入学式


 入学式会場。

 薦儀殿しくぎでん

 正式名称、官士煌薦かんしこうせん儀式殿ぎしきでん

 収容人数およそ五〇〇〇人、本校舎南側面に隣接した式典に際してのみ開かれる、特大で特殊な建造物。


 日の光が届かない、窓のない造り。薄暗い会場内では所々に灯る火の明かりのみが足を取るための頼りとなる。


 薦儀殿しくぎでん前方にある舞台の上には、粛々しゅくしゅくと燃ゆるかがり火が二つ。

 一三二〇人の生徒と、教師たち(正確な数字は分からないが少なくない)が一堂に会しているーーというにも関わらず、この静けさは一体どういうことか。

 自然音の届かないこの場所は、教室で味わった静寂よりも増していてーー。


「これより、三八世ミカグヤ二七年度、ハスファルク高等魔道学校、入学の儀を執り行います」


 突如として、椅子に腰を落ち着ける俺たちの耳に、開式のことばが届いた。


 その宣言とともに、会場に漂う穏やかな雰囲気が消え去り、神妙な空気が辺りを包む。

 

「初めに、入学許可宣言を執り行います。学校長リックレン・ロックノット様、壇上へお願いします」


 壇上中央に一柱ひとはしらの魔法陣が展開される。


 はしら。それは立体魔法陣を数える単位。今回、壇上に展開された魔法陣はその中でも球体魔法陣と呼ばれるもの。丸々とした魔力の塊に無数の文字と、いくつかの芒星図形ぼうせいずけいが描かれている。


 掛かり不特定多数、複合ふくごう多芒星たぼうせい術式。


 魔素から生みだされるエネルギーの一切を逃さない造り。無限魔法陣なんて呼ばれたりもするその術式の内部にチリチリと電気が走る。


 閃光ーー。


 薦儀殿後方から生徒たちの頭上を走る一条の雷が吸い込まれるようにして魔法陣へと辿り着く。


 次いで、放電ーー。


 魔法陣の消滅とともに、内部に溜まっていた電気が散り散りに駆け抜ける。


 面接試験で見た時より、厳威げんいのある佇まいで、魔法陣の消滅位置に現れた男、リックレン・ロックノット。


 魔法に関しては無知蒙昧むちもうまいと言っても差し支えない程、知識を持たない俺には、彼がいったいどのようにしてその場に現れたのか厳密には分からない。それでも、卓越たくえつした魔術を使用したということだけはどうにか理解できた。

 どれだけの研鑽を積めば彼の領域に達するのかは分からないけれど、いつの日か辿り着きたいものだ。


「攻性防御学科二四〇名代表、デグラ・ジュエル」


 リックレンの登壇を確認して、司会者が呼称をした。

 薦儀殿全体へと響く勇ましい返事とともに立ち上がるデグラと思われる女性。


 まあ、別人なわけがないんだけども、知らない人だからな。一応。


「守性防御学科名代表、ハット・オセロー」


 ほう。あの者がこの俺の上に立つ男というわけか……、その俺はと言えば最下位クラス所属の男なわけだけども。

 というか、二四一名? 定員数は確か二四〇人だったはずだから、一人だけ多く合格したのか。

 ああ、だから俺たちのクラスも三一人居たということ。


「補性学科一二〇名代表、エリス・ウェスター」


 あれ、補正"防御"学科? 補性"支援"学科じゃなかったけ?


