初登校
通学路。
揺れる馬車の中、はち切れんばかりに膨らんだ胃袋を
ある一点を除けば至って普通のものだった朝食時間ーーしかし、その一点のせいで常軌を逸したものとなった朝食時間である。
では、なにが普通ではなかったのかと言えば、胃袋に納めることとなったその量だ。
ダイニングルーム。柔らかな音色を響かせるハミングと共に、満面の笑みを浮かべるアネット。
「ーーマニュアグルテーで、こっちがステームパイ、これがセチュエのファルシ……、こっちのがリタの葉を使ったスィイポタジェ……それからーー」
なんでも、俺たちの入学祝いということで張り切って作ったそうだ。早くに起きて、日が昇る前から調理を開始したという。
アネットは次から次にダイニングテーブルへと料理を運んで来てくれたわけだが、俺たちの内心は『これ以上は勘弁してください』、だった。
しかし、祝福してくれる善意に対して、異議を唱えるわけにもいかず、俺たちには完食する道しか用意されていないわけだ。
全部で一五の料理。エストレア王国で最も格式高いとされるメヌエットのフルコースよりも、さらに二段階ほど品数を上げて出された料理たち。口休めを行う暇なく、同時に、だ。
せめて、夜にしてほしかった。よりにもよって何故、食事時間の少ない朝に張り切ってしまったのか。少し天然なところが母の可愛いところではあるのだけれど、今日だけはその一面は抑えておいてほしかったというのが切実な思いである。
結局、俺とデイネスの二人でほとんどを完食。その間、にこにこと見つめてくる母の歓喜の眼差しが逆に少し怖かった。
回想終わり。
王立ハスファルク高等魔道学校への通学路を行く揺れる馬車の中、はち切れんばかりに膨らんだ胃袋が悲鳴を上げている。
「うぅ、気持ち悪い。吐きそう……」
「吐くなら馬車を停めてもらうから早めに言ってね?」
「……停めて……」
「吐くの? お母さんが丹精込めて作ってくれた料理を、お兄ちゃん、もしかして吐いちゃうの?」
くっ。
通常の量だけ食べて、残りは俺たちに押し付けたくせに。
「……し、
「そんな魔法はありません」
無かったか。
くそ……、魔法を勉強した暁には必ず作ってやる。
消化促進、若しくは体内の指定物除去ーーいや、これは結局のところ吐いているのと変わらないか……、となると、胃袋拡大とかーー。
ふと、思い出したことがある。
「体を大きくする魔法ってなかったか?」
「あるよ? 身体拡張でしょ? 体を部分的に大きくする魔法だね」
「ナノカは使えるか?」
「使えないよ? あれって確か三等魔導官の資格がいるから……それに、胃袋を広げたいのかもしれないけど、その部分だけには使えないよ」
「どうして?」
「身体拡張の魔法を行使するには最低四門の魔法陣を並列展開しなくちゃいけないわけだけど、その一つ一つの魔法陣の役割が"骨延長と骨格矯正"、"細胞の増殖"、"血管補強と血液の増加"、"心臓補強と心拍の上昇"になるの。拡大部位と拡大量によっては"筋力増強"とか"軽量化"の魔法陣も同時に展開しなくちゃいけなくなる。それで……、胃袋を拡大するってなると、胃袋だけを大きくしちゃえば他の臓器を圧迫しちゃうわけだし、最悪お腹が張り裂ける、なんてことにも繋がりかねないの。だから全臓器を含めた胴体の拡大と、その増加した体積に伴って増えた自重に耐えられるように下半身の補強も行いつつ、胃袋内の食材には干渉しないようにーー」
「あぁ! もう分かった。難しい上に危険だってことだな。分かったからもうやめよう」
「これでもかなり分かり易く要約して伝えたんだけどなぁ」
やばい。これは身体機能学科とかに入学となっていたら一ヶ月と持たずして根を上げるところだった。
悲しい事に、そういう点も考慮して俺は守性防御学科なんだろうな。それでも、筆記試験はあるだろうから頑張らないと……。
「でも、おかげさまでお腹の窮屈さが消えた。ありがとう」
「それは、どういたしまして?」
