彼方より此方へ


 遠くで私を呼ぶ声が聞こえる。

 遠くで私を手招く光が見える。

 アレはいったい何なのだろう。

 よく分からない。


 それにしても、ここは何処なのだろうか。

 やけに体が軽い。

 というか、身体がない?

 そう言えば、声も出せない。

 あぁ、そうか。私は死んだのだった。

 それじゃあココは天国なのかな?


「――□□□□□□□□□□□□□――」


 又も声が聞こえてきました。

 だけど今回は私を呼ぶ声ではありませんね。

 なんと言ったのでしょうか。


「□□□□□□□□□□□□?」


 何かを聞いている?

 なんて言ったのー。

 って声が出せないのでした。

 これじゃあ聞き返すこともできません。


「アナタガ□□□□□ハナニ?」


 貴女が、ほにゃららハナニ?

 重要な部分が聞こえないよ。

 ちゃんと言ってー。

 って、聞けないんでしたね。


「アナタガホシイモ□ハナニ?」


 貴女が干し芋、鼻に?

 私は干し芋を口で食べる派なんだけど……。

 この世には鼻で食べる派閥が存在してるの?

 天国って怖い。


「アナタが欲しいモノは何?」


 あぁ、そういうこと!

 干し芋鼻派閥の話じゃなくて良かったよ。

 そんな話にはついて行けそうになかったからね。

 うーん。

 欲しいモノかぁ。


「モノってなんでもいいのかな?」


 あ、声が出せた。

 あれれ、というか。

 いつの間にか身体もある。


「ええ、なんでも言ってご覧なさい?」


 澄んだ清流を思わせる綺麗な声。

 先程まで耳に届いていた言葉は機械的な音だったけれど、今は肉声が聞こえているみたい。

 私に身体が出来たからでしょうか。

 先程までは口がないから声も出せなかったわけだし、耳があるから音もより良く聞こえる――?


「その通りよ。上手に思考が届かなかったみたいだから一時的に身体を作ってもらったの」


 身体を作った?

 いやいやそれよりも、私は今の考えを声に出してはいないはずです。なのに返事が返ってきた。

 もしかして貴女には私の考えてることが伝わっている?


「ふふ。随分と察しがいいのね」


「え、誰!?」


 真っ白な空間だったはずなのに、いつの間にか一面お花に囲まれたとても素敵な場所に変わっていました。

 そして、目の前には吃驚するほど美人な女の人が立っています。


「驚かせてごめんなさいね。本当は姿を見せるつもりはなかったのだけど……アナタとお話がしたくなったの」


 優雅に話す人だなぁ――と、立ち姿勢も含めてそういう印象を受けました。

 突拍子のない事が連続で起きているのにどこか私は落ち着いています。

 どうしてでしょうか。

 

