ウィンディ
来た道を戻る。
たったそれだけのことが難しい。
夜の森とはそういう場所である。というにも関わらず、デイネスはなんの迷いもない様子で快速に進んでいく。
何故分かるのか、そう思うこともしばしば。どうやら月の位置から方角を得ているらしい。
帰路を辿る。
デイネスからしてみれば、なんてことはない作業に過ぎなかった。その証拠に、あっという間に山道へと戻って来られた。
「方角は、分かった。月の位置から判断するってのはなるほど。納得できる。しかしどうだ。寸分違わず元いた場所に戻ってこれたって事には月の位置からってだけじゃあ説明が付かないと思うんだけど……一体全体どういう理屈なんだ?」
偶然という可能性もある。だけど俺には到底偶然だとは思えない。方角だけを悟り漠然と歩いていたのなら、きっと目的地から少し離れた場所へと辿り着いた可能性が高いはずだ。
俺が一人で歩いていたのなら少しどころじゃなかっただろう。かなり離れた山道へと辿り着き、道なりに歩いて目的地へと到達する。この結果なら想像するに容易い。
デイネスには最初から目的地が分かっていた。本当のところはどうか分からないけれど、少なくとも俺にはそう見えた。
当然、気にもなる。
「理屈かぁ……」
暗く沈んだ空を仰いでデイネスは言葉を紡ぐ。
「樹木の配置、ってのが最大の理由になるだろうな。完璧に記憶してたわけじゃあ無いけど、ある程度は覚えている。そいつを頼りにこうして戻ってきたってわけだ」
鬱蒼と生い茂る樹木の配置、うろ覚える事すら俺には無理だ。
「しかしまあ、行きと帰りじゃ見える景色は全く異なる。だから視覚以外の情報も体に記憶させておいた。地面の硬さ、傾斜の数や角度、匂い、それから周辺の自然音なんかもそのうちの一つだな」
「向かいながらにそんなことまで考えていたのか?」
「ああ、帰れなくなったら一大事だろ? つっても俺の場合は慣れってのが大きいだろうなぁ。森での活動も一度や二度じゃない。いつからか忘れちまったが……体の方が勝手にやってくれるようになった」
無意識の内に情景や環境を全身に記憶させる、か。
スゴが過ぎるってもんだ。
真似できるようになるとも思えないけれど。
「俺もできようにならないとなぁ」
できるようになって損はない、どころか――役に立つことは間違いない。知識として、たった今その方法を記憶した。後は経験を積むだけ。
「…………」
ニヤニヤしやがって。
「なんだよ」
「いやなに、また一つ成長したようで何よりだと思ってな」
「成長を喜ぶのならニヤケ面を引っ込めて諸手を挙げやがれ。それに、まだできるようになってねえんだから成長したとは言えないだろう」
「成長ってのはなにも目に見えた結果だけを指して言うもんじゃない。むしろ、目に見えない事にこそ重要なもんは詰まってる」
「……確かに。魔素は重要だった」
「普通、そこで魔素を思い浮かべるかねぇ。俺は心のことを言ったつもりなんだが……」
「分かってるよ」
ほんの冗談が通じないなんて、コレだから
おぉ、良い駄洒落が飛び出したな。
気の利いた洒落も、奇を衒った洒落も言えないけれど、こういう気楽な洒落なら得意分野だ。
子供っぽいと己のことながら、そう思う。
しかし変わる気はない。少なくとも、俺が俺であるうちは必要性すら感じられない。
ふむ。
そうして考えてみるにどうやら心の方にも成長が見られないらしい――何を指してデイネスは成長したと言ったのやら。
「お帰りなさいませ。デイネス様、トーヤ様」
我が身の前に遮るものは無く、御身に捧げる敬心に偽りは無し――たしか、そんな意味合いだったような気がする。
胸前で腕を払う最敬礼で数人の兵士が俺たちを出迎える。
「出迎え御苦労」
俺は言った。
俺
理由はなんとなく、それ以上でもそれ以下でもない。
「まあ別に、誰が言っても構わねえけどよぉ。お前のそれは悪意を感じるぞ?」
「え? 俺はアンタを真似てみたんだけど」
「それだよ。お前から見た俺はなんだ? 暴君にでも見えてるのか?」
「うん」
「うんって……何を思って暴君だと判断しやがった」
「齢十七の俺を……」
いや、違うな。
アレが始まったのは少なく見積もっても二年以上前。俺はもっと幼かった――幼くて、二本の足で立つのが精々といった程にひ弱だった。
齢十七のトーヤ・アクリスタへと至る前。
云うなれば、か弱い十五のトーヤ――だったろう。
「か弱い十五かそこらの男の子の背を木剣片手に追い掛けまわす。コレが暴君じゃないってんなら一体なんだ」
「……なるほどな。よく分かった」
意外にも受け留めてくれたらしい。
改めてくれるのだろうか。