「なんで疑問系なんだよ」
「だって、私としても不本意なんだもん。そんなつもりで解説してたわけじゃないからね。というか、お兄ちゃんもこのくらいは知っておかないと、この先の学校生活辛いと思うけどなぁ」
「いやいやいや、三等魔導官になったら使える魔法だろ? 俺は魔法に関してはそこまで高みを目指してないから……」
「身体拡張の魔法行使には確かに三等魔導官の資格がいるけど、さっき言った中でも血液の増加とか筋力増強は使うことになると思うよ」
確かに、ナノカの言うことも
現時点において九級魔術士の資格しか所得できていない俺はそんな基礎魔法すら行使不可であるわけだがーーというか、九級魔術士の資格者には魔法陣の構築すら許されていない。許可されていることと言えば魔素操作と魔力弾と魔力壁の三点のみ。
「ナノカの魔術士等級っていくつだっけ」
元々、剣士学校を受験する予定だった俺は剣術と体術の資格所得に力を入れていた。
ナノカの場合は逆の道を進んでいたと言える。かなり積極的に魔法の勉強をして資格を所得していた。
父、デイネスから剣術と体術を習った俺に対して、ナノカは母、アネットから弓術と魔術を習っている。
「私? 私はこの間、三級資格に合格したって話をしたでしょ?」
「あれ、そうだっけ? 忘れてた」
「忘れたって、お兄ちゃんもしかして、記憶喪失?」
「え、あ、うん。そうだけど、なに? どこからの話?」
「どこからって、試験の三日前! 魔術士三級の合格祝いパーティをお家でしたでしょ?」
「……あ、あれか! あれってそうだったの?」
「嘘でしょ? 知らずにはしゃいでたの?」
「おい、ナノカの方こそ記憶を改変してんじゃねえ。俺はその日デイネスに絞られすぎて意気消沈としてただろうが」
「え……あー。そういえばそうだった気がする」
しかしそうか。いつの間にか三級魔術士様になっていたのか。
簡単ではないけれど、剣や体術の方は身体さえ動かせれば取れる資格だからな。それに引き換え魔術士資格となると勉学も疎かにできない。俺には真似できない芸当だ。
「三級かぁ。凄いな……」
「お兄ちゃんも剣術三級なら持ってるでしょ? 私からすればそっちの方が凄いことだよ」
「うーん。でも、俺たちが通うのは魔道学校だからなぁ。俺の方はなんのアドバンテージにもならないんじゃないかな」
「そんなことない。体力試験があったように、魔術士にも運動能力は求められる時代だよ?」
「時代って……この時代しか生きてない、それも一五歳の子供がなにを言ってんだか」
「一五歳は大人ですっ」
「俺は三歳だから子供だ」
「十七歳!」
「覚えてないからな、生まれ変わった俺はまだ三歳みたいなもんだろ? 三歳と三ヶ月だ」
「赤ちゃん卒業したてなのに高等学校に通うなんて偉いですねぇ」
「やめろやめろ。そんな冗談、ヴォルフでも食わねえぞ」
「ヴォルフなら食べちゃいそうなものだけど……」
「比喩を真面目に受け取ってんじゃねえよ」
家を出発してから三十分ほど。試験以来、約二十日振りに学校の様相を肉眼で捉えた。
あの時は一介の受験生。今は、王立ハスファルク高等魔道学校、守性防御学科一年のトーヤ・アクリスタ。
立場が変わったからだろうか、随分と違って見える。
かなり大きく感じた校舎すら、さほど大きく感じない。
「ーーありがとうございました」
馬車から下車をして、操者に挨拶を済ませると俺たちは早々に校門をくぐる。
「よろしくお願いします」
これから最低でも四年間はお世話になるわけだからな。言葉だけの挨拶だったけれど、一応、といった具合だ。
「お兄ちゃんってそういうとこ律儀だよね」
「ん、まあ一応な」
「じゃあ私も……よろしくお願いします」
深めのお辞儀。俺の挨拶とは随分気概が違うな。ナノカの場合はこういうところ、しっかりしている。
本校舎エントランス。
赤い
絨毯の上だからかな? 靴を履いたままで歩くには気が引ける。学校に限らず、どこへ行こうとも靴は履いたままなんだけど、なんか違和感があるんだよなぁ。
