初授業1
魔素とは何か。
魔力とは何か。
魔法とは何か。
魔術とは何か。
知らないくせに、幾つか力を使ってきた。
しかし、今となっては、俺もハスファルク高等魔道学校の生徒である。いつまでも知らないままでいるというわけにもいかないだろう。
知らないままから、変わらなければならない。
知り尽くすために、学ばなければならない。
往々にして、"なければならない"なんて言い方をすると嫌々ながらに学ぼうとしている風にも聞こえてしまうが、別段、そんな思いは無く。これは自分を追い込んで奮い立たせるための、ある種の暗示みたいなものなのだ。
何故、追い込みをかけて奮い立つ必要があるのかと言えば、今から始まる授業が座学であるからに他ならないーー座学であり、筆を走らせる、筆記科目である。
それは俺ことトーヤ・アクリスタにしてみれば、大が付くほどに苦手な分野だった。
「ーーそれでは、改めて。守性防御学科八組の諸君。私の名はローレン・ロージンスという」
守性防御学科八組を担当する教師、ローレン先生、もといローレン・ロージンス。
四等魔導官にして退役軍人。
元王国防衛軍所属の軍師であり、戦術博学者の異名を持つという。
入学式にて紹介された後、家に帰った俺はすぐにデイネスにローレン先生についてを尋ねていた。
デイネス曰く、戦略に関しては凄まじいまでの才気を秘めた人だったらしい。
三十年以上、戦地に立ち続け、尚且つ生きて戻った功績はもちろんのこと、彼が指揮をとった戦場では敵味方含めて極端に死者が少なかったという。
人を殺さずして、戦いに勝つ。
戦争を知らない俺でも、偉業であると理解できる。
被害を最小に抑えようとする心とは、すなわち人間である証。
別に疑っていたわけではないけれど、自分の担任が信頼するに足る人物である事を嬉しく思う。
「短い間にはなると思うが、よろしく頼むぞ」
と。ローレン先生は続けた。
周辺諸国との和平が成されてから数年後、ローレン・ロージンスは退役し、ハスファルク高等魔道学校に着任。凡そ二十年に渡り後進の育成に従事してきた。
大ベテランであり、後進育成のスペシャリストというわけなのだけれど。
御年七〇歳。
本来であれば、去年の卒業生たちが卒業するとともにローレン先生自身も離職する予定であったらしい。
しかし、守性防御学科八組に赴任予定の教師が家庭の都合により王都への到着が遅れているため、その間の繋ぎとして代任して教鞭を取ってくれることとなった。
故に、『短くなるとは思う』と、そう言ったわけだ。
「それでは、授業を開始する。魔法書を開きなさい」
教室の中央よりやや左、教壇の横に立つ、ローレン先生は始業の開始を告げた。
魔法書を開きなさい。俺たちの持つ教科書には魔法書とは記されていないことを鑑みるに、おそらくは昔の言い方なのかな。
ともかく、開けと言われたからには開かねば……、何ページ目を開けばいいのか、それについては考えるまでもない。
この学校の生徒となって最初の授業であり、初めての魔法書の使用である。
全員揃って、表紙を開くこと1ページ目。
「目次は飛ばして結構じゃよ」
……2ページ目だった。
どれ。
中には何が書かれているかな。
ふむ。なになに?
うーん。ほうほう。
へえ。そうかぁ、なるほどなぁ。
……分からんかった。
ちらりと一見しただけでは、文字が書かれているという理解の域を超えられない。
一文、読み上げてみよう。
『魔素の性質について』と『活用法』、とある。
性質についてならば、なんとなく、ナノカやアネットから聞かされている。
たしか、生物から発せられる念波に反応して性質を変えるという性質を持つ元素、だったかな?
