帰路にて3


 一つ。テリヴル山岳地帯の生態系調査。深部を主な生息地としているハザンオオカマキリが山間の麓に出没した。だからといって特別視する危険性など然程存在しないと思っていい。生息地を詳細に定めているとはいえ『基本的には』というだけの話。何にだって例外はある。特定地域から離れて行動する個体なんてさして珍しくもない。

 それでもデイネスは再調査が必要であると判断して号令をかけた。


「本来、群れる事を嫌うササザラシが二匹のグループを形成して行動していた。たまたま二匹いた、そんな可能性も捨て切れないが、まず間違いなく連帯していたと言える」


 樹木に止まるハザンオオカマキリが迷わず俺たちを獲物だと見定めたという点。トロールを捕食していたもう片方が無警戒に食事をしていた点とを合わせて考えて役割分担が成されていた可能性が高い、という事らしい。

 遭遇時の二匹の位置関係から判断して、食事をする者と見張る者の二役。二匹の間に上下関係があるのか、交互に役割を入れ替える横並びの共生能力があったのか、共食いをも辞さない食性で知られるハザンオオカマキリにしては不可解に映る行動だった。

 俺が仕留めた標的、食事を止めてデイネスたちを追うような動きを見せたハザンオオカマキリを思い出す。

 歩みの遅さと俺の存在に気付きながら無視する動き。あれは参戦してデイネスを狩ろうとしたわけではなくて、単に見張りの順番が来たからというだけなのかもしれない。それならば俺が無視された事にも頷ける。


 二つ。王都ハスファルク、他東部領土への経路回復の伝達。人々の生活を脅かす危険生物が無数に存在しているエストレア王国においてテリヴル山岳地帯は比較的安全な輸送路として使用されている。各領土から王都へと物資を輸送する際、重要度によってはマクラフェリ領を経由するルートを選択する業者も少なくない。逆も然り、王都から東部へ物資を届ける場合にはテリヴル山岳地帯を使うのが大半だと聞く。


「調査が終了するまで高水準の警戒態勢で臨め。物資の輸送には最低で二騎の護衛を義務付ける。人を運ぶ場合は全ての人間を賓客として設定、客人の立場に左右されず五輪の陣を編成するように。王都側からの護衛には俺の部隊を任に当たらせる。其方からの護衛には……ウィンディ」


「仰せつかりました」


 僅かに腰を屈めるカーテシーで承諾を告げるウィンディ。

 数分前の口喧嘩はなんのその。二人の関係性は主人と部下に戻っている。最初からこうなら素直に尊敬できるんだけどな。


「人員が足らない場合はオルカに協力要請を出してくれ。すでに伝令は送ってある」


 三つ。ハスファルク高等魔道学校への文書の送付。

 学生となった俺の管理責任は学校側にも存在している。今回の仕事は国家任務としての扱い。公的な仕事に加担したとなれば必然的に学校への報告義務が生じてくるのだとか。


「魔道学校への報告の任、私が請け負いましょう。親族である貴方からの文書となれば公平性に欠けると判断されかねないでしょうし、それに……」


 ちょうど王都に用事があるとウィンディは続けた。

 自分のことで手を煩わせるのは少し申し訳なかったけれど、ついでというコトならば気兼ねなく任せられる。


「リティ、聞いていたわね? 予定通り三日ほど家を空けます。其方での対応は全て貴女に任せるわ」


 唐突にウィンディは語り掛けた。相手はプリティ・マクラフェリ、ウィンディの実妹。誰を見るでもなく虚空を捉える視線の先にリティの姿はない。

 ウィンディの背後に控えている兵士たちの中に紛れているようにも見えない。一瞥して分かる範囲には屈強な男たちだけが立ち並んでいる。彼らの後方は把握できないけれど、声量から察するに離れた人間に呼び掛けたとも思えない。