「……失礼致しました。仕切り直します。補性支援学科一二〇名代表、エリス・ウェスター」


 おぉ……、まあ、間違えることもありますよね、人間だもの。


「身体機能学科二四〇名代表、レミディエイト・ラフリン」


 先の三人に比べて、控えめな返事。合わせて、肩をすくめて立ち上がる女性徒。

 二四〇人の代表なのだから自信を持つべきだと俺は思うけども……、まぁ、彼女の気持ちは分からないでもないか。


「精神機能学科二四〇名代表、ナノカ・アクリスタ」


 来た。待ってました。

 みんな見てくれ、あれがこの俺自慢の妹だーーまあ、その俺はと言えば最下位クラス所属なわけだけど……。


「生活支援学科一二〇名代表、メイル・ラ・フィリア」


 母であるアネット・アクリスタは生活支援学科卒業生だ。だから、アネットはナノカが生活支援学科所属になる事を密かに願っていたらしい。

 結局は精神機能学科所属となってしまったわけだけど、別段落ち込む事もなく、心からの祝福をしていたと記憶している。


「霊想研究科一二〇名代表、バンシー・ラドリッチ」


 以上、七名の代表生徒が立ち上がった事を確認してリックレンが宣言をする。


「王立ハスファルク高等魔道学校、三八世ミカグヤ二七年度、第一学年、一三二一名の入学をリックレン・ロックノットの名において、ここに宣言する」


 リックレンは宣言の終えるとともに手をかざし、空気を掴むようにして指を折りたたむ。

 そうしてすぐ、彼の眼前にて横並びに七門の魔法陣が展開される。


 掛かり十節じっせつの五芒星術式。


 魔法陣の中からヒラリと紙が飛び出して、代表生徒七名の元へと向かう。

 空中を踊るようにしてヒラヒラと。

 そして、七名全員が両手で紙を掴み、役目を果たした魔法陣は消滅する。実際には、リックレンが意図的に消したと言った方が正確なのかもしれないけれど、それは俺には分からない。


 次いで「学校長式辞」、と司会者が言って。


「ーー近隣諸国との和平が成されてから幾年いくとせ。エストレア王国に住まう者たちにとっての憂い、おおむねは退けられた」


 停戦協定から完全なる終戦へ。二七年前、平和条約の締結と共に誕生した組織が国際連盟純粋意志情報機関である。そして、連盟加盟国にはエストレア王国をはじめとした、五〇以上の国が名を連ねている。


「しかし、概ねであり、全てではない。また、全ての憂いを退けることは不可能である」


 リックレンは言い切った。リックレン・ロックノットが言い切ったーー言い切ってしまった。

 エストレア王国に存在する魔術士、魔導官の頂点、王国史上最高とも称されるエストレア王国唯一の魔導師リックレン・ロックノット。その男が、完全に平和が成される事はないと断言したのだ。

 国民が聞けば不安を与え、怒りを覚えたっておかしくない発言だったろう。

 しかし、リックレンが自身の立場、自身の発する言葉の重さを理解していないとは思えない。

 だから、彼が続ける言葉こそが俺たちには重要事項となるのだ。


「ーーそれでも、我々は国民の安寧を願い、憂いの無い世の中の実現を掲げなければならない……、不甲斐ない事に私だけでは成せなかった。現在、王国の防衛を担う者達の協力があっても、未だ、成せてはいない。皆の協力が必要だ。此度、入学を果たした君たちは、守られる者から守る者へ、エストレア王国の趨勢すうせいを担う存在へと相成った」


 例えば、連盟非加盟国。

 例えば、危険指定生物。

 例えば、悪意を持った人間たち。


 他にも、未だ取り除けていない、脅威は無数に存在している。病気や事故なんかもそれに該当するだろう。

 それら国民にとっての脅威を退けるにたる人間へと成らなければならないということ。


「ーー共に邁進まいしんし、また、真の平和が成される瞬間を見届けられるように願い、式辞とする。入学おめでとう」


 おそらく、賛否両論はない。

 全会一致で賛成だったのだろう。壇上から去るリックレンの背に惜しみない拍手が贈られる。暗くてよく見えないけれど、きっと生徒たちの瞳は輝きに満ちているはずだ。

 最高位の魔導師に直接協力を仰がれるという栄誉をたまわったのだ。皆んなの反応も当然だと言える。


 しばらくして。


「続きまして、歓待かんたいことば。在校生代表、ハンス・マハータ」


 司会がそう述べて、壇上へ上がる男。在校生代表ハンス・マハータ。


 彼が在校生主席という事なのだろうか。断定はできないけれど、可能性は十分にある、か。


 それにしても……、格好良いな、おい。

 これが所謂いわゆる、イケメン、というやつなのだろう。

 陽の光を充分に浴びて健康的さが伺える褐色の肌、僅かに黄みを帯びた銀髪が肌とのコントラストを際立たせていて、とても美麗に思える。そして、瞳の色……は、流石にここからじゃあ分からないけれど、すっきりとした切れ長の目。

