。光に射抜かれた悪魔達は悲鳴を上げる間もなく消えた。
唖然としてガブリエルを見ると、彼は苦笑いを浮かべている。
「これで少しは早くなるだろう」
「あ、ありがとう……?」
なんとなく礼を言ってしまうが、先に進んでいたベルゼブブが、呆れた様子で振り返った。
「お前は、力を使うなと言っただろう。ただでさえ悪魔しかいない都市の中で辛いだろうに、お前とて消耗したら倒れるぞ」
「しかし、こうでもしなければキリがない」
「ふん。アルマ、いくぞ」
アルマは頷いてベルゼブブの背を追いかけた。その後ろをガブリエルが追う。
三人が向かったのはデパ地下の商店街らしき場所だ。その中央に、明らかに人の手で掘られた穴があった。
ベルゼブブが言う。
「この先に、悪魔崇拝者どもがいるな」
「一体、何を企んでいるんだ……」
「サタンと関係があるなら、猶更、行かなくては」
アルマが先に飛び降りる。その後を二人も続いた。
タンッと音を立てて地面に到着し顔を上げる。そして、目の前の光景に驚愕した。
たくさんの遺体が積み重なり山となっている。その下の地面には、悪魔の紋章が描かれていた。その周りには、黒いマントを着た悪魔崇拝者たちが何か呪文を唱え続けていた。
アルマは怒りに顔を歪めると、懐から短剣を取り出した。
「お前ら……!! これ以上、勝手な事は許さない!!」
剣を振り上げ、手近な場所の崇拝者から斬りかかろうとした。
しかし、それは中央の紋章が光ったことで遮られる。衝撃が走り、アルマの身体は吹き飛んだ。ガブリエルが、すぐさまそれを抱き留める。
悪魔崇拝者達は、迸る赤い光を見ながら剣を取り出した。そして、己の喉笛に刃を添えたかと思えば、一息に斬った。噴き出した血が紋章にかかる。
光が、ひときわ激しく溢れ、空間を突風が駆け抜けた。
ガブリエルが、庇うようにアルマを抱える。
突風が落ち着き顔を上げると、そこにあったのは、遺体の山でも悪魔崇拝者達でもなく、異形の存在だった。
宙に浮くそれは、人の形をしているが、背には黒い鳥の翼が、そして、頭部はライオンの顔をしている。
アルマはただ驚いていたが、ベルゼブブは「はぁ」と呆れをため息にして吐いた。
「まさか、己と遺体の山を生贄にして召喚するとは、馬鹿げたことをする」
ライオン顔の悪魔は、驚いたように黒い目を見開いた。
「何故、貴女様がここに……しかもガブリエル様まで……」
「貴様の問いなぞどうでもいい。が、私の問いには答えてもらう。貴様、何故連中の召喚に応じた? 貴様まで人間どもの遊びに付き合っていると言うのか?」
ベルゼブブの問いに、悪魔は目を細めた。
「彼らはサタン様を蘇らせようとしている。我々は、その手助けをしているだけにすぎません」
「奴を完全に目覚めさせれば、私もお前達もただでは済まんぞ」
「それでも、彼らは願った。人間の滅亡を。我らを顕現させれば、その望みを叶えさせると言ったのです。我ら『ゲーティア』は、与えられたものに応える悪魔」
「……ならば、お前を止めるとしよう。奴が完全になってしまえば、私の暇つぶしもなくなってしまう。――地獄に戻れ、プルソン」
獅子の咆哮が響き渡る。こちらを敵と見なしたのだろう。
アルマは、久しく感じていなかった”怯え”が身の底を走るのを感じた。それほどまでに、この悪魔――プルソンが放つ威圧感は凄まじい。
(これが、ゲーティアの悪魔)
ガブリエルはアルマの身体を強く抱きしめたが、前に立つベルゼブブは言う。
「アルマ、この悪魔と戦うか?」
顔を上げて彼女を見る。その後姿は、雄々しく、凛々しい。
「お前が何を望んでいるかは知らん。それでも覚悟があるのなら、力を貸そう。悪魔と対等に戦える力を」
振り返るその目は、問いかけている。
アルマは、下唇を噛んで、ガブリエルの抱擁から離れ立ち上がる。その姿に、ベルゼブブの顔は美しく歪み、嗤う。
「では、私の力、存分に揮うがいい!」
その言葉と共に、ベルゼブブの身体が弾け、無数の黒い蝶となった。そしてアルマの腹の傷口に吸い込まれていった。
直後、アルマの身体を激痛が貫き、叫びが上がる。
その様を、ガブリエルは痛ましい表情で見つめていた。
真っ黒な、泥のような影がアルマの身体に纏わりつき、変貌させていく。
それらが剥がれ落ちた時、妖艶な黒のロングドレスに、蝶の仮面を纏ったアルマの姿が現れた。
「これは……」
『憑依と言っても、私の身体を少し貸しただけだ。お前の意志で戦うことはできる』
