テリヴル山岳地帯1


 テリヴル山岳地帯。

 不揃いに隆起する大地の波堤はてい。それら山の足影を覆い隠す針葉樹の大海原。

 全貌ぜんぼうとは言えないまでも、広大な山積群さんせきぐんを一望できる高地へと到達する。


 流石はアクリスティードというべきか。エストレア王国内において最速の馬は、その名に恥じない働きを見せた。

 俺たちの住む王都ハスファルク東三番街から東南東へ進むこと凡そ二時間。テリブル山岳地帯までの距離、およそ一三〇キロメートルを休むことなく走り抜けた。


「アクリスティードが誇るのはなにも、速度だけじゃない。むしろ、全速力を維持する持久力にこそ、称賛を送るべきだ」


 鼻高々にデイネスは言う。


「ああ、よく分かったよ。アクアたちよりも先に俺のお尻が限界を迎えるところだった」


 アクアの背から腰を上げて、ヒリヒリと痺れるお尻を摩る。

 二時間も揺れる馬の背に跨がっていれば尻が痛むのも当然であるように思うが、「ははっ」と、デイネスは喉を鳴らして。


「トーヤもまだまだ修練が足りてねえな。この子らは後一時間は走り続けられるぞ?」


 そんなことを言う。

 お尻の修練不足についてはともかく、アクアたちの走力についてはーー


「嘘だろ……」


 驚愕する以外に余地がない。


「トップスピードで三時間、か……アクアたちの体の中はいったいどうなってるんだよ……」


「筋持久力はこの子らの訓練の賜物だな」


「筋持久力は?」


「ああ。筋持久力は、だな。体力に関しては、この子たちの体構造が他の馬とは少し違う点にある――いや」


 少しじゃないかーーそんな風に訂正しながらデイネスはアクリスのたてがみに指を通した。

 倣うようにして、跨がるアクアに視線を落とす。

 二匹の馬を見るに、どちらも息が切れている様子はない。それどころか――まだまだ走り足りないと、もどかしそうにしている印象すら受けてとれる。

 ふむ。

 この子たちは体だけでなく走ることに対する心の持ちようも、どうやら他とは違うみたいだな。


 しかしまあ、それについては今更か。

 なにせアクアたちは食事や睡眠を除くすべての時間を走ることに費やしている。産まれて半時、四足で立ち上がってからずっと、走ることが好きで好きでたまらないって感じだったし、今はアクア達の気持ちより体の構造の方が気になる。

 他の馬とは体の構造が異なっている、か。


「具体的にはどこが違う?」


「通常、この子たちは鼻で呼吸をするわけなんだが、疾走を開始すると目頭の間に空気を"吐き出すためだけ"の呼吸器官を開く」


 吐鼻孔はきびこう、と呼ぶらしい。

 吐くための呼吸器官だから、そのまま吐鼻孔か。分かりやすくていい。

 吐鼻孔は一つ。顔の先端に鼻孔は二つ。合わせて三つの鼻の穴。

 それらを吸うためと吐くため専用に使い分けを行い、換気能力を向上させている。


「しかしそれだけ換気を良くしても、次は心肺の方が呼吸量に対して処理しきれず過換気による異常をきたしてしまうわけだ」


 過呼吸による過換気症候群。人間にも起こり得る至極身近な病だ。

 予後は良好で回復にはそう時間を要さない病だけれど、それは『安静にしていれば』という大前提があってこそだ。

 走行中に発症してしまえば、命取りにもなり得る。


「えーっと、それじゃあどうして走り続けられる?」


「肺が四つあるんだよ」


 四室肺ししつはい構造――体向きを基準として、上右肺うわみぎはい上左肺うわひだりはい下右肺したみぎはい下左肺したひだりはいが存在し、四つの肺がそれぞれに前後二葉を有している。

