第13話


「わあぁ!?」


 目を覚ました時、大量の剣を突き付けられていると錯覚した。

 思わず叫んでしまったが、そこへ明るい声が響いた。


「アルマ! 起きたの!?」


 え、となって顔を横に向けると、そこにはタオルを持つエミリがいた。

 それでやっと、ここが武器屋ミモレットで、突き付けられたのは天井から下がる剣達だと理解する。

 アルマは身体を起こそうとするが、エミリに押さえつけられる。


「ダメ! 熱が出てるんだから、寝てないと!」

「え、熱……?」


 言われて身体が熱いことに気づく。


「他に気持ち悪い所ない? 大丈夫?」

「あ、あぁ、大丈夫……それより、どうして私はここに?」


 記憶を掘り返す。ボティスとの戦いを終えた後、ベルとの憑依が解けて……。

 そこまで思い出してハッとする。


「ベルは!?」


 辺りを見回す。しかし、彼女の姿はどこにもない。

 エミリは慌てるアルマを落ち着かせようと、肩を何度も叩いた。


「落ち着いて。私は、貴女が倒れたところまでしか知らないの。でも、貴女の事を介抱してくれって言った悪魔がいるの」

「あ……!!」

「アルマ、どういうことなのか説明してくれる?」


 アルマは、気が進まないながらも、自分の状況を説明した。と言っても、サタンのことは伏せて、自分が天使と悪魔、双方と契約していることと、それに伴って、召喚された悪魔を地獄へ送り返していることを話した。