自分の姿に戸惑っていると、頭の後ろからベルゼブブの声がする。
『いいか、私はお前を完全に乗っ取る手前で力を押さえている。これ以上、力を分け与えれば、お前の精神をも蝕むこととなる。それは、長く憑依を続けても同じ。使い過ぎれば、私に心を飲まれると思え』
「……つまり、早く片付けろと?」
『そういうことだ。ガブリエルに援護させる前に、プルソンを仕留めてみせろ』
アルマは身構えた。いつも愛用している銃はなくなっている。代わりに、黒く染まった両手には長く鋭い爪が生えている。
『切り裂くくらいなら、これで充分だろう』
「あぁあ!!」
叫びと共にプルソンに向かう。
プルソンは、振り下ろされた爪を避けながら、アルマの脇腹に蹴りを入れた。鈍い音が響いたが、痛みは感じなかった。
『痛覚は遮断している。好き勝手に戦え』
アルマは、そのままプルソンの足を右手で掴み、左の爪で切断した。手応えはあったが血が噴き出すことはなかった。
プルソンは片足を失い、後ろへ下がる。
アルマの中に、妙な高揚が生まれ始めていた。まるで毒が全身に回るように、身体の芯から末端まで、じわじわと広がってゆくそれは、快楽だった。
蝶の仮面の下に、不思議と笑みがこぼれる。
恐ろしい思考の速さで、プルソンに向かってゆく。
爪を剣のように突き立て、振り回す。プルソンは避ける事しかできないでいる。
その様子をガブリエルは、祈るように両手を重ねて見ていた。
やがて、振りかぶった黒い爪が、プルソンの左腕を斬り裂き、切断した。
熱い高揚が胸に迸り、アルマは思わず笑い声を上げた。
「あは……あははは! お前たちなんかの好きにさせるか!!」
ライオンの顔が歪む。
「なるほど、どうやら君は、ベルゼブブ様との相性がいいようだ。では、私も本気を出そうではないか」
その言葉と共に、プルソンの斬られた手足に黒い霧が生じ、再生する。そして、両手を前に突き出すと、何かを唱え始めた。
「我が望むのは、永遠の滅びと財宝。汝にその力を与えん」
呪文と共に、突き出された両手に、黄金の光が現れる。
眩いそれに、目が眩みそうになっていると、ベルゼブブの声が響いた。
『奴の力は人間の暴走を引き出す。あの光を受ければ、意識を持っていかれて自害させられるぞ』
「えっ、じゃあどうしたら」
『私の言葉を繰り返し言え。負担は大きいが、致し方ない。身体の力を抜いて目を閉じろ』
アルマは頷き、彼女に言われたとおりにする。
そして、彼女の言葉を繰り返す。
「 空虚の反射 滅びの円舞曲 」
プルソンが呪詛を放つと同時に、黄金の光が弾けた。
眩い光がアルマを突き刺すように迸るも、彼女の前には見えない壁のようなものがあり、光は阻まれ、逆にプルソンへと跳ね返った。
プルソンはそれを避けることができず、己の呪いをそのまま喰らってしまった。ぎゃあっと悲鳴を上げ、プルソンがもがく。自分の身体を、自らの手で引き裂いている。
その光景を見ながら、ベルゼブブが言う。
『続けて言え。地獄の檻』
「地獄の檻」
『我は導く者』
「我は導く者」
『彼の者を、地獄へと導かん』
「彼の者を、地獄へと導かん……!」
言葉を紡ぐたびに身体が熱くなるのを感じる。
アルマの影が、足元からプルソンの下に走り、渦を描く。その黒き渦から鋭い牙を持つ蛇の口が現れ、プルソンをぱくりと飲み込んだ。蛇の口は再び渦の中に下がってゆき、やがて渦は消えて行った。
悪魔の威圧感が消えたのと同時に、アルマの身体が影に包まれ、無数の蝶が溢れる。
姿が元に戻った途端、アルマは嗚咽と共にその場にへたり込んだ。眩暈、吐き気、あらゆる不快感に、脂汗が噴き出す。
苦し気に蹲るアルマを他所に、無数の蝶達は集まり、ベルゼブブの形へと戻る。彼女は肩にかかる長い髪を払い、深いため息をついた。
「人間に憑依するのは、初めてだ」
「ううっ……」
「憑依された人間達は皆、そのような状態になる。霊に身体を奪われると自身を失い、感覚さえなくなる。私はお前の意志が残るように手加減したが……それでも、苦しかろう」
いまだにえずいているアルマに、ガブリエルはそっと寄り添って、背中を撫でてやった。
そのうち、ようやく不快感も治まってきて、アルマは顔を上げた。
「なんで、あんたが泣きそうなんだ……」
「辛さを変わってやりたい」
「……そう」
暗い地下室には、自分達の他には、悪魔召喚の痕だけが残されていた。
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