第16話


 ベルゼブブの宣言に従って、クラウンはエルと二人で留守を預かり、アルマたちはガブリエル救出のために出発した。

 まずは、あの巨大スーパーの廃墟に向かう。初めてゲーティアの悪魔と戦った場所だ。そこまで降りていき、地下へと到着する。今は、もうない悪魔紋章の上に立つと、ベルゼブブが指を差した。


「この向こうから、囁き声が聞こえる」


 それは、人間の手で掘られた通路だった。三人はその道を通っていく。

 明かりが無いせいで、足元も見えない。すると、ベルゼブブが蝶を一羽、髪から出した。蝶は光を放ち、道を照らした。

 道は長く続いており、まるで蟻の巣のような様相をしていた。

 黙々と進んでいると、そのうちトルソは静寂に耐えきれなくなり、話しかけた。


「なぁ、ガブリエルは特別だって聞いたけど、どういう意味なんだ?」


 ベルゼブブが答える。


「ガブリエルは……天使達にとって特別なのだ。例えるなら、お前達の言う母親に相当するのだろうな。知識も、愛も、心も、全て教えてくれたのはガブリエルだった」


 歩きながら語る。


「神はガブリエルを母性のある天使として創られた。故にガブリエルは子どもへの愛が強い。天使に対しても、人間に対しても、まるで自分の子のように扱う。我々が天界から堕ちた後も、我々の身を案じるのだ。我々もまた、ガブリエルの手で育てられたのだからな」


 アルマはあの夜を思い出す――「私の可愛い子供たち」と泣いていた、あの夜の事を。


「他の天使にはそんな感情は存在しない。だからこそ、ガブリエルは特別なのだ。全ての天使にとって、ガブリエルは愛しい存在なのだ。母を傷つけられれば、お前達も怒るだろう?」


 意味を理解すると同時に、思い至る。このままでは、母を奪われた怒りで、戦争が起きるかもしれない、ということに。アルマは息を飲んだ。


「私以外の悪魔は、ガブリエルを堕天させたくて仕方ないのだ。だから地上に降りてきたと聞いた時、私は焦った。堕とされる可能性があると思ったからだ。悪魔達は皆、ガブリエルを求めている」

「ベルは、違うのか?」

「私はガブリエルが天使でも構わない……こんな感情は、味わってほしくない」


 その言葉を聞いて、アルマは心が締め付けられた。

 悪魔になるということは辛いことだと、彼女は知っているのだ。それをガブリエルにも味合わせたくないのだ。


(優しすぎる悪魔だ)