 世の中の不平等を一身に背負って産まれたのか。同じ男である俺ですらときめきを覚える見た目ーーそういった趣向は全く持ち合わせていないのに、だ。


「只今紹介に預かりました、ハンス・マハータです」


 と、まずは自己紹介についての肯定。

 声まで格好いいな、おい。


「そうですね……まずは、新入生の皆様、入学おめでとうございます」


 薦儀殿の雰囲気にまったく見合わない軽い口調での挨拶。

 これくらいの方が自分的には親しみやすいし良いとは思うんだが……、だとしたら場の雰囲気も合わせて欲しい。

 場所の変更が叶わない今の状況を鑑みるに、ハンスの側が雰囲気に合わせて話をするべきなのだろうけれどーーまあ、いいか。


「この場からでは空を確認する事が叶いませんが、晴れて、当校の生徒となった皆様に、一つだけ言いたい事があります」


 冗談混じりとは、やはり軽いな。先ほどのリックレンの言葉と比較してみると余計に軽さが目立つ。失礼とまでは思わないにしろ、批判の声があがるのではないだろうか。


「一昨年度、僕は友を失いましたーー」


 空気が変わる。

 風の通り道は遮断しているのに、冷ややかな空気が肌を撫でる。

 不気味な雰囲気だった。ハンス自身の声色に変化がない事が不気味さに拍車をかけている。


「理由は、危険指定生物である、黄銀こうぎんグンタイアリの波に呑まれてしまったからです」


 黄銀グンタイアリーー知っている。

 俺自身もちょうど二年前、デイネスの部隊に同行して討伐へ赴いた事があった。

 兵隊アリ一匹がおよそ一〇センチほどの巨大なアリだ。女王ともなれば三〇センチを超える。

 それでも、一匹ずつを相手取るのなら一メートルをゆうに越える人間からしてみれば敵ではない。数匹が束になってきたところで取るに足らない。

 しかし、黄銀グンタイアリの最大の特徴は数十万匹を超えて形成された規模の大きさである。

 二年前、俺たちが討伐した黄銀グンタイアリは一〇〇万匹を超えるコロニーを形成していた。先ほどハンスが言ったように、向かってくるアリたちは波、それも大津波のようだったのを強烈に記憶している。


「その場に僕も居ました……友が、目の前で蟻の波に呑まれて行くのに、助ける事ができなかった。己の無力さを痛感した瞬間でした」


 中途半端に力を持ち、無理に助けに向かっていればハンスも餌食となっていた事だろう。彼には酷な話だが、今、彼がこうして生きていられるのは力がなかった事が幸いしたとも言える。


「それからは死に物狂いとなって魔術の勉強に取り組みました。もう、二度とあんな思いはしたくない……、その一心です」


 悔しさの滲む声。

 彼の気持ちの全てを理解はできなくても、全く分からないという者は一人としていないはずだ。


「ーー新入生の皆には、同じ思いを味わってほしくない。だから、家族や友人といった誰かのために力を付けると同時に、自分のために、魔術に取り組んで下さい。必死となって得た力は、きっといつかのためになる」


 在校生代表として立っていることから分かるように、彼の努力は実を結んだのだろう。

 体現者の語る言葉には自然と力が宿る。


「祝いの式典には相応しくない言葉を送ってしまいましたことをお詫び申し上げるとともに、皆様のご活躍を祈り歓迎の挨拶とさせていただきます」


 拍手はなかった。してしまえば、それはハンスに対する侮辱や嘲笑の意味へと繋がってしまう気がしたからだろう。

 そして、それは恐らく正解だ。教師たちも一人として手を合わせてはいなかったのだから。


 空気を断ち切るように、司会者は言う。


「続きまして、新入生代表挨拶。新入生代表、ナノカ・アクリスタ」


 うわ、この流れでアイツ話さないといけないのか。地獄すぎるだろう。


 ゆっくりと、時間をかけて壇上へと足を運ぶナノカーーどうしようか考えているのだろうけれど、あからさますぎるぞ。

 ただ、それも仕方のないことか。ハンスの話が重たすぎたんだよ。


 頑張れナノカ。


 壇上へと歩を進めたナノカは徐ろに懐から紙を取り出した。事前に用意しておいた挨拶が書かれた紙だ。


 しかし、待てよ?

 そういえば、前の二人は両者ともに紙とかを用意していなかったよな。

 まさか即興だったのか? とすると、だよ。ナノカだけ紙に書かれた、"いかにもな式典の挨拶"を読み上げるだけとなってしまう。

 それが悪い事かと聞かれれば断じて否ではあるものの、中身の無いからの辞に聞こえてしまう事には変わりがない。


 どちらを取っても最悪の状況と言える。


 紙を見つめ、固まること数秒ーーナノカは懐へと紙を戻した。

 即興でいくということ。


 正気か……? 