そうなれば、そうなればだよ。やはり思いの丈は素直に口に出してみるものだなと思う。
「木剣を持つのは辞めるかな――」
どうやら改心してくれたらしい。依然追いかけ回される可能性を多分に残しているが素手になるだけ救いがある。
予期せぬ幸運が舞い込んだ――これからの平穏が約束された瞬間。
今日を平穏記念日としよう。
「次からは真剣にしてやる」
前言撤回。平穏どころか、
「俺の死が約束されちゃったよ!?」
命日確定記念日になってしまった。次の稽古もとい、死刑執行日が永遠に訪れないよう祈るばかりである。
「相変わらず仲が良いのね。お二人さん――」
兵士を割って現れた黒色に統一された衣装に身を包む女性。その衣装はたしかバトルプド・ロリタリィ・ド・ドレスだったかな。戦線に出ても尚、年齢をひた隠しにしたい彼女の必死な若作り。ドレスからは華奢な体躯にあった軽々とした印象が受け取れる。同時に、黒という色が持つ特異な印象のおかげで外向的な印象だけでなく裏腹に存在する内向的な部分までもが伺えてしまう。彼女は間違いなく重たい内面を持っているだろう、と。
まあ、俺の場合は初見じゃないから単に彼女の性格を知っているというだけの話なのだが、初めて見た時にも同じような事を思ったと記憶している。
加えて、何回見たって慣れないなという印象を受ける。
量感のあるスカート、絶対に必要のないフリル。首元を締め付けるリボン、絶対に必要のない付け襟。腰を巻くアーミーベルト、絶対に必要のない"何か"。彼女が言うには全て揃って戦闘衣装らしいが何処からどう見ても戦闘には向かない気がする。
例えば長くて幅のあるスカートは動きを制限される分、防御性能が見込める。しかし装飾として存在しているフリルには戦闘着としての効力は見込めない。他を例に挙げてみても同じこと。本当に幾つか必要ないだろ。
「なんだ、来てたのか」
フワフワと、重力を
「なんだとはなんですか。振る手のない状況の中、せっかくこうして
不服を申し立てる割に彼女の表情は至って平静だった。なんなら薄く笑みまで浮かべている。
「ここに居るって事は伝言を訊いたんだろ?」
出立前の文書の件か。次にテキトーな報告をしたら五階級降格させるとかなんとか。
五階級降格処分を受けたところで、
「ウィンディ……お前のことだ。どうせテキトーに聞き流したんだろう……だがな、今度という今度はそうも行かねえ。伝言通り、次にいい加減な仕事をしたら問答無用で爵位を剥奪してやる」
「身体に見合わず器の小さい人ね」
最後通告を受けたってのに第一声が攻めすぎている。
「自身の筋肉を鍛え上げる前に、その心を鍛え直したらどうかしら。家で寛ぐだけの貴方なら存分に時間を持て余していることでしょう?」
やば。素直にそんなことを思いながら横目にデイネスを見やる。
引き攣る口角が喜怒哀楽で云うところの怒にあたる部分から来ていることは問うまでもなく分かること。
「器というモノはコンコンと木槌で打ち続ければ存外大きな広がりを見せるモノだと聞き及んでいます。貴方のような剛情で頑固なお人でもまだまだ手の施しようはあると思いますよ?」
続くウィンディの言葉を受けてデイネスの笑みは深まっていく。
活火山が噴火する一歩手前。
やめろやめろと願う俺を置き去りにしてウィンディは続ける。
「そうね、貴方が望むのなら腕の良い職人さんを紹介して差し上げましょうか? 自身の筋肉にしか興味のない無能な貴方とは違って私には有能で優秀な知人がたくさん居るのよ」
言いたい放題に言われてるな。
頭の血管が数本逝ってそうだ。
「くくく」
歯を軋らせるでもなくデイネスは声を出して笑った。しかしその音もまた喜びや楽しさから来るものではないと理解できる。
噴火を間近に控えて俺は身を縮める。ついでに耳も押さえておこう。
「……よおし、良いだろう。紹介してもらおうじゃねえか」
意外も意外。堪えて見せた。
俺が知る限りのデイネスからじゃあ考えられない尊大な対応だと思える。挑発した張本人であるウィンディも目を丸くしていることから意外ぶりが分かるというもの。
彼女の期待は空振りに終わる。激昂させることが叶わなかった。しかしそこで終わらないのがウィンディという人間。なにが楽しいのかさっぱりわからないが、仕掛けた喧嘩を絶対に売り付けるのが彼女の真骨頂。
「あら、随分と聞き分けがよろしいのね? 私の足が遠のいていた数ヶ月の間に何かあったのかしら……だけどそうね、それは良い心がけよ。精神科医の紹介に対する御礼も含めて、その調子で私に恩を返しなさいな」
腕のいい鍛治士でも紹介するかと思いきや、まさかの精神科医。これには流石のデイネスさんも大噴火を免れないか?