 その言葉は心の内に秘めておいた。

 トルソは納得しているのか、いないのか「なるほど」と答えた後、呟いた。


「愛されるって、大変だな」


 その後は沈黙が続いた。

 しばらく歩いていると、やがて通路から抜けた。

 そこは地下鉄のホームだった。線路の上に出て、三人は辺りを見回す。もう使われなくなった廃駅だ。電車もない。すっかり寂れていた。

 すると、笑い声が聞こえてきた。


『女の臭いだ』

『いい臭いだ』

『悪魔に魅入られている』

『ほしいぃぃ』


 暗闇の中から現れたのは、異形の姿をした下っ端の悪魔だ。二人は、武器を構えた。


「トルソも見えるのか?」

「ああ、何でか知らねぇが、はっきり見えるぜ」


 トルソの横からベルゼブブが一歩前に出た。


「神の癒しを受けたからだ。天使も悪魔も見える様になっている。時間が惜しい、一気に進むぞ」


 そう言って、ベルゼブブが飛ぶ。即座に悪魔達の間に入り、長い爪を振り回し、一気に4体の悪魔を切り刻んだ。そして地面に降り、地を這う悪魔を蹴りや爪で片づけていく。

 彼女は走りながらどんどん奥へと進んでいく。その後をアルマたちは急いでついていく。


「こえぇ、遠慮がねぇ」

「はぐれないようについて行こう」

「おう」


 二人は、あぶれた悪魔達を処理しながら、前を走るベルゼブブについていく。

 10分ほど走り続けて、悪魔をすっかり駆逐した頃には、ある場所に到着していた。

 それは、クラウンが地図で示していた、聖域都市に繋がる細い道だった。

 その通路の前に立って、ベルゼブブは意識を集中させる――微かに、マモンの笑い声が聞こえた。


「いるな、この先に」


 その言葉にアルマはぐっと拳を握った。この先に、ガブリエルがいる。


「行こう」


 三人は歩き出す。

 洞窟のような道は、かなり細かった。人ひとりがやっと通れる道のため、トルソの大剣が突っかかって進むのが大変だった。ベルゼブブは宙に浮いているからか、何も引っかからずに済んでいるが、それを羨んだトルソが「胸でも当たればいいのに」とぼやいた。

 30分くらい経ったか。その頃にはようやっと出られた。

 が、次の光景に全員が絶句した。

 そこは広い空間だったが、天井から床まで、まるで蜘蛛の巣のような鎖が数多に生えていた。そこには、鎖に刺された人間の死体もあった――服から見て、聖職者の恰好だった。

 アルマとトルソはその光景に口を開けてしまったが、ベルゼブブが二人の腕を掴んで近くの瓦礫の影に引っ張った。


「なに」

「シッ」


 トルソが叫ぶ前にベルゼブブが制止する。二人が口を閉ざしたのを確認した後、ベルゼブブが瓦礫の影から外を見る。二人も同じように見やると、そこには生きている人間が数人いた。聖職者の服を着ている。

 そのうちの青い髪をした青年が言った。


「これも悪魔の仕業か……急いで見つけよう、これ以上、野放しにはできない」


 そう言って彼らは奥へと進んでいった。

 彼らの姿が見えなくなったのと同時に、アルマ達は瓦礫から出てくる。


「ヤバいぞ、聖職者がいるなんて」

「私はともかく、トルソは見つかったら……」


 これ以上、先に進みすぎるとかち合う可能性がある、と二人が警戒していると、ベルゼブブが言った。


「奴ら、私が引きつけてやるか」

「え」


 スッと立ち上がり、影から出るベルゼブブにアルマは呼び止める。


「ベル、何をする気だ?」

「お前達は先に進め、あの聖職者たちの相手は私がしよう」

「待て、それじゃ危険じゃ……」

「なに、お前がマモンと会う前には戻る。とりあえずあの連中を引き離しておく」


 それだけ言って彼女は姿を消した。

 すると、悲鳴が響く。


「一人倒れたぞ! 悪魔かもしれない!」

「見ろ! あそこの扉が揺れ動いているぞ!」


 どたどた、と走る音が遠ざかっていく。

 瓦礫から出て、辺りを見回す。もう聖職者はいないようだ。

 二人は急いで奥へと進んだ。ベルゼブブが聖職者たちを遠ざけている間に早く見つけなくては、と走った。

 奥まで進むと、やがて地下のデパートに出た。数々の店がならんでいたであろうそこは、今では全てが壊れた場所だった。

 二人はその中を進んでいると、途中でトルソがアルマの服を掴んだ。


「アルマ」


 指す方向を見る。鎖がびっしりと生えている細い通路。その通路を見て、アルマとトルソは確信した――この先だ。

 トルソは大剣を抜き、鎖を一気に砕いた。

 二人が一歩前に進もうとした、その時、天井と床から、鋭い針を持った鎖が一気に生えてくる。二人は刺さる寸前で、その通路を駆け抜けた。

 トルソが大剣で鎖を砕き、アルマは生えてくる鎖を撃つ。息の合った連携で、なんとか奥の部屋にたどり着いた。

 そこは異様な空間だった。天井と床が存在せず、まるで宙に浮ているような錯覚がする部屋だった。しかし、その部屋の奥で、鎖の椅子に座っているあの悪魔がいた。そしてその頭上には――