「閻魔様って感じじゃないし……もしかして、女神さまですか?」


「私はそんな崇高なものではないわね。何かと聞かれたら困ってしまうのだけど……そうね。幽霊の類だとでも思っておきなさい」


「幽霊……幽霊には見えないけどなぁ」


「コレならどうかしら」


 女性が着ていたきらびやかなドレスは一変して白い着物に入れ替わった。

 そして頭には三角頭巾。

 せっかく着替えてもらったけど、全然恨めしそうには見えません。


「子供の考える幽霊感が満載ですね」


「別にいいでしょう!」


「あ、それよりそれより。どうやって服を着替えたんですか? 私も着替えたいです!」


「興味を持ってもらえるのは大変嬉しいのだけど、落ち着きなさい。ココにはそう長居が出来るわけじゃないの。先に私の問いかけに答えてくれる?」


「えっと……」


「貴女が欲しいモノの話よ」


「あ、はい。それは分かってます。だけど、それを答える意味って何ですか?」


「……珍しい性格をしているのね? 殆どの人間がこの質問に対して即答するのに、貴女は質問の意味が気になるの?」


「はい。ここは地球……じゃなくて、普通とは程遠い場所なんだってすぐに分かりました」


 地球から遠いとか、そんな物理的な距離じゃない。

 お兄ちゃんがどうなったのか。その後で私がどうしたのか。ここに至るまでの記憶が確かに存在している。

 それなのに私は今ここに居る。

 この場に立っている。

 何が起きているのかは分からないけれど……きっと普通とは違う。ここは異常な場所だと言えるはず。

 そこで私は欲しい物を聞かれている。どこにでもありそうな普通の質問を受けている。

 つまりこういう事。


「……異常な場所で、正常なことを聞かれている。それは正負の掛け算と同じで、異常な事だと思います」


 異常がマイナスで正常がプラス。正負の掛け算を習っていないはずの私がそう言いました。


「異常な場所で異常な質問を受けるのは正常になる?」


「はい。異常な場所なんだから異常な質問が飛んでくるのも当然です」


「ふふ。面白い考え方をするのね。あの子が目を掛けた理由がなんとなく分かったわ」


「あの子?」


「あぁ、いいのいいの。こっちの話。それじゃあアナタの質問に答えましょうか」


 言って自称幽霊さんは服を元のドレスへと戻した。

 私の質問は欲しいモノを答える意味。

 そうした結果、どうなるのか――何が起きるのか。それが知りたい。


「アナタが欲しい物を口にすれば、それが手に入るわ」


「えっ?」


 驚く私を置いてけぼりにして幽霊さんは口を開く。


「なんでもいいのよ? 例えば食事」


 パンッと手を叩くと同時に、眼の前に美味しそうな食事がズラリと現れました。

 同時に、食事を並べるテーブルやイス、テーブルを飾り付ける装飾なども出現しています。


「例えば服」


 続けてヒラリと回転した幽霊さんは別のドレスへと着替えてみせる。それが早着替えとかそういう小手先の技術ではないのだと理解するのに苦労はありません。


「例えば力、それも腕力!」


 眼前に瓦が20枚出現して甲高い音を立てながら一列に積み上がる。そして、幽霊さんは拳を振り下ろして一息に叩き割った。

 ちょっと違うかな。

 割ったというより、粉砕してみせた、かな。

 元が瓦であるとは思えないほど粉々です。


「例えば視力! あ、あそこに小鳥さんが居るわ?」


 遠方を指で示して声を上げる。

 私にその視力はないから小鳥さんは見えないけれど、これまでの結果から鑑みて幽霊さんの視力は上がっているのだろうと察する事ができますね。


「例えば、怒りっぽい感情! コラーッ!」


 右手を掲げて大きな声を出した。

 コラーッと叫ぶ幽霊さんの表情に怒気は全く感じられません。子犬が叫んだ時のような可愛い感じです。


「あの、ふざてるんですか?」


 私が言うと幽霊さんはシュンと肩を竦めました。

 全然怒りっぽくはありませんね。どうやら幽霊さんは打たれ弱い性格みたいです。


「だって仕方ないじゃない。私に願いは反映されないんだから……」


 拗ねるようにうずくまって幽霊さんはお花を摘んだ。


「え? だとしたら20枚の瓦は自力で割ったの……?」


「そうよ? 何か問題がある?」


 大有りです。

 とても力自慢には見えない華奢な体躯、着ているドレスからみてもどこかの国のお姫様のよう。

 それなのに、瓦を二十枚割ってみせた……。


「いや、でもでも。瓦を出したり、食事を出したり、願いの反映がされていないならそれはどういう……」


「物体ならね、こうして出すこともできるわけ。コレはそういう魔法だから」


「ま、魔法……?」


「ええ、そうよ。これは魔法なの」


 いよいよ、訳がわからない状況になってきました。


「まあ、ここまで言っちゃったし続けてぶっちゃけちゃうと……って、ちゃっちゃちゃっちゃうるさいわね」


 その発言がちゃっちゃちゃっちゃとうるさいモノです。

 

