第11話
二人が向かったのは、スラム街の一歩手前にある公園だった。子供が遊ぶ遊具や水飲み場があるが、その中に大きな建物型の遊具があった。
アルマは、ガブリエルに待つように言って、明らかに外付けされた梯子を上って、中に入る。
中の空間が、部屋として整備されている。ここが、トルソの生活拠点――家だった。
しかし、乱雑に置かれた彼女の私物の他、乱れた寝具はあるものの、肝心のトルソの姿はない。
アルマは外に出て、ガブリエルと合流した。
「いなかったのか?」
「うん。どこ行ったんだろ」
こうなると、どこを探したものか。
悩むアルマの背後から、突然、鋭い殺気が迫る。
思わず銃口を向けると、そこに立っていたのは。
「トルソ?」
剣を構え、睨みをきかせた彼女が、立っていた。
隻眼には深いくまが浮いて、酷い顔をしている。
アルマは、相手がトルソとわかり、ほっとして声をかけようとしたが、彼女は殺気をそのままに急接近して――ガブリエルに剣を突き付けた。
「やめろ! 何してる!?」
アルマは、咄嗟にトルソの腕に掴みかかったが、彼女はそれを乱暴に振り払って飛びのいた。
「いや、待て……お前、ガブが視えているのか?」
呆然と問うアルマに、トルソは、やつれた顔で目を細めた。
「なんで、どうして?」
「アルマ、こいつは悪魔か?」
アルマの疑問には答えず、逆にトルソが聞いてくる。
「いや、こいつは天使だ」
「じゃあ、そいつを殺せばお前は解放されるんだな」
思ってもみない返答に、アルマは驚き、戸惑う。
「馬鹿なことを言うな、お前らしくもない! トルソ、一体何があったんだよ」
「……お前が言ったんだ。最初に天使に会ったって」
明らかに様子がおかしい。
焦るアルマの後ろから、ガブリエルが言った。
「呪いを、重複させられたか」
アルマは驚きに、トルソは怒りに、目を見開いた。
「天使……お前さえ現れなければ……!」
トルソが斬りかかる。
彼女が剣を振り上げた一瞬、剣を包むように黒い靄が見えた。
ガブリエルとアルマの間を割るように振り下ろされた剣は、地面を砕いた。その威力は、人間のものではない。
戸惑うアルマの目の前で、トルソは容赦なくガブリエルに斬りかかり、彼はそれを避けることに徹している。
「ハッ、随分とビビりな天使だな!」
「トルソ、やめろ! ガブは……!」
二人が距離を取った隙に、アルマは間に割って入ったが、トルソはそれを容赦なく突き飛ばした。
ガブリエルの目に、怒りが宿る。瞬時に身体を捩ると、ひと蹴りで向かってくるトルソの剣を弾き飛ばした。
突然の反撃に、トルソは驚き、固まる。
「アルマ、大丈夫か?」
心配そうにアルマに駆け寄るガブリエルを見て、トルソは顔を歪めた。
「お前、天使に絆されたのか?」
「違う! トルソ、話を聞いてくれ!」
「そうか、お前はもう、そっち側なんだな」
怒りとも悲しみともつかない顔で、トルソは言うと、背を向け、剣を拾って駆け去った。
「トルソ!」
後を追おうとするアルマを、ガブリエルは掴んで止めた。
「待ちなさい。今の彼女に、君の声は届かない」
「でも、でも……!」
「アルマ、落ち着いて。焦っていては、彼女を助けられないよ」
そう言われ、アルマはぐっと堪えた。
その背をガブリエルは優しく擦る。
「彼女は、呪いを与えた者に再び会ったのだろう」
近場のベンチに座って、ガブリエルが説明する。
「呪いの力が増幅していた。それが彼女の精神を蝕んでいる」
「どうにかできないのか?」
「呪いをかけた張本人を地獄へ戻せば、呪いは消える。本当は、私が力を使って、呪いを押さえるのが一番なのだが……今の彼女に、私の言葉は届かないだろう」
「トルソ、苦しそうだった」
あんなに苦しそうな彼女を見たのは、初めて呪いを与えられた時以来だ。
「あのまま放っておけば、彼女は悪魔に囚われてしまう」
「……どうしたら」
「まず、あの子に呪いをかけた悪魔を探そう。私も手助けする」
その言葉に頷いて、アルマはガブリエルと共にその場を後にした。
「はぁ、どうして彼を殺せなかったの」
薄桃色の髪の女は、トルソの肩口に頭を寄せて、そう聞いた。