 通常馬は右と左の二つ。

 しかし、アクリスティードは四つ。

 単純に考えて、倍の効率で換気活動を行える。

 だから通常の馬とは区別され、希蹄目きていもくから四肺亜目しはいあもくに分岐してランク付けされているようだ。


 さらにさらに、と。

 物売りの商売口上を彷彿とさせる語り口で、デイネスは補足する。


「心拍の加速に耐えるだけの頑丈な心臓。それに伴って加速する血流を最大効率で循環させる血管の柔軟性。腎臓の上端に位置する副腎とは異なり、血中の酸とアルカリの配分を徹底的に維持するために備わった下副腎したふくじん。そして、走行中のエネルギー枯渇を防ぐために余剰摂取された食料の溜め込みを行う蓄袋ちくぶくろという器官が胃袋の横に併合している」


 つまるところ、四室肺の他にも心臓や血管が他の種より強く、下副腎と蓄袋という特殊な器官が存在する――という話。


「――それらアクリスティード特有の体組織が三時間に及ぶ疾走を可能としているわけだな」

 

「確かに、それだけ違えば少しじゃないか」


 むしろ、外見だけが馬を模した完全に別の生物だと言っても過言じゃない……、というか、実際に別種としてランク付けされているのか。


「ついでに言っておくと、アクリスティードは魔獣群モンスターに分類されている」


 人間の生活を基準として区分される野獣群アニマル猛獣群ビースト怪獣群クリーチャーとは違う。

 人間を筆頭として区分される生物郡――それが、魔獣郡モンスター。類する理由は、魔素を使用するという一点のみ。

 現在において確認されている魔獣は一〇〇種ほどしか居ないという話を聞いたことがある。

 その一種がアクリスティードだったとは。


「どうやって……」


 おっと。

 どうやって、という理由なら、ちょうど学校で教わったところだろう。ローレン先生の教えを無駄にしてしまうところだった。

 けふんっけふんっ、と息を整えて。


「どうやって、じゃなくて……どういう用途で、魔素を使ってるんだ?」


「ここまで乗ってきて、振り落とされそうになったか?」


「んー……まったく記憶にないな」


「この子たちが抗力を軽減してくれているからな、それもそのはず」


 こうりょくを軽減。

 効力を軽減? なんの効力だろう。

 うん、分からん。


「……悪い、俺は頭が悪いから理解できない」


「空気抵抗を和らげるために、魔素を先行させて進行方向へ空気の流れを操作しているんだよ」


 効果力じゃなくて 抵抗力な、と。デイネスは付け足した。

 俺の勘違いを悟って正してくれたようだ。


「えーっと……つまりは、追い風を起こしているってことか?」


「風を起こすほどの力は無いからなぁ。どちらかと言えば、空気を掻き分けているといった方が近いかな」


「掻き分け……掻き分け、か。なるほど……理解してみる」


 掻き分ける物といえば、なんだろう。やっぱり草むらかな。

 置き換えて、考えてみる。

 背丈ほどの草むらを突き進む場合、俺だったら足よりも先に手で草を退かすだろう。草という障害から我が身を守るために手を使うわけだ。

 それと同じ要領で、アクアたちは魔素を使って空気を退かしている、と言えるのかな。しかし進行方向に空気を流すアクアたちと違って、草の場合は左右に退かことになる……。

 ああ、そうか。

 魔素を先行させるって言っていたし、草むらを掻き分けて進んだ人の後ろをついて行く感覚の方が近い。

 先行して草を掻き分けてくれる人がいれば、後を進む俺たちの前には障害が無くなる。

 故に、足を取られることも、身を押されることもなく、安全で快適に進んで来られた――ということかな?

