第12話



「北の方角に強い気配を感じた」


 ベルゼブブが告げる。それがボティスか、それともトルソに呪いを与えた悪魔かはわからない。

 とにかくその方角に向かうことにした。

 向かった先は、商店街だ。ここには、武器屋ミモレットもある。しかし、今はミモレット以外、開いている店は無い。廃れた商店街の中を歩けば、ねずみが走る。


「この下だ」


 ベルゼブブが足を止めて言った。

 アルマは立ち止まって見渡した。ここは商店街の中心だ。地下へと通じる場所は見当たらない。


「入り口を探さないと」

「必要ない」


 そう言うと、ベルゼブブはしゃがんで片手を地面に置いた。

 メキ、メキ、と音が響く。その音が、段々と自分の足元に来ているのに気づいて、アルマは急ぎその場から離れた。

 次の瞬間、ベルゼブブの足元周辺が一気に崩落した。ベルゼブブは宙に浮いているが、割れた瓦礫などは下へと落ちていく。商店街のど真ん中に、大きな穴が空いてしまった。

 アルマは唖然としながらその光景を見ていたが、慌てて声を荒げた。


「ここ! 他のエクソシストも通るんだぞ!」

「仕方あるまい。地下に行く方法がないのだから」

「この悪魔!」


 アルマの罵倒に、ベルゼブブはクク、と笑う。

 だが、穴の下から声が響いてきた。


『来たか』


 その声に、アルマは穴の中を覗き込む。地下の最深部に、悪魔の紋章と、その上に立つボティスがいた。

 彼は見上げたまま話す。


「まさか、自らやってくるとは。私に殺される覚悟はできたか?」


 アルマは、親指を立てて下に向けると言い返した。


「お前こそ、地獄に送り返される覚悟はあるのか?」


 ボティスは、ニヤリと笑ってジャンプする。一気に上まで飛んできて、宙に浮く。

 ベルゼブブは問答無用でアルマに憑依した。

 戦いが始まる。


「行くぞ!!」


 アルマは叫んで爪を向けた。ボティスはその攻撃を剣で受け流す。激しく火花が飛び散る。

 ボティスは強かった。片腕だというのに意にも介さず、剣を揮う。対し、アルマも遅れをとるまいと、必死にボティスの剣に食らいつく。

 二人の戦いは、鎌鼬を生み、地面、建物、あらゆるものに傷を与えた。

 ミモレットは、そこから離れた場所にあったが、その激しい音と衝撃に、エミリは驚いて店を出た。


「一体、何事!?」


 音と衝撃の中心へと向かって、エミリは言葉を失った。

 吹き荒れる突風の中で、二つの異形がぶつかり合っている。

 アルマは、何度もボティスの急所を狙おうとするが、その度に防がれる。歯噛みするアルマに対し、ボティスの顔は悦楽に歪んでいた。


「いいぞ! その目、我らを殺さんとする敵意の目! 嬉しいぞ! それでこそ殺し甲斐というものがある!!」


 ボティスの動きが変わった。剣ではなく、体当たりをしてきたのだ。咄嗟に対応できず、アルマは接近を許してしまう。そのまま、ボティスはアルマの腕に噛みついた。

 そこから何かが侵入するのを感じた。慌てて振り払い、距離を置く。


『毒だ』


 ベルゼブブの声に目を見開くが、ボティスは離れた場所でにんまりと笑っていた。


「制限時間をつけてやろう。10分だ。その間に私を地獄に送ることができなければ――お前は死ぬ」

「この野郎……!」

「さぁ、戦いを続けよう!」


 ボティスの背に黒い翼が生える。それは、蝙蝠に近い形をしていた。

 ボティスは剣を前に突き出し、アルマに向かって飛ぶ。

 アルマの避けた、その後ろにあった建物が吹き飛んだ。恐ろしい威力だと息を飲む。速さも力も、今までの悪魔とは桁違いだ。

 頭の中にベルゼブブの言葉が響く。


『羽が生えたか。ならばこちらも対抗したいところだが……』

「なんだよ!?」


 その出し渋るような言い方に、アルマは声を荒げた。この間も、ボティスの攻撃を避けるのに精いっぱいだ。


『……いいか。私の羽は、お前に大きな負荷をかける。私が離れた後、お前の身体は今まで以上の苦しみを得ることになる。下手をすれば自我を失いかけることもあるだろう。お前の気力次第だが、それでも、私の羽を受け入れるか?』