「私のこの体も、私の感情も全て魔法で出来てるのよ?」


 その発言を私は聞き流すことが出来ません。

 そして幽霊さんは続けます――初めから私の欲しい物なんかお見通しだと言うように真剣な眼差しで私を見つめながら。


「人間もね、生み出せるの」


 生み出せる、か……。

 残念でなりません。それは私の望みとは少し違いますから。

 だけど同時に、希望はあるのかもと私は思いました。


「蘇らせることは可能ですか?」


「それは考え方の問題ね」


「えっと、それはどういう――」


「例えばここにアナタのお兄さんと見た目が同じ、性格も一緒、記憶も完全に同じものを宿している人間が居たとして、アナタはその人をお兄さんだと思えるかしら」


「1から魔法で作り上げたと仮定するなら、無理です。お兄ちゃんとは別人です」


「ふむふむ。だとすると……2から、若しくは3から作り上げたのならどう?」


「仰ってる意味がよく分かりません」


「体は魔法で作り上げる。だけど、記憶や性格――いわゆる魂と呼べるモノは本物を使う。作り上げた体を器として魂は本人のそれを引き入れる」


 それならどうかしらと私を見る。

 身体は違うけど性格や記憶は本人の物。

 それでもやっぱり本人とは言えないと思う。だけど完全に赤の他人とも言えないかな……。

 問題点はもう一つある。


「仮にそれができるとしても、魂という概念を私は認識することができません。記憶や性格が同じだったとしても、それが本人のモノだとは到底思えないんです」


「ねえ、アナタ本当に12歳? 異常なまでに思考が回るのね? この場合は達観してるというのかしら。仮にも3年間学校へ行けなかったのでしょう?」


「し、知ってるんですか?」


「私じゃないけどね? アナタたちの全てを知ってる人を知ってるのよ」


「私たちの全てを……その人は私たちを見ていたのに助けてくれなかったんですね」


「無茶言わないでよ。見ることと干渉することに大きな隔たりがあるってことくらいアナタになら分かるのでしょう?」


 お兄ちゃんが殴られているのを見ていただけの私にはよく分かった。

 だけどそれなら仕方がないかと流す事はできない。

 子供と大人とでは話が違うと私は思う。


「ですが、今は干渉してきています」


 今できるのならば、いつでも干渉することが出来たのではないか。助ける事ができたのではないか――そう思えてなりません。


「……ふふ。本当に凄いわね。こんな12歳の子供、見たことがありません。生意気を通り越して尊敬に値するわ」


 私自身、驚くほどに思考が回る。

 先程の掛け算の話も然り、知らなかった言葉も次々頭の中に沸いてくる。もしかすると先ほど言っていた魔法とやらが関係しているのかもしれない。

 だけど今はどうでも良い。思考が読まれているのなら余計な考えは話を逸らす口実を与えてしまうだけ。

 幽霊さんにはこの考えすら筒抜けになっている。だけどそれで良い。これで話を続けるしかない状況になったから。


「……では、お望み通り話を続けましょうか」


 お願いしますと私は思う。

 助けてくれなかった理由があるのなら聞いておきたい。ただそれだけです。


「そうね……技術的な話をするのならアナタの予想通り、アナタたち二人を助けることも可能だった。あの子の力を持ってすれば、それは容易いと言ってもいいわ。だけどあの子は誰も彼もを助ける正義の味方じゃないのよ。子供のアナタに受け入れろと言うのは酷な話かもしれないけど、不幸な人生を歩んでいるのはアナタたちだけじゃない」


 人のせいにしたいわけじゃない。そういう最低な自分はもう捨てた。幽霊さんの言う通り、お兄ちゃんが死ぬことになった責任を誰かに擦り付けるのは筋違いだと私自身よく分かっている。

 これは責任転嫁とは違う、助けて欲しかったという、ただの願望だ。


「アナタたちが歩んできた人生は茨の道。誰を恨んだとしても私に責める資格はないわ。だけど言わせて? あの子がこうして干渉したのは少なからずの罪悪感を抱いているからなのよ」


「そう、だったんですか……ごめんなさい。いえ、違いますね。ありがとうございます、かな? 色々あって気が立ってたみたいです。私の方が怒りっぽい性格になっちゃったのかな……」


「ふふ。ユーモアのセンスもあるのね?」


「私のせいで沈んだ空気にしてしまいましたから」


 流れを変えたくて冗談を言ってみただけで……センスがあるかは微妙なところだったよね。

 だけど、幽霊さんは優しいから笑ってくれた。

 本当、救われる。


「実はね。私はアナタたちの人生について詳しくは知らないの」


「そうだったんですか? てっきり、その、あの子って人に聞いていたのかと……」.


