兄と妹


 私は――


 私、三代七歌は――


 産まれながらにして、三代十弥みしろとおやの妹だった。

 

 だけどそれも十二年の間だけ。


 私は過ちを犯した。


 どんな時でも変わらない。


 自分の身はかえりみず一生懸命に守ってくれる。


 そんなお兄ちゃんに背を向けた。


 もし。


 あの日あの時に戻ることができたのなら。


 私は絶対に離さない。


 三代十弥。


 誰よりも格好いい、私のお兄ちゃん。


 貴方がくれた無償の愛情。


 今度は私が返していく。


 受けた大恩に報いれる。


 そんな人間にきっとなるから。


 お願いします、神様。


 私のお兄ちゃんを返してください。


 彼の世には連れて行かないで。


 もし、それでも連れて行くなら。


 私も一緒に。


 ◇


 私は太平洋を一望できる小さな港町で産まれました。

 そこでの暮らしは平凡とは程遠い、つらく惨めなもの。

 港に浮かぶ漁船の方が立派に思える小さなアパートの一室に押し込められるようにして育ちました。

 どうやって私は乳児期を過ごしたのでしょうか。

 物心付いたときにはお兄ちゃんと二人きりの生活が当然になっていて、たまに姿を見せる父や母の記憶には薄くもやが掛かっています。

 私は両親の顔すら覚えていない。

 放任主義どころの話ではありません。ほとんど絶縁状態に近い生活環境。


 近所に住む他人の方が親より近しい存在でした。

 

 満足に食べられない日々。

 保育園にも幼稚園にも通えない家の外を知らない生活。

 お兄ちゃんだけが私の話し相手で、お兄ちゃんだけが私の知育基準。

 体も心も成長できない、何もかもが足りていない状況。

 それでも時間だけは無情に過ぎていきます。

 幸か不幸か、周りの人たちの助けもあって死ぬことはありませんでした。


 お兄ちゃんが小学校に通える年齢になると必然的に一人の時間が増えてしまいました。

 考える頭はあっても何を考えればいいのか、4歳の私には分かりません。

 独りになるのが怖くて、泣いたり騒いだり。お兄ちゃんは困った顔をして渋々学校を休む日もありました。

 しかし毎日休むわけにもいきません。だからそんな時以外は只々孤独に耐える生活を続けました。


 お兄ちゃんの帰りが待ち遠しい。


 そんな風に早い帰りを願う私は時計が読めないので扉とにらめっこをしていました。

 近付いてくる足音でお兄ちゃんの帰りが分かる。

 開く扉を見て一喜一憂する。

 お兄ちゃんならば嬉しい。

 他の人なら悲しいし恐ろしい。

 時々、お役所の人や児童養護施設の人、警察官が訪ねてくることがありました。

 何も答えられない私の代わりにお兄ちゃんが全て対応してくれます。


 お父さんとお母さんは何処かな? 居ないのかな?