 うん……、今はそういうことにしておこう。


「しかし凄いな」


「ん、なにが?」


 惚けたようにデイネスは首を傾けた。

 

「なにがって……アクアたちだよ。この子たちは全速力で走りながらに魔素を操ってるんだろ?」


 目を丸くしてコチラを見ている。何かおかしな事を言ってしまったのだろうか。

 いやいや、普通のことを言ったはずだ。

 だって凄いだろう? 走りながらに魔素を操っているんだ。魔素を操るということはすなわち、思考を働かせるということ。

 全力運動中に他事を考えるというのは想像以上に難しい。至難のわざというやつだ。


「今日……」ぼそり、呟いてから「学校で何を習ったんだ?」と、デイネスは続けた。


「……魔素についてとその活用法……」


「じゃあ、魔素の性質についてはもう聞いたわけだ」


「聞いたけど……」


 ああ。

 そういうこと。

 又してもローレン先生の教えを無駄にするところだった。


「魔素がアクアたちの意思を汲み取って動いてくれているんだな。勝手、気のままに」


「そういうことだ」


 なるほどなぁ。

 微発念波びはつねんぱを受けて活性化した魔素に徴発念波ちょうはつねんぱさえ届けば、体外神経が宿り操作可能になる。だからと言って、神経の通いを自覚する必要はない。

 魔素ってのはどどのつまり、受け取る有想波動に合わせて動いてくれる自由意思の体現物質だ。

 脳があり、意思を持つアクリスティードが使ったとてなにも不思議はない――いや、不思議はあるか。

 魔素や念波という存在自体が不思議ではあるのだけれど、今はいい。

 そこにどれだけ疑問を浮かべようとも、埒が明かない。事実として魔素を操作できちゃってるからな。

 在り物は在り物として、存分に使うべきだ。


「どうかしたのか?」


 ちょうどいいタイミングで、質問が飛んできたからな。差し当たり、目前に迫る疑問を先に解消しておこう。


「……ふと、思ったんだけどさ。魔素は全ての生物の意思に反応を示すわけだから……魔素を扱う生物であるところの魔獣群モンスターもまた、全生物が対象ってことにならないか?」


「それに関しては、魔素を認識しているつ、意識的に使用している生物が魔獣群モンスターに分類されている」


 例えば、と。デイネスは言って。


「普通の馬は魔素の存在を知らないから、空気が邪魔だと思ったところで、邪魔だと思うだけだ。そういうものだと思い込んでしまう。目前に障害があったとしても自分でどうにかできなければ、その時点で諦める」


 確かに。

 障害に対して、煩わしいと思うくらいが関の山か。

 しかもそれが空気とあっては尚のこと。どうにかしようにも視認できなくてはどうもしようがない。

 納得を示す俺を他所にデイネスは重ねて、「仮に」と前置きをする。


「――空気という障害をどうにか出来ないかと思考する個体が居たとして……魔素が意思に従って働き、障害を排除できてしまっても、それは偶然の産物と言える。なぜなら、馬自身がそのことに気付けないからだ」


 それも、確かに。

 疾走中、顔に当たる空気の壁が、突然として追い風に変わり背中を押したとしても、魔素を知らない生物では自分の意思による影響とは気が付けないか。

 走るのが楽になった程度の認識――もしかすると、そんなことすら思わないかもしれない。何も思えないかもしれない。


 しかしアクリスティードは違う、とデイネスは強く言って。


「魔素を魔素として、正しく性質を認識できているかどうか分からないが……アクリスとアクアは、自分の意思に応じて流動する物質の存在を確かに認識できている。だから、この子たちは空気という障害を前へと推し進めようとする思考を常に働かせているんだよ」


 しかも、それは疾走する自分たちの為だけではなく、騎乗する俺たちが落ちないように配慮もしているとデイネスは付け足した。

 どうしてそれが分かるのかと言えば、操作範囲が騎乗する人間の頭上に揃えられているということと、合わせてもう一つ、魔素の流動方向が大地に対して平行よりやや下向きだということ。