「大雑把には聞いていたわ。というよりも、適当に聞き流していたの。正直に言うとね、頼まれたから私はこの場にいるだけで、アナタたちの人生にはなんの興味もなかったのよ」


 ここにきて一番のぶっちゃけた話が飛び出した。

 だけど思いの外、心にダメージはない。


「でも今は違うわ? 私もアナタたちに興味が湧いて来た。帰ったら一度見てみるわね?」


「見る……?」


銀法ぎんほう完態記録術ルネーモースレコード。この世の始まりから終わりまで、森羅万象を記録する魔法の名前」


 その魔法によって私たちの過去は記録されているらしい。いや、森羅万象なのだから対象は私たちだけに留まらない。この世のありとあらゆる事象全てを記録している。


「この世の終わりなんてものがあるのかは分からないけど、今のこの場でのやり取りも彼女の魔法によって記録されているわ」


「魔法で記録して、魔法で見る、ですか」


「そうそう……あら、ちょっと待ってね?」


 幽霊さんはそう言ってぶつぶつと一人で話し始めた。


「……もうそんな時間なの? えぇ、分かったわ……そう何度も言わなくてもいいでしょう? ええ、ええ……早くしますとも……」


 まるでそれは誰かと話をしているかのようだった。

 そして幽霊さんはこほんっと一つ咳払いを打つ。


「聞こえていたみたいだから、手短に。私もアナタももうすぐココを離れることになる。だから願いを言いなさい。アナタが納得できるかどうかは分からないけれど、きっと彼女は最善を尽くしてくれる。もちろん、お兄さんではなくても結構よ」


「いえ、後にも先にも私の願いは一つだけです。お兄ちゃんと一緒に暮らすこと。それができるなら私はもう何も要らない」


「本当にいいのね?」


「例え100個の願いを叶えてもらえるのだとしても必要ありません」


 お兄ちゃんさえ居てくれればそれで良い。

 私は後で後悔するのかな?

 ううん。

 しないよ。

 絶対にしない。


「分かったわ。それと二つだけ朗報よ? まず一つ目はココにお兄さんの魂がある。アナタはさっき、魂という概念を認識することができないと言ったけれど、コレなら話は別よね? 触れてみなさい?」


 幽霊さんの手のひらの上にキラキラと光る塊が浮いている。

 濁りのない白色。

 それがお兄ちゃんの魂だと言われると穢のなさを表しているようで少し嬉しい気持ちになった。

 頬に手を添えるようにして光に触れる。


「…………っ」


 私の脳裏に流れ込んできたのはお兄ちゃんから見た、今までの記憶。

 私たちが歩んできた道のりとお兄ちゃんだけが歩んできた道のり。

 同時に、その時々の感情が流れてくる。

 私はお兄ちゃんの感情を知って膝をつく。

 

 お兄ちゃんも痛かったし、苦しかったんだ。

 当たり前なことに気付けなかった。いや、気付いていながら無視をしていた。

 私のために我慢していただけだった。


『辛くて苦しい毎日だったけど、七歌のために死ねるなら本望だ。なにせ俺は七歌の"お兄ちゃん"だからな――』


 それが、最後の記憶。

 安らかな顔で目を閉じたお兄ちゃんの最後の思考。

 声が出せなくなって尚、死の間際まで私を想ってくれていた。

 眠りについたお兄ちゃんが安らかな顔をしていたのはきっと私の腕の中だったからだと自惚れてしまう。

 ならばこそ、あの時引き返して正解だった。

 次の人生はもっと上手くやる。

 あの時の決意を現実にして見せる。


「信じます。紛れもなく、コレはお兄ちゃんの魂です」


「信じてくれて嬉しいわ」


 幽霊さんは綺麗な面持ちに見合うだけの綺麗な笑みを浮かべた。

 同じ女性の私でも見惚れてしまうそんな表情だった。


「あ、そうそう。この後でアナタが行く場所は変わらず地球に戻ることになる。異世界転生なんてそんな大逸れた話じゃないの」


「異世界転生?」


「ああ、アナタたちはあまり娯楽に触れて来られなかったのよね。知らないなら別にいいの」


「……地球のどこに戻るんですか?」


「同じ場所、日本よ? だけど環境は大きく異なっているわね。ざっと15000年ほど時が進んでいるからそこは日本があった場所であって日本ではない。今はエストレア王国になっているわね」


