第25話


 それから、二人は廊下を進んだ。道中、また悪魔に憑りつかれた聖職者達に襲われたが、アルマが率先して悪魔を祓った。ガブリエルには一切手を出させまいと、必死に戦った。

 そして、通路を抜けた先に、鎖や鉄の板でがんじがらめにされた扉があった。ガブリエルは、顔を歪めて言った。


「ここだ」


 ガブリエルが手を翳すと、バチンと音を立てて弾かれてしまった。

 アルマが慌ててその手を掴んだ。湯気が出ている。


「大丈夫か!?」

「あぁ……これは、悪魔の力が込められている。少し離れて――」


 とガブリエルが話している間に、背後から気配を感じて振り返る。そこにはルシファーがいた。


「ここまで辿り着いたか。早かったね」

「ルシファー……これは、お前がしたのか?」

「この門は、ベルフェゴールとレヴィアタンに厳重に閉ざしてもらっていたんだ。他の聖職者達を入れないためにね」


 簡単に説明し、扉の前に立つ。ルシファーはアルマを見た。


「さて、ベルとガブリエルの契約者。名前を聞いても?」

「……アルマ」

「アルマ。この先は悪魔の巣窟だ。悪魔達は君の魂を求めて襲い掛かってくるだろう。今まで戦ってきた七大罪も襲ってくるかもしれない。それでも、君はベルとサタンに会いにいくかい?」


 まるで脅しのように聞こえるその言葉に、アルマは一瞬黙ってしまったが、すぐに頷いた。


「ベルを、助けにいく」

「助ける? 自分より強い存在に、助けが要るとでもいうのかい?」

「それでも、ベルは私を守ってくれた。なら、私もベルを守りたい」


 本心からの言葉を伝えるアルマに、ルシファーはあっけらかんとしたが、次いで小さく笑いだした。


「フフフフッ、君は可笑しい人間だ。悪魔を助けたいなんて、未だかつてない」

「お前達だっておかしいだろ。悪魔が天使を慕うなんて。でもそれは、偏見だってベルに言われた。なら私も、自分が思った通りの事をする」

「はは、彼女らしいセリフだ」


 そう言って返すルシファーは、少し寂しそうだった。

 そして、扉に触れる。すると、扉は水面のように揺れ、波紋を描いた。


「では、地獄へ案内しよう」

「……あんたは、サタンの復活を目論んでいるんだろう? 私は、サタンの復活を阻止、封じたいんだ。なのに、手助けするのか?」

「そうだね。私は弟を助けたいよ。でも……ガブリエルが消えてしまうのは、もっと耐えられない」


 目線をガブリエルに向ける。彼は、悲しい目でルシファーを見ていた。


「私が天界を堕ちた理由は、弟が神に反逆したからだ。最初の人間を欺いたことで、あの子は悪魔としてサタンと名付けられた。私はそれが耐えられず、共に堕ちることを選んだ。けど……私はそうなる前から、ガブリエルに恋をしていた。誰よりもガブリエルに恋慕の情を抱いていた」


 静かに語られる、彼の過去。


「ガブリエルを自分のものにしたかった。その想いが私を支配したこともある。けれど、私には弟もいる。どちらも大事にしたいと思っていた。となれば、神と戦って、二人を得るしかないと考えた」

「それは……」

「結果的に、叶わなかった。私は天界から堕とされ、地を彷徨った。ベルと同じように」


 ぐっ、と心が締め付けられた。彼もベルと同じだと思った。自分が願った事を、ただ叶えようとしただけだ。それを神は――


「人間が許せなかったよ。私達よりも、人間が優先されることが、何よりも。だから、私達は人間を欺き、神への信仰心を奪い、欲望に満たされるように行動する。それが、悪魔にとっての当たり前になっているんだ」

「……そうか」

「君は、私達の気持ちを知ってどうする?」


 アルマは、はっきりと言った。


「もっと愛されたい気持ちは、痛いほどわかる。私も、両親にそう願ったことが、あったから」


 ガブリエルは目を見開いてアルマを見た。

 アルマは、目を伏せて、あの時代を思い出す。


「両親は熱心な信者だった。だから、いつも神のことを第一に考えていた。私は生まれた時からそんな生活をしていたから、神が素晴らしい存在だと理解はしていた。けれど、段々と、両親が聖職者になって、神の為に戦うようになってからは……寂しさが募るばかりだった」


 あの時の両親は、とにかく神への信仰が第一だった。それがとても寂しかったと思ったことは、嘘ではない。


「だから、今、ガブが私を信じてくれる気持ちが本当に嬉しいんだ。ベルだって、なんだかんだ私を受け入れてくれている。それが……私が、本当に欲しかったものだったんだって」