「よし、決めた」
悟り開いた無垢な表情で。
「お前、五階級、降格」
噴火を超えた沈着具合。要点だけをまとめて伝える手法、たいへん分かりやすい。例えここに学舎を出たばかりの幼子が居たとしても伝わっただろう。
さて、次に気になるのはウィンディさんの反応だ。
「ふ、ふふ。ふふふふふ」
逆上したデイネスが罵声を捲し立ててくるとでも思っていたのか、予想していた反応とは違ったようで余裕に構えるデイネスとは逆にかなり狼狽えている御様子。
「お、お前とは。一体誰のことを指しているのか判りかねますわね。私の名前はウィンディ――マクラフェリ領・領主にして、エストレア王国国王より男爵の位を賜ったウィンディ・マクラフェリ……」
「ウィンディ・マクラフェリ、五階級、降格」
律儀にも言い直した。
「先ほども言ったように、私は国王様より爵位を頂戴しているのよ……貴方にそんな権限がーー」
「ないって? そう言うつもりか? ウィンディ」
デイネスはにやりと口角を上げた。今回のそれは喜、若しくは楽から来ている笑みで間違いない。
ウィンディの言う通り、爵位とはエストレア王国に属する人間に対して国王が授与するモノだ。それ以外に爵位を得る方法は無いといっていい。しかし、剥奪や降級に関してはその限りでは無い。
上位にある人間には下位者に対する一定の権限を与えられる。
その中の一つに『過度な
爵位の完全剥奪こそ叶わないがデイネスはウィンディに対して降格を実行するだけの権利を保有している。
それを知りながらに煽り続けたウィンディは馬鹿としか言いようがない。
「わ、わた、私にそんな脅しが通用すると思いまして? 口先ばかりが先行する貴方に、それを実行する勇気があるとは思えない。私が領主から身を引けばエストレア王国に齎す被害は甚大なモノになるのだから当然よね」
「被害なんて一つも受けねえよ。お前の家にはお前以上に優秀な人間が居るだろうが。だから安心して身を引いてくれ」
「……貴方は身分を盾にすることにしか考えが及ばないのかしら……これだから無能な人は嫌いなのよ」
面白い。
この期に及んでさらに侮辱を重ねるウィンディは見ていて退屈しない。もっと言ってやれという気持ちが徐々に湧き始めた。
「ふっ」
負け犬の遠吠えにでも聞こえたのか、勝ちを確信しているデイネスは鼻で笑う。
鼻で笑われるというのは最短にして最大の侮辱行為だと言えるだろう。憤慨したウィンディはふらふらと覚束無い足取りを整え直して言い放つ。
「私に対してなんたる不敬か。デイネス・アクリスタ、貴方の態度こそ断罪に値する! 私をもっと崇め奉りなさい!」
始めたのはお前だろうが。と思ったけれど口にはしない。俺はあくまでも傍観者だ。
この場において誰よりも子供。そんなウィンディが可愛く思えて仕方がなかった。
「へえ。なんで
身分の差をありありと強調してデイネスは言う。先ほどの降格処分、たったの一言で形勢が逆転してしまった。
しかしここで好機を見出したウィンディがきらりと目を輝かせる。
「まあ! なんて酷い人! 一人間である以上、他人に優しくするのは当然である。というにも関わらず、自身の身分を笠に着て横暴に振る舞うだなんて……」
早口で捲し立ててから、やれやれと言わんばかりに首を横に振った。
さっきまでの威勢を取り戻したようだ。
いやしかし、何回でも思う。お前が始めたんだろうが、と。身分を笠に着たのも、人を蔑める優しくない発言をしたのも全部ウィンディが先だ。
忘れてるのかな。忘れているとしたらとことん馬鹿だな。
「お山の天辺から見ていた景色はさぞ愉快だったことでしょうね。けれど、足元をよく見てごらんなさいな。私たちは隣り合った大地に立っているでしょう?」
水を得た魚とはまさにこのこと。彼女にとってデイネスを蔑む行為は最早趣味といっても過言では無い。
俺が記憶している限りでは、毎度このような低俗なやり取りが繰り広げられている。
「かっ。日頃から身分ばかりを気にしている奴の発言とは思えねえな。お前はウィンディ本人か? まさか、影武者を送ってきたなんて事はねえだろうな?」