 一体どういう事なのか。


『りょーかい。テキトーにやっとくねー』


 声に同調してウィンディの胸元に付いたブローチがチカチカと光る。

 なるほど、遠距離での会話を可能にする石の存在なら噂に聞いたことがある。なんて言ったかな。


秘覚石ひかくせきごしだと分かりづらいのだけれど、貴女の言うテキトウは適した当たりと書いて適当、真面目に仕事をすると取ってもいいのよね?」


 そうだった、秘覚石だ。思念を記憶する石だったかな。目の当たりしてみたけれどどうやって会話をしてるのか検討もつかないな。

 今までの会話も聞いていたみたいだし、常に此方からの音は送信されていたと見るべき。すごく便利そうだし俺も欲しい。


『テキトーはテキトーだよぉ。私がいつも言ってるからお姉様になら分かるよね?』


「……適度に逃亡、だったかしら」


「そーそー。さすがはお姉様、理解が早くて助かるよ」


 心にも無い称賛。というか適度に逃亡って……おちょくってんのか。

 数刻前、デイネスを煽っていたウィンディが妹相手だと煽られる側になっている。立場が逆転したな。


「成程よく分かりました……けどねリティ? 私を側で見てきた貴女になら逃げた時どうなるかが理解できるはずよ」


『えー? ちょっと分からないなぁ』


「……そう、分からないの」


 ブローチを通して出来る事は言葉のやり取りのみ。対面での会話とは違い表情や仕草から感情を読み取ることは出来ない。それでもリティの感情を読み取る事に苦労はない。

 面倒な仕事はしたくないと分からせる語り口。それこそテキトーに対応しているわけだ。

 血を分けた家族であるところのウィンディは俺以上にリティの思考を察していることだろう。薄く引き延ばされた口元、笑っているのか、怒っているのか。辺りを包む暗闇のおかげで彼女の表情はやたらと不気味に映る。


「話は変わってしまうのだけれど……先日新しい魔法を開発したと言っていたわよね」


『えーっと、どれだろう』


「ほら、あれよ。三日ほど前に言っていた、滅多に効力を見られないだろうけれどと残念がっていたでしょう?」


 んー、と唸るリティ。三日前に創造した魔法が思い出せない彼女はただ記憶力が乏しいのか、迷うほど多数の魔法を作っているのか。

 これまでの会話を聞いている限りでは前者である確率が極めて高い。


『あぁ、自己保存と機能回復のことかな?』


「そう、それよ」


『確かにそんな話もしたね。覚えてたんだぁ? お姉様のことだからてっきり忘れてるかと思ってた』


「私の記憶能力はお世辞にも優れているとは言い難いものよね。それでも人並みには持ち合わせているつもり。誰に指摘されたとしても受け入れる腹積もりがあるけれど貴女には言われたくないわね」


『えー? でもこの間の賓宮会ひんきゅうかいはすっぽかしてたよね? 普段使いする小物を無くす事も少なくないし、私が言った魔法の効果だって覚えてなかったよね』


 秘覚石の向こう側でクスクスと笑うリティ。どうやらウィンディは日頃から物忘れを多発しているらしい。

 聞いている限りでは人並み以下の記憶力……。


「そ、それはアレよ。私の海馬は三層構造になっていて大事な情報から順に上層へと保管されるの。だから最下層に記憶された事柄は一瞬で取り出すことができないというだけで……決して忘れているわけではないのです」