 憑依しているからか、彼女の言葉からこちらを案じる気持ちが伝わってくる。

 だが、アルマは迷うことなく頷いた。


『そうか……わかった』


 直後、背中が熱くなるのを感じた。

 右の肩甲骨付近から、めりめり、と音がする。痛みこそないものの、何かが肌を突き破る感覚はあった。

 バサリ、と生えた黒い羽は、大きくて美しかった。しかし、片側にしか生えなかった。


『力を押さえて一枚だ。これでも充分速さは増す。追って仕留めろ』

「あぁああ!」


 羽を動かす。最初は飛び方がうまくいかず、数回、壁に激突して周囲を破壊した。やがて、コツを掴んだアルマは、一気にボティスへと向かう。

 空中で、激しくぶつかり合う。

 片翼を使いこなせるようになるにつれ、アルマの動きは早まり、ついにその拳がボティスの顔面をとらえた。牙が折れ、砕けて跳ぶ。

 そして、もう片方の爪をボティスの首に突き立てた。


「落ちろ!!」


 ブチン、とボティスの首がちぎれ飛んだ。分断された首と胴体が、地面に落ちる。

 アルマも続いて地面に降り立ち、翼を仕舞った。

 ボティスは驚いた顔をしていたが、やがて面白そうに笑いだした。


「まさか、ここまでベルゼブブ様と相性が良いとは。惜しいことだ」

「これから地獄送りになるってのに、何で笑ってんだお前」

「サタン様の為に召喚されたとはいえ、人間の思い通りになるのは嫌いでな、こうしてお前に倒されたことに満足している」

「そうかよ」

「だが娘。忘れるな。ベルゼブブ様が如何にお前を気に入っていようと、そのお方は地獄の王だ。そのままベルゼブブ様を受け入れ続けていれば――喰われてしまうぞ」


 ふん、とアルマは鼻を鳴らした。


「そうなる前に、サタンを封じるまでだ」


 言い切る彼女に、ボティスは「そうか」とだけ返した。

 アルマはボティスに向かって唱える。


「地獄の檻、我は導く者。彼の者を地獄へと導かん!」


 その言葉と共に、ボティスはあの牙に食われ、吞まれていった。

 シン、と静まり返った瞬間、アルマの身体からベルゼブブが離れた。

 ガクン、とアルマは地面に両手をつき、吐いた。今までにない疲労感が襲ってくる。


「や、ば」


 意識が飛びそうになる。寸でのところで耐え続けるものの、頭の中がぐるぐると回って気持ち悪い。

 思わず、少しだけ目線を上げると、ベルゼブブの方も座り込んでいた。驚いて手を伸ばしたが、力が入らない。


「お、おい……」

「気にするな。羽を分け与えたから、少し疲れただけだ。我々にとって羽は力の象徴。それを他者に与えるのには、力がいるのだ」


 ベルゼブブの声には、繕い切れない苦しさが滲んでいた。

 アルマは心配になったが、もう意識が続かず、その場に倒れ込んだ。

 ベルゼブブはその様子を横目で見ていたが、自身も動けずその場で目を軽く閉ざした。


「久しぶりだ……この感覚……もう味わうことはないと思っていたが」


 そう呟いていると、誰かが駆け寄ってくる。

 武器屋のエミリだった。倒れたアルマを見て、悲鳴を上げる。


「アルマ! 大丈夫!?」


 慌ててアルマの身体を抱きかかえる。

 ベルゼブブは、小さく息を吐いて、言った。


「女」

「誰!?」


 突然聞こえてきた声に、エミリは驚きを隠せず辺りを見回す。


「お前には見えないのも当然だ。私は悪魔だ」

「あ、悪魔!? 悪魔が、私に何の用なの!?」


 エミリは腰から護身用の武器を取り出して振り回すも、空を切るばかりだ。


「私は、そこにいるアルマと契約を交わしている」

「えっ、契約!?」

「訳は、アルマが起きたら聞け。頼みがある。アルマをしばらく、介抱してやってくれ。私はここでじっとしている。お前に何か危害を加えるつもりはない」

「えっ……ええ……?」

「ともかく、アルマを頼んだ」

「あ、悪魔なんかに、言われなくても!」


 エミリは混乱しつつも、アルマを抱えてその場から走り出した。

 その後姿を見送った後、ベルゼブブは立ち上がって、近くの瓦礫に腰を下ろした。目を閉じて、休もうとする。

 だが、何者かの気配を感じた。目を開けて、ベルゼブブは驚いた。

 そこにいたのはルシファーだった。彼はこちらを見ながら、呆れたように腕を組んでいた。


「全く、人間にそこまでするなんて……それほど気に入っているんだね。あの子の事」


 ベルゼブブは思わず睨んでしまったが、すぐに目を閉じた。


「私が気まぐれなのは知っているだろう」

「知っているよ……一番知っているつもりだ。けど、そこまでするのは、感心しないよ」

「放っておけ、私は私のやり方で――」


 唇に、何かが触れて目を見開く。ルシファーの唇が、ベルゼブブの唇に重ねられている。

 彼女はしばらく放心したが、やがてゆっくりと離れたルシファーの顔を見て、片手で口を押えた。


「何故、力を分け与えた。それは私が与えたものだろう」

「返しただけだよ」

「馬鹿者。お前とてまだ完全なる復活ができてないのだぞ。無理に力を使おうとするな」

「ベルに言われたくないかな」


 クスクスと笑うルシファーに、ベルゼブブは不満げに腕を組んだ。


「全く、お前の事でも忙しいというに、サタンまで絡んでは迷惑だ」

「それはごめんね」

「だが、起こしたいのだろう?」


 ルシファーは頷く。


「ああ、あの子がそう願っているからね」

「お前の本心は?」

「同じだよ?」

「嘘をつけ。お前はガブリエルのことが心配で、それどころではないだろう」

「じゃあ、一緒に考えてくれないか? ガブリエルが、どうやったら堕天できるのか」

「無理に決まっているだろう」

 