 時速およそ七〇キロメートルで走行する馬の上。頭一つ高く位置取る俺たちが落馬してしまわないように、空気を斜めに流動させて抗力と揚力を軽減してくれている。

 主人を落とさんとする魔素の使用方法。

 なんと愛おしい心遣いか。

 込み上げてくる想いに応じて――


「あくあぁ!」


 猫撫で声ならぬ馬撫で声で首元にしがみつく。

 騎乗したまま抱き締めると首を締め付けてしまうというにも関わらず、頬ずりをしたいという衝動に刈られてしまった。

 束の間も置かずして、「ブルルッ」そんな風に鼻を鳴らして嬉しそうに言葉を返してくれる。

 そこがまた愛おしい。

 もしかすると餌のおねだり、なんて可能性もあるけれど――俺には分かる。

 これは嬉しい時に出す声に違いない。


「現時点において――」


 じゃれ合いを続ける俺たちの耳にデイネスの声が届いて意識を引き戻す。


「ギルドが確認している魔獣群モンスターおよそ一〇〇種の内、空気の流動方向を操作している生物は八種だけだ」


「……八種か。多いのか少ないのか分からないな」


 内訳としては陸上動物が七種、海洋生物が一種。

 陸上動物の中でも飛行生物を除けば、たったの三種しか存在しないらしい。

 三種というのも。


「アクリスティード、カミエト、それから人間だな」


 なるほど、人間が含まれるのは納得だ。

 内、二種がこの場に揃っている。


「カミエトっていうのは何者なんだ?」


「気になるか?」


「まあ、それなりに」


「動物界最速の魔獣だよ」


「動物界、最速?」


「ああ。全生命体の中で至上最速って言えば分かりやすいか?」


 ゴクリ、と。唾を呑み込む。

 陸上に限定しない、全生物の中で最速。


「飛行生物以上の速度を地に足つけながら達成してしまう……そんな生物がいるのか……」


「厳密に言うと半飛行生物だけどな」


「半飛行生物……ど、どゆこと?」


「本気で跳躍をした際の一歩幅が数キロメートルに達する。それは言うなれば低空で飛行していると言えるだろ?」


「一歩幅が数キロ!? 縦に!? 横に!?」


「横だよ。低空飛行だって今言ったばかりだぞ」


「ああ、そうだった。横って事は……えっと、なんだ。そいつは超巨大だったり?」


「デカいっちゃあ、デカい。だけど超巨大とは言えないな」


 一歩で数キロ進む超巨大生物が存在したならば知らないはずもないか。

 跳躍とも言っていたし、飛翔とか浮遊して移動するわけではない。

 

「ちなみに、どのくらいの速度なんだ?」


「時速にして一二〇〇キロメートルだと言われてるな」


 時速一二〇〇キロメートル以上。

 最大時速一〇〇キロメートルで走るアクリスティードが可愛く思えるな。

 速すぎて上手くイメージが出来ない。

 音速ってどのくらいだっけか。

 それにしても、というか――その前に。


「言われてる、なんて……随分曖昧なんだな?」


「カミエトに関して曖昧な情報はなにも速度だけじゃないぞ? 観測データが極端に少ないからな」


「それはまたどうして?」


「目撃したその時には捕食されてしまうってのが通説だ」


 速いというだけで危険極まりないってのに、肉食なのかよ。


「捕獲しようと試みた者も居るらしいが、音と同等若しくはそれ以上の速度で移動するソイツを捕まえられる人間なんか居やしない。定まった生息地さえ割り出せていれば知識で対抗もできるってもんだが、それこそ風のように世界中を駆け回っているとされているから、現状、為す術がない状況だ」


「……危険なことは良く分かった。だとしたら……その、カミエトの速度はどうやって測定したんだ?」


「言ったろ? 音と同等若しくはそれ以上の速度だ、って」


「…………」


「なるほど、分かってねえんだな?」


「はい。無学であることを大変恥ずかしく思っております」


「気圧や気温による影響の差はこの際無しにして、音速とは秒速三四〇メートル。時速換算一二二四キロメートル。大気中を進む物体がこの速度を超えて進行し続けた際には衝撃波が発生する。そして、その衝撃波が生み出す大音響をソニックブームと呼ぶ」


