朝を迎えて2


 エストレア王国、王都ハスファルク東三番街、中央街道西一〇イチマル区、七番地。アクリスタ邸ダイニングルーム、四人掛けダイニングテーブル北側西席ーーここが、現在地である。それも、かなり詳細な現在地だ。


 対面の南側西席にはナノカ。

 左隣の北側東席にはデイネス。

 対角の南側東席にはアネットが座している。

 

「二人とも、そうゆっくりしてて大丈夫?」


 ダイニングテーブルの上、並べられた朝食に手をつける俺とナノカに向けて、母ーーアネットがそう言った。

 そわそわと落ち着かない様子。


「お兄ちゃんが全然降りてこないせいでこんな時間になっちゃったけど、まだ大丈夫かな?」


 検診を済ませた後、朝食を取るために一階へと降りなければならなかった俺が取った行動は、あろう事か二度寝だった。

 ナノカの言葉通り、予定に遅れが生じているのは自分のせいだった。で、あるにも関わらず俺は二度寝をした事実を空の彼方へと放り投げて口を開く。


「おいおい、ナノカさんよぉ。人のせいにするのはいけねえなぁ」


 代償に、鋭い目つきが飛んで来た。


「ホントの事でしょ」


 と、ナノカ様のお言葉。


「まだ馬車も来てないんだから別にいいじゃん」


 必死の抵抗を見せる。


「むっ」


 と、ナノカ様はお怒りのご様子。


「ごめんなさい」


 抵抗虚しく。


「よろしい」


 と、ナノカ様はご満悦のご様子へと変化。

 情けない兄は情けないまま、妹にはとことん弱い俺であった。

 

「馬車ならとっくに到着してるぞ?」


「「えっ」」


 父ーーデイネスの言葉に俺たちは揃って驚きの声をあげる。


「三〇分は前にな。ずっと外で待ってる」


「おいっ! それは早く言ってくれ! 全然ベルが鳴らないもんだからゆっくり食べちゃってたよ!?」


「アネット、言ってなかったのか?」


「私はてっきり、あなたが言ったものだとばかり……」


 アネットとデイネスの二人は顔を見合わせて呑気にそんな事を言う。


「はやく! お兄ちゃんはやく!」


「はやく、なんだ!」


「用意して、に決まってるでしょ!」


「わ、分かった」


 残りの食材を全て口に詰め込んだ。美味なる食材が口内で混ぜこぜに、せっかくの料理を台無しにしてしまうが仕方がない。

 リスの頬袋に負けず劣らず、意外と頬が伸びる事に驚きを覚えつつ食材が飛び出してしまわないよう口を塞ぐ。


 あ、やばい。喋れなくなっちゃった。

 食材を噛むことすらもままならないよ。


「ほら、お兄ちゃんはやく行くよ!」


 待って。

 スクールバッグが部屋に置きっぱなしになってる。

 両手で口を塞いでいるから手は使えない。もちろん口も使えない。

 俺は必死の形相で首を振ることにした。気付いてくれーーそんな願いも込めながらに。


「なに! 言いたい事があるなら喋ってよ」


 馬鹿なのか?

 ナノカは馬鹿ナノカ?

 口に物を含みすぎたせいで喋れない事は一目瞭然ですよね?


「なに? あ、分かった。トイレなら学校に着いてから行って!」


「ちがぁう!」


 口の中の食材を辺り一面にぶち撒けながら、盛大なツッコミを披露。同時に醜態を晒した。


「やだ、汚い!」


「今のは完璧にお前のせいだぞ! カバンだよ! 俺はカバンを取りに行かなきゃ行けなかったの!」


「そんなの私に伝えなくても勝手に取りに行ったらよかったじゃない!」


「お前が急かすからだろ!?」


「私のせいにしないでよ!」


 ヒートアップしていく俺たちの元に声が届く。


「二人とも」


 落ち着けとデイネスは続けてから朝食を口に運ぶ。焦燥に駆られる俺たちとは対象的な沈着ぶり。加えて優雅、気品さも兼ね備えている。

 口から食材をぶち撒けた俺とは対極。


「試験の受付は9時までに、って話だろ? ここからなら30分もあれば到着する」


 王立