「こほんっ」

 と。

 一つ咳払いを打ってから、ナノカは口を開く。


「リュウセンがほのかかに香るこの場所で、私たちのために式を挙行していただき誠にありがとうございます。新入生を代表してお礼申し上げます」


 リュウセン……、リュウセンってなんだろうーー思う俺を置き去りにして。


「正直に申し上げますと、先ほどまでは入念に準備をしてきた挨拶をただ読み上げようとしていました」


 白状した。白い挨拶状を読み上げようとしていたと白状した。

 ふむ。

 上手いな。

 まあ、ナノカにそんな気は1ミリとして存在していないだろうけど。


「しかし、学校長様、先輩様の祝辞をいただきまして、考えを改めました」


 なるほど。そういうスタンスを取るわけか。


「私の用意してきた言葉では、お二方ならびに、先生方、先輩方の志には到底お応えできるものではありません。自分の考えが如何に甘かったのかを痛感いたしました」


 おぉ、自らハードル上げちまって、いけるのか? いけちまうのかナノカさん。


「お二方の祝辞をしかと、胸に刻み、私の今の気持ちでお答えさせていただきます」


 すぅ、と。軽く息を吸って。

 溢れ出る息にそっと乗せるように、ナノカは言葉を紡ぐ。


「私には、私以上に大切な人が三人います」

 と。

 柔らかな調しらべの中に、確固たる意思を感じさせて、ナノカは言った。

 そしてーー。


「それはお父様であり、お母様であり、お兄様、家族です」


 嬉しいことを言ってくれる。


「ーー何故大切に思っていたのか、壇上へ上がる前の私ならば、きっと曖昧な言葉でしか答えらなかったと思います」


 進むにつれて、声が力を失っていく。まるで、自身の不甲斐なさに打ちひしがれているよう。

 ナノカは本当に感情を吐露しているのだ。

 それは、前の二人ーーリックレンやハンスと同様に、即興ではなく、率直な想いを言葉にしていると言える。だからこそ、俺たちの心を惹きつけるわけだ。


 少しだけ下向きな瞳が輝きを帯びて、正面へ向けられた。


「ですが、今ならばはっきりと分かります。それは、命を懸けて私を守ってくれるからです」


 ふっーー。

 思わぬ言葉に、笑いが溢れる。


「恥ずかしい事に、これまではそれが当然のことのように感じていたのだと思います。お父様たちが私を守るのは家族であるのだから当然だと……それは、命を懸けることが当然であるのだと、思っていたということになります。責任の全てを押し付けていたのだということになります。私のことながら酷い話です」


 それは違う。

 ナノカがそんな風に思っていたはずがない。


 逆なんだ。むしろ、俺の方こそ当然のようにナノカに守られている。目覚めてからずっと、そばにいてくれたわけだしな。俺が命を懸けるのだって、ただの恩返しでしかないんだよ。


「今日、この時に私は考えを改めて、志を一つ掲げました。大切な人たちに、大切だと想い続けてもらえるように、私自身も命を懸けられる人になろうと……、私はまだまだ未熟者ですが、これからの学校生活を送る中で先生方、先輩方の背中を追いかけて成長していく事をここに誓います」


 力強く、ナノカは言った。一縷の乱れも感じさせない真っ直ぐな眼差しで。


 そして、

「長くなりましたが、この宣誓をもちまして、新入生代表の挨拶とさせていただきます。新入生代表、ナノカ・アクリスタ……でした」

 締めくくる。


『でした』は要らない気がするけど、ともかく、と。

 惜しみない拍手をナノカへと送る。兄だから贔屓目、ならぬ贔屓耳だろうか。学校長リックレン・ロックノットが壇上を降りた時にも増して、拍手が鳴り響いているように感じる。


 一時はどうなる事かと心配になりはしたが、無用だったな。俺にはとてもじゃないけど真似出来ない見事な挨拶だった。


「続いて、担当教員紹介に移ります。教師の皆様は担当するクラスの前へとご移動お願いします」


 俺にとってのメインプログラムは只今をもって終了した。続く入学式の項目は、聞き流しすようにして終了を待つだけだ。


 しかし……、あれだな。

 ナノカのせいで、俺は一瞬たりとも気を抜く事が出来なくなった。

 ナノカのおかげで、これから始まる学校生活において一切の油断が禁物となってしまった。


 それでも、まあ。悪くない。


 大切な家族に、大切だと思ってもらえるように、か。

 恥知らずにはなりたくないからな。

 元より尽力するつもりであったのだし、家族のため、妹のため、より一層精進することは、当然だと、そう言える。


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