第19話
一方その頃、ベルゼブブとガブリエルは都市で一番高い時計台の上にいた。ベルゼブブは目を閉じ、意識を集中させて都市全体を探っている。その横に立っていたガブリエルが言った。
「アルマたちが動いた。合流するか?」
目を開けてガブリエルに視線を向ける。
「やはりサタンの気配を感じられない」
「あの子は、霊体の私達から隠れることを得意としている。そう簡単には見つからないだろう」
「……やはり、アルマの目を活用するしかあるまいか」
ベルゼブブの言葉に、ガブリエルは目を伏せた。
「一人の少女に負担をかけさせてしまうとは……」
「致し方ない。奴は人間に憑依しているのだ。人間相手には人間が確実だからな。今更だが、ガブリエル。何故、アルマはお前が見えていたのだ? やはり元聖職者だからか?」
その問いに、ガブリエルは顔を横に振った。
「違う。あの子は――」
そう言いかけた時、ガブリエルの背後に黒い靄が現れる。それに気づいたベルゼブブが慌ててガブリエルの腕を引き、後ろへ隠した。黒い靄はバチバチと音を立てながら、形を変えていき、やがて強健な男へと姿を変えた。
金髪の男は、金色の目をギラギラとさせながら二人を見て大笑いした。
「ハハハ! 久しぶりじゃん! 元気してたかぁ!?」
男の背から黒く大きな翼が広がる。そのまま、驚く二人に向かって突進してくる。ベルゼブブはガブリエルを抱えて上に飛び上がった。
時計台の屋根が大きな音を立てて破壊される。二人は宙に浮いたまま、煙の中に立つ男を見る。ベルゼブブが舌打ちをした。
「ベリアル……」
厄介そうに名前を呼べば、ベリアルと呼ばれた男は嬉しそうに笑った。
「ケケケ! ベル! 会いたかったぜ!」
「私は会いたくなかった。まさか、お前も召喚されたのか?」
その質問にベリアルはニヤリとしたまま言った。
「そうなんだよ! 目覚めたらまさかの実体化しててさ! なんでも、サタンを起こす為に手伝えって言われたんだ!」
「それで、手伝うのか?」
「おん、手伝う。あいつとは仲いいしな! それに、戦争は起こしたいじゃねぇか。クケケケケケ!」
品のない笑い方をするベリアルに、ベルゼブブは深いため息をついた。
「ならば、すぐ地獄に戻してやる」
ベリアルの顔が妖しく歪む。彼女はガブリエルを突き放した。その間を、ベリアルが飛んで襲い掛かる。
「酷いこと言うなよー! 地獄に帰す前に、一緒に楽しもうぜ!」
「断る」
ベルゼブブの長い足がベリアルの顔面に直撃する。しかし、ベリアルはその反動を利用して、ガブリエルの背後に回り、ガブリエルを抱き寄せた。ベルゼブブは目を見開いた。
ベリアルはガブリエルを大事そうに抱えながら、にんまりと子供のような笑顔を見せる。
「ケケ、ガブ、ゲット~」
「は、離しなさい!」
ガブリエルは剣を取り出して抵抗しようとしたが、バチ、とベリアルの身体から音がした。ベルゼブブは慌てて手を伸ばしたが、遅かった。ガブリエルの身体を、強い電撃が走る。彼は悲鳴を上げる暇もなく、雷の威力に当てられた。
「ガブ!!」
ガブリエルは苦し気に顔を歪ませて、剣を離してしまった。ベリアルは満足そうに笑いながらベルゼブブを見た。
「こうしたら抵抗できねぇもんなぁ?」
ベルゼブブの身体から威圧感が広がる。それは怒りだった。赤い目を鋭く光らせ、ベリアルに向かって襲い掛かる。
一方、下ではアルマが足早にスラム街に向かっていた。その後ろをトルソが追いかける。
「アルマ、ちょっと落ち着け!」
肩を掴んで振り返らせると、アルマの顔は酷く歪んでいた。トルソは言葉を詰まらせる。
「私のせいだって。はは、こんなこと、言われたの初めてだ」
「アルマ」
「わかっている。でも、でもさ……私が悪いのかなって思ったら、いてもたってもいられなくて」
自分のせいで犠牲者が出た。それが、何よりも苦しかった。経験したことがない気持ちだった。責め立てられるなんて、思わなかった。