 柔らかな物腰で話す大人たちにお兄ちゃんは「もうすぐ帰ってきます」って嘘を付く。

 帰ってこないのに、どうしてだろう。

 私は思っても口には出しませんでした。

 お兄ちゃんが数字の書かれた紙を渡してからしばらくすると大人たちは帰っていきます。

 書かれていた数字は電話番号と言うらしい。

 私にはよく分かりません。


 お兄ちゃんは帰ってくるとその日学校で習った事、起きた出来事を話してくれました。

 私はその話を聞くことが楽しみになっていきます。

 4歳にして一年生の知識を学びました。

 ひらがなにカタカナ、それと少しの漢字。

 足し算に引き算、それと歌に音楽。

 他にやることのない私はお兄ちゃんが学校へ行っている間、教えてくれたことを復習するようになりました。

 帰ってきて、答え合わせをして、頭を撫でてくれる。

 嬉しい。

 もっと勉強がしたい。

 何かを考えていると孤独による不安感、恐怖感が紛れてくれる。お兄ちゃんがいない時間が段々と苦痛に感じないようになっていきました。

 私が一年生に上がる頃、お兄ちゃんは三年生に。

 誰よりも先の知識を学ぶ私は全てのテストで満点を取りました。

 自ずと先生にも褒められます。

 嬉しいけれど、そんなことは些細な喜びでしかありません。

 家の外へ出られるようになって、私の生活はがらりと変化したのですから。

 お兄ちゃんの帰りを待つだけだったあの時とは違う。


 一緒に登校して、一緒に帰る。


 その変化が何より嬉しかった。

 家の中でも外でも、ずっと一緒。本当なら教室も一緒がいい。

 だけどそれは仕方ないことです。我慢することも私は得意だったから今更泣いたりはしません。


 それからは知識と兄の背中を追いかけ続ける生活に。


 日に一回食事を取れれば幸運だった生活が給食のおかげで確約された事象となったことも大きな変化だと思います。

 世間一般の生活からは逸れたままだけど、私たちにはそれで十分と言える幸せな出来事でした。

 今にして思えば、私が一年生になる以前の2年間、お兄ちゃんが持って帰ってきてくれていた食べ物は全て給食だったのだと分かります。

 一人分の給食を二人で分けて食べていた。

 お兄ちゃんは給食の時間、何をしていたのだろう。そんなことを考えると胸が痛みます。


 学校へ行くようになって辛かった事が一つだけあります。


 服をニ着しか持っていなかった私はその事を指摘されるようになりました。

 臭いから近寄るな、とか。

 貧乏菌が移る、とか。

 捨て子が学校へ来るな、とか。

 ちょっとしたイジメというやつです。


 辛かったけど、大丈夫です。

 それも長くは続きませんでしたから。


 理由は、上級生にお兄ちゃんが居るというそれだけです。

 お兄ちゃんが特別なにかをした訳ではありません。

 私が一言、「お兄ちゃんに言うよ」と脅しをかけたのです。

 6歳の子供が怖気付くには十分な脅し文句だったのでしょう。

 それからも奇異の目を向けられ続けましたが何かを仕掛けてくる事は無くなりました。

 オレは何もしていないとお兄ちゃんは笑うでしょうけど、私は助けられたのだと勝手に思っています。


 月に一度くらいの間隔で家を訪ねてくる母はお兄ちゃんにお金を渡しています。

 もっと幼かった頃はそれがどれほどの金額か分かりませんでしたが、この頃になると理解できるようになりました。

 一万円札が二人分。二万円というお金。

 駄菓子のお遣いに走る子供からしてみれば大金だと言えるでしょう。

 けれど私たち二人が生活していくために必要な物全てを二万円で賄わなければならないとなると話は違ってきます。

 それでも私は服を買って欲しいと言いました。

 遠慮がちに、もぞもぞしながら言ったことを覚えています。

 返事を聞くのが怖かったけれど、お兄ちゃんは笑って「明日買いに行こうか」と言ってくれました。


 結局、服は買いませんでした。

 朝早くに家を出た私たちを呼び止めた近所の人が沢山の衣類を譲ってくれたのです。


 代わりにとお兄ちゃんはファミリーレストランへ連れて行ってくれて――その日初めて、満腹になるまでご飯を食べました。


 学校へ行くようになってからは毎日が加速度的に過ぎていく。特に何があるでもなく二年生、三年生へと進級を果たす。

 幸福感に満たされる事はなくても平穏な日々。

 依然としてお腹は鳴るし、夜になると身を震わす。そんな時は話をして空腹を紛らわし、身を寄せ合って暖を取る。

 世間の普通を知らない私たちにとってはそれが普通で、何よりの平穏でした。


 だけど、そんな生活も九歳まで。

 三年生に上がってすぐ、四月の折り返し地点を過ぎた時のこと。

 唐突に私の元へと届けられた両親逝去せいきょの報。

 居たのか居なかったのか分からない幽霊のような両親だったけれど、居ても居なくても同じということはなく。

 両親が逝去したことによって私たちの生活はがらりと一変する。

 