 きっぱりと言い切られれば、ルシファーは肩を落として残念そうだ。


「そうか……一緒にいるベルなら、なんとかしてくれるかと思ったんだが」

「悪いが、私は天使を堕とす趣味はない」

「そういう正直なところも、ベルの魅力だと思うよ」

「やめろ」


 手を振って遮ろうとするが、ルシファーに掴まれる。ルシファーは優しく手を握って、撫でた。


「ベルが彼女の味方をしていても、私はベルの意志を尊重するよ。君の気持ちはわかっているつもりだ」

「どうだか」


 彼は、ベルゼブブの頬にキスを落とした。手を離し、離れていく。


「だけど、私はガブリエルの件は本気だからね。邪魔はしないでくれ――」


 それだけ言い残し、ルシファーは姿を消した。

 ベルゼブブはキスされた頬を手で軽く拭ってから、ルシファーがいた場所を睨んだ。


「私の想いも知らないくせに……馬鹿者が」




 ピン、と耳を上げて、エルは何かを感じた。

 クラウンはガブリエルの投げ技をくらい、地面にめり込んでいた。エルは不安になって、ガブリエルの腕に引っ付いた。


「が、がぶちゃ」

「エル?」


 エルの様子に心配になるガブリエルだったが、強い気配を感じて扉を見た。

 ドカッ、と扉が開かれる。中に入ってきたのは、トルソだった。剣を肩に担ぎ、ずかずかと入ってくる。


「よう、天使。お前ここにいたんだな」


 にやり、と笑うトルソ。その目は酷く虚ろだった。

 ガブリエルは、慌てて立ち上がったクラウンにエルを預け、前に出る。


「アルマを探しに来たのか?」

「いや、あんただ」


 ガブリエルに剣が突き付けられる。


「私の話を、聞いてくれないか?」

「こちとら天使の言葉なんざ、数年前に捨てたんだよ! 今更、聞くか!」


 トルソが斬りかかる。

 ガブリエルは、両手を広げると、掌に氷の細剣が現れる。氷の双剣でもってトルソの大剣を受け止めた。

 クラウンは、エルを抱えたまま壁際まで離れていく。

 トルソは剣のみならず、体術も多用して戦うが、ガブリエルも軽い身のこなしで対抗している。


「なんだよ、戦えるじゃねぇか!」

「お願い、話を!」

「聞かねぇよ!」


 トルソは両手で剣を握り、一気に振り下ろす。

 ガブリエルは重い一撃を受け止めるが、次いでトルソの拳がわき腹に入り、ひるんだ。その隙を突いて、トルソはガブリエルの首を掴むと、床に押し倒した。

 トルソがガブリエルに跨る。


「やめなさい、お前に私を殺すことはできない」

「その首、斬り落とされてもか!?」


 大剣の切っ先が、断頭台の如く振り下ろされる。

 それを止めたのは、エルだった。


「や、めて!」


 クラウンから離れ、トルソの腕を掴んで止める。

 トルソは驚いた顔をしたが、すぐに顔をしかめて睨んだ。


「エル……離せ」

「だ、め!」

「離せ……離せよ!! このやろ」


 振り払うように薙いだ大剣が、エルの胸から腹にかけてを斬り裂いた。


「とるそ、ちゃ」


 倒れる間際、エルの声がか細く響く。そのまま倒れ込んだ、彼女の目が閉ざされる。

 クラウンが駆け寄る。


「エル!!!」


 クラウンがエルを抱き抱える。

 トルソは、自分のしたことが信じられないとでもいうように、頭を振って後ずさった。

 そこへ、目の色を変えたガブリエルが掴みかかった。肩を押さえ、そのままトルソの眼帯に触れた、ジュウ、と何かが焼けるような音と共に、彼女は絶叫を上げた。


「ぎゃあああッ!!!」

「……っ、すまない、少しだけ、耐えて!」


 痛みで暴れるトルソを、ガブリエルはしっかりと抑え込み、眼帯に触れ続ける。


「少しでも呪いを……!」


 少しずつ、彼女の痛覚を戻していく。

 ところが、もう少しで、というところで誰かがガブリエルの手首を掴んだ。

 顔を上げると、そこには薄桃色の髪をした女が。


「やめて。私のお人形に手を出さないで」

「アスモデウス!?」


 驚くと同時に、トルソの身体が消える。アスモデウスの気配も消え、そこには元の三人しかいなかった。


『ルシファー様に愛されたガブリエル様。必ず、この手で……』


 最後に響いた言葉に、ガブリエルは顔を歪めた。

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