あの時は興味がなかっただけに、詳細までは覚えていないけど、確かそんな感じのことを言っていた気がする。
「まずは魔素について、お浚いからしていきましょう」
先生はそう前置きをしてから。
「魔素とは何か、皆さんは分かりますかな?」
と。
聞かされているとは言え、曖昧な知識しか持たない俺は知っているとは言えないか。
しかし、辺りに目を配るに、どうやら皆はしっかりと知識を有している様子。
この教室の中じゃあ、俺だけがよく知らないでいるわけだ。
そして多分ーーというか絶対に、このページにも魔素についてのなんたるかが詳細に
なにせ、記憶喪失だからな。
家族のおかげさまで、文字が読めないということはない。
しかし、読み辛くはある。
教科書の文章というのは、正しい知識を与えるために小難しい言葉、正規言語が羅列しているわけだ。
省略なんかは以ての外。分かりやすさよりも正しさを重視した書籍。
それも魔に関する事を専門的に扱うわけだから教科書というよりも学術書と言っていい。
くっ。
俺からしてみれば、教科書でも学術書でもなく、頭を混乱へと誘う
「ふむ。それでは……、マーク・ブライト君」
ローレン先生が回答者の指名をした。
俺にならなくて良かったと、ほっと一息。
「有機体から発せられる念波に反応して性質を変化させる元素です」
「正式名称は分かりますかな?」
「
「よろしい」
淡々と、マークは答えた。
しゅ、しゅど………じゅ、じ? じゅどうせー? てんかんこうかげんそ………?
分かんねえ。マークはなんて言ったんだ。
じゅどーとうせい? しゅとう、手刀統制? いや違うな。ぶどーせーとう、だったかな。ブドー糖?
……まあいいや。
ともかく。
マークの回答に対して、誰一人コレと言った反応を見せないところを鑑みるに、どうやらこの"ブドウ糖全開工事現場"とやらはエストレア王国にとっての常識らしい。
「ーー魔素という元素は、無色透明、無味無臭で、単一の元素からなる純物質であり、一リットル辺りの重さが
ぷすんっ。
もう、全く、何一つとして理解できませんでした。
最初の方は、うん。なんとなく理解できるかなぁ、と思って聞いてたんだけどさ。どんどんと聞き覚えのない単語が耳に飛び込んでくるもんだから、前半部分の話すら忘れちまった。
これは、あれだな。
このままではやばい、ってやつだ。ピンチ、危険、困窮。
「それでは、受動性交感転化元素……、通称、魔素が持つ特徴のうちの一つ、性質を変化させる転化についてお
と。ローレン先生が言うもんだから、流石に、と言った具合で、このままにはしておけないと思った俺は、慌てながら、それでいて遠慮がちに挙手をした。
「えー、魔素の転化条件に……、ん? キミは……トーヤ君、だったかな。どうかしたかな?」
「ひ、非常に言い辛い事なのですが……」
そう前置き、
「僕は、その……、この国で義務教育を受けていません」
俺は言った。
お浚いをしましょう、と言ったローレン先生の言葉からも分かる通り、クラスメイトは皆すでに習っている。エストレア王国では一五歳になるまでの義務教育過程で、魔素や魔力、魔術についてを"簡単に"、ではあるが勉強するようなのだ。
ナノカは今の家で暮らすようになってから、アネット指導の元それらの勉学に励んでいたけれど、頭を使う事を得意としない俺は、剣術や体術に専念していた。
まぁ、それでも、魔素を操る
この学校に入るために必要とする九級魔術士資格だって、魔素のコントロールと適性検査さえ基準値を超えていれば比較的簡単に所得できる。
なんで魔道学校に入学しちゃったかな、とか後悔の念を口にしてしまえばデイネスに蹴飛ばされるし。
八方塞がりここに極まれり、といった状況。
そもそもの話、気付いたその時には洞窟に居た俺とナノカは、どこの国でも義務教育を受けていない山猿のようなものだ。
三年前、ナノカは十二歳。俺は十四歳。
そう言えば……、それ以前はどこにいたのだろうか。帰ったらナノカに聞いてみよう。
関係ない話に逸れてしまったが、ともかく、だ。
