第7話


 天使と悪魔が帰って行った後、エルと一緒に食器を洗っていると、扉がノックされた。

 アルマは警戒した。トルソだったら、声かけてくれるはずだからだ。

 エルに目線を配ると、彼女も理解してくれたのか、慌てて寝室へと向かった。彼女が隠れたのを確認した後、アルマは手を拭いて扉に向かった。


「誰だ?」


 圧をかけるように問いかける。すると、返ってきた声の主は意外な人物だった。


「クラウンだ」


 え、と驚く。何故、あの男がこの家を知っている。その疑念から、アルマは腰にある銃を抜き、構えながら扉を開けた。開けると言っても、チェーンはしっかりかかっているから、相手を入れるつもりはない。

 隙間から外を覗くと、息を切らしたクラウンがそこにいた。どうやら、焦っているようだ。


「お前、何で私の家を知っている?」

「そんなことはいい。時間がないからよく聞け」


 クラウンは、アルマの問いは無視すると、声を低めて言った。


「お前のことを、ゲーティアの悪魔が探している」

「なんだと」

「天使と悪魔、両方と契約しているって噂が、悪魔崇拝者の間に流れているんだよ。ここにいるとやばいぞ」

「……なんで、お前がそのことを伝えにきたんだ」

「頼まれたんだ。お前と、その天使を匿えって」

「……誰に」


 またも問いかけを無視して、クラウンは矢継ぎ早に話を進める。


「とにかく、ここを出ろ。んで、こっちに来い」


 クラウンは、一枚の紙きれを渡した。そこには住所が書かれていた。


「聖域都市に近い、廃墟都市の東の端に『ベツレム』って宿舎がある」

「ま、待て。なんでこんな」

「詳しくは後で話す。とりあえず、今はそこへ逃げろ。俺も行く」


 クラウンは、返事を待たずに走り去った。

 アルマはどうすべきか逡巡した後、ひとまず寝室で待つエルの元に向かった。




 ドゴ、と扉が乱暴に蹴り破られる。

 ボティスは、部屋に入って中を見渡した。室内には、明らかに誰かが住んでいた形跡がある。が、今はもう誰もいなかった。


「勘付かれたか」


 台所、寝室、浴室と、無遠慮に踏み入って探すも、やはり姿はない。

 やがてボティスは、持っていた剣を大きく振り回した。部屋が上下真っ二つに分断される。屋根が吹き飛び、階下へと崩落していった。


「まぁいい。じっくり探せばいいことだ」


 すっかりと部屋を壊し尽くしてから、その場を去ろうとした時、声が響いた。


『あれれ、逃げられたの?』


 幼い声に振り返ると、壊れた窓辺に座る少女が一人。

 彼女の姿を見て、ボティスは慌てて跪いた。


「久しぶり~元気してた~?」


 手をひらひらとさせる少女に、ボティスは嬉しそうに微笑んだ。


「あなた様は、相変わらず可愛らしい」

「褒めてもなんも出ないよ~」


 ケタケタと笑う少女。次の瞬間、ボティスの笑顔が恐怖に変わった。自分を見つめる翡翠の瞳が、獲物を見つけた捕食者のそれだったからだ。


「ねぇねぇ、オレ、早く起きたいんだよねぇ。もうちょっと仕事できる奴、呼んだりできない? 例えば……」


 ごくり、と息を飲む。大柄な騎士の背が恐怖心で震えている。

 少女はしばらく黙ったままだったが、やがて、ふう、と息を吐いた。


「もービクビクして~。そんなに怯えなくてもいいのにぃ」

「も、申し訳ございません」

「いいよ。だって、オレって、怖いもんね?」


 からかうように笑いながら、少女は窓から降りてボティスに近づいた。


「でも、早く起きたいのは本当。焦らされるのは嫌いなんだ。ベルゼブブでも誰でもいいから上位の悪魔を連れてきてさ、俺の封印、解いてほしいんだよね。あの悪魔崇拝者達に頼んでたら100年くらい、あっという間に立ちそうだし」