ガブリエルと出会ったことが悪いのか。それともエクソシストをしていることが悪いのか。それとも、聖職者として生きてきた時代があったからか。そんな、余計な事を考えてしまう。
「流されるままに、生きているのっていけないのかな」
ぼそりと呟いた言葉に、トルソが顔を歪ませた。
バチン、と音が響く。トルソがアルマの頬を平手打ちした。アルマは驚いて、叩かれた頬を押さえながら、彼女を見た。
トルソは揺るぎない目で、アルマを見つめた。
「お前らしくないぞ」
「トルソ……」
「どうしてこうなったかなんて、わかるもんかよ」
アルマの肩をガシっと掴んで、トルソは続ける。
「他人の事を気にするほど、あたし達は優しくない。そうだろ?」
目を見開いた。そうだ、自分達は、自分達の為に生きている。もう誰かの為になんか、生きていない。神に対する信仰だって、捨てたはずだ。
「もし、お前が誰かの為っていうんなら、エルの為だと思え。そのために、お前は聖職者も辞めたんだ。お前は、あいつを幸せにしてやりたいんだろ?」
その言葉に、アルマは力強く頷いた。
もう彼女の目に、揺らぎはなかった。それに安心したトルソはニカっと笑った。
「な? あたしらにとっちゃ、周りが死のうがなんだろうが関係ないんだよ」
「トルソ……ありがとう」
「へっ、いいんだよ。サタンと戦うのも、あたしらの平穏の為ってことさ。周りの言葉に振り回されてるわけには、いかねぇぜ?」
「あぁ、そうだな」
彼女の言う通りだ。もはや気にしている暇なんてない。誰かの為ではなく、自分のために戦うんだ。アルマの中にあった蟠りが消えた。
そこで、突如、頭上から悲鳴が響いた。
「ぎゃーッ!!」
ドガンッ、と数メートル離れた場所で爆発音が響く。二人は発生した風圧に怯む。
風が止んだと同時に顔を上げると、土埃の中から姿を現したのは、黒い大きな翼を持った男だ。その手には。
「ガブ!?」
ガブリエルが、男の腕に抱かれている。しかも、彼の身体には小さな雷が走り、苦しそうに顔を歪めている。
アルマは慌てて駆け寄ろうとしたが、男と目が合い足を止めた。金色の目がギラと光る。
「へー、いい女じゃねぇか」
「お、お前、悪魔か!?」
銃を構える。男は、ガブリエルの身体を抱きなおしながら、片手をひらひらと動かした。
「おう。俺の名はベリアルだ」
「べ、ベリアル!?」
ゲーティアの悪魔の一人。しかも、一番出くわしてはいけないと、聖職者時代によく言われていたことを思い出した。
何しろ、この悪魔は人間を寝取るという悍ましい行為をしているとも聞いている。
すると、近くで破裂音が響いた。同じように土埃から姿を現したのは、ベルゼブブだった。怒りで我を忘れているのか、恐ろしい形相をしていた。
「貴様……ガブリエルを離せ」
「嫌なこった。この後、俺とイイことするんだ、邪魔すんな」
舌を出して、ガブリエルの頬を掴んで舐めようとする。ベルゼブブは爪を立て、ベリアルに襲い掛かった。
すると、ベリアルはベルゼブブの攻撃を避けることなく腹でわざと爪を貫通させた。そしてベルゼブブの身体を片腕で抱き寄せ、そのまま勢いよくキスをした。
突然のことにアルマもトルソも目と口を大きく開けた。ベルゼブブ自身も驚いていたが、ベリアルは嬉しそうに嗤う。
「ベルの唇ゲット~」
ケタケタと笑い出すベリアルに、ベルゼブブは強烈なビンタを喰らわせた。その勢いで吹き飛ばされ、ガブリエルを離してしまう。
ドサッ、と地面に落ちるガブリエルに、我に返ったアルマが駆け寄る。
まだバチバチと音を立てていたが、彼はアルマの顔を見て、少し安堵した。
ドンッ、と壁に激突したベリアルがおかしそうに大笑いしながら立ち上がる。
「ギャハハハハハ! 久しぶりのキスは嫌か!? 可愛いじゃねぇか!!」