 港町に取り残された私たちは遠方の山合い――片田舎に住む父方の祖母に引き取られることになりました。

 私たちに選ぶ権利はありませんでした、というよりも選択肢がありませんでした。

 両親の親類は祖母家庭しか存在しなかったのです。


 お別れ会をするいとまもないままに海と分かれて山暮らしに。


 祖母の家には祖母と私たち、それから叔父の四人で暮らす事になりました。

 お兄ちゃんと二人きりだった生活に、会ったこともない他人が加わる。

 祖母たちからしてみれば私たちが加わった側なのだろうけれど、私には二人が平穏を乱す邪魔者に思えてなりません。


 そして、その思いは正解だったと早々知ることになります。


 突如として始まった四人での生活は"最悪"でした。ニュアンス的な最悪ではありません。本当に、心の底から思う"最も悪い"生活になってしまったのです。


 父の弟にあたる叔父。

 その人は私たちの父に対してひどく不満を抱えていたようでした。

 母親の世話を押し付けて、単身実家を出た。

 そのせいで自分は田舎町での生活を余儀なくされた。

 そればかりか、こうして私たちを引き取る羽目になった。


 母親だけじゃない。

 二人の子供の世話すらも押し付けられた。


 嫌いな人間の子供を好きになれるはずもなく、叔父には私たち二人が忌々しい糞餓鬼に見えていたのでしょう。


 その家で暮らし始めて三日目、叔父はテレビのリモコンをお兄ちゃんに向かって投げ付けました。

 わあわあと発する暴言を私は覚えていません。

 憤慨する大人を目の当たりにして、ただただ私は怯えていました。

 出来る限り、一緒の空間を共有したくない私たちは部屋に籠もるようになりました。

 だけど、そこは叔父の家。

 私たちがどこにいようとお構いなしに自由な出入りが可能です。


 叔父には『不満の捌け口が自らノコノコやって来た』と思えていたに違いありません。

 私たちは届けられたサンドバックだったのでしょう。


 どうしてこんなことになってしまったの。


 そんな風に疑問を抱いた回数は数百を超える。或いは数千回にも及ぶでしょう。

 9歳の少女と11歳の少年、後は言いなりになるだけの老婆が一人。

 叔父の蛮行ばんこうを止めるだけの力を有する人間がこの家には存在しないのです。


 それからは叔父から受ける虐待にただ耐えるだけの生活が始まってしまいました。


 殴る蹴るは日常茶飯事。突如として罵声を浴びせられながら物が投げ付けられる。

 熱いお風呂、冷たいお風呂に沈められる、なんて事もありました。

 9歳だった私には怖くて、苦しくて、痛くて。

 抵抗できず何もかもに絶望していました。

 平穏な時間を喜ぶだけの幸せな生活に戻りたい。

 誰が私たちをこんな場所へ連れてきたのか。

 過去を願い、今を呪う。

 想像もしていなかった環境の変化。


 全身を覆い尽くす痛みをヒシヒシと感じて。

 死にたい、と。

 いっそのこと死んでしまいたい、と。

 そう考えた事も少なくありません。

 だけど死ねなかった。

 死ぬことができなかった。


 理不尽な理由を喚き散らしながら振りかざされる拳が私目掛けて降り掛かる。それはわば私が受けるはずの苦痛。

 9歳の子供が大人の狂気を目の当たりにして正気を保っていられるはずもない。かと言って何が出来るわけでもない私はただ目を食いしばって体を硬直させた。

 しかし痛みや衝撃は来なかった。

 理由ならすぐに分かる。

 それは一度や二度のことじゃないから。

 私の前に立ち塞がって叔父の拳を受けるお兄ちゃんの姿。


 あの家にいた時と何一つとして変わっていない。

 私の唯一人の味方。

 お兄ちゃんは何度だって私を守ってくれていた。

 体にできた青あざの数も十や二十の差では利かないほど理不尽な痛みから救ってくれている。

 お兄ちゃん一人を残して死ねるわけがない。


 最初は震えて泣くだけの日々。


 だけどその恐怖心は次第に消え失せていく。

 学校に通うことも、外へ出ることすらもできず半ば監禁状態での生活を強いられた私たちは一年経つ前に心が壊れてしまった。

 虐待が始まってすぐに一度だけ逃げようとした事もあったけれど、子供の足に、子供の浅い考え。すぐに捕まってしまい理不尽な暴力が増大した。


 それからは、留まることを知らず日々加虐性を高めていく蛮行に黙って耐えるだけになった。

 感情が消失していく感覚が自分でもはっきりと分かる。

 痛みが痛みじゃなくなる。息が苦しいと思えない。


 ああ、私はもうすぐで消えてなくなるんだなって。


 そんな風に受け入れるようになった。

 だけど。

 お兄ちゃんが私を守ろうとする度に、感情が少しだけ蘇る。

 私の代わりにお腹を抱えてうずくまるお兄ちゃんを見て止めどなく涙が溢れ出る。

 悲しい。

 私が痛みを負うよりも胸が、痛くて苦しい。

 もうやめて欲しい。

 私を庇って苦痛を感じる必要はない。

 そんな風に感じて、いつしか私の心は狂った方向へと進んでいく。


『感情が無くなった方が不幸にならずに済むんだよ』


 痛いと感じるから不幸になる。

 苦しいと感じるから不幸になる。

 心を壊し切ってしまえば、不幸を感じなくなる。

 不幸を感じなくなれば、それはもう不幸じゃない。

 むしろ、私は幸せになれる気さえしていた。


 次第にお兄ちゃんの私を守ろうとする行動に嫌気がさしていった。

 私のことはもう良いよって、先にお兄ちゃんが死んじゃうよって言ってるのに聞いてくれない。

 だから「もうやめろ」って叫んだ事もあった。

 叩いた事もある。


「お兄ちゃんので苦痛が続く」


 そんな風に言葉を投げつけた事もあった。

 それなのにお兄ちゃんは辞めてくれない。

 叔父からだけじゃなくて、私からも罵倒されるようになったというのに、私を守ろうとし続けた。


 ねえ。

 なんで言ってくれなかったのかな。

 悪いのは全部アイツだろって。

 俺に当たるなよって。

 苦しい時間を全部お兄ちゃんのせいにしてるのに、一度も責め立ててはくれなかった。


 学校にも行けず、外にすら出られずの二年間。どの道、解放されるとは思っていなかったからその事は別にいい。

 今更どうにかしようとは思えなかった。

 だけどそれはこの二年間で暴行以上の悲劇は生まないと信じたからこその絶望。

 殺害には及ばない。

 殺される事はないと察したからこそ生きてはいられると最低辺の希望を見出した。


 いつだったか、認知障害を患っている祖母の介抱を言い渡されて家の中を自由に歩けるようになった。それまでは外側に鍵の付いた一室に押し込められていたから、それだけで世界が広がった気がした。