「……はい」

「それで、もう一個、頼みがあるんだけど」


 あどけない少女の口が、弧を描いて吊り上げられる。


「羽、食べたいなァ」


 ボティスの肩がびくりと跳ねる。

 少女は彼の耳元まで顔を近づけて囁いた。


「俺、今さ、力、あんまりないからさ、食べて強くなりたいなァ。ねぇ――ガブリエルが地上に降りて来てるんだよね。ガブリエルの羽、食べたいなぁ」


 ボティスの顔が青褪める。

 少女は身を離して、笑いながら、その場でくるくると踊る。


「アハハ! 酷い顔! お前のじゃないのに、そんなに怯えて、大丈夫?」

「……ルシファー様が、反対されると思います」


 返された言葉に、少女の動きがピタリと止まる。それから、少し眉間に皺を寄せて、腰に手を当てて「も~」と声を上げる。


「お前ら、本当にガブリエルが好きだなぁ。天使なのに、もう立場も違うのに、まだ欲しがるの? いい加減、俺に譲ってよ」

「……できません」


 ボティスがはっきりと答えた瞬間、彼の片腕が吹き飛んだ。否、消されたと言った方が正しい。

 少女の人差し指が、ボティスに向けられている。


「俺に逆らうな」


 殺意に満ちた顔には、少女の愛くるしさなど微塵もない。

 ボティスは、消された片腕を押さえながら、頭を地面に擦りつけた。


「申し訳ございません……!」

「……白けた。しょうがない。帰ろ」


 ぱっと表情が変わり、少女の顔に戻るも、ボティスにはもう恐怖でしかなかった。


「でも、早く俺を起こしてよ。ルシファーだって望んでるんでしょ? なら、もっと頑張らないと~」

「……わかりました」

「じゃぁね」


 少女の姿が掻き消える。

 ボティスはようやく身体を起こし、失った片腕を見た――再生できない。

 立ち上がり、少女がいた場所に目を向けた。その顔は険しい。


「……喰われてしまう前に、見つけなければ」


 そう呟いて、その場を去った。

 それを、一羽の蝶が近くで見ていた。




 降りしきる雨の中を、手を繋いだ二つの影が駆けていく。

 アルマは、フードを着せたエルを連れて、廃墟都市の中を走っていた。ひとまず、クラウンの言葉に従うことにしたのだ。

 アルマに手を引かれたエルは、時々、足を縺れさせそうになりながらも、懸命に走った。

 やがて、目的の場所に辿り着いた。見上げた建物には『ベツレム』と書かれた看板が掛かっている。

 重たい扉を開けると、ギギと軋んだ音がした。

 中は広いが整頓されており、二階に繋がる階段を上がれば、上等な寝室もある。


「ヌ、イデ、イイ?」

「あぁ、いいよ。びしょ濡れだからね。脱いで乾かそう」


 エルがか細い声で聞くので、アルマは振り返って答えた。

 自分も、雨除けのマントを脱いで、近くにあったハンガーラックにかけた。

 暗い室内を見回してみると、電気式のランタンが置かれている。試しにスイッチに触れると、明かりがついた。明かりが取れるだけで、一息つけた。


「さて、ここまで来たのはいいが……どうしたものか」


 呟いた直後、一羽の蝶が目の前に現れた。黒い蝶はランタンの光を受けてメタリックに輝いており、明らかに自然のそれではない。

 その蝶から声が響いた。


『アルマ』

「ベル!?」

『無事だったか』


 声の主はベルゼブブだった。そこには安堵が滲んでいる。


『お前の住んでいた家が破壊された』

「なに!?」

『ゲーティアの悪魔が、お前を探している』

「クラウンの話は本当だったのか」


 呆然と呟くと、ベルゼブブが『クラウン?』と聞き返した。


『もしや、黒髪の男か?』

「え、ああ、確かに黒髪だけど……知ってるのか?」

『先程、ここに向かって逃げていたぞ。悪魔崇拝者達に追われていた』


 クラウンと会った時の顔を思い出す。酷く焦っていた。彼も、自分の状況を知っていたのだろう。


『連中は私が少し叩いてやったら、すぐに逃げ出したぞ』

「クラウンは?」

『無事だ。驚いたが、あの男、我々が視えている』


