アトラストーリー

花々瀬 大和

プロローグ

朝を迎えて1


 アクリスタという姓を得てから、早いもので三年の月日が経とうとしている。

 正確には1087日が経過した。三年1095日が経過するのは後一週間ほど先の話だから先走り過ぎたかもしれないけれど、まあ、それは誤差の範囲だろう。


 ともかく。

 俺は姓を得てから決して短くない時を過ごして来た。それにも関わらず、未だ自身の姓に馴染めないでいる。


 トーヤ・アクリスタ。


 なんだろう。どうにも違和感を拭えないーーとか。そんなことを考えていると自室の扉が叩かれた。


 ここんこんここっこん。こん。


 来訪を告げる音にしては妙にリズミカル。それと妙な耳馴染みの良さを覚えた。

 赤色の帽子と服、それから青色のオーバーオールに身を包む髭ダンディな男性が脳裏をよぎる。

 キノコを食べて体積が増加、縦にも横にも大きくなったその男は余裕綽々といった具合に崖を飛び越える。凄まじいまでの度胸と跳躍力、加えて岩をも砕く石頭。もしかすると硬いのは帽子なのかもしれないけれど。

 一体何者なのか。


「あれ? 起きてるなら返事くらいしてよ」


 扉を叩いた張本人が、ひょこりと顔を覗かせた。


「悪い悪い。誰かさんのせいで見ず知らずのおっさんの事を考えさせられていた」


「なにそれ、怖いね」


「怖くはないけども、朝っぱらから濃いめのおじさんを想像させられちゃあ不快感は拭えねえな。さっきのノックは何なんだよ」


「覚えてない?」


 そう聞かれるということは、どこかで聞いたことのあるリズムだったのか。

 なるほど。それならば耳馴染みの良さにも頷けるというもの。

 少しだけ考える、がーー。


「記憶の片隅にもございませんでした」


「そっか」


 彼女の表情に少しだけ影が落ちる。


「……悪いな」


 彼女は「ううん」と首を横に振ってベッドに座る俺の対面へと椅子を用意した。

 着席してから彼女は言う。


「それじゃあ始めるよ」


 それは定期検診開始の合図。

 だいたいニ○○回目くらいである。

 まずは問診。


「名前を教えて?」


 一問一答の簡単な質問。まずは自分の名前を答えるだけ。


「トーヤ」


 正答の知らせはない。


「ラストネームは?」


 俺の答えに問題点がなかった事で二問目へと進む。コレが正答の知らせだと言えるか。


「アクリスタ」


 なんてことはない。今回も自分の名前を言うだけである。


「私のフルネームを言ってみて?」


 知らないと答えてしまいたい悪戯心をグッと堪えて口を開く。


「ナノカ・アクリスタ」


 次の質問は『俺たちの関係』について。二〇〇回も同じ経験をすれば嫌でも覚えてしまう。


「私たちの関係は?」


 ほら。思った通りだった。

 時々、質問内容が変化することもあるけれど大きく逸れた事は一度もない。些細な変化を見せたところでそれすら読める。


「兄妹」


 俺とナノカは兄妹である。しかしながらナノカには不満があったようで。


「具体的に」


 正確性を求められた。

 まったく、細かい奴め。


「俺が兄で、ナノカが妹。他には兄も姉も弟も妹も存在しない、俺たちだけで二人兄妹」


 さらなる深掘りがあるかもと気負ったけれど不要だったようで、頷く妹を見て肩の荷を下ろす。

 例えば、歳の差を聞かれたら「二歳」と答える準備があった。年齢を詰められれば「17と15」と答えただろう。

 しかしまあ、満足してくれたならコチラに問題はない。不発の答えは捨てて次の質問へ。


「ここはどこ?」


「俺たちの家」


「住所は言える?」


 住所の問い。

 優しい口調のおかげで薄れているけれど、これじゃあまるで職務質問みたいだ。悪いことは一切していないのに衛兵を前にした時のような緊張感がある。

 ここはエストレア王国。

 だけど国名は省略してもいいだろう。


「王都ハスファルク、東三番街、中央街道西一〇イチマル区七番地」


「よろしい」


 矢継ぎ早に質問を投げかけた妹ーーナノカは満足げな様子。

 しかし、これで定期検診は終わらない。

 単なる一区切り。

 問診が済んだだけであり、俺に息をつく暇を与えてくれた、というだけの話。


「じゃあ服をめくってこっちを向く」


 ナノカは言う。

 定期検診は問診と触診の二行程。ここからが本番というわけだ。

 触診へと移行するその前に。


「あの……」


 触診の廃止を打診してもらうべく異議を唱えようと口を開いた。


「はやく」


 容易く制されてしまった。

 いつだってそうだ。

 定期検診が始まってしまえば俺の異議申し立ては聞き受けてさえもらえない。

 情けなくも妹の言いなりとなった俺は胸元まで服を捲り上げて体をナノカの方へ向けた。

 曝け出した胸部、心臓の位置にナノカは耳を押し当てる。鼓動の確認なのだけれど、随分と原始的な方法を取るものだ。


 しかし、待てよ?