 同時に、親の介抱というストレスが減った事で叔父の虐待も少なくなった。

 以来私は一度も受けていない。

 お兄ちゃんはと言えば、祖母の介抱を断ったせいで虐待を受け続けていた。


 それからは叔父の虐待を一手に引き受けるお兄ちゃんをただ見守るだけの日々に。


 手伝いさえすれば苦痛から解放されるのに馬鹿だなぁなんて事を思いながら見守っていた。

 私は散々助けられておきながら、助けようとはしない、非情で非道な人間に成り下がっていた。

 馬鹿は私の方だと気付けない救いようの無い人間。

 この時の私は人間などではなかった。

 悪魔、若しくは息をしているだけのただの獣だ。


 二人で手伝えばどうなるかなんて火を見るより明らかだったのに私は考えようともしなかった。


 お兄ちゃんはわざと差をつけてくれた。

 言うことを聞く私と、反抗するお兄ちゃん。


 お兄ちゃんの行動は全て、私を守るために行動だったというのに、最低な私は見て見ぬふりをした。

 

 三年経ったある日のこと、12歳の誕生日を迎えた私は同時に"初経"を迎えた。

 学校へ行けず教養が身に付いていない私は、滴り落ちる血液を見ても何が起きているのか理解できなかった。


「ナノカは早いんだな。大丈夫か? 気分は悪くないか?」


 そんな風に心配の言葉を掛けられる。この家は来たばかりの時とは打って変わって優しい態度を見せる叔父を少しだけ疎ましく思った。

 だけどその感情を表に出す事はしない。

 辛いだけの日々はもう嫌だ。

 二度と苦痛を味わいたくない。

 私はそう考えて、叔父に取り入るのは正しい選択だと思い込むことにした。


 間違いだらけの選択をしていると私は気付けない。


 気付けない。


 気付けない!


