第18話


 調子が戻ったガブリエルを連れて、一行はベツレムへと戻った。

 室内に入ると、部屋の掃除をしていたエルが笑顔で出迎えた。


「おか、えり!」


 エルがガブリエルに抱き着く。彼も笑顔で「ただいま」を言って抱擁を返した。

 その後ろから、クラウンがやってくる。


「無事にガブは取り戻せたんだな」


 アルマが頷く。

 ようやく一息つける、とトルソとアルマは顔を合わせて息を吐いた。

 その日の夜は例によってベルゼブブが料理を作り、エルが歌を歌い、久しぶりに落ち着いた夜を過ごせた。

 トルソはどこから持ってきたのか、酒瓶を片手にクラウンの肩を掴んで大笑いし、クラウンは酒が苦手なのか顔を真っ赤にしてふらふらしている。その様子をエルが楽しそうに笑い、ガブリエルは苦笑いする。

 アルマも笑い転げていたが、ふと目線をそらすとベルゼブブがいないことに気づく。

 アルマは楽しい宴会のような場所から離れ、二階へと向かった。

 寝室に入ると、ベルゼブブが窓際に立っている。外は、ぽつぽつと雨が降り始めている。ガラスに映る彼女の顔は、なんだか暗い。


「どうした?」


 思わず声をかけてしまうが、彼女は振り向かず言った。


「ルシファーと会ったと言っていたな」

「え? あぁ」

「あいつは、何と言っていた?」


 どういう意味だろう、と思ったが、アルマは最後にルシファーに言われた言葉を思い出す。


「私達の邪魔をしなければ見逃す、とか言っていたな」

「……そうか」


 アルマは、珍しく静かな彼女が心配になり、近づいた。

 彼女の横に来て顔を覗き込むが、無表情だった。


「お前は、友人や同胞の行動が間違いを犯していると知った時、どう思う?」


 突然の質問に答えに詰まる。ベルゼブブは続けて言う。


「その行いを正してやらねば、と思ったりしたことはないか?」

「そりゃ……」

「かつて、私も同じことを考えた」


 目線だけアルマに向けられる。しかし、いつもの鋭さはなかった。


「だが私以外の者達が堕天したと聞いた時、私はどうすればいいか、わからなかった。誰が正しいのかわからなくなった。結局、私が選んだのは――友と同じ道を進むことだった」

「友……」

「私にとって、ルシファーは最愛の友だった。だからルシファーが堕天したと聞いた時、いてもたってもいられなくなって、私も堕ちた……罪を侵したわけではないのだがな」


 フ、と小さく笑い、アルマに向き直る。


「だからお前が神を信じられない気持ちも、仕方ないのだ。己が見たことが、己にとっての真実なのだから。他者が関わっているなら、猶更の事」


 アルマは黙って彼女の言葉を聞いていた。


「だが、それでも私は、ガブリエルの想いだけは、果たしてやりたいと思っている。奴も自分の子を封じると決めて、自らの意志でこの地に降りた。身の危険も省みず。だから、アルマ」


 名を呼ばれて、ベルゼブブの目を見る。赤い瞳が、美しく光っている。


「神でもなければ悪魔でもない、ガブリエル自身を、手助けしてやってくれ」

「ベル……」

「私は結局、悪魔だ。人間にとって害のある行動しかできない。だから、私は同胞たちのための住処として地獄を創った。そうすれば、人間との関りも減るだろうと考えたからだ。所詮、私にはここまでしかできない」


 本当に、悪魔か、こいつは。

 アルマは無意識にベルゼブブの手を掴んでいた。ベルゼブブは驚いた顔をして、アルマを見る。アルマは目に涙を溜めながら、言った。


「あんたが、悪い奴だったらよかったのに。そうしたらこの銃で、あんたをすぐにでも払ってやったのに。あんたは、ずるい奴だ」

「……ずるい、か。そうなのか」

「悪魔のために住処を創って、人間を手助けして、ただ友人のために堕ちて、あんた、何も悪い事してないのに悪魔になったのかよ……やっぱり神は嫌いだ。それだって一種の自己犠牲じゃないのかよ」


 ぐす、と鼻を啜るアルマの肩にに、ベルゼブブはそっと手を置いた。


「悪魔に力添えしている時点で、私は悪魔側なのだ。神の意志に反している」

「おかしいだろ……なんで……」

「泣くな。悪魔のために泣くなんて、そっちの方がよっぽどおかしいぞ」


 宥めるように、ベルゼブブがそっと抱き寄せた。ぎゅっと彼女の服を掴み、アルマは涙をぼろぼろと流した。


(神なんか、嫌いだ。神が一番、自分勝手だ)