ベルゼブブは唇を軽く拭うと、アルマとガブリエルの前に立った。
「殺す」
「死にませーん」
露骨に馬鹿にするベリアルに、ベルゼブブは襲い掛かる。
激しい戦闘を始めた悪魔達を横目に、アルマとトルソはガブリエルの身体を支えた。
「大丈夫か!?」
「あぁ……大丈夫だ、雷を受けただけだ」
「あいつ、雷の力、持ってんのかよ」
トルソが嫌そうに顔を歪める。天候の属性を持つ悪魔と出会ったのは初めてだった。
悪魔同士の戦いは、雷が走ったり、黒い魔物が現れたりと、激戦だった。人間が割り込んだら危険だと思った。
どうしよう、と二人が困っていると、ガブリエルは咳ばらいをして立ち上がった。
「……仕方ない。二人とも、離れていなさい」
ガブリエルに言われ、二人は少しだけ離れた。すると、ガブリエルは戦っているベリアルを呼んだ。
「ベリアル!」
ベリアルが振り返る。ガブリエルが、両手を広げ、微笑みをこちらに向けている。ベリアルは、ベルゼブブの攻撃を躱すと、目を輝かせてガブリエルの元へと飛んでいった。
そして、ガブリエルに抱き着こうとするベリアルに、ガブリエルは囁いた。
「凍れ」
「あっ!」
その意味を理解した時には、もう遅かった。ベリアルは一瞬で大きな氷の中に閉じ込められてしまった。
パキン、と氷漬けにされたベリアルは、驚いた顔のまま動かなかった。ガブリエルは胸を撫でおろした。
その様子を見ていたアルマとトルソは、顔を青くした。彼は、本当は、かなり強いのではないか。
ベルゼブブは、慌てて降りてきてガブリエルの元に来た。
「力を使うなとあれほど……!!」
「このくらいなら、まだ、ほんの少しだ」
「だがな……」
不満げなベルゼブブに対し、ガブリエルはアルマとトルソに振り返った。だが、二人が固まっているのを見てガブリエルは驚く。
「ど、どうした?」
「あ、いや……」
アルマは気まずそうに言う。
「ガブも、だまし討ちみたいなこと、するんだな……」
「えっ」
ベルゼブブは、なおもベリアルを睨みながら説明する。
「こいつは、この前戦ったマモンよりは弱いからな。ガブリエルの力だけでも充分、大人しくさせられるが……」
「……怒ってる?」
「当たり前だ。力を使って、また倒れたらどうするんだ」
天使の心配をする悪魔の様子に、もう慣れた顔をする二人だったが、トルソがベリアルに近づいて氷を叩いた。触ってみると意外と冷たくなかった。
「で、こいつはどうするよ?」
「地獄に送り返してもいいが………ああ、そうだ。ガブリエル。氷を解いていいぞ」
「え、大丈夫か?」
ガブリエルは心配そうにベルゼブブを見るが、彼女は「問題ない」と言った。
ガブリエルは、アルマたちを後ろにやってから言った。
「砕けよ」
パキン、と氷が砕け、中にいたベリアルがぺたりと地面に座った。
「え、あれ?」
「さてベリアル――」
ベルゼブブはベリアルの前に立って腕を組んだ。
「地獄に戻りたくなければ、私の質問に答えてもらおうか」
「え、マジ?」
「もちろん、報酬はくれてやる。一回だ」
「マジで!?」
え、とガブリエルが顔を歪めた。二人は意味を理解できてなかったが、ベリアルは嬉しそうに笑う。
「ベルが相手なら嬉しいなぁ! ケケケ!」
「ガブリエルに手を出したら、速攻でルシファーに言いつける」
「ダメなのかよ!」
「は?」
「ごめんなさい」
すぐに正座をするベリアルに、何とも言えない気持ちになるアルマとトルソだった。
ガブリエルは、ベリアルをベルゼブブに任せ、二人の背中を押した。
「私達は、別の場所で話をしよう」
「え、どうして」
「あの子の言葉は、お前達には毒だ」
ガブリエルの言葉に、二人は首を傾げた。
その後ろで、ベリアルがベルゼブブに抱きついているのを、見る者はいなかった。
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