 馬鹿な私。


 その日からお兄ちゃんとは別の部屋を与えられた。

 綺麗な布団も用意してくれた。

 嬉しいと舞い上がる私を今の私は嫌悪する。


 初経を迎えてからの一週間はこれまでに無いほど浮かれた気分で過ごした。


 世間一般の12歳少女が送る生活とはかけ離れているというのに、それを知らないが故に幸福な気分に浸れてしまう。

 コレから何が起こるのか、それを察するだけの思考力すら失われてしまっていた。

 他の娯楽を少ししか知らない私は、祖母の世話が楽しくて仕方がなくなっていた。

 だって、叔父が褒めてくれるから。


 私は褒められる度に――――…………気分を、上気させる。


 その一週間、お兄ちゃんとは一度も話をしなかった。


 姿を見かけても目すら合わせない。


 お兄ちゃんとは関わり合いを持たないようにした。


 なんで。なんで。なんで。


 なんで、お兄ちゃんと一度も話さなかったの。


 後悔したってし足りない。


 私なんて死んじゃえば良かったんだ。


 前もって……叔父から聞いていた通り……一週間で月経は終了した……。


 その日の叔父はやたらと上機嫌で繰り返し体を触ってきた。

 気持ち悪いと感じたけれど、拒めばどうなるのか想像する事は難しくない。

 家に来てから三年間、一度も見た事がないご馳走がテーブルの上に並べられていた。


「たくさん食べてたくさん寝るんだぞ」


 そんな言葉を投げかけられた。

 食べるのはもちろんのこと、『寝る子は育つ』、お兄ちゃんに言われたこともあるその言葉を受けて、私はそのままの意味として解釈をした。

 これまでの生活で何でも思ったことを口にして、言葉そのままに振る舞ってきた叔父に対して疑うという思考はある意味で必要がなかった。

 だからその解釈自体には仕方ない部分もある。顔色を伺いながら生活してきた私だけど、この日に限って叔父を見る事はなかった。

 いつも通りに顔色を伺っていれば気が付けたかもしれないのに、目の前のご馳走に心を奪われてしまっていた。


 私は縮まった胃袋を目一杯広げるようにしてご馳走をお腹の中へと詰め込んだ。

 まだ食べ足りないと思い、繰り返し箸を進める。

 美味しい食事を食べている私と、食べられない兄。

 私は、味方だったはずの兄と自分との状況を比べて満足感、満腹感を駆り立てる。

 贅沢な食事の後は今までにない最高の気分で布団に入った。

 すぐに瞼を閉じて眠りに付く。

 睡魔は十分、気分も最高。


 だけど、棘のような何かがチクチクと胸に刺さり眠りを妨げてくる。


 それが一体なんなのか、私は考えて、すぐに答えに辿り着いた。

 お兄ちゃんに対する罪悪感。

 しかしそれは思い違いだと言い聞かせる。

 細々と食事をして寒さに震えながら眠りにつく――あの家での生活の方が間違っていたのだと。

 チクチクと胸を刺す何かが余計に鋭さを増した。


 違う。違う。

 私の行動が正解で、お兄ちゃんが間違っている。

 誰だって痛いのは嫌だ。逃げて当たり前。

 私はお兄ちゃんを見捨ててなんかいない。

 お兄ちゃんも言う事を聞けばいいだけ。

 私は、私は――――


 考えている内に意識が途絶えていた。

 だけどすぐに目が覚めた。いや、すぐにかどうかは分からない。

 どれくらい眠っていたのだろうかと瞳を動かす。

 ぼやける視界に映る暗い室内。

 日が登っていないということはまだ朝ではないのだと分かった。

 睡眠が浅かったらしい。すぐに目が覚めたという感覚はどうやら正解だったみたい。

 では何故目を覚ましたのか。


 仰向けに伏した私の上に覆い被さってきた大きな身体が視界を奪う。

 チクタクと秒針を刻む時計の音だけが室内に響く。


 何が、起きているの――そう思うのも束の間。ゾワゾワとした不快感が私の背中をよじった。

 叔父の手が胸元をまさぐっている。

 私の頬を叔父の舌が這いつくばる。

 声が出せない。

 私の身にのしかかる重みと頭上で両腕を拘束されているせいで動くこともできない。


 上着が捲り上げられて上半身が剥き出しになった。


 気持ち悪いと思う以上の恐怖が私の頭を駆け巡る。

 服の上からじゃない。素肌に触れる叔父の手が腹部を伝って段々と上にあがってくる。


 怖い、怖い、嫌だ、嫌だ。


 うまく纏まらない考えの中で私の頭の中にお兄ちゃんの姿が過ぎる。

 だけど、どの口でその名前を叫ぶのか。

 私が今までにしたこと、してあげられたことはなんだ。

 何もない。

 ただ、お兄ちゃんを蔑んだ。

 誰に頼ったとしても、お兄ちゃんにだけは助けを求められない。

 そしてこんな私を助けてくれる人間なんかこの世のどこを探しても見つからない。


 絶望して、私は抵抗を断念する。

 胸を弄る不快感を我慢するために歯を食いしばって瞼を閉じた。

 壊れてしまえばいいと思っていた私の感情は完全に元の状態へと戻ってしまっている。

 お兄ちゃんにはもうやめてとお願いしておきながら、叔父に引き上げられた事で喜びを覚えてしまった。

 馬鹿みたいに……いや、そうじゃない。

 みたいじゃなくて、馬鹿なんだ。

 私は馬鹿なことに正の感情を取り戻してしまった。そのせいで同じだけ負の感情も取り戻した。

 嫌だ。

 これなら痛い方がずっとマシ。

 嫌だ嫌だ嫌だ。

 閉じている瞼の僅かな隙間から涙が溢れ出して頬を伝う。

 

 ごめんなさい――


 溢れ出る涙と共に、私は想いをさらけ出す。


 虫がいい話だって私も思う。後で何度も何度でも、気が済むまで叩いてくれて良い――


 私の体を好きなようにしてくれていいから――


 だからお願い――


 助けて――


 お兄ちゃん――


 震える口。出て来ない言葉。

 これじゃあどうしたって伝わるわけがない。

 それでも。

 いや、それなのに。


 突如として耳をつんざく轟音が室内に響き渡る。

 開け放たれた扉が――吹き飛ばされた扉が対面の壁へと激突した。

 叔父は体を起こして振り向いた。


 部屋の入り口に立っていたのは『三代十弥みしろとおや』――私の、『三代七歌みしろなのか』のお兄ちゃん。


「誓った……オレは七歌に誓ったんだ……! 自分の身に何があろうとも七歌だけは守り通す」


 それは過去の誓い。

 我儘を言ってお兄ちゃんが学校へ行けなかった時に言ってくれた私との約束。


 必ず帰ってくる。

 七歌に何かあった時には必ず駆けつける。

 オレの身に何があったとしても、お前だけは必ず守ってやる。


 失われていた古い記憶。

 私は生涯、忘れない。

 お兄ちゃんの言葉にたった今、一生分の幸せを貰った。


「七歌、遅くなってごめんな。お前が笑っていられるように、オレ今から頑張るから。またお兄ちゃんって呼んでくれよ」


 遅くない。

 頑張る必要もない。

 放っておくこともできたのに、来てくれた。

 それだけで十分だよ。


「私の方こそ……ごめんなさい……」


 お兄ちゃんの想いにやっと追い付けた。

 叔父は立ち上がってお兄ちゃんに歩み寄って行く。


「お願い、逃げて」


 私の代わりにずっと苦痛を受け続けてきたお兄ちゃんにこれ以上はさせられない。

 次は私が守る番。

 お兄ちゃんが逃げたその後にナニを失ったとしても、私はそれを良しとできる。


 叔父は叫ぶ。

 これまでと変わらず、滅茶苦茶な怒りを喚き散らす。

 ガキが邪魔をするな、とか。

 どうやって部屋を出て来た、とか。

 扉を壊したんだから弁償しろよ、とか。

 お前らは誰のおかげで生きられてると思ってる、とか。

 他にも色々、全てを耳で追うことはできないほど早口をまくし立てて叔父は言った。


「全部……知るかよ」


 お兄ちゃんは一蹴する。

 これまでと変わらない反骨精神。

 私に矛先が向かわないように挑発をしてみせた。


「オレと七歌はこの家を出て行く。追ってくるなよ?

