第17話


 キャッキャッ、と子供達がはしゃぐ声が聞こえる。

 子供達は喜び、楽しみ、お祝い事をしていた。

 その中に、一人佇む者がいた。彼は、あの優しい、微笑みを向けていた。

 子供たちは言った。


『ガブリエルさま!』




 ハッ、と目を覚ます。身体を起こそうとしたが、それは叶わなかった。

 両手は後ろに縛られ、足も同じように縛られていた。

 アルマは自分の状況に驚いたが、それよりも驚いたことがあった。

 目の前に、大きな牙のような、角のようなモノが地面から生えていた。それはとてもこの世のモノとは思えない、非現実的な光景だった。

 唖然としながらそれを見ていると、声が一つ響いた。


「目覚めたか」


 頭だけ後ろに動かす。そこには、黒い衣服を着た男が立っていた。

 男は、暗い紫の瞳でアルマを見下ろしていた。

 アルマは、男を睨んだ。


「誰だお前は」

「私の名はヒュブリス。悪魔崇拝者の長だ」


 目を見開く。ヒュブリスは続けて言った。


「ここは、私の拠点。そしてお前が今見ている角は、サタン様の身体の一部だ」


 もう一度、角と呼ばれたモノを見る。

 するとヒュブリスはアルマの髪を鷲掴み、持ち上げた。アルマの顔が歪む。


「お前は、サタン様の為の生贄になってもらう」

「な、んだと!?」


 抵抗するように暴れるが、縛られているため自由が利かない。ヒュブリスはアルマの髪を掴んだまま、歩き出す。ずるずると引きずられる。


「待て! ガブは、ガブはどこにやった!?」


 その問いに答えたのは、幼い声だった。


「こっこ~」


 視線を向ける。見た目こそ可愛らしい少女が、ガブリエルを抱きしめていた。彼は未だ目覚めていない。少女はにっこりと笑った。


「おねえちゃん、ありがと。大事な大事なガブリエルを連れてきてくれて」

「お、お前は……」


 ニタリ、と少女の顔が歪む。


「俺の名は、サタン。全ての悪の根源だ」


 低い声が響く。威圧感と、悍ましさを感じる。七大罪を相手にした時より強い害意を感じた。

 サタンはすぐににっこりと少女の笑顔に戻る。


「俺のために死んでね」


 アルマは紋章の上に放り投げられた。そして、周りから黒い衣服を着た者たちが現れた。アルマを囲い、呪文を唱え始める。紋章が光り、アルマの身体を包み込もうとした。

 アルマは必死に縄を解こうとするが、びくともしなかった。

 サタンの笑い声が響く、このままでは――アルマは、目を強く閉じ、心のうちに叫んだ。


(だれか!!)