トルソは答えない。その目は酷く眠たげだった。
女はトルソの肩に手を置いて、耳元に囁く。
「かわいいかわいい、私のお人形。早く彼を殺して。じゃないと、あなたのだぁいじなお友達が、彼に取られてしまうわよ」
ぼんやりとした頭に、かっと血が昇り、トルソは彼女の手を振り払った。
そして女から逃げるように、どこへともなく走っていく。
その様子に、女は一瞬、唖然としたが、やがて大きく笑いだした。
「キャハハハ! かわいい子。いいわよ、好きになさい。でもあなたは私の所に戻ってくる。だって、あなたの味方は、私だけなんだもの」
女は姿が闇に掻き消えた。
「呪いが増幅している、か。これは急いだ方がいい。放っておけば、悪魔に身体を奪われる可能性すらある」
二人は戻ってベルゼブブに報告をする。
その隣では、息を切らして床に倒れるクラウンを、エルがつついている。
「どうやって探せばいい?」
「待て――」
いきり立つアルマを制すと、ベルゼブブは身体に力を入れた。すると、彼女の髪から蝶が何羽も出て来て、いずこかへ消えていった。
「私の蝶を都市内に散りばめておく」
「ありがとう」
「悪魔に礼を言うな」
冷たくあしらわれて、アルマは思わず苦笑いした。
ベルゼブブは続ける。
「それより、エクソシストの数が減っていると言ったな」
「そうなんだ、酒場も人が少なかった」
「ボティスの仕業か。早い所、奴も地獄に戻しておきたいところだが」
そう言ってベルゼブブはクラウンを見る。
「あの男を放置するわけにもいかんからな」
「なら、私が交代しようか?」
提案するのはガブリエルだった。クラウンは顔を上げる。
「私は、あの子たちを地獄に戻す手法を持たないから、アルマに着くのはベルの方がいいと思う」
「……まぁ、お前がいいなら」
「天使が、次の特訓相手……? それなら、まだ、優しいか……?」
安堵するクラウンに、ベルゼブブがにやりと笑った。
「馬鹿め、彼は私よりも厳しいぞ」
「えっ」
「戦いに関してはガブリエルの方が上だ。舐めてかかると痛い目を見るぞ」
「そんなにひどいことしないから……」
大袈裟に言うベルゼブブに、口を挟むガブリエルだが、クラウンは「マジかよ」と絶望の顔を見せた。
しかし、アルマの耳に彼らの会話は入らない。今は、トルソのことが気がかりで仕方なかった。
「とりあえず、アルマがいいなら、今日からボティスを探しにいくが、どうだ?」
尋ねられ、我に返る。アルマは、「うん」とだけ答えた。
その様子を見て、ベルゼブブは仕方ないとばかりにため息をついた。
アルマは、今度はベルゼブブと外に出た。
エルとガブリエルが笑顔で手を振る中、絶望感を漂わせるクラウンに見送られて。
なんだか、賑やかになってきたな。と思った。
「いきなり男が割り込んできたから、気分を害しただろう」
何を察したのか、ベルゼブブが言う。
アルマは、逡巡して「いや」と答えた。
「なんか、こうして誰かに見送られるっていうのが、少し嬉しいなって。教会にいた頃はしょっちゅうだったけど、エクソシストになってからはエルしか見送ってくれる相手がいなかったし」
「とは言え、男に遠慮することはない。何かあったら殴って黙らせればいい」
吐き捨てる様に言う彼女に苦笑いした。クラウンと特訓する間に、何かあったのだろうか。
ふと、昨夜のことを思い出した。
悪魔は己の一部を失っている。その欠けた部分を満たす方法はないのだということ。それが、彼女達にとって苦痛であることを。しかし、それも、悪魔にとっては、自業自得なのだろう。
「……なぁベル」
「なんだ」
「悪魔は、全員がベルみたいな奴じゃないよな」
突然の言葉に、ベルゼブブは驚いた顔をする。
「当たり前だろう。奴らにもそれぞれの意志があるのだ。私みたいな奴がそういてたまるか」
「じゃあ、遠慮しなくていいよな」
アルマは足を止め、ベルゼブブに振り返る。その顔には、決意が満ちていた。
「悪魔は、排除すべき存在。人間に害をなす存在だ。私は、そう理解している。でも、ベルみたいな悪魔と戦うのは、正直辛い」
「……悪魔に同情なんぞ要らんぞ」