来るならーー」


 言葉を遮って叔父はお兄ちゃんに殴り掛かる。

 今までの三年間、抵抗はしても反抗はしてこなかったお兄ちゃんが左手で拳を受け止めた。


「「殺す」」


 遮られた言葉の続きと、憤りを口にした叔父、二人の言葉が重なる。

 お兄ちゃんの口から飛び出した予想外の言葉、それが本気であると分からせる雰囲気に気圧されて叔父はその身を硬直させる。

 14歳の少年と40歳を超える大人。

 お互いの体格も相まって力の差は歴然だと言っていい。

 それなのに、お兄ちゃんに掴まれた拳を解放できないでいる叔父は痛みに悶えるようにして膝を付いた。

 たった14歳の少年の握力に成す術を無くした。

 そして、落ちた頭目掛けてお兄ちゃんは右腕を振るう。

 頼りとなるのは月明かりのみ。

 朧げな室内に上半身を浮かせ、床に倒れる大きな身体。


 お兄ちゃんは叔父の鼻頭を撃ち抜いて一撃で気絶させてみせた。


 倒れる叔父には目もくれず、お兄ちゃんは歩み寄って来て手を差し出した。


「行こう」


 ここから去ってどこへ行くのか。

 この先、どうやって生きて行くのか。

 考えなければならない事がたくさんある。

 だけど今は、そのどれもがどうでも良いと思える。

 迷わずに手を取って私は立ち上がった。


「ありがとう……ありがとうお兄ちゃん」


 もう離さない。

 この先なにがあってもお兄ちゃんを一番に信じて生きて行く。

 この家に思い入れのある物など一つも無い。

 自分たち当ての生活保護費は既に使い込まれているしお金を持ち出すこともできない。

 深夜という事もあり外は少し肌寒い。適当な服だけ羽織ってすぐに家を飛び出した。

 不安がないと言えば嘘になる。

 だけど、お兄ちゃんが居ない生活の方がずっと不安だ。


 山々に囲まれる田舎町、最寄りの警察署へと駆け込むにも歩いていけば半日は掛かる。

 頼れる知り合いは一人もいない。


「ま、なんとかなる。心配するな」


 そんな風に言って頭を撫でる。

 込み上げてくる気持ちを私は抑えきれない。

 一時はき止められていた涙腺が再び崩壊する。

 襲われる恐怖から解放された安心感と、お兄ちゃんを罵ってきた罪悪感。

 入り混じる二つの想いが交錯して次から次に涙の粒を押し上げる。


「泣かなくて良い。ほら、覚えてるか? 向こうに住んでた時にお前のお菓子を食べちゃった事があるだろう?」


 それでチャラだとお兄ちゃんは言った。

 そんなことで釣り合いが取れるわけがない。

 この先どうなるかは分からないけど、現時点においてこれまで過去の行いから何を積まれたとしても私の悪行と相殺する事はできない。

 私の行動は一生をかけて償うべき大罪だ。


「私にできる事はなんでもする。お兄ちゃんの言う事……全部聞く……」


 だから見捨てないでと繋がれた腕を引いて私はすがった。

 

「見捨てるわけがないだろう。七歌は大切な妹だ」


 私は溢れ出る涙を止める術を知らない。

 なんて馬鹿なことをしたのか。

 お兄ちゃんはこんなにも私のことを想ってくれていたのに、どうしてその気持ちを汲み取ることが出来なかったのか。

 物心ついた時から私のそばにはお兄ちゃんだけが居てくれたというのに、何故私は背を向けてしまったのか。

 

「……どうして……」


「ん? なにが?」


「どうして来てくれたの……?」


 私は声に出していないのに、まるで何が起こっているか分かっていたみたいにお兄ちゃんは駆け付けた。


「……勘だよ……ただの勘だ」


「うそ、そんなはずない」


「言っても信じられないだろ?」


「信じる。お兄ちゃんの言う事全部信じる」


「それは重たいな。是非やめてくれ」


「いいの、信じたいの。私の今があるのは全部お兄ちゃんのおかげだから」


 私は強く言ってお兄ちゃんを見ました。

 