「入学書類の提出とお名前をお願いします」
エントランス受付にて長机越しに女性がそう言った。
若さを保ってはいるけれど、生徒って感じでは無さそう。教師なのだろうか、にしては若すぎる気もする。もっと言えば、幼いといって差し支えない見た目だ。
ともかくとして、カバンから書類を取り出す。
「トーヤ・アクリスタです」
「はい。トーヤさんは守性防御学科八組となります。先着順の自由席ですので、教室に着いたらお好きな席に座って講師が来るのをお待ちください。全員の受付が完了し次第、
「分かりました」
「ご入学おめでとうございます」
「ありがとうございます」
守性防御学科八組か。八クラスある内の八組。
合格通知書にはこんなことが書いてあった。
『合格序列順でクラス分けを行う』
なんでも、能力を合わせるためらしい。実力の掛け離れた者を同クラスに組み込んで、授業による理解値、実践値の差を減らすということだ。
俺は八組。最低位合格者というわけだ。
これは落ち込む。
けど、仕方ないか。魔術士としては最低位の九級資格しか持ってないわけだし。
「どうかした?」
不意に、声が掛かる。
「ナノカ、お前何組だった?」
「
「まあ、そうだよなぁ……」
合格通知には二枚の紙が入っていた。
内一枚は合格通知書、もう一枚は入学手続き用紙。
しかし、ナノカの封筒はもう一枚入っていた。それが、主席入学者による式典時の生徒代表挨拶の依頼通知。
「さすがは主席様。一組でございますか」
「もうっ、辞めてよ。代表挨拶すごく嫌なんだから……」
「悪い。
「どうして? まだ気分悪い?」
「……そうじゃなくて、俺八組」
「なんだ、そんなこと」
「そんなことか? 妹は主席。兄である俺は最低位クラス。こんな恥ずかしいことって他にある?」
「あるよ。知らない人に勘違いで声を掛けちゃう、とかね?」
「それも俺じゃねえか」
えへへ、と。
でも。確かにそうだ。あの時の方が今の何倍も恥ずかしかったように思う。
だいぶ心が軽くなった。
「そういえば、守性防御学科の教室ってどっちにあるんだ?」
王立ハスファルク高等魔道学校の本校舎は中庭を囲うようにして建てられた正方形の造り。
現在地は正面玄関、北棟エントランスである。
「東棟の二階だよ」
エントランス壁に掲示された校内図を確認しながら、ナノカが教えてくれる。
「八組なら南棟側だから……あっ! 私たちのクラスは隣同士だよ! 見て!」
「隣……ではないよな、コレ」
ナノカの教室は南棟二階の東端だった。
それに対して俺の教室が東棟二階の南端。
まあ、間に他の教室は挟んでいないから隣と言いたい気持ちは分からんでもないけど、本校舎南東にある階段を挟んでいるからな。位置関係的にいえば斜め向かいと言ったところか。
「もうっ。細かいことはどうだっていいでしょ。とにかく、教室まで一緒に行けるね」
「え……」
「なに?」
「お前……恥ずかしくないのか?」
「全然?」
「なら……、まあいいか」
恥ずかしくないと言ったら嘘になるけど、一緒に登校するのに
「じゃあ、行こっか?」
「ああ」
ーー守性防御学科八組前。
教室前でナノカと別れてすぐ、俺は扉に手をかけた。
ふむ。
この扉、やけに重たいな。
この形状を見るに、横開きの扉のはずだが……、そもそもの建て付けが悪いのか、それとも経年劣化による弊害か。もしくは、扉に触れる自身の腕に全く力が込められていない事に原因があるのかーー。
…………うん。明らかに自分が原因だった。
扉前で固まっていればいるほど、教室へ入る際に必要とする勇気量が増えていく。
ならばこそ、早々に扉を横へとスライドさせるべきだ。
いざーー。
ガラガラ、ピシャンッ、と。
ヤバい。思いの外扉が軽くて勢いよく開いちゃった。
すでに教室内にいた全ての人が、コチラに目を向ける。
「あ、ごめんなさい。間違えました」
閉めた。
やっちゃった。間違えてない。