『賓宮会は大事じゃない? お姉様の中じゃ最下層行き案件なんだ?』


「うっ……いいえ、あれは誤って最下層に送ってしまったのよ」


『誰にだって失敗はあるし大切なのは繰り返さないことだって私も思うよ? だけど一回の失敗で破綻してしまう事もあるよね』


「……はい。そうならないように以後気を付けます」


『ふふ。お姉様ったら小さくなっちゃって。相変わらず可愛いんだから』


 このこのぉ、と言葉だけで脇腹を突く。小さく纏まる姿もデイネスが一度辿った道。姿を確認できないはずのリティは的確に状況を想像できている。素晴らしい感覚の持ち主だ。

 恥態は晒すまいと必死に平静を装うウィンディだが既に事後。頬の赤みも隠せてないし俺たちには筒抜けとなっている。

 こほんっと空気を払拭するようにしてウィンディは咳を打った。


「……それよりも、新魔法を試す機会がないと嘆いていたわよね」


『うんうん。すでに何人かに魔法陣を添付して自己保存の効力は確認できたんだけどさ。機能回復効果をはっきりと確認できるのは被験者が心肺停止になった時だからね。待ちぼうけだよぉ』


 心肺機能が停止してしまわないように身体の状態を維持する『自己保存』と心肺停止状態に陥ってしまった際に発動する『機能回復』の二効果を有する魔法を開発したという事らしい。

 大した事ないとでも思っているのか、さらりと会話している二人のせいで反応できなかったけど、これって物凄い魔法なんじゃ。


「真面目に仕事をせず逃げ出した暁には貴女が切望する被検体を用意するつもり」


『えっとぉ。それってつまり?』


「良かったわね。貴女が被験者第一号よ」


『……一号は嫌って言うか。痛いのは嫌っていうか――』


 ごにょごにょと拒否を続けるリティ。聞き取りづらい彼女の言葉に耳を傾けるウィンディはとても満足気なご様子。

 立場が二転三転、コロコロと入れ替わるウィンディは見ていて飽きない人だなぁと思う。


『ああそういえば! お姉様には言ってなかったけどね? ちょうど昨日効力を確認できたんだよ。だからもう充分かなって思ってる』


「あらそうなの? だとしても一度確認しただけでは正確性に欠けるわよね。被験者は大いに越した事はないと貴女はいつも言っていましたし、寝る間も惜しんで作った魔法なのだから自分自身で試してみなくては。そうでしょう?」


『でも……それだと経過観察ができないっていうか、万が一効果が発揮されなかったらと思うと不安だっていうか……』


「安心しなさいな。その時は私がしっかりと寄り添って経過観察をして上げる。万が一に備えて優秀な医師にも立ち会って貰うわ」


『いやいや、経過観察は自分の目でしたいし……その、お姉様が立ち会うのは逆に怖いってゆーか。えっと、私にもやることがたくさんあるし――」


 逃げ道を塞がれてしどろもどろに話すリティ。おそらく彼女の額には冷や汗が滲んでいることだろう。


「これから貴女が何を言おうと無駄よ。テキトーな仕事をしたらどうなるか、私は明確に提示したわ。それで? 返事を聞かせてもらえるかしら」


『うー。横暴だぁ』


「まずはどうしようかしら。心臓を止めるには、胸に拳を打ち付けるという方法が一番手っ取り早い気がするのだけれどーー」


『ま、真面目にやります』


「よろしい」


 凄い会話を聞いた気がする。これはあれか、テキトーやりやがったら心肺を停止させてやるっていう単純な脅し。

 いやまあ、真面目に仕事をしない奴はもちろん褒められた人間とは言えないけれど、息の根を止めるのは流石にやりすぎだ。ウィンディなら本当にやりそうだから恐ろしい。


「話は纏まったみたいだな」


 見慣れた光景だからだろうか、脅迫行為が目前で繰り広げられたというのにデイネスは落ち着き払った様子。


「不肖の妹がお見苦しい姿をお見せ致しました。大嚴様より仰せつかりました三項、マクラフェリの名にかけてしかと務めさせていただきます」


 妹だけじゃなく姉にも見苦しさはあったように思うけど。まあいいか。

 三つの指示をウィンディに与えた後、雑談を兼ねた東部の近況報告もそこそこに俺たちは帰路へついた。

 十分とは言えないまでも小一時間ほど足を休ませたアクアたちは行き道と変わらない速度で疾走して行く。

 山越とはいえ舗装された道筋。硬い地面を踏むことに長けた柔軟な蹄が路面を蹴り上げる。

 一定間隔に設置された街灯のおかげで視界も良好。昼間ほどかと聞かれれば否と答えることになるが、ただ走る分には支障をきたす事はないだろう。俺たちを乗せて山道を進むアクアたちの足取りに不安の感情は見受けられない。速度は来た時となんら変わらず最大戦速だ。