「……分かるんだよ……」


 観念したかのように話し始めます。


「お前が苦しいと俺も苦しくなる」


 私にも以前同じ感覚があったことを思い出しました。だけどそれは目の前にいて初めて分かる感覚です。


「お前が楽しいと俺も楽しい。ずっと一緒に居たからかな、その場に俺が居なくても七歌の感じている喜怒哀楽が伝わってくる」


 以前、こんなことがありました。

 学校でイジメられていた時、その帰り道で「今日学校で嫌なことがあったか?」そんな風に問い掛けられました。

 私は吃驚びっくりして慌てて隠しましたが、お兄ちゃんには筒抜けだったみたいです。


「今日のは……そうだなぁ」


 普段よりも強く感情が伝わってきたとお兄ちゃんは言いました。

 私が泣いていると分かったそうです。


「寝ていたけど、今までに感じたそれとはわけが違う痛みが胸に走って、オレはすぐに飛び起きた」


 まさか、あんなことが起こっているとは思わなかったとお兄ちゃんは笑います。


「って、笑い事じゃないよな」


「ううん。笑ってくれたらいい。お兄ちゃんが楽しいと私も楽しい」


 私もお兄ちゃんと同じ感覚を身に着けたい。お兄ちゃんがピンチの時に必ず駆け付ける。

 そんなヒーローのような存在に――


「お兄ちゃんは私のヒーロー?」


「は? お兄ちゃんは七歌のお兄ちゃんだろ?」


 その言葉はとても心地良い響きでした。

 ヒーローよりもずっと良い。


「うん、十弥は七歌の……七歌だけのお兄ちゃん」


 誰も彼もを助け出す。

 そんな世界中が憧れる存在は私には不要です。

 どこに居ようとも駆け付けてくれる、唯一人の味方が隣に居る。

 あぁ、コレが幸せなんだ。

 やっと取り戻した。


「ねえ、お兄ちゃん――?」


 顔を持ち上げて私はお兄ちゃんの顔を見ました。


「……どうしたの?」


 先ほどとは打って変わって真剣な表情を浮かべていました。

 ゆっくりと振り向くお兄ちゃんに合わせて私も後ろに振り向きます。


「■■■■■! ■■■■■! ■■■■■!」


 物騒な言葉を繰り返し叫ぶ叔父の姿がありました。

 そして、その手には月光を浴びて艶めく刃物が握られていました。


「七歌、逃げろ」


 端的に告げられたはずなのに私には何を言っているのか分かりませんでした。

 だけどそれも一瞬。

「俺を置いて」という文言が抜け落ちている事にまで理解が及びます。


「やだよ! お兄ちゃんだけを置いて行けない!」


「ああ、言い方が悪かったかな。必ず追い付くから先に行っててくれ」


「そんなの何も変わらないよ! お兄ちゃんはどの道ここに残るって事じゃない! ねえ、それなら一緒に逃げようよ!」


 私は足が遅い。一緒に逃げたとしたら、以前逃げ出した時と同じ結末を辿るだけ。

 しかも今回は、追ってくる目的が違う。

 連れ戻されず、その場で殺されてしまう。


「なぁ、聞いてくれ」


 やだよ、聞かない。


「オレは自分以上にお前のことが大切なんだ」


 だから聞かないってば。


「お前がここから逃げて、何処かで笑っていてくれれば俺の人生、それだけで報われる」


 いいから。

 そんな話は聞きたくない。

 だってそうでしょう、それじゃあ別れ話みたいだよ。


「どこでもいい。朝になったら扉を叩け。俺たちは恵まれなかったけど、この世界には親切な人たちが沢山いるはずだ」


 なんでそんなことが分かるの。

 お兄ちゃんだって知らないでしょう。


「だから、きっと助けてくれる」


 お兄ちゃんが一緒に来てよ。

 そして、いつもみたいに私を助けてよ。

 腕にしがみついて離れない私の拘束を強引に振り解いたお兄ちゃんは私を睨み付ける。


「……俺に頼るな」


 冷たい声を投げ掛けられて私の体は硬直しました。


「手の掛かる妹には嫌気が差していた」


 胸が、心が、ひどく痛い。


「……行け!」


 馬鹿だ。

 お兄ちゃんも大馬鹿だ。

 そんな嘘で私を騙せると思ってる。

 だけど私は騙されたふりをするの。

 お兄ちゃんに嫌われたくは無いから。


 思い返せば逃げるだけの人生。

 孤独から逃げて、痛みから逃げて、最後にはお兄ちゃんからも逃げていく。

 馬鹿な私にはお似合いの人生だった。

 もうこんな人間、私みたいな最低な人間に生きている価値を見出だせないよ。


 一時は枯れていた涙が再び涙腺を叩く。


 了承を告げてもいないのに勝手に溢れ始めた。

 五分と満たない疾走。

 それでも随分と離れられたと思う。

 どのくらい離れれば良いのか、私に安全圏は掴めない。

 もっと離れた方がいいのか、身を隠すのが正解か、だけど――待ってよ。

 私は本当はどうしたいの。

 行けと言われて、走るだけ。

 逃げろと言われて逃げるだけ。

 もう止めよう。

 お兄ちゃんが死ぬのなら私の人生もそれまででいい。


 ピタリと足を止めて来た道を引き返す。

 