 ぎゃあ、と悲鳴が響き渡る。目を開けると、周りにいた悪魔崇拝者が血を吹き出して倒れていく。ヒュブリスがそれに驚いている中、サタンは静かに言った。


「あれ、やっぱり邪魔するんじゃん」


 アルマの縄がブチン、と切れた。急いで立ち上がり、サタンに向かって銃を構えた。


「ガブから、離れろぉお!!」


 ドン、とサタンの頭を撃ち抜く。しかし、サタンの身体は靄のように弾けては、すぐに元に戻る。

 アルマはひたすら打ち続けたが、サタンには全く効果はなかった。やがて弾が切れると、サタンは蛇のような目を細めた。


「ほら、死なないと」


 掌を向けられる。また殺される。そう思っていた時、サタンの手が何かに斬られた。

 サタンはなくなった手を見て、上を見上げた。そして、つまらなさそうに呼んだ。


「にいさん」


 サタンの身体が弾けた。

 そして、次に現れたのは白髪の男。ガブリエルの身体を抱き寄せ、アルマに向かって飛んでいく。そのままアルマを片手で抱き寄せ、その場から消えた。

 残ったのは、バラバラにされた子どもの身体。ヒュブリスは駆け寄り、彼女の身体の一部を持ち上げた。


「……サタン様」


 その声に、少女の顔はにっこりと笑った。


「また見たくない光景を見たね。嫌だねぇ」

「……次こそ、あの女を捕えます」

「がんばってねー」


 ケタケタと笑いながら応援する少女。ヒュブリスは静かに、頷いた。




 アルマは、廃墟都市の廃教会の床に立った。

 振り返ると、椅子にガブリエルを寝かせる男がいる。


「お前は……天使なのか?」


 その問いに、男のは顔を横に振った。


「いいや、私は悪魔。ルシファー、と言えばわかるかな?」


 アルマは銃を構えた。しかし、ルシファーは言った。


「私は君と戦う意志はないよ」

「……何故、私を助けた?」

「ガブリエルのためだ」


 そう言って、彼は未だに起きないガブリエルの頬を、優しく撫でた。


「愛しい天使のために、君を助けただけだ。それ以外の理由はないよ」

「……あんた、サタンの兄なのか?」

「そうだよ、私達は双子なんだ。私たちは同時に生まれた存在でね。一応、私が兄、あの子を弟と呼んでいるんだ」


 アルマは銃を向けたまま、もう一度質問する。


「サタンを復活させたいのか?」

「そうだよ。でも……ガブリエルを奪われるのは、耐えられなかったからね」


 それだけ答え、ルシファーはガブリエルの頬に手を添え、包んだ。彼の身体はまだ冷たい。


「ガブリエル、無茶をして。消えてしまったら、どうするんだ」


 そっと、ルシファーはガブリエルに口づけをした。

 アルマはその光景に顔を赤くし、叫んだ。


「お、おまえ! なにして!」

「何って、キスしたんだよ」

「天使にキスする悪魔がいるか!」

「私がいるよ」


 おかしいことを言うね、とルシファーは笑う。アルマは、なんだか自分がおかしいのだろうかと混乱しそうになったが、頭を横に全力で振った。

 すると、ガブリエルが動いた。閉ざされていた目はゆっくりと開き、ルシファーを映す。

 ルシファーは嬉しそうに微笑んだ。


「おはよう、ガブリエル」

「る、しふぁー……?」


 そして、ルシファーはガブリエルの頬や額にキスを送る。徐々に頭が覚醒してきたガブリエルは、顔を真っ赤にしてルシファーを押し離した。


「な、何をしている!?」

「愛しいガブリエルを愛でて」

「や、やめなさい! 私はそういうことは……!」

「ダメなのかい? こんなにも愛してるのに」

「ルシファー!!」


 全力で抵抗するガブリエルだが、まだ力が弱っているのか、押し返してもルシファーに抱きしめられる。アルマはその光景に耐えかねて、二人の間に割り込んだ。


「嫌がっているだろ! 離れろ!」

「あ、アルマ!?」


 アルマの乱入にガブリエルは更に顔を赤らめた。彼女に見られたことが恥ずかしいようだった。

 ルシファーは眉間に皺を寄せたが、渋々ガブリエルから離れた。


「君がいなければ好きにできたのに」

「いなくてもやるな!」

「はぁ、でも、君を殺してしまえばガブリエルが悲しむから、しないでおこう」


 ルシファーは背中を向けた。


「だけど、私はあの子の復活を望んでいないわけじゃない……私達の邪魔をしなければ、見逃してあげるよ」


 それだけ言い残して、ルシファーは姿を消した。アルマとガブリエルは唖然としながらルシファーが去った後を見ていたが、お互いに顔を合わせて、気まずくなる。


「あの悪魔、ガブに対してすごい態度だな」

「そうなんだ……天界にいた時からなんだ……やめるように言っても、絶対やめなかった……」

「ていうか、ガブ、身体は大丈夫か? まだ冷たいけど……」


 話を逸らす様にアルマはガブリエルの手に触れる。ガブリエルは優しく微笑んだ。


「あぁ、大丈夫だ。マモンは?」

「ベルが地獄に送った。トルソと私とベルの、三人でガブの助けに来たんだ」

「そうだったのか……ありがとう」


 礼を言われ、アルマはにっこりと笑う。

 だが、それと同時に思い出したこともあった。


「そう言えば、トルソとベルはまだ地下なのか?」


 自分はここに戻ってこれたものの、あの二人はどうしたのだろうか。そう心配していると、外から声が聞こえてきた。


「おおおい! アルマ! いるのか!?」


 その声はトルソだった。アルマは外へ出ると、こちらに向かって走ってくるトルソと、飛んでやってくるベルゼブブの姿があった。


「トルソ! ベル!」


 トルソはアルマに駆け寄り、ベルゼブブは教会の中に入っていった。


「何があったんだ? こっちはお前がいなくなった後、白髪の野郎が来て、ここに行けって言うから来たんだが」

「それはきっとルシファーだ。私達もルシファーに助けられてここにいるんだ」

「ルシファー!? 七大罪の大物だろ!? こぇえ、連戦にならなくてよかった……」


 胸を撫でおろすトルソに同意する。すると、教会から怒鳴り声が響いた。


「無理をするなと言っただろう!」


 その声にビクッと肩が跳ね、そっと教会の中を覗き込む。

 ベルゼブブは、椅子に座るガブリエルの手を掴んでいた。


「マモンに連れ去られたかと思えば、サタンの手にも渡って……今のお前は容易く折られる花のようなものだ。これ以上力を使えば、消えてしまうぞ。いくらルシファーが天使の時の力を持っていて、お前に力を分け与えられたとはいえ……もう無理をするな」