 えっ、と驚きに声が漏れる。


「視えてるって……あいつは、聖職者でもエクソシストでもない。ただの情報屋だぞ?」

『だが視えていた。しかも、悪魔との契約もしている』

「契約!?」

『とはいえ、古い契約だ。あの男自身、気付いているかも知らないが。まぁいい。そいつを連れて向かうが、いいか?』


 アルマが頷くのを見届けて、蝶はその場から消えた。

 しばらくの後、扉が開けられる。土砂降りの外から、ずぶ濡れのクラウンが入ってきた。彼は、やや気まずそうにアルマを見た。


「よ、また会ったな」


 その軽い言い方が癪に障って、アルマはクラウンの胸倉を掴んだ。


「お前、いつから悪魔と契約していた!?」

「いきなり突っかかってくんなよ、ちゃんと話すから」


 両手を上げるクラウンに、渋々と手を離す。

 すると、彼の後ろからベルゼブブとガブリエルが姿を現した。二人を見て、彼は渋い顔をした。


「まさか、お前が契約した天使と悪魔って、上位の奴らだったんだな……」

「こっちにはこっちの事情がある」

「わかってる。それより、俺の情報を聞きたいんだろ?」


 クラウンは、濡れた上着を脱ぎ捨て、近くのある椅子にどかりと座った。


「俺は、元々悪魔崇拝者だったらしい」

「らしい?」

「赤ん坊の時の話だ。俺は、生まれた時にはもう悪魔と契約をさせられていたらしい。殆ど記憶にない。けど、悪魔と天使は、はっきり見える」


 彼は続ける。


「俺のいた組織は、一度、聖職者達に壊滅させられて、生き残ったのは俺だけだった」

「……お前、そんな生い立ちだったのか」

「知ったのは10の時だ。物心ついた時にはスラム街で暮らしてた。けど、ある日悪魔崇拝者の連中が現れて言ったんだ。『お前は、大悪魔と契約した大事な贄だ』って」


 ベルゼブブが、目を細めて問いかける。


「ということは、お前は悪魔に生贄として捧げられるためだけに契約をさせられたということか」

「そういうことらしい。俺の血肉で、契約した悪魔の復活をさせることができるってさ」

「その、悪魔って?」

「サタン」


 場の空気が一気に凍る。

 クラウンは、顔に嫌悪を滲ませながら続ける。


「俺の命は、サタンと契約させられている。なんでも、俺は当時、悪魔崇拝者のリーダーだった奴の子どもらしい。俺の意志なんて関係なしに契約をさせられた。悪いが、俺はごめんだと思ってな。それから10年、あいつらから逃げてる」

「……嘘だろ。お前、なんで早くそのことを言わなかった」

「言ったところで誰も信じてくれやしねぇだろ。しかも、悪魔崇拝者の子どもだなんて知られてみろ。聖職者にもエクソシストにも狙われるだろ。でも俺は、あいつらの思い通りにもなるつもりはない。だから、あいつらの邪魔をするために、情報屋になった。悪魔が視える、この目を利用してな」


 その目には憎しみがこもっていた。己に降りかかる理不尽と、それを企てた者達への。

 重い沈黙の中、アルマはふと思い出して聞いた。


「そういえば、お前、頼まれた、って言ってたよな。私達を逃がすように。それって、誰なんだ?」

「それは……俺も詳しくは。まぁ、そこの天使の事を知っている奴なのは確かだ」


 クラウンはガブリエルに目を向ける。


「とにかく、お前らがゲーティアの悪魔に捕まらないようにって、それだけで。俺も知らない奴だった」

「外見は?」

「長い白髪で、ワインレッドの目をした男」


 びくり、とベルゼブブとガブリエルの肩が跳ねたが、アルマはそれに気づかない。


「私も知らない奴だな……でも、そうか。お前も悪魔に目を付けられていたんだな」


 クラウンの話を聞き終えたアルマは、ため息をつきつつ椅子に座った。

 ベルゼブブが口を開く。


「今のお前は、悪魔崇拝者とは無縁のつもりなのだろう?」

「あぁ、無縁、とは言い難いが、あいつらの味方をするつもりなんてさらさらねぇ。かといって、神の味方になるつもりもない。俺にとっては神なんて、どうでもいい。俺は俺のことで精一杯だからな」