「ガブッ!!」


 鎖に縛られているガブリエルの姿があった。気を失っているらしく、全く動かない。

 クク、と悪魔マモンが嗤った。


「よくここまで辿り着けたな。褒めてやる」

「お前! ガブを返せ!!」

「断る。ようやく念願の天使が手に入ったんだ。簡単に手放すか」


 楽し気に嗤うマモンに、アルマは銃を構えた。それは、エミリからもらった聖武器だった。

 ドン、と音と共にマモンの顔半分が吹き飛んだ。あまりの威力に、アルマとトルソは唖然とする。


「うわ……」

「ひょーやべぇ武器だなそれ」

「エミリがくれたんだ。聖水に一週間つけすぎた武器……」

「雑……さすがエミリ……」


 二人は感心していたが、拍手の音に我に返る。

 顔が吹き飛んでいると言うのに、マモンは手を叩いていた。


「いい武器持ってんじゃねぇか」


 ズロロ、と鎖がマモンの頭から生える。それは塊となって、マモンの頭を構築する。元に戻ったマモンは、ニタリと笑って椅子から立ち上がった。


「ちったぁ楽しめるか?」


 二人は武器を構えた。やはり一筋縄ではいかないようだ。


「はん、もう一度頭、吹っ飛ばしてやるぜ!」


 トルソが前に出る。大剣を振り回してマモンに斬りかかる。マモンは背中から鎖を出して、トルソの攻撃を防ぐ。後ろからアルマが援護射撃をする。銃の威力は鎖を砕き、マモンへと貫通するが、マモンの身体は速いスピードで元に戻っていく。


「ハハハ! そんな簡単にゃトばねぇぞ!」

「ちっ、こいつ、聖武器が効いてねぇのか!?」


 今度はマモンが動く。トルソの剣を片手で掴んだ。ジュ、と焼ける音がしたが、マモンはお構いなしに剣を掴み、持ちあげる。トルソの身体も浮く。


「なっ!?」

「次は俺からいくぞ」


 マモンの拳がトルソの腹に入る。ガハッ、と血を吐いてトルソは地面に落ちた。


「トルソ!!」

「もっと楽しませろよ!」


 マモンの身体から数多の鎖が溢れ、トルソに襲い掛かる。寸前でアルマが抱えて避けることでトルソはなんとか逃れる。トルソはすぐに態勢を整え、剣を握り鎖を叩き斬る。アルマは、飛んでくる鎖を撃ちながら後ろへと下がる。

 マモンの攻撃は止まらなかった。やがて二人の身体に鎖が絡みつき、二人も宙へと持ち上げられた。

 引きちぎられそうな力で手足を引っ張られる。顔を歪める二人に、マモンは嗤う。


「あーあ、人間じゃこれが限界か。まぁよくやった方だ」


 マモンは少し残念そうに下から二人を見上げる。トルソが舌打ちをしながら暴れるが、身体は全く自由が利かない。


「くそ! 離せ!!」

「お前ら、俺が相手してきた人間の中で一番いい相手だった――だが、所詮この程度だ」


 手を翳すと、二人の鎖がギチ、と音を立てた。引っ張られる痛みに二人は悲鳴をあげた。


「ぐぁっ!!」

「このまま千切って、血の雨を降らせようか。ガブが見たらどんな気分なんだろうなー?」


 楽し気に嗤うマモンに、アルマは舌打ちをする。ふと気づく、持っている銃が、ガブリエルの方を向いている。アルマは腕に意識を集中させた。ギギ、と動かしながら、ガブリエルを縛る鎖を狙う。しかし、締め上げてくる鎖に、手が震える。