間違いなく俺の教室なのに恥ずかしさのあまり咄嗟に閉めちゃったよ。これはあれだな……、対応を間違えたという事だ。ナノカ、助けてくれ。
いや、なにを妹に助けを求めてんだ情けねえ。情けねえぞトーヤ・アクリスタ。
ふぅ。
一つ息継ぎをして。
「よし。決めてやる」
呟いて、扉を横へ。
ガラガラ、ピシャンッ、再び。
注目を浴びることも再び、だ。
黒板の前、教室前方中央に置かれた教卓まで歩く。
先ほどの失態を挽回するには、それを帳消しにできるほど強烈なインパクトが必要だ。
だから、俺は教卓に両手を置いて深く息を吸い込んだ。
「今日からこのクラスに通うことになったトーヤ・アクリスタだ! 好きなことは体を動かすこと! 嫌いなことは父からのお仕置き! 得意なことは逆立ち! 苦手なことは人と話すこと! 好きな食べ物は、ステームパイ。嫌いな食べ物は、特にない。えーっと……それから四人家族で……東部出身……性別は男……名前はトーヤ……あ、これは最初に言ったか…………」
考えなしに話すもんじゃないな。視線が痛い。
「……夢はエストレア王国最強の魔導師!」
最後に心にもない事を言ってしまった感があるな。
でも、これで先ほどの失態を全員の記憶から抹消できたはずだ。恥の上塗りをしてしまったという可能性も十分にあるが、今は考えないでおこう。
「よろしく」
そう言葉を締めて反応を待つ。
シーン、と。静まり返る教室。
恐らくは世界で一番の静寂を味わっている。これがもし、静寂でないとしたならばこの世に静寂なんてものは存在しないだろうーーそう思えるほどの静寂だった。
もしかするとここが噂に聞いた、地獄ですか?
冷や汗が止まらないよ。
再び、間違えたことにして一旦教室の外へ
くすり、と誰かの笑い声。
それは差し詰め、天使の微笑みといった具合。俺の心を救うには最適な音色で静寂を打ち破ってくれた。
そして、その笑いに釣られるようにして、一人また一人と声が上がる。
笑いどころを用意したつもりはない。だから、どこが面白かったのかは分からないけれど静まり返るよりか百倍はマシだと思える。
存分に笑ってくれたらいい。
むしろ、ありがとうございます。
「俺の名前はアランだ。アラン・ド・デグヴィント。よろしくなトーヤ」
と。
突如として、目の前に神が降臨したーー。
違った、ただのクラスメイトだ。
すぐさまアランが差し出した手を取って、答える。
「あ、ああ! よろしく!」
その握手を皮切りに、
「俺はラクロアだ」
「あいあーい、私はインニーだよー」
「僕はマーク、マーク・ブライト」
「アタシはモネ・リリア・ハスキー! モネリアちゃんって呼んでね!」
「ゲイル・マクグラフォンだ、よろしくな」
「私はフェリス、よろしくねトーヤ」
ーー次から次に自己紹介が始まった。
その後も続く挨拶を全て聞き終えて、俺は思うーーなんて気のいい奴らなんだ、と。
結局、俺を除く二九名全員が挨拶を返してくれた。普通、一人や二人どころか大半が無視を決め込みそうなものなのに。
勇気を出して良かった。
ーーガラガラ、ピシャン、三度。
今回は俺ではない。
勢いよく開け放たれた扉の方へ顔を向ける。
「あ、あれ・・・・・・もしかして、私が最後?」
と。
廊下を全力疾走でもしてきたのか、息は絶え絶え、制服も着崩れたままに彼女は言った。
俺を入れて三〇人が居た教室。
守性防御学科、合格定員二四〇人。それが八クラス。てっきり、一クラスあたり三〇人ちょうどで割り振られているかと思っていた。
どうやら八組は三一人のようだ。
「俺の名前はトーヤだ。よろしく」
アランがしてくれたように、手を差し出して俺は挨拶をした。
彼女は出された腕と俺の顔を交互に見てから、恐る恐るといった様子で腕を取る。
「て、テア・フィルティです。よろしくお願いしますーー」
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