「貴方は人の心ばかりか見極めるその瞳も失ってしまっていただなんて……その有り様を見る限りではアネットやナノカの苦労が窺えてしまうわね」
この発言を皮切りに、再び風向きが変わる。
二人の口論において、身分を人質にされることがウィンディの弱点である。対して、デイネスには弱点と呼べるものが一つもない――と、そんなことはなく一人の人間である以上少なからず弱点は存在しているわけだ。
デイネスの泣き所は家族のこと。とりわけアネットの名前と苦労話を持ち出すことは抜群の威力を発揮する。どれだけ劣勢であろうとも一手で優勢へと傾ける必殺武器になり得る。それは謂わば口論におけるバールのようなもの。
「先週話した時は気丈に振る舞っていたようだけど、あの子もまだまだ甘いわよね」
悠々と構えていたはずのデイネスが指先一つ動かせないでいる。青褪める表情からも先程までの余裕が失われていると分かった。
「必死に隠していたようだけど私にはしっかりと伝わってきたの。自分勝手に振る舞うばかりの貴方に振り回されてすごく大変だって気持ちがね。あの様子だと愛想尽かされるのも時間の問題よ?」
嘘か真かウィンディはそんなことを言った。個人的には嘘にベットを置きたいところだが。
「うっ……」
デイネスには心当たりがあるようだ。
流石はバールのようなもの。必殺武器の名に恥じない威力を発揮して活路をこじ開けて見せた。
この場ではウィンディの言葉の正否を確かめられないという現実が拍車をかけて劣勢を煽る。
弱点を曝け出したのみならず、抉られてしまったデイネスは無惨にも大きな体格は見る影もないまでに肩を小さく萎ませた。
したり顔でほくそ笑むウィンディは言葉を続ける。
「ふふ。小さな器に見合うだけの小さな体に纏まってしまったわね。今の貴方の姿を是非アネットにも見せてあげたいわ。彼女の落胆した表情を想像するのはとても容易い」
くすくすと愉快に笑う。
しかしそうした場合、きっとアネットはウィンディを諫めるだろう。比べるまでもなくアネットはデイネスの味方だ。
ウィンディの言う落胆する姿というものを俺は想像する事ができない。口にした本人も分かっているだろうし、デイネスへの嫌がらせが主目的か。
「トーヤもそう思うわよね?」
俺に振るな。
二人の喧嘩は二人で治めてくれ。
なんなんだコイツらは……、自分たちの立場を失念してるどころか、身分の高さ以前に大人としてどうなんだよ。
「あーっと……」
会話に参加するからには言葉を選ばねばならない。ついでに助け舟を出してやるか。
「苦労話は置いておくとして、まずはウィンディさん、お久しぶりです」
話を受け流して、一応といった具合に頭を下げた。喧嘩に同調して二人と同じに思われたくない、その一心だ。
「あらあらあらあら、まあまあまあまあ」
"あら"も"まあ"も多すぎる。なんなんだ一体。
「しばらく見ないうちに随分と大人になって……」
ちょっと待ってくれ。
俺は挨拶をしただけだ。ウィンディの中での俺はどういうイメージだったんだよ。
「この間会った時は礼儀のラの字も感じられなかったというのに……」
「礼儀にラの字は入ってませんけど……というか、僕ってそんなに酷かったですか?」
「ぼく!?」
「そこに驚くの!?」
え? 僕って言ってなかったかな。以前会った時と言えば三ヶ月ほど前……、ダメだ、全然思い出せない。
記憶できる容量はたっぷりあるはずなのにウィンディとの交流は曖昧だな。まあそれも
「だってトーヤ。貴方は可哀想なことに
「言ってねえよ!?」
「ほら! 言葉遣いが汚いわ!?」
「そうだけど……今のはツッコミって言ってだな、ですね。ウィンディのボケを訂正しただけなんだよ、ですよ」
「まあ、言葉遣いを誤ったばかりかそれを他人のせいにするだなんてーー」
「待ってください。そのやりとりは既にお腹いっぱいです」
ウィンディの言葉を遮って俺は言った。