 ガブリエルはアルマを抱きしめていた。涙を流しながら、彼女を大切に、大切に抱きしめる。アルマは、その腕の中で、じわりと目に涙を溜めた。


「でも、どうしても、神を信じることが、できなくて。二人の事を考えると、どうして神は身勝手なんだって考えてしまうんだ。本当はそうじゃないかもしれない。でも私は……」


 ルシファーの人差し指が口を塞いだ。顔を上げると、そこには、彼の穏やかな顔があった。何か、満足した様子だった。


「信じる、というのは簡単じゃない。でも、ガブとベルのことは、信じていていいよ。きっと君を裏切らない」

「……アンタも、変な悪魔だ」

「フフ、でも人間は嫌いだよ」


 そう言って、ルシファーはアルマに手を差しだした。


「さて、そろそろ行こうか。ガブリエルには、できれば残ってほしいんだけど」

「アルマを一人にしておけない」


 涙を拭って、きっぱりと答える。


「この子にはもう、悲しい思いをしてほしくない」

「……そこで母性を出さなくてもいいのに。羨ましいね」


 ガブリエルにも手を伸ばす。ガブリエルはその手を取ったが、突然ルシファーに引き寄せられ、口づけをされた。

 アルマもガブリエルも驚いたが、ルシファーはゆっくりと離れて囁いた。


「私の天使だった時の力を分け与えた。これで、地獄でも耐えられると思うよ」

「だ、だからって口に……!」

「愛しい天使のためだ。でもなるべく戦わないように。全て彼女に任せるんだよ」


 手を握られたまま、ガブリエルは顔を逸らした。

 二人の世界に入られて、アルマは少し不機嫌になり、ルシファーの手を掴んでガブリエルの前に立った。ルシファーは「おや」とにっこりと笑った。


「妬いたのか? 君もガブリエルが好きなのかい?」

「……そういう感情じゃない」

「そうか」


 ルシファーは二人の手を握りながら、扉の中へと入っていく。二人は吸い込まれるように扉の中へと溶け込んだ。

 扉を抜けると、そこは恐ろしい光景だった。

 地面が溶岩のように溶け、熱気を噴き上げる。ゴウゴウと風が唸り、溶岩の更に下は、底の見えない暗闇が広がっている。壁一面、地獄送りの際に悪魔達を飲み込んだ牙のようなものが、不揃いに生えている。

 これが、地獄の入り口。アルマが息を飲んでいると、ガブリエルの手が自分の手を握った。顔を上げると、彼は心配させまいと、微笑んでくれていた。それが、自分を安心させるものだと、アルマはようやく理解した。

 ――彼を信じる。

 ルシファーは二人の手を握ったまま、言う。


「では、準備はいいかな?」


 二人は頷いた。ルシファーは、悪魔のような微笑みを見せ、手を離した。


「無事に、ベルが見つかるといいね」


 身体が暗闇に向かって落ちていく。ガブリエルがアルマの身体を抱きしめ、共に落ちて行った。

 その光景を見ていたルシファーは、寂しそうに目を逸らした。


「ガブリエル……無事に帰ってくるんだよ。お前に何かあったら、私は……」


 そう呟いた後、ルシファーは顔を上げた。


「さて、彼らはどうしたかな?」


 その場から姿を消した。




 バチバチ、と雷がヒュブリスの身体から走る。彼は片膝を地面に付きながらも、立ち上がろうとする。

 だが、次に大きな雷がヒュブリスの身体を吹き飛ばす。上半身が吹き飛んでしまった。その様を見て、舌打ちをするベリアル。


「もう210回は吹き飛んでんのに、まだ死なねぇのかよ」


 明らかに不機嫌そうなベリアルの前で、ヒュブリスの身体は砂のように溶け、元の形に戻る。全く表情の変わらないヒュブリスに、ベリアルは頭を掻いた。


「あいつの呪い、やっぱ怖ぇ。お前、その呪いを解きたいと思ったこと、ねぇのかよ」

「考えたこともない。私はサタン様に仕えるだけだ」

「……そーかよ。じゃあ……本気出しちまおうかな」


 地面がバキバキ、と音を立てる。ベリアルの背中にある黒い羽が、逆立つ。彼の体中から、黒い雷が走り、地面を割っていく。ベリアルは嗤いながら、両手を掲げる。


「これで、お前を吹き飛ばせるか試してみるかッ!!」


 ゴゴ、と大気が揺れる。空にも暗雲が立ち込め、雷を発生させる。突風が、ヒュブリスの髪を巻き上げる。しかし、彼の表情は変わらない。ベリアルはその顔に苛立ったのか、笑いながらも目は怒りに染まっていた。