エストレア王国で教育を受けていないが故に、俺は魔素の基本的な情報から魔力のなんたるかまでの全てを、余すことなく知らないのである。
「トーヤ君はたしか……」
ローレン先生は魔法陣を一門展開して、一枚の紙を取り出した。
「ふむ。なるほどのぉ……、そういうことじゃったか」
と。
何やら納得した様子。
恐らくは、というか流れから推察するに、間違いなくーーあの紙は、俺の情報が記載された書類なのだろう。
「文字が読めない、とか、書けない、ということはないのじゃな?」
「はい。すらすらとは読めませんが、なんとか……」
「先ほどの話の中に、分からない単語が出てきたかな?」
「はい……、実は後半の殆どが理解できていません」
「ふむ。それでは、授業形態を変えるとするかのぉ」
「え、あ、いや、それだと申し訳が……」
こんな事になるのなら、最初の質問である、魔素とは何か、と聞かれた時に手を挙げておけば良かったーーいや……、仮にそうしていたところで、授業形態は変わる事になるのか。
どの道、みんなには申し訳が立たなさすぎる。後で謝罪をしよう。
「ふぉほっ」
と、ローレン先生は笑う。
「よいよい。授業内容を変えるわけでないからの。あくまでも形態。学び方を変えるだけじゃ」
「な、なるほど」
その発言すら、よく分からんかった。
「皆も、聞いておるだけでは退屈じゃったろうし、実際に魔素を扱いながら、やっていくぞい」
そういうことか。座学でありながら、座学だけには留まらない。魔術ならではの勉強方法というわけだ。
「そうさのぉ……当然、皆はできると思うが、魔素の集約。空気中に含まれる魔素を手元に集める事からやっていくかなーー」
ローレン先生の説明を聞きながらに実践へと移る。
魔素の集約ーー。
『人体から微量に流れ出る
「
「ふぉほっ。無意識に発している思念じゃな」
熱放射とは違う。電波ではなく、念波。
人間に限らず、"
「また、
「では、
「まさにその通りじゃ。
なるほど。
これまで魔素を集める際は感覚的に自分が魔素を集めていると思ってやってきたけれど、実は逆で、こちら側の意識を魔素自体が感じ取って集まってきてくれていたというわけか。
そして、俺たち人間が無意識のうちから
魔素。可愛いかな。
「無想波動は人によって大差がない。が、有想波動は人によって大きく差が生まれる」
そして、有想波動の大きさが、そのまま魔素の制御量へと繋がる、ということらしい。
「では、支配率というのは?」
「活性化状態の魔素には僅かながらに同質元素を引きつけ合う力が備わる。じゃから魔素を集約させる過程で、活性化した魔素が不活性状態の魔素を連れて来てしまうのじゃ。不活性状態の魔素には体外神経が宿らず、操作不可であるからな。単純に、集められた魔素量から活性化状態となっているものだけを算出した……、つまりは操作可能である魔素の割合を指す」
魔素制御量と支配率の試験内容は、魔素を集めた後、聖水と呼ばれる水の中へ魔素を付けてから引き上げるというものだった。
「魔素はどこにでも含まれておる。空気中にはもちろんのこと、机や椅子といった物体、水などの液体の中にもな。純水に含まれている魔素を全て取り除いた状態の水のことを聖水と呼び、試験の際に使用したのじゃ」
そういうことか。
聖水ーーつまりは魔素の含まれていない水の中へ限界量集約した魔素を入れ、聖水が不活性化状態の魔素を引き離し、引き上げた時には活性化状態の魔素のみが残る。
魔素の重さは一リットルに対して、凡そ一グラム。
聖水から引き上げる前と後の重さの差異で制御量と支配率を算出していたわけだ。
「とある魔法学者は、こう言った。『魔素制御量は意識の高さを表し、魔素支配率は意思の
な、なるほど。
「ポジティブに生きろということですね」
「ふぉほっ。大雑把な回答ではあるが、そういうことじゃな。意識を高くし、意思を堅く持て。それらは似ているようで非なるもの。魔素とはつまり、人の心の在り様を顕著に知らせてくれる物じゃて……、それぞれにバランスよく育てていくことを薦めるぞぃ」
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