 そう心の中で呟きながら、天使と、悪魔の気持ちを一心に思う。

 その会話を、廊下の外で聞いていたガブリエルもまた、涙を一筋、流していた。


 次の日、皆、目覚めて朝食を摂っていた。エルとトルソはスープと温かいパンを、クラウンはコーヒーを飲みながら何か書類を見ていた。ベルゼブブとガブリエルは、少し離れた場所で何かを話していた。

 一番最後に起きてきたアルマは、トルソとエルに近づいて「おはよう」とあいさつをする。二人も、それに笑顔で答えた。


「珍しいな、朝寝坊なんて」

「たぶん、疲れてたんだと思う」

「無理ないさ、あんな戦いがあったんだ。寝坊助したって誰も怒らねぇさ」


 簡単な会話の後、ベルゼブブとガブリエルの元へ向かう。

 二人はアルマに気づき、向き直って笑顔で言う。


「おはよう、アルマ」

「おはよう、よく寝れたか?」


 アルマは頷いたが、すぐに真剣な顔をした。


「ちょっと、いいか?」


 その顔に、二人の顔からも笑みが消える。

 アルマは、気を落ち着かせるように何度か息を吸ってから、決意を固めて二人に言った。


「サタンの封印のこと、詳しく聞きたい」


 ガブリエルが驚いた顔をしていると、ベルゼブブが口の端を釣り上げた。


「覚悟を決めたか?」

「うん、あいつは危険だ。早く封じて、この都市を少しでも落ち着かせたい。また上位の悪魔が出て、人間達に被害が出る前に。それがエクソシストの、私の仕事だ」


 ニヤリ、とベルゼブブは笑い、「よかろう」と言った。


「では改めて。サタンに対すると言うならば、我々は全力でお前をサポートする」


 ガブリエルは、一瞬だけ申し訳なさそうに目を伏せたが、すぐに顔を上げてアルマに微笑んだ。


「ありがとう、アルマ。その気持ちに応えられるように、私も力を貸す」

「ガブはなるべく無理しないでほしいけど……よろしく」


 三人の会話を聞いていたトルソは、少しやきもきした後、手を上げた。


「あたしも手伝うからな!」

「トルソ!?」


 振り返ってトルソを見る。椅子から立ち上がって腕を組み、にんまりと笑った。


「サタンを退治すりゃ、たんまり金がもらえるかもしれねぇだろ? なら、手伝わねぇのは損だ。どこまでもアルマに付き合うぜ」

「トルソ……ありがとう」


 トルソのその言葉が嬉しくて、微笑む。頼もしい仲間がいるだけでも、アルマの心は軽くなった気がした。

 すると、クラウンも言った。


「俺はどのみちサタンと契約しているから、否が応にも一緒に行動するしかねぇ。協力できることならするぜ。無利息で」

「金とるつもりだったのか……」

「当たり前だろ、生活費稼がないと生活できねぇだろ」

「そりゃそうだが……」

「だから、俺はしばらくまた一人で情報集めにいく」


 アルマとトルソは目を見開く。


「でも、お前、悪魔崇拝者に狙われてんだぞ? お前が捕まったらサタンの復活が早まるんだぞ」

「とはいえ、この家でこれだけ住んでりゃ色々足りなくなるだろ。金稼ぎしなきゃ生活ができねぇのが人間だ」


 それは尤もだが、と二人は顔を合わせる。

 すると、ガブリエルがクラウンに近づき、手を翳した。クラウンは一瞬びっくりしたが、ガブリエルも驚いた顔をしていた。


「クラウン、ウリエルの羽を持っているのか」

「え?」

「その懐に入っている小瓶の事だ」


 クラウンはエミリからもらったあの小瓶を出す。赤い羽根が入っている小瓶だ。それを見て、ガブリエルは懐かしそうに目を細めた。


「彼の羽を持っていたとは……それなら、上位の悪魔の目からも逃れやすいだろう」

「ウリエルって……」

「私と同じ大天使の一人だ。楽園の門番、ウリエル。まさか、彼の羽を見ることになるなんて。これをどこで?」


 ガブリエルの質問に、アルマとクラウンを顔を合わせた。


「実は、クラウンの武器を買いに行ったときに、武器屋のエミリからもらったんだ。エミリには見えないからって」

「そうだったのか……その羽を持っていれば、単独行動も問題ない」


 これはウリエルの羽だったのか、とクラウンはまじまじと瓶の中身を見る。

 その様子を見て、ベルゼブブがクク、と笑う。


「そのうち、奴本人が来るかもしれんから、気をつけろ。頭の固い奴だ」

「えー、できれば会いたくない……」

「では、アルマとトルソは我々と共に行動だな」


 ベルゼブブの言葉に二人は頷く。


「我々も、まずは情報収集だ。アルマとガブリエルが連れていかれた場所がどこなのかわからん以上、今は召喚された悪魔と、悪魔崇拝者を片っ端から叩くのが先決だ。七大罪が現れた場合は、私が相手をする」