「その余裕ぶちかましている顔……嫌いなんだよなァ!!」


 唸る雷鳴が廃墟都市に轟く。

 ベリアルが、雷を落とそうと、片手を動かそうとした瞬間、声が響いた。


『こら、契約者達を放置してどうするんだい』


 ベリアルの動きが止まり、暗雲も一瞬で掻き消える。ヒュブリスは目を見開いたが、ベリアルは慌てて辺りを見る。もう雷を纏っていなかった。


「え、ルシファー!?」


 名を叫ぶと、ベリアルの背後から、クラウンとトルソを抱えたルシファーが現れる。彼は呆れた様子でため息をついた。


「楽しむのは悪い事ではないけど、二人まで巻き込んで死んでしまったら、あの子が復活してしまうよ?」

「あ、いっけねぇ……」

「気をつけなさい」


 注意され、ベリアルは頭を下げた。

 ルシファーは、二人をベリアルに預けてヒュブリスを見た。


「やぁ、哀れな人間」

「お前は……よく私の邪魔をしていた……」

「あぁ、そうだね。それはさておき、一度お引き取り願いたいんだけど、ダメかな?」


 その問いに、ヒュブリスは武器を構えた。しかし、ヒュブリスは強い威圧感を感じて一歩下がった。

 ルシファーから、殺意と敵意を感じる。それは感情を失っていても、わかるほどに強いものだった。

 未だに微笑んでいるルシファーは、目を細めたままヒュブリスを見下すように顔をあげた。


「弟の復活を手伝ってくれるのは嬉しいけど、ガブリエルに手を出そうとしたことは許せないね」

「……望んでいるのではないのか?」

「もちろん、望んでいるよ。でもね……人間に勝手されるのは、嫌いなんだよ」


 ルシファーの威圧感に、ヒュブリスは少し怯んだが、構わず剣を握った。


「勇ましいね。私の圧を受けておきながらまだ戦うとは」

「何度殺されようと、私は呪いで元に戻る」

「そう……では、『記憶』はどうかな?」


 ルシファーがヒュブリスに向かって歩き出す。ヒュブリスは剣を構え、ルシファーに斬りかかった。しかし、ルシファーはその攻撃を軽く交わし、片足を華麗に振り上げた。

 バキン、とヒュブリスの腕が砕ける。折れた部位から氷ができ、身体中にヒビが入る。まるで、身体がガラスになったかのようだった。

 膝をついて折れた腕を見ていると、ルシファーの手が顎に添えられ、持ち上げられる。彼の赤い目に、ヒュブリスの顔が映った。


「記憶は、あるのかい?」

「昔のことなど、殆ど覚えていない」

「では何故、最愛の娘の事を覚えていたんだい? 何故、自らが王であったことを、覚えていたんだい?」


 後ろでベリアルが笑顔を浮かべながら冷や汗をかいていた。

 ルシファーは続ける。


「娘の名前を憶えているかい?」

「な、まえ……?」

「そう、お前が愛した、可愛い娘の名前だよ。何故、あの子が娘だと、わかるんだい?」


 うっ、とヒュブリスの目が見開かれる。頭に激痛が走り、ヒュブリスは苦しんでルシファーの手を振り払った。ルシファーは構わず頬に手を添えると、彼の耳元に唇を寄せ、囁いた。


「愛しているのに、何故、思い出せないんだい?」


 ヒュブリスはルシファーを突き放した。そして、その場から走り去った。

 その後ろ姿を見ながら、ルシファーは「やはりね」と呟いた。


「彼は、大事なものを思い出せなくなったんだね。哀れだね」


 楽し気に笑うルシファーに、ベリアルは近づく。その顔は笑っていなかった。


「本当、怖い兄弟だよな、お前等」

「フフ、でもこれで、彼の対処は少しわかったよ。あとは、ベルが戻ってきてくれればいいけど」


 ルシファーはベリアルに抱かれているクラウンとトルソを見た。二人は失神している。


「この子たちの手当てをしないとね」

「でもルシファー。いいのか? こいつ殺せばあいつ、復活できるんだぜ?」

「……もうこの子はガブリエルと関わっている。殺してしまえば、ガブリエルが泣いてしまう」

「ああうん、そっか」


 単純なのか、彼はその答えに納得する。


「ともかく、私も一度地獄へ向かうから、お前はこの家でこの子たちの面倒を見ていなさい」

「ほーい」

「いい子」


 ルシファーはベリアルの頭を軽く撫でてからその場から離れた。

 ベリアルは撫でられたのが嬉しく、軽やかな足取りでベツレムへと入っていった。

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