 と。

 俺にとっては何やら難しい説明をしてから。


「カミエトを観測したことのあるフィンネルの生物学者の話によると――」


 フィンネルって言ったらエストレア王国の南西に面する大国の一つだったかな。


「その生物学者は、熱帯地域に生息する動物たちの研究のためフィンネル西部に広がるブリスサバンナに足を運んだ。その日の天気は雲一つない快晴。気温は特別高くもなく、動物たちを観測するには絶好と言える環境だった」


 ブリスサバンナは、そもそもの降雨量が少ない年中乾季に包まれた地域である。晴天であることは珍しくもない。

 しかし、その日は違ったとデイネスは続けた。


「普段であれば、そこかしこで見つけられた動物たちの姿がさっぱり見当たらなかった。だが、学者は多少状況に違和感を感じたまま、そんなこともあるだろう、程度に理解をしてブリスサバンナを進んでいく」


 チラホラと現れる動物たちを発見しては記録を取っていった。しかしというか、やはりというか、学者は次第に怪訝けげんさを深めた。

 四時間ほど、ブリスサバンナを回ったが小型の動物しか発見できなかったからである。


「そして、低木がまばらに生えるだけの開けた場所で乗ってきた馬の足を休ませていると、突如として――自身の前方の地面が爆発した。その直後に、耳をつんざく大音響が周辺一帯に轟いたそうだ」


 爆発音とは違う、重低音が鼓膜を叩いた。

 そして、爆発があったその場所には学者が乗ってきた馬が居た。足を休めながらに草を食べていた自身の愛馬が居たはずなのに――消えていた。


「その場所には直径一○メートルほどの大地の凹みを確認したそうだ。一掬ひとすくいに削り取ったかのような大きな凹みを――」


 地面ごと、馬を消し去ってしまった、何か。

 それを確認するために凹みを調査したという。


「抉れた大地の形状から、初めは隕石、若しくは落雷を疑ったそうだが、隕石であれ、落雷であれ、大地を凹ませる威力で衝突すれば、必ず痕跡が残る。どちらにも共通することで例えるなら、焼け焦げたような臭いや跡だな。しかし、それら痕跡は何一つとして残っていない。残っていたものといえば、切り裂かれた様な爪痕と白色の体毛と思しき物だけだったそうだ」


 愛馬の追悼もそこそこに、急ぎ帰還して、その体毛らしき物体を分析してみると、それは間違いなく生物の体毛であると判明する。

 しかし同時に、現在確認できている生物のどれとも一致しないことも合わせて判明した。


 目にも止まらなかったその生物。

 大音響を響かせた謎の生物。

 それが何であったのか、知りたいと思うのが生物学者のさがである。


「学者はすぐに、大々的に発表した――蹴り上げる一歩で大地を陥没させ、ソニックブームを起こすほどの速度で移動をする未確認の生命体が存在する、ってな」


 フィンネルに留めず、世界中に発信して情報の提供を訴えたそうだ。


「大地に近付けば近付くほど音の伝達条件は複雑化する。本当にソニックブームが発生したのかどうか正確には分からなかったが、その真偽も含めて判明させるために、ギルド全面協力のもと白色の体毛を持つ生物の捜索を開始した」


 目撃情報は度々寄せられた。

 眉唾の情報であろうとも、なりふり構わず飛び付いて調査、捜索を続けた。しかしどれもこれもが不発に終わる。

 そりゃあそうだ。本当に時速一二〇〇キロメートルで移動しているとしたら、目撃情報を受け取ってから現場に赴いても遅すぎる。定まった生息地が無いのだから尚の事。それでも、現場に足を運ぶのは新たな情報を得るためだ。