「ベル……すまない」

「謝るくらいなら神に祈って力を貰え。でなければまた倒れるぞ」


 怒りの向こうには心配が透けて見える。ガブリエルは申し訳なさそうに、小さく頷いた。

 やり取りが終わったのを確認して、アルマとトルソは中へと入る。

 ベルゼブブはアルマの姿を見て、ガブリエルの手を離す。


「アルマ、無事でよかった」

「ルシファーが助けてくれたんだ。あと、サタンに、会った」

「そうか」

「私達、悪魔崇拝者の拠点に連れていかれたんだ。それで、私の身体を使って、サタンの復活を行おうとした。天使と悪魔と契約した身体だからって」

「……そう来たか」


 ベルゼブブは腕を組んだ。


「クラウンが捕まえられないなら、代用としてお前を利用しようとしたということなのだろう。奴らめ、相当焦っているな。サタンに脅されているかもしれん」

「その部屋に……大きな角が一本生えていた。天井に付くくらい大きかった」

「……サタンの身体の一部だ。あいつの、龍の姿の、頭の部分だな。それがあるから、奴も顕在化できたのだろう」


 はぁ、とベルゼブブは頭を抱えた。

 すると、ガブリエルが椅子から立ち上がり、三人に近づく。


「だけど、肝心の誰がサタンの封印を解いたか、わからないままだな」

「あぁ、どうやら七大罪の中にいるかと思ったが、当てが外れたようだ。一体誰が……」


 アルマは思い出す。ヒュブリスという男、どこか他の悪魔崇拝者たちと違う顔をしていた。まるで、心をなくしてしまったかのような、無機的なような。

 三人が考える中、トルソが言った。


「それよか、もっと厄介なことがあったぜ」


 え、とアルマが顔を上げると、ベルゼブブが言った。


「ここに戻る途中で、聖職者に出くわした」


 え、と驚きの声を上げる。


「奴ら、ベルのことが見えるくらいの上級聖職者で、あたしとベルが契約していると思って狙ってきたんだ」

「ま、まいたのか?」

「なんとか。だがこれで聖職者が廃墟に入り込んでくる可能性は高い」


 ベルゼブブは三人に向き直る。


「アルマ、トルソ。外に出る場合は、しばらく私が同行する。マモンも地獄に送ったのだ。しばらくは休め。仕事もせねばならんだろうが、数日は待て」


 その言葉に、二人は頷いた。

 ガブリエルは三人から少し離れたところで身をかがめ、両手を重ねて祈り始めた。

 彼の身体が、少し光ったように見えた。

 その祈る姿が、昔の自分と重なった。


「神は、ガブリエルの言葉はよく聞き入れられる。それは、ガブリエルが特別だからだ」

「それなら、ガブを助けたっていいじゃねぇか」


 口を挟んだのはトルソだった。尤もな意見だった。

 しかし、ベルゼブブは顔を横に振った。


「ガブリエルが望んでいないからだ。ガブリエルが心から望んだこと以外に、神は応えない」

「どうして?」

「あいつがどうして、サタンを封印したいと思っているか、知っているか?」


 質問を質問で返される。ベルゼブブは続けた。


「あいつも、ガブリエルが育てたのだ。ガブリエルは、サタンにも滅んでほしくないと思っているから、神に頼んだりしないのだ。神の手にかかれば、サタンはもっと苦しむかもしれない。それなら自分の手で、とガブリエルは決意している」


 ベルゼブブは、初めて悲しそうに目を細めた。


「神は奴の意志を尊重し、その行動を見ているだけ。だからこそ、奴は今、危険な場所にいるのだ。神の手が届かないこの場所に、一人でな」


 私の子供たち。あれにはサタンも含まれていたのか。

 アルマは拳を握りしめた。


「一番勝手なのは、誰なんだろう」


 思わず呟いてしまった。その言葉にベルゼブブが目を見開いたが、すぐに鼻で嗤った。


「サタンだろう。奴は、子共のままだ。周りを振り回すだけの、悪ガキだ」


 そう笑っているが、彼女の目は笑っていなかった。怒っているように見えた。

 ガブリエルがゆっくりと立ち上がって振り返り、こちらに向かってあの優しい微笑みを向け、ようやくアルマは、肩の荷が下りたような気がした。

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