 エミリは黙って聞いていたが、話が終わると同時に大きく息を吐いた。


「なんて大変なことに巻き込まれているの……じゃあ、声をかけてきた悪魔が、あなたの契約者ってことね。ベルっていうの?」

「ええと……ベルゼブブ、って名前なんだ」

「七大罪の一角じゃないの!! そんなヤバい奴と契約してたの!?」


 エミリが驚くのも無理はない。エミリはアルマの肩を掴んで揺さぶる。


「大丈夫!? なんか悪さされてない!?」

「だ、大丈夫だよ。契約している以上、私に危害を与えないって言ってたし」

「悪魔の囁きかもしれないわよ! あいつら、簡単に人を騙すんだから!」

「そ、そうだけど……」


 エミリの心配は尤もだと、アルマも思う。

 それでも、ベルゼブブは他の悪魔とは違う、とアルマの中の認識は変わらなかった。


「いい? いくらアルマだけに優しくても所詮は悪魔。人間に危害を加えるからには敵として判断しないと。それがエクソシストでしょ?」

「わかってるって」

「はぁ……まさか、アルマが悪魔と契約する日が来るなんてね。ん? てことは、さっき、戦っていたのはアルマだったの? 私、てっきり悪魔同士が戦ってたのかと……」


 そうか、彼女にはそう見えていたのか。とアルマは申し訳なさそうに答えた。


「ごめん、片方は私だ」

「えっ、アルマだったの!?」

「悪魔の力を借りて、戦っていたんだ。まぁ、今のこの状況は、たぶん、代償みたいなもの」

「そ、そうだったの。それなら納得だけど……でもやっぱり危険よ。悪魔との契約してるなんて。もういっそのこと、その悪魔を倒したら解放されるんじゃない?」


 その考えはなかったな。とアルマは他人事のように考えた。

 だが、今もアルマはベルゼブブに対して、そうしようという気持ちは一切なかった。


「心配してくれて、ありがとう。でも、私は大丈夫だ。天使もいるし」

「……アルマが言うならいいけど、でも、他のエクソシストや聖職者にバレないといいわね。バレたら大騒ぎよ。命を狙われるかもしれないわ」

「うん、気を付けるよ」


 彼女の助言に感謝する。


「とりあえず、今日はここで一晩寝ていきなさい。悪魔はたぶん外で待っているんじゃないかしら? アルマを介抱しないと、私が呪われちゃうわ」


 はは、と苦笑いする。

 ベルは、大丈夫だろうか。そう思いながら、アルマは一晩、エミリの元で眠りについた。




 翌日、熱もすっかり下がり、体調もよくなった。

 アルマは背伸びをしてエミリに振り返る。


「すっかりよくなったよ。ありがとうエミリ」

「いいのよ。それより、気を付けてね。また悪魔と戦うなら、これあげるわ」


 そう言って手渡してきたのは銀色の銃だった。持てば軽く、なかなか上質な金属で作られているようだった。


「これは?」

「聖水に一週間つけすぎた銃」

「説明雑……」

「その分、威力は半端ないわよ。当たれば上位悪魔も怯むわ」

「……代金は?」

「いいわよ、頑張っているアルマへのプレゼント」


 にっこりと笑って言うエミリに、アルマは「ありがとう」と返した。そして、外へ向かう。

 扉を開け、外に出た瞬間、エミリが叫んだ。


「ちょっと悪魔! アルマに何かしたらただじゃすまないからね!!」


 その言葉に、ベルゼブブが姿を現す。少し離れた場所にいたが、はっきりと「気に留めておこう」と言った。

 その声にエミリは興奮気味にアルマの肩を掴んだ。


「返事してきた!」

「そうだな」

「どこにいるの!?」

「目の前」

「うっそ! 見えないんだけど!」


 アルマの前に立って手を伸ばしたりするが、ベルゼブブには一ミリも触れられてない。アルマはそれに苦笑いしながら「もう行くよ」とだけ言って歩き出す。

 エミリは手を大きく振りながら見送る。自らも手を振って返して、アルマはベルゼブブと合流する。


「もう大丈夫か?」


 ベルゼブブの言葉に、アルマが返す。


「ベルの方こそ、大丈夫なのか? 昨日、すごい調子悪かったろ」

「休んだからな。問題ない」

「ならいいけど……」


 アルマの納得していない様子に、ベルゼブブは小さく笑った。


「それより、早く戻るぞ。一日おいてしまったからな。奴らが心配だ」

「あぁ、そうだな」


 二人は足早で家路につく。

 しかし、家に着いた時、二人はその異様な空気に言葉を失った。

 クラウンが、剣を持ったまま椅子に座っていたのだ。しかも、眠っていないのか、目にくまができている。

 アルマは慌ててクラウンに駆け寄った。


「どうした。何かあったのか?」

「お前ら、やっと帰ってきたのか……」


 二人の帰還に、クラウンはようやく安心したのか、肩の力を抜いた。ベルゼブブが辺りを見回す。


「ガブリエルとエルは?」

「上……お前らがいない間に、アルマの友達ってやつが来たんだよ」


 言葉を失う。友達と言えば一人しかいない。

 ベルゼブブは、何かを察したのか、慌てて二階へと飛んでいった。

 扉を勢いよく開ければ、そこにはベッドに眠るエルと、その隣に座るガブリエルがいた。

 ベルゼブブを見て、ガブリエルは悲しい顔を見せた。


「ベル……」

「お前、手が!」


 ベルゼブブがガブリエルの手を掴む。その手には火傷の痕があった。その後ろから、遅れてアルマとクラウンが辿り着く。

 アルマは、眠っているエルに驚く。


「エル!? 何があったんだ!?」

「……トルソに斬られてしまったんだ」