 その言葉に頷く。

 エルは全員の顔をまじまじと見ていたが、意味を理解しているのかいないのか、「がんばって」と笑顔で言った。彼女の言葉に、全員が微笑んだ。


 それからの行動は早かった。

 クラウンは早速、一人で外に出た。もちろん武器を携えて。


「エル、今日は一人だけど、いい子で待っているんだぞ」

「うん、きをつけて、ね!」


 ガブリエルのお陰か、以前よりも言葉がうまく話せるようになったエルに、アルマは嬉しそうに笑う。

 トルソもそんなエルの成長が嬉しくてニコニコとしていた。その様子を見ていたガブリエルとベルゼブブも、どことなく嬉しそうにしていた。

 エルは四人に向かって手を振って見送り、部屋の中へ戻ろうとした。

 すると、そこへ声がかかる。


「君」


 自分が呼ばれたのか、とエルは首を傾げて振り返る。

 そこに居たのは、武装した聖職者達だった。


「だれ?」

「まさか、生き残りがいたとは」


 先頭にいた青髪の男に腕を掴まれる。エルは驚くが、他の聖職者が周りを囲んで彼女の肩や腕を掴み、拘束した。

 エルは焦り、暴れる。


「な、なに!?」

「大人しくついてきてもらおうか」

「は、なして!」


 暴れるエルに、男は十字架を掲げた。そして一言、「眠れ」と告げると、エルの頭がガクンと落ちる。

 聖職者達は溜め息をついた。


「こんなところに匿っていたとは」

「どうする? ここで待つか?」


 他の聖職者の言葉に、青髪の男は首を振った。


「いや、このままここで待っていればこれが目を覚ます。その前に連れて行かなくては」

「トルソがいるかもしれないぞ?」

「放っておけ。どうせ死んだ者として話は片付いているんだ。これ以上、祭司様のお心を乱すわけにはいかない」


 男達はエルの身体を担ぎ、その場を後にした。

 ベツレムは、静寂に包まれた。


 一方、ベルゼブブとガブリエルは、空から様子を見てくると言って別れたため、アルマとトルソは二人でジーゴの酒場に向かった。

 ジーゴの店へ到着し、中へ入ると、二人は言葉を失った。

 酒場は荒らされ、エクソシスト達が倒れていた。そのカウンターの奥から、ライフル銃を構えたジーゴが出てきた。


「誰だ!?」


 銃口を向けられ、二人は慌ててジーゴを宥めた。


「待て! 私達だ!」


 アルマの声に我に返ったジーゴは、冷や汗をかきながら二人を見た。


「お前ら、無事だったのか」

「あぁ……それより、一体、何があったんだよ」


 トルソが周りを見る。倒れているエクソシストはもう事切れている。

 ジーゴはカウンターにライフルを置き、深い溜め息をついて椅子に座った。


「悪魔崇拝者の一人が来て、俺以外のエクソシストを皆殺しにしていったんだ」

「はぁ!?」

「たった一人でこの数のエクソシストを殺したのか!?」


 信じられない、と二人は叫んだが、ジーゴは頭を横に振った。


「あぁ、信じられねぇだろうさ。俺だっていまだに信じられねぇ。けどな、そいつは強かった。剣一本だけで全員を斬り殺したんだ」

「あんたは、よく無事で……」

「伝言係だとよ」

「伝言?」


 ジーゴはアルマを睨んだ。


「お前宛だ」


 驚くアルマに、彼は言った。


「『我々の要求をのまねば更なる犠牲者を生み出す。クラウンとスラム街に共に来い』とかほざいていた」

「もしかして、その男、紫色の目をしてなかったか?」

「髪はフードのせいで分からなかったが、目ははっきり見えたぞ。確かに、紫だった」


 ぐっ、とアルマは顔を歪めた。あのヒュブリスとか言う男だ。

 まさか、こんなことをしてくるとは。


「私のせいで……」

「アルマのせいじゃねぇ!」


 そう叫んだのはトルソだった。しかし、ジーゴが遮る。


「そうだ、お前のせいだ」

「おっさん!!」

「だから、必ずあの悪魔崇拝者を殺して、ここにいる連中の仇をとれ。じゃなきゃ許さねぇぞ」


 その言葉に、アルマは力強く頷いた。

 踵を返し、酒場を後にする。ジーゴがその背中に叫ぶ。


「スラム街は悪魔に憑かれた連中が山ほどいるはずだ! 気をつけていけ!」

「ありがとう、ジーゴ」


 それだけ言って、アルマは出ていく。トルソも慌ててその背中を追いかけた

 二人がいなくなると、ジーゴは椅子からずり落ちる。床に座り込むと、背中から血が流れ、床に染みた。


「へっ……俺の人生ここまでか。寂しいもんだぜ」


 空笑いをしながら、彼は徐々に頭を下に垂れた。やがて、彼は動かなくなった。

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