 一瞬だけ、ガブリエルの顔に悲しみが浮かんだが、その言葉に反論することはなかった。


「さて、俺は自分のことは全部話した。お前はどうなんだ? 何で天使とも悪魔とも契約したんだ?」


 アルマはベルゼブブを見る。彼女は小さく頷く。

 アルマは、クラウンに今までの経緯を話した。自分がサタンに殺されかけたこと。二人によって命を救われたこと。その契約で、サタンを封じる手助けをすることを。

 クラウンは黙って聞いた後、「そうか」と背もたれに寄りかかった。


「お前、元々天使と悪魔が視えていたんだな」

「別に、そういうわけじゃないけど……ガブを見つけた時は驚いたよ」

「まぁ、何か理由があるんだろうさ。けど、そうか、あいつら、サタンの復活を俺なしで行おうとしているってことだな」


 クラウンは腕を組む。

 口を挟んだのはベルゼブブだった。


「連中は恐らく、一本目は封印を解いたのだろう。だから、サタンの一部が顕現できている」

「一部?」

「あいつは、巨大な龍だ。神によって七つの鎖に縛られ、地の底に封じられている」


 ガブリエルが口を開く。


「鎖には一本ずつ、封印が施されていて、それを解くことは私達天使でもできない」

「無論、封じられているサタン自身にもな。しかし、ルシファーが従えているゲーティアの悪魔達か、私達七大罪の悪魔になら、その封印を解けるかもしれない。とすれば……どこぞの悪魔が、一本、封印を解くのを手伝ったのだろうな。だが、あれを解けば、悪魔自身にも危険が及ぶはずだ」


 大事になってきたな、とアルマは息を飲んだ。


「だから、連中はクラウンが捕まらない間は、悪魔召喚を頻繁に行うようにしたのだろう。まぁ、クラウンが捕まれば一番手っ取り早いのだろうがな」

「冗談じゃねぇ。俺の命を悪魔に捧げてたまるか」

「それでいい。私にとってもサタンの復活は困る」


 そう言いながらベルゼブブは、アルマとクラウンを交互に見た。


「とはいえ、お前達にはサタンとの繋がりができてしまっている。サタンとの戦いは避けられんぞ」

「俺はエクソシストでもねぇから悪魔との戦い方なんて知らねぇぞ」

「基礎は教えてやる。お前は、せめて人間とは戦えるようになれ。自分の身を自分で守れるように」


 舌打ちをするクラウン。


「でも、あのサタンと戦うなんて……」


 アルマは不安に顔を俯かせた。

 会っただけで身体を真っ二つにしてきたのだ。何をされたのかもわからなかった。そんな者を相手に、どう戦えというのだろう。


「その時は、私が力を貸す」


 そう言ったのはガブリエルだった。彼は優しい表情を浮かべながら、アルマを見ていた。


「大丈夫、私を信じて」


 その言葉は、不安を拭うように優しく響いた。

 しかし、ベルゼブブが不服そうにため息をつく。


「ともかく、しばらくはここを拠点にして活動することだ。クラウン、お前に戦いというものをみっちり叩き込んでやる」

「マジかよ、俺もここに住めと!?」

「私達もここにいるつもりだ。聖域都市が近いから不満は大いにあるが、まぁ仕方あるまい。早速、今日から鍛錬するぞ」

「嘘だろぉ」


 ガクン、と頭を垂れるクラウン。――こいつとここで暮らすのかよ、と考えていると、二階から扉が開く音が聞こえた。アルマは慌てて振りかえったが、遅い。


「ハ、ナシ、オ、ワッタ!?」


 部屋から出てきたのはエル。エルは階段を駆け下りてアルマに抱き着いた。アルマはやばい、という顔をしながらクラウンを見る。クラウンは、エルを見ながら……なぜか頬を赤らめていた。


「可愛いな、誰だその子」

「は、はぁ!!?お前何言ってんだ!?」


 率直な感想を言った彼に、アルマは思わず怒鳴った。ベルゼブブとガブリエルは顔を合わせて、苦笑いをした。

 その建物の外では、白髪の男が立っていたが、やがて踵を返して姿を消した。

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