デイネスとの勝負を終えただけでは飽き足らず口論相手に俺を据えようって魂胆が見え透いている。俺は窄んでいる哀れな大男とは違って安易に口車へと乗り込むほど馬鹿じゃない。
「あら、連れないわね」
ぼやくウィンディはともかくとして一つ息を吐く。
はあ。
無理矢理ではあったけれどなんとか軌道修正できたかな。この人の相手は疲れる。よくもまあ毎回口喧嘩に付き合ってられるモノだ。今は哀れな負け姿を披露しているけれどデイネスには感心する。
「それで、ウィンディ。なにしにここへ来たんだよ」
もう終わったぞ、と竦めた肩をそのままにデイネスは本題を切り出した。
「貴方たちが着いたと連絡受けたから早々に山道を解放しに来たのよ。私の見立て通り、今日中に始末をつけてくれたようね」
既に日が落ちきっているということもあり明日問題を片付ける選択肢もあった中、ウィンディは今日中に解放できると確信していたようだ。
「対象は何だったの? 私としてはハザンオオカマキリ、もしくは両刃オオガザミと予想していたのだけれど」
「前者が正解だ」
やっぱり、と満足気に手を合わせる。
当然のようにウィンディにも目標の判別が済んでいた。少ない情報の中から目標を予想する、経験の差だろうか。痕跡を確認するまで俺には検討が付かなかった。
危険度6の生物を討伐したからといって浮かれてはいられないか。俺にできる事を数えれば指折りで事足りる。できない事を探すのに苦労はない。今回の戦闘で課題が浮き彫りになったことだし、精進しないとな。
「…………」
何かに気付いたウィンディが口を結んで視線をコチラへと向けた。
先程までのお気楽な空気はどこ吹く風に。蛇にでも睨まれているかのような緊張感が身体を包み込む。痛く視線が刺さって俺は息を呑んだ。
彼女の視線の先はササザラシとの戦闘痕、ズキズキと痛む腹部へと定められていた。
ヒラリと揺れる切断された上着。一見しただけでは服が破れているという情報以外を読み取ることはできないはずだ。しかしウィンディの瞳には内部の様子までも見透かされている気がしてならない。
「見せてみなさい」
たった一言。
予想は的中したと言える。
「いえ、一撃もらったけれど大丈夫です。深手を負ったというわけではありません」
「見せなさい」
身体だけじゃない、心までもを見透かすような意思表明。
強く言われて俺は渋々服を捲る。
自己確認する事すら怠っていた腹部の損傷具合はどうやらかなり甚大らしい。
青々と腫れ上がった右脇腹にペタリとウィンディの手が触れる。
「ぐっ」
走る激痛に思わず声を漏らした。
腫れに添わせて指を動かす。くすぐったさや不快感は一切ない。腹部に走るのはズキズキとした痛みだけ。
「第8、第9肋骨の骨折。第10にもヒビが入っているかもしれないわ。腹皮を確認してみたところ粉砕骨折や複雑骨折の兆候は見られない。比較的綺麗に折れたようね、それは幸いなコトと言えるかしら」
ウィンディは自身の言葉に納得するように頷いてから手を離した。
「だけどコレが深手じゃない? そんな嘘はおよしなさい。ここまでの道程、歩くのも辛かったはずよ」
「……触っただけで分かるんですか?」
「分かりますとも。私を誰だと思っているの?」
「えっと……ウィンディ?」
「そうですけど、そんなことを聞いてるんじゃないの。マクラフェリは代々医療で名を馳せた系譜。私は治すよりも壊す方が向いているから治療技術は妹ほどじゃあ無いけれどーー」
ウィンディは魔法陣を二門展開する。
掛かり九節の複合多芒星術式。今回の場合は五芒星と四角形。ぐるぐると法陣は回り稼働する。
右と左、腹部両脇に展開された二門の魔法陣が効果を発揮していくのが分かる。
一体どういう原理か、それはまだ良く分からない。だけど何をしているかは理解できる。
腫れ上がった右脇腹、ウィンディが診察した第8第9肋骨の繋ぎ合わせが行われているのだろう。たちまち腫れは引いていき、合わせて痛みも治まっていく。
「これくらいならお手のものね」
魔法陣を展開してから10カウントで治療が完了した。
魔法陣の消滅と共にウィンディが脇腹を叩く。同時に、どうかしらとそんな視線を向けられた。