 そうして調査を繰り返し、少しずつ少しずつ情報量を増やしていく。コレまでの目撃地点から次回の出現場所――狩り場に予測を付けて事前に人員を配置する。

 二年に渡る捜索で、ついに食事の瞬間を観測した。

 しかし一瞬。

 対象の全貌を捕捉するには至らなかった。


「二年で一瞬目撃するのがやっと。それでも学者たちは大いに喜んだ。なぜなら対象の存在を確信したのだから」


 ただし、ギルドの生物認定を受けるには詳細情報が必要となる。

 次の目的は静止状態にある対象の捕捉。

 学者は、成体は動き回るために観測不可と断定して、コレまでの情報から大凡の活動範囲、そこから住処の予測を立てる。

 そして、捜索対象を幼体――それも産後まもなくの個体に切り替えた。

 食事の観測からさらに三年。調査開始から五年に渡る時を経て、ついに静止状態にある対象と思わしき生物を発見した。


「白色の毛皮に覆われた巨大な猫型の生物だったらしい」


 目算にして、八〇〇〜一〇〇〇センチメートルほど。

 ネコ科に属する生物のどれとも一致しないと一目で分かる圧倒的な体格。

 傍らには一メートル程の子供たちが二匹。

 目的は幼体の調査だったが、成体の観測に成功した。


「いや、現場に居合わせた者たちからしてみれば失敗だっただろう」


 その場には三〇人の捜査隊、一〇〇人の捕獲部隊――合わせて一三〇人の人間が居たらしい。

 学者はその場には居なかった。

 だからこそ、捕獲部隊は自分たちの役目を果たすために武器を構えた――。

 何をするでもなく一〇メートルの巨体。一目散に逃げ出すのが本当だろうに、血迷ったのか、武器を構えて殺意を向けてしまった。

 子供を守らんとする親の怒りたるや推して量る術はない。


「現場は……凄惨の一言に尽きる」


 結局、捕獲部隊がそれぞれに構えた剣は振り上げる事すら叶わず、自分たちの鮮血だけを辺り一面に撒き散らした。


「生きて帰れたのは二人のみ。帰還した捜査隊の二人はどちらも憔悴しきっていた」


 奇跡的に生き残った二人の捜索隊員。

 どちらも、口を聞けぬ程に憔悴してしまっていたらしい。

 しかし、生物学者やギルドは何としても聞かねばならなかった。今までの、五年間の調査を無為にしないために――湧き上がる好奇の心を抑えながら、二人の回復を待つ。


 一週間後、十分とは言えないまでも、口を聞けるほどには回復した捜査隊の二人に、どれほどの生物だったのか、と皆は口々に問いかけた。


「返ってきた言葉は『目を閉じて、再び開いたその時には周りから人が消えていた』だ」


 戦闘による憔悴ではない。戦闘にすらならず、一二八人の仲間を"瞬き"をしている間に失ってしまった無念さに立ち尽くし、打ち拉がれていた。


「だとすると、どうしてその二人は助かった……?」


「さあな……まあ俺が思うに、猫は気まぐれって言うだろう? 恐らくはそんなところだ」


 気まぐれによって、一二八人は死に至り――気まぐれによって、二人は生かされた。

 ギルドは隊員たちの死を無駄にはしまいとして、最大限に警戒をして調査を再開させた。

 対象は魔素に対する認識が深く、魔力として使用するようで、薄く張った魔力を体前に展開して空気を切り裂くように進んでいることが分かり、合わせて、大地を蹴り上げる瞬間には着地点を意図的にバーストさせて超加速をしていることが分かった。そして、実際にソニックブームが発生していることも現在においては判明しているらしい。


「ギルドは正式に暫定危険度11の魔獣と認定し、その生物を音速にすら匹敵する神速猫しんそくびょう、カミエトと名付けた」


 カミエト――神速猫しんそくびょう、カミエト。

 危険度11。

 それは生態系を破壊しかねない規模の自然災害にも匹敵するという危険指数。

 捕獲、討伐ともに不可を意味し、出会ったら逃げるしか助かる手立てがないとされている。

 初期設定で災害クラスに認定された生物が存在するとは知らなかった。


「まあ、カミエトに比べたらコレから討伐する事になる相手は大したことないよ」


 だから安心しろ、と。デイネスは言う。

 そうだ。

 俺たちは危険指定生物の討伐に向かっているところだった。

 カミエトには到底及ばないにしろ。


「……用心するに越したことはない、だろ?」


「ふっ。その通りだ」

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