「わかっている。だから、決めた」
アルマは銃を構え、横に向けた。そして放つ。
建物の影に隠れていた人間がゆっくりと倒れた。悪魔に憑依されていたのだろう。
「悪魔にどんな理由があろうと、片っ端から倒す」
「……そうだ」
ベルゼブブの顔に喜色が浮かぶ。両手を伸ばし、アルマの顔を包み込んだ。
「やはり、ガブリエルが見込んだだけある。お前は非情であれ。そして心を開くな。悪魔はいつだってお前の心を狙うだろう。私も、その一人かもしれないぞ」
「ベルは、そんなことしないだろ?」
目が見開かれる。
アルマは同じようにニヤリと笑って、彼女の手に自分の手を重ねた。
「あんたは、私と契約した悪魔だろ? 私を、守ってくれるんだろ?」
「……クククッ、ハハハハ!」
大笑いするベルゼブブに、アルマは思わず肩を跳ねさせた。こんな風に、豪快に笑う彼女を見たのは初めてだ。
「私は、お前のような人間と出会ってみたかったのだ。神から離れた人間が何のために悪魔と戦うのか、理由を知りたいのだ。だが、お前はまだそれを見出せてはいない」
「理由……」
「その答えを、私にも教えてくれ。それまで、私はお前に憑いていくぞ」
次に見せた彼女の顔は、悪魔らしからぬ優しい目をしていた。
アルマは、その言葉に強く頷いた。
「約束だ」
「いいだろう。必ずお前にサタンの封印を果たしてもらうぞ。エクソシストのアルマ」
そうして、彼女らは手を離すと、歩みを再開した。
そのやりとりを、建物の上から見ている二人がいた。
目を包帯で覆い隠した黒髪の男が言った。
「本当だぜ、あのベルが人間と契約してやがる」
隣で、水色の髪の少女が言う。
「ベルらしいと思うよ。彼女、探求心とかすごいじゃない」
楽しげに笑うものの、少し残念そうに口をすぼめていた。
「あーあ、彼女もサタンを目覚めさせるのを手伝ってくれるかと思ったのに」
「あの様子じゃ無理だろ。それに、一番起こすのに反対していただろ」
「何で嫌なんだろ。サタンが起きればこの世の人間、みんな滅ぼすことができるのに」
二人して文句を言う。すると、そこへ姿を現したのは白髪の髪をした男。
「話している暇があるなら、教会に侵入できる方法を探しておいで」
優しく言いつける彼に、二人は「はーい」と軽く返事をする。
「ルシファー、ベルのことは放っておいていいのか? 間違いなくあいつと衝突するぞ」
白髪の男――ルシファーは目を細める。その表情の意味を理解した黒髪の男は、気まずそうに「わかったよ」とだけ言い残してその場から姿を消した。
残された水色の少女は、悪戯っぽく笑いながらルシファーを見る。
「でも、本当にいいの? ルシファーだって、ベルと戦いたくないでしょ?」
隣に来たルシファーは、下に目を向ける。ベルゼブブと歩く人間の女を見る。その表情には、喜色があった。
「彼女が選んだことだ。ならば、こちらも目的の為に戦うだけだよ」
「ふーん……」
「それに、彼女が選んだ人間なら、つまらないことはないだろうさ。もし、どこかでばったり出会ったなら、遊んであげなさい」
「えー、でも僕は相手したくないよーずっと寝てたいのに……」
悪態をつく少女に小さく笑う。
「ベルを怒らせられるかもしれないよ」
「……彼女が、怒る?」
へぇ、と少女の目の色が変わる。それは興味の目だった。
「あの、滅多に怒らないベルを、怒らせるチャンスかぁ……それは、実に興味深い……」
「でも、ほどほどにしないと、返り討ちに遭うから気をつけなさい」
「はぁい。さてと、めんどくさいけど僕も手伝ってくるか」
ルシファーから離れ、歩き出す少女。一瞬、足を止めて振り返る。
「とりあえず教会の連中を何人か誘惑すればいい?」
「ああ、いいよ」
「はーい、がんばってくる~」
そう言って姿を消す。取り残されたルシファーは、天へと顔を上げた。
重く垂れこめた雲の、更にその向こうを、彼は見つめる。
「……ガブリエルを、必ず私の手に」
それだけ言い残し、彼も姿を消した。
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