 耳を押し当てて心音に集中している間、ナノカは動かないでいる。この状況は異議を唱える好機とみていいだろう。


「あの、ナノカさんや?」


 突っぱねられちゃあ元も子もない。柔らかな物腰を意識して下手に出る。

 決して常日頃から尻に敷かれているわけじゃない。


「なあに?」


 よし。聞いてくれるようだ。ただし、今は受付が済んだという初期段階。本題へと切り出すにあたりここは慎重に言葉を選ばねば。


「……もう3年になります」


 いきなり否定的な言葉を投げたりはしない。まずは継続年数を意識させる。

 検診を辞めてほしいという俺の提案を呑みこんで戴くために敢えて寄り道をした。とはいえ本題から大きく逸れたりはしていない。道中で営まれる店に立ち寄る感覚。

 

「そうだね」


「調子が悪かったら自分から言いますし、何か異常があれば逸早く報告させていただきたいと思っております」


 譲歩できるだけのポジティブな提案。

 コレは立ち寄った店での物色と手土産の購入に近い。無論、ナノカへの贈り物だ。


「良い心がけだと思うよ? それだけ?」


 くっ。長居はしないつもりか。全く効果が見込めない。ここは早々に本題を切り出すべきか。


「違う。だから、いい加減この定期検診をやめませんかって話なんですけど……」


 ある日を境に始まったこの検診は居住を構えるこの土地に来てからというもの、週初めとなる月曜日ルナリーに必ず行われる恒例行事となった。定期健診なのだから恒例であるのは当然なんだけど。

 ともかくだ。

 一五五週前から始まって、今日で一五五回目。

 この地へ移り住む以前と言えば、さらに頻繁に行われていたと記憶している。

 全てを覚えている訳ではないから大凡の数字にはなるのだけれど、三、四〇回くらいは受けていたように思う。だから合計、だいたい二〇〇回くらい。いくらなんでもやりすぎだと思うのも当然だろう。


 そんな俺の考えをよそに――というか"無視"して、ドクドクと脈打つ鼓動の確認を終えたナノカは胸から耳を離して本格的な触診へと移行する。

 頭からつま先までをぺたぺたと順に触れていく中で、時折り関節の可動具合を確かめるために上下に揺らしてみたり、曲げたり伸ばしたり。

「痛みはない?」なんて言葉をかけられながらーーその間、俺は一切の抵抗をせずされるがままになっていた。


 しばらく無言の時間が続く。


「はい、異常なし」


 トン、と体を叩かれて茫然とした意識を引き戻す。


「それと、お兄ちゃんのさっきの言葉」


「ん?」


「検診をやめてほしいってやつ」


「ああ……え? やめてくれるの?」


「違うよ。そのお願いも聞き飽きたなって」


「だったら尚更やめてくれよ」


「んー。それじゃあ最後の質問ね」


 嫌な予感しかしない。


「なんだ?」


「私がなんて言うと思う?」


 なるほど。ナノカの意思表明としては大変分かりやすい。今日以前にも同じように検診廃止の訴えを起こしてきた。しかしその尽くが失敗に終わって今がある。

 はあ、とため息を漏らしてから最後の質問に答える。


「……やめない、だろ?」


「正解! それじゃあお兄ちゃん。朝ごはんもできてるから準備ができたらすぐ下に来るように」


 すぐだよと念を押してナノカは立ち上がる。

 ため息は吐いたばかりだというのに又も込み上げてくる疲労感。吐けば吐くほど不幸になると聞き及んでいるがどうにも堪えられそうにない。


「はぁ……はいはい分かりましたよーーって」


 もう居ねえし。

 目にも止まらぬ速さとはこの事か。合わせて、音もなく去っていたのだから呆れを通り越して称賛するに値する。

 たったったったーーと。

 遠退いていた廊下を駆ける音が自室へと近付いてくる。


「ーーそれと、お兄ちゃん」


 戻って来た。

 再び、扉の隙間からナノカはひょこりと顔を覗かせる。


「どうした?」


 とだけ、端的に告げてナノカの言葉を待つ。


「おはよう」


 その表情には、晴れ晴れとした朝に見合うだけの花を咲かせてナノカは言った。

 いつも通り、検診も含めてここまでが日常で。

 この部屋にあるものと言えば、開け放たれた窓から差し込む少しの日差しと、カーテンを持ち上げきれない少しの風。それから、顔だけ覗かせる妹が少し。


「ああ、おはよう」


 飾り気は無いけれど、気持ちのいい朝だと俺は思うーー。

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