 次の人生ではきっと上手に生きる。

 お兄ちゃん一人に頼らない、私も頑張る人生。

 次もお兄ちゃんの妹として産まれて来られるかは分からないけど、1%くらいなら期待してもいいよね。

 無償の愛情じゃない。

 本気の愛情を受けるために。

 私なしでは生きられない、そんな立派な人間にきっとなる。


 帰り着いた畦道あぜみち

 立っている人間は居ない。

 後を追ってくるって言ったのに、やっぱり嘘だった。

 追ってきてたなら途中で出会うでしょ。

 どこに居るの。

 どこに行ったの。

 お兄ちゃん――


 踏みしめた足に感じる僅かな水分。暗い、暗い畦道に水溜まりが出来ている。

 それが何なのか、私はすぐに理解した。


「お兄ちゃん!」


 溢れ出る血液がお兄ちゃんの全身を覆い隠す。

 私は構わずにその身を持ち上げた。

 手のひらに感じる血液の感触、ひどく衰弱した兄の身体は僅かに冷たくなっていた。

 お兄ちゃんとひたすらに叫ぶ。

 私にはただ繰り返し叫ぶ事しかできなかった。


「……な、のか……」


「お兄ちゃん!」


「……さ、きは……わ、い」


 さっきは悪い、だよね、分かるよ。


「こ、ころ……ない、こと……いた」


 心にも無いことを言った。

 だよね、うん。伝わってるよ。


「いいの、悪いのは私だから。全部私が言わせちゃったの」


「なの……か……」


「なに? お兄ちゃん」


 出来る限り優しく、にこりと笑顔を浮かべて私は言う。

 本当はくしゃくしゃになっていたかもしれないけど、暗いから分からないよね。


「ず……いっ……て、たか……」


 ずっと一緒に居てやりたかったけど。


「お、に……ん、もお……だ……みた……」


 お兄ちゃんもうダメみたいだ。


「わうい」


 悪い。

 これまでの人生、何一つとして悪いことをしてこなかったお兄ちゃんのその言葉に私の心は崩壊する。

 返さなくちゃいけない言葉がたくさんあるのに、喉から先へと出てこない。

 私の方こそごめんなさい。

 お兄ちゃんは精一杯頑張ったんだからもう休んで。

 溢れ出てくるのは涙の粒と嗚咽だけ。

 言わなくちゃ、私もお兄ちゃんに言わなくちゃいけないのに――


「なの……か……」


 名前を呼ばれて私はお兄ちゃんを見る。

 お兄ちゃんの震える手が私の手のひらに重なった。


「いま……まで……あい、が……」


「私の方こそだよ! お兄ちゃん、お兄ちゃん! ありがとう……」


「だい……す、きだ……」


 手のひらから零れ落ちるようにしてお兄ちゃんの手が離れていく。

 なんで。

 なんでお兄ちゃんが死ななければいけないの。


「……うぅ……うぅっ」


 嫌だ。

 嫌なことばかりだったけど、これが一番嫌だ。

 お願い。

 誰か、お兄ちゃんを助けて。


 人一人として通らない田舎の畦道。

 そこには虫の鳴き声と人の泣き声だけが響き渡る。


 お願いします、神様。

 私のお兄ちゃんを返してください。


「ねえ……お兄ちゃん」


 彼の世には連れて行かないで。


「私も大好きだったよ」


 もし、それでも連れて行くなら。


「お兄ちゃんはきっと怒るだろうけど――そっちでまた一緒に暮らそうよ」


 私も一緒に――連れて行って。


 大量の血液が抜けて少しだけ軽くなったお兄ちゃんの体は案外運ぶのに苦労しなかった。

 一度しか外へ出たことはないから村の地理をきちんと把握できていない。

 それでも歩いていればきっと見つかるよね。

 畦道の端に叔父の体が転がっている。

 どうやらお兄ちゃんは返り討ちにしたらしい。

 流石だね。

 一生そこで這いつくばって居ればいいよ。

 片田舎の片隅、何の変哲もない畦道は叔父にはお似合いのお墓かな。


「ねえ、お兄ちゃん。飛んでいけるならどこに行きたい?」


 え、俺かぁ。ここじゃない何処かなら何処でもいいよ。


「そう言うと思った。私はなんて言うと思う?」


 俺と行けるなら何処へでも、だろ?


「さすがは私のお兄ちゃん。よく分かってるね」


 それじゃあ一緒に行こうか。


「うん、お兄ちゃんと一緒なら怖くないよ」


 辿り着いた終着地。

兎掛橋とかけばし』と表記された看板を過ぎて橋の上へ。

 お兄ちゃんを抱えたまま私はそこから飛び降りた。


 行けるかな、こことは違う何処か、遠くに。

 きっと行けるさ、十弥オレ七歌オマエになら。

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