「痛みはありません……ありがとうございます」
「強がりは時に美談として成立するけれど、いつでもどこでも美しいとは限らないわ。ましてあのまま帰っていたらナノカはなんて言ったのかしら。トーヤなら分かるでしょう?」
腫れ上がった腹部を確認してナノカが発するであろう言葉を正確に予想することはできないけれど、慌てふためく姿は目に見えて分かること。余計な心配を掛けないようにしたつもりだったけれど、優先順位を違えていた。
隠すべきはナノカが最優先だ。
「もう間違えません」
「よろしい。これでまた一つ大人へと成長したわね」
成長。これが成長か。
今回は良く分かる。俺は上の段へと足を掛けた。そんな感触が確かにあったから。
「それにしても……」
優しい眼差しで俺を諭してくれたウィンディはその目つきを鋭いものへと変えてデイネスに向ける。
「貴方は自分の子を労わろうともしないのね」
「耳が痛えな。反論の余地もない。それでも言い訳をするとしたなら俺じゃあダメだったってことくらいか」
「どういうことかしら」
「そのままの意味さ。俺が言ってもトーヤは聞く耳を持たない。コイツの中には俺ならば……デイネスならばどうするか、そういう意思が確固として存在している」
なるほどな。あながち間違いとは言えない。
きっとあの場で怪我の心配をされても俺は強がりを続けただろう。差し出される肩を跳ね除け、屈めた背中に乗ろうともしない。
きっとじゃないか。間違いなく俺は一人で歩けると強がった。その根底にはデイネスならばそうするという気持ちがあることは否めない。
「それに、俺には擦り傷くらいは治せても骨折を治療する魔法技術はないからな。強がれる程度の痛みに緊急性は無いと判断してトーヤの意思を尊重しただけだ。冷酷だと言われれば首を縦にも振ろう」
「だとしたらその意思が間違っていると教えてあげるべきじゃないかしら。貴方は奇跡的に今もこうして息をしているけれど同じように生きていけばーー」
「早々に命を落とす。そう言いたいのか?」
「ええ、その通りよ。何か間違っていることを言ったかしら」
「ああ、間違っているとしか言いようがねえな」
射抜くウィンディの眼差しに怯むことなくデイネスは続ける。
「トーヤは死なない」
「貴方ね……信頼とかそういう次元の話をしているんじゃないの。生き急ぐ必要性の有無の話。貴方の道無き道を行く精神は買っているけれどトーヤには後を続かせるべきじゃない」
「その発想が既に間違いなんだよ」
睨むでもなくウィンディの瞳がジッと見つめる。続く言葉を正しく測るためにデイネスを捉えて離さない。
「確かに。僕は後ろに続いてるつもりはありません。自分の意思に行動が伴っているかどうかは微妙なところでしょうけど……」
デイネスではなく俺が答えた。
目標はあくまでも目標。辿る過程、道程が違う。後に続くというよりも全く別の道筋を辿って目的地へと向かっているつもりだ。
それに俺は地位の向上を抱いているわけではない。目標にしているのはデイネスの人としての在り方。
今回は着いてきたし単独での討伐を請け負ったけれど、無理をする気は微塵もない。できないと判断した時はできないと言う。これまでもずっとそうしてきた。
心眼の異名を取る彼女の人を見る目、見抜く目は一級品。怪我の具合を一瞥しただけで見抜いてみせたように、黙っていても俺の心を正しく察してくれるはずだ。
「いいわ」
肩の力を抜いて、ふぅと息を漏らす。
「赤の他人である私がとやかく言うことじゃあなかったわね」
それでも一つだけと指を立てた。
「無茶はダメよトーヤ。貴方は私にとっても息子同然なの。怪我を見れば心配にもなるわ」
こうも真っ直ぐに言われると恥ずかしい。だけど悪い気はしない。むしろあまりの嬉しさに
「ありがとう……ございます」
目を合わせて居られず視線を切って頬をかく。照れる俺を見てウィンディは優しく微笑んだ。
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