 血の気が引く。信じられなかった。彼女がエルに手を上げるなんて。


「そんな、バカな!」

「本当だ、あいつ、エルを斬ったんだ。聖武器でだ」


 クラウンが次いで言う。

 アルマはエルに駆け寄り、毛布を捲った。包帯が巻かれている。


「私が力を使って手当をしたから、酷い傷にはならないけれど……」

「お前、力を使ったのか」

「こうでもしなければ、この子を治せない」


 ぎゅっと手を握るガブリエル。

 アルマは、顔を横に振った。


「そんな、トルソが……」


 何もかも事情を知り合った仲だった。だから、トルソもエルには常に優しかった。そのはずだった。

 いまだ現実を受け入れられないアルマの横で、ベルゼブブがエルの傷口に手を添える。そして、感じた力に目を細めた。


「悪魔の力を感じる。聖武器でありながら、悪魔の力を与えられた武器で斬られたのだな。半神魔には辛いだろう」

「相手はアスモデウスだった」


 ガブリエルの言葉に、アルマとベルゼブブが驚く。


「アスモデウスって、ベルと同じ……!」

「七大罪の一角だ。まさか、奴とは」


 ベルゼブブは舌打ちをする。

 アスモデウスと言えば『色欲』を司る悪魔だと聞いている。


「あの子の目にかけられた呪いは、なんとか抑え込めるようにした。けれど、アスモデウスがまた呪いをかけ直したら……あの子の精神が持つか不安だ」

「ガブ……」


 心配するガブリエルの姿に、アルマは小さな罪悪感を覚える。

 しかし、隣でベルゼブブが言った。


「アルマ、残酷なことを言うぞ」

「……何?」

「お前の友人が呪いに呑まれたら、お前はその者を殺さねばならなくなる。わかっているな?」


 カッと顔が熱くなり、彼女の服を掴んだ。


「何で!?」

「相手は七大罪の悪魔だ。そこらの悪魔とは格が違う。その呪いはかけられた者の感情を殺す。もし、その者が一切の感情を失くしたら――人間をも手にかけるようになるだろう」


 熱くなっていた顔が、一気に冷めていく。


「そうなれば、エクソシストや聖職者にも命を狙われるようになる」

「そんな……!!」

「そうなる前に、救出しなければ」


 そう言ったのはガブリエルだった。彼の顔には決意があった。


「あの子の相手は私がする」

「何を言っている、お前が相手をする必要は」

「アスモデウスの狙いは、私だった。ならば、こうなったのも私のせいだ。彼女が私を狙い続ける限り、きっと同じ目に遭う人間も増えるだろう。それだけは、絶対に避けたい」

「しかし、ガブリエル、お前は力を使えば……」


 ガブリエルはベルゼブブの言葉を待たず、青ざめたアルマの肩に手を置いた。


「大丈夫。必ず、助け出そう」


 その優しい声と微笑みに、アルマの中に少しずつ勇気が湧いてくる。

 ベルゼブブは悔しそうに顔を歪めると、荒い声で言った。


「どうなっても知らんぞ!」


 そうして、背を向けて部屋を後にした。


 それから、アルマは、下に降りてクラウンからもう一度状況を聞いた。

 突然、トルソがやってきて、ガブリエルと戦い、止めに入ったエルを斬った。ガブリエルはトルソの呪いを抑え込もうとしたが、アスモデウスが現れてトルソを連れ去ったと。

 トルソを呪いから救うには、アスモデウスを何とかするしかない。そう結論付けたアルマは、アスモデウスと戦うことを決意した。




 夜、ベルゼブブは外にいた。雨が降っているが、霊体である彼女が濡れることはない。

 けれど、その背がどこか苦しそうで、アルマは扉を薄く開けてじっと見ていた。

 呪いに吞まれたら、殺さなければならない。それを聞いた時にはくってかかってしまったが、その言い分は尤もだと、冷静になった今ならわかる。

 それでも、アルマにはできないと思った。トルソを殺すなんて。


(そんなことになったら、私は……)


 ふと、背後から気配が近づく。クラウンだった。彼も、同じようにベルゼブブを見た。


「あいつ、探してんのかもな、アスモデウスを」


 じっと立ったままのベルゼブブ。あの散りばめた蝶を使っているのかもしれない。


「本当、悪魔らしくない悪魔だよな」


 その言葉に頷く。天使や人間に気を使ったり、かと言えば悪戯心を持っていたりと。彼女といると、悪魔とは、と疑問に思うくらいには、彼女は悪魔らしくなかった。


「もっと人間を騙すような事をするのが悪魔だろ。ベル、俺達を教育したり手を貸したりしてさ。それでいて天使の事も心配して……」

「ベルは、悪魔ではあるけど、悪魔になり切れてないのかもしれないな」


 ふと、そう呟く。


「前に言ってた。命を冒涜することは、誰よりも嫌っている、って。もしかしたら、天界にいた時は、命を扱う天使だったかもしれない」

「そうか。忘れてたけど、あいつら、元は天使だもんな」


 それだけ、悪魔の存在が人間にとって、恐怖の対象になってしまったということなのだろう。


「天使の時から、優しいままかもしれないな」

「……だといいな」


 そう話す二人を他所に、ベルゼブブは目を閉じていた。

 降りしきる雨の音を遮断して、別の音を聞いていた。笑い声、話し声、悲鳴、祈り、様々な声を、ベルゼブブの意識はかきわけていく。

 そして、クス、という短い笑い声を聞いて、宙を掴んだ。

 ぎゅっと握られた手を見ながら、ベルゼブブの赤い目がギラリと光った。


「見つけたぞ、アスモデウス」

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