 そういえばーー


「アクアたちは魔素を流動させてるんだったな」


 呟いた俺の言葉に反応してデイネスは首を傾げた。それがどうかしたかと言いたげに。


「俺たちが手伝ってあげたら楽になるんじゃないかと思って」


 人間もアクリスティード同様に魔素を扱えるのだからサポートするべきだと考えた。


「気持ちは分からんでもないけれど、それはやめておけ」


 どうしてか、それを問う前に答えは返ってくる。


「人間同士なら言葉や身振り手振りで意思疎通も図れるが、他生物との連帯行動には限界がある」


 限度と言ってもいい、そんな風にデイネスは言葉を付け加えて続ける。


「これはアクリスティードに限った話じゃないし、人間にしてみても同じことが言えるんだが……魔獣群は混想こんそうを嫌う傾向にある」


「こんそう?」


「想いが混ざる。交わるではなくて混ざる、だな。同じ魔素に対して別の有想波動が受信されると、強弱によって主導権が切り替わる」


 なるほど、忠告するのも当然か。自分が使うはずの魔素が他の思念によって阻害されれば不快になって然るべき。人間とアクリスティードでは魔素に対する理解の差は歴然、俺たちのサポートは横入りにしかならない。


「良かれと思って手伝おうとしたけれど、却って邪魔になるわけか」


「ああ。自分の意思を完璧にコントロールしてアクリスティードの思念外魔素だけを動かせるなら話は別だけどな。俺の知る限りじゃそんなことができる人間は存在しな……」


 気持ち悪いタイミングで言葉を切った。その訳は自分の発言の誤りに気付いたからだろう。

 思念波動の完全制御という言葉が存在するくらいだ。できる人間がいたとしても不思議はない。というか、いなければおかしいくらいだ。

 他生物のコントロール下にある魔素を奪取しないためには念波の方向や範囲を定める必要がある。

 これまでに魔素と触れ合ってきた感じ、範囲の指定なら俺にも出来る気がする。

 念波の方向を定めるに関してはよく分からない。どうやってやんだよ。


「アイツになら出来るだろうな」


「あいつ?」


「ロックノットだよ」


 一瞬誰のことを言ってるのか分からなかった。しかしなるほど。我が校の長リックレン・ロックノットに違いないか。

 エストレア王国においては唯一無二、ただ一人の魔導師様。世界に目を向けてみても抜きん出た存在であることに変わりない。

 リックレンの功績や実力を詳しくは知らないからイメージしにくいけれど、魔導師にしか出来ないと聞けば極めて難しい技術なんだろうなと表面的に理解ができる。


「魔導師って世界な何人いたっけか?」


「13人だな」


「たったの13か……」


 世界人口はおよそ50億、魔導師は内十三人。一握りどころか一つまみの人間にしかできない技能。


「まあ探せば魔導師以外にも出来る人間はいるだろうけどな。指標としては魔導師クラスの技術といって間違いはない」


 例えば俺が範囲と方向の指定を出来たとしても、アクアたちの操作範囲を知らないと邪魔は免れない。魔導師様方はどうやってそれを認知してるのか。


「せっかく学校に通ってるんだ、機会があったら聞いてみな」


 俺の海馬にも上層下層があったなら、どこの層へ保管されただろうか。

 いや、コレについては考えるまでもない事か――。


「いえすさー」


 機会が訪れた時にはきっと忘れている。そんな気がしてならない俺は気怠げに返事をした。


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