「海外のような名称……」


「安心して? 英語、それから日本語が世界の共通言語になっているから。殆どの人間がその2カ国語を話せるわ? だからアナタが行ってもさして混乱しないでしょうね。いえ、混乱はするけれど言語の壁に悩むことはない、というのが正確かしら」


 その言語は日本語や英語とは言わず『テラストロ』と呼ぶらしい。

 言語の統一化が進んだわけというのも、およそ13000年前に日本列島が二つに割れたことが始まりだったという。

 日本列島の地盤を支えるプレートたち、その中の一つ相模トラフが第一波として大きく振動した。

 そして、相模トラフから駿河トラフへ、駿河トラフの次に南海トラフへ連鎖的に振動していき、日本は大地が二分されるほどの大震災に見舞われた。

 その大地震は静岡県北東部から山梨県、長野県、新潟県を割った。

 別れた二つの国を北日本と南日本として名称を改める。

 しかし話はそれだけに止まらない。

 年々、南日本が南下していった。

 調べてみるとフィリピン海プレートがユーラシアプレートを押し上げていることが判明した。

 日本は割られたばかりか新たに誕生しようとしている山に場所を開け渡さねばならない。

 日毎に南下していく南日本では地震被害が多発、火山の噴火、大津波、そこで暮らす人々は北日本若しくは他国への非難を余儀なくされた。

 しかしながらそう易々と移り住めるものではない。

 北日本にしてみても震災の影響を受けている。南日本からの受け入れ定員が設定された。他国に関しては言うまでもなく、近隣諸国は受け入れを拒否し続けた。

 年々人口を減らして行き衰退する国力、疲弊する国民。

 是に対して世界は――


「ちょっと待ってください。話が大きすぎて、頭に入って来ません。それと、時間がないって言ってましたよね?」


「え、ああ。そうだったわね。また怒られちゃうところだったわ。止めてくれてありがとうね」


 良かった。もう半分ほど忘れてるし、これ以上は聞いていられない。

 大切なのは一つだけ、私たちが暮らしていたのは南日本に当たる地域だ。


「南日本は結局、どこまで南下したんですか?」


「4000年の時を経て台湾を巻き込み中国南部に接地したわ。その後1600年経った頃もう一つの自然災害によって、今度は世界が崩壊したの」


 およそ7400年前、私たちがいた時代からしてみれば8400年後に世界が崩壊した。

 幽霊さんの語り口から察するに人間社会の崩壊だと捉えて良いのかな。

 すんなりと信じられるような話では無かったけど幽霊さんの淡々と話す態度が嘘を言ってるようにも思えない。


「世界が……」


「ああ、これは良いのよ。とにかく! 15000年後の地球、貴女の知る地名で言うなら中国南部辺りで目が覚めると思っておいて」

 

「分かりました。確か今はエストレア王国って言うんでしたよね」


 覚えていたのと言いた気に目を丸めた幽霊さん。

 少し前の話だし、そう驚く事でもないと思う。

 まあでも今は良いや。それよりも気になるのは。


「結局、私は死ねなかったんですね」


 私は死んだからここに来たと思っていた。この場所は死後の世界だと思い込んでいた。

 だけど、これまでの話からそれが勘違いであったと分かる。

 ここは夢の世界だった。


「……ええ、そうなるわね。橋から落ちて地面に激突する瞬間に15000年先で行使された魔法によってアナタの体は保存状態に入った」


 そして、その15000年先がもうすぐ訪れるという事になる。

 何をすればいいのか、私は何のために魔法が掛けられたのか、それについては。


「何もしなくていい。ただ好きなように生きなさい。私の主様はね、この魔法行使に反対派なの。アナタの身柄を狙って襲い掛かろうとする人間が現れないとも限らないけれど今のところその傾向は見られない。だから普通に生きていても問題がないはず」


「今後、身柄を狙われる可能性があるとも聞こえてきます」


「そうね、否定はしないわ。だから要人はしなさい。幸い、この時代には魔法という技術が存在している。非力な女性でも簡単に扱える優れものよ? 存分に学んで抵抗力を身に着けなさい。元よりアナタはそうなりたかったのでしょう?」