「さぁ、綺麗に弾けろよ」


 手を握ろうとするマモン。その時だった。


「お前が弾けろ」


 声がしたのと同時に、マモンの上半身が吹き飛んだ。二人を縛っていた鎖が解けることはなかったが緩む。

 アルマは声を上げた。


「ベル!」


 暗闇の中から靴音を立てて姿を現したのはベルゼブブだった。

 彼女は優雅に歩きながら、下半身だけのマモンを睨んだ。


「私の契約者に乱暴するとは、ずいぶんと生意気になったものだな。マモン」


 ズロロロ、と鎖がマモンの上半身を創り上げる。元に形に戻ったマモンは、嬉しそうにニヤリ、と笑った。


「待ってたぜ……お前と戦いたくてしょうがなかったんだ」

「何を言っている。昔から散々相手にしていただろう」

「ハッ、毎回手を抜いているくせに、よく言いやがる!!」


 バッ、とマモンがベルゼブブに殴りかかる。彼女もまた拳をつくり、マモンの拳にぶつけた。衝撃波が生まれる。辺りが強い衝撃に包まれ、アルマ達の身体も揺れる。

 ベルゼブブとマモンが戦いを始めた。アルマは悪魔達の戦いを横目に、銃を構え直した。そして、狙いを定めて撃つ。

 ガブリエルに絡みついていた鎖が、一本弾けた。その音に気付いたマモンの顔に、怒りが浮かぶ。


「勝手なことを!」


 バン、ともう一本撃ち抜く。あと、三本。アルマはもう一度撃つ。あと、二本。その時、マモンの身体から出た鎖がアルマに向かって飛んでいく。


「殺してやる!」


 しかし、それはアルマの前に飛んできたベルゼブブによって防がれる。彼女は片手で鎖をまとめあげ、マモンを引っ張り上げた。鎖と繋がっていたマモンの身体が宙に持ち上げられる。ベルゼブブは、マモンのその背中に蹴りを入れた。ぶちぶち、と鎖が千切られる。マモンの身体と繋がっていた鎖は、全て抜き取られた。

 すると、二人の身体を縛っていた鎖が砕け、二人は地面に着地する。アルマはすぐに銃を撃つ体制になり、残りの二本を撃ち抜いた。

 鎖から解放されたガブリエルの身体が、地面に落ちる。

 アルマは急いで彼の元に向かい、その身体を抱きかかえた。


「ガブ!!」


 彼の身体は冷たかった。まるで死んでいるかのような冷たさだ。呼びかけても目を覚まさない。どうしよう、と思っていると、マモンの鎖が頭上から飛んできた。それを、トルソが剣で振り払う。

 二人は地面に着地したベルゼブブと、歯ぎしりをして拳を握りしめているマモンを見た。


「てめぇら……許さねぇ!!」


 その言葉と共に、天井から、地面から、数多の鎖が出てくる。全てを貫く勢いで飛び出てくる鎖に、アルマとトルソは避けるので必死だった。だが、その中を平然と立つベルゼブブは、手を前に出した。

 その瞬間、マモンの身体がバラバラに弾けた。


「あ?」

「それは、私のセリフだ」


 ドサドサ、とマモンの身体が地面に転がる。ベルゼブブは、マモンに近づき、見下す。


「私の許可なくしてガブリエルを攫ったこと、地獄で悔いるがいい」


 ズォ、と地面が黒く染まる。


「地獄の檻、我は導く者。彼の者を地獄へと導かん」


 マモンの周りに、牙が現れた。マモンは、唖然としていたが、残念そうにため息をついた。


「あーあ、結局お前に勝てねぇのかよ。クソが」

「勝てるわけないだろう。私に勝てる相手と言えば――ルシファーかサタンくらいのものだ」


 バグン、とマモンは喰われていった。

 七大罪との戦いを終え、二人は肩の力を抜いた。やはり、ベルゼブブは強い。敵にならなくてよかったとホッとする。

 ベルゼブブは振り返り、二人へと目線を向けたが、その目が見開かれる。

 アルマの後ろに黒いマントを着た男がいた。その男は素早い動きでアルマの首を掴み、後ろへ引く。


「アルマ!」


 トルソが叫ぶ声が聞こえる。しかし、視界は暗闇に呑まれていく。その手はしっかりとガブリエルを抱いていたが、首は掴まれたまま。絶対ガブリエルを離すまいと抱き寄せていたが、その男が耳元で言った。


「女、お前のその肉体、使わせてもらうぞ」


 その声を聞いて、意識が途切れた。

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