「はい。今度こそお兄ちゃんを守れる存在に私はなります」


「いい返事が聞けて嬉しいわね。さて、そろそろ時間みたい」


「15000年という話がにわかには信じられない程、早い目覚めになりそうです」


「時間という概念は体積を持たない。それはあって無いようなもの。未来や過去は縦にも横にも繋がっていない一つの点でしかないの。だからこうして簡単に干渉することができる」


「なるほど……よく分かりませんでした」


「ふふ。別に良いのよ、普通に暮らすだけなら必要のない教養ね」


「それと、ありがとうございました」


「お礼も必要ない……と言いたいところだけど、そうね。受け取っておくわ? こうして姿を見せたのはアナタが初めて。お兄さんにもよろしく伝えておいて……とは言ったけど伝えないほうがいいのかしら?」


「それは私にも分かりませんね、もし機会があったらよろしくと伝えて置きます」


 にこりと笑って幽霊さんは手を降る。


「アリス、終わったわよ」


 幽霊さんの言っていた彼女とは名を『アリス』と呼ぶらしい。

 とても魔法が似合う名前だと私は思った。


「それと私の名前はエリーゼ。エリーゼ・ユーステティアよ。良かったら覚えておいてね、ナノカちゃん」


 また会いましょうと告げて『エリーゼ』さんは姿を消した。

 私はコレからどこへ向かうのか……は、さっき聞いたから。

 私はコレからどんな変化を見せた場所で目覚めるのだろうか。

 少しだけワクワクとしている自分に気付く。

 あれ、でもちょっと待って?

 お願いを聞いてくれたのは良いけど、肝心のお兄ちゃんはどこにいるの? 

 それと二つの朗報のうち一つしか聞いていないよ? もう一つはなんなの?

 ねえ、最後に答えて行ってエリーゼさん。


 お兄ちゃんはどこにいるのー!


 その考えを最後に私の意識は途絶えた。


 ◇


 見渡す限りの木、木、木。

 森のど真ん中で目を覚ました。

 蚊を刺される心配は……とりあえず良いかな。


 そんなことより、お兄ちゃんは。


 身体を起こしてすぐに首を振った。

 それは枕元に置かれるプレゼントみたいに――少し離れた木陰にそっと寝かせられていた。

 最後に見た時は夜中という事もあり、月明かりだけが頼りだった。

 しかし今は、のぼる太陽が森の中にまでしっかりと光を届けてくれている。

 血に塗れた体じゃない。

 確かに、お兄ちゃんの体に見える。

 体格も、顔の形状も、髪の色や長さも、全てがお兄ちゃんの姿と一致する。

 一見した限りでは別人だとは思えない。


 そういえば、お兄ちゃんの肩には深い傷があったはず。最後に確認したのはいつだったか忘れたけど、もしかしたら残っているかも。

 確認してみようと服を捲った。


 左肩には傷が存在していた。

 コレは紛れもないお兄ちゃんの体だと思った。

 本当に魔法で再現したものなの?

 その話の方が信じられない。それこそ二つ目の朗報っていうのはこれのこと? お兄ちゃんの体を治療した、とか。

 分からない。けど、今は確認のしようもないしね。この先エリーゼさん、若しくはアリスさんに会う事があったら聞いてみよう。


 次に私は鼓動の確認、息の確認をした。

 どちらも正常、の気がする。詳しくないから分からないけどきちんと動いているから問題はなさそう、かな。

 そこまで確認して、私は力が抜けてその場はへたり込んだ。

 お兄ちゃんが生きてる。身体も暖かい。血の巡りを確かに感じる。

 良かった――良かったよ。

 神様じゃなくて人間が私の願いを叶えてくれたんだ。


『ーー俺たちは恵まれなかったけど、この世界には親切な人たちが沢山いるはずだ』


 お兄ちゃん、私たちも恵まれたよ。


 アリスさんとエリーゼさん。それと私たちをこの場所に導いてくれた人。会った事はないけどお礼を言わせて。


 私たちを助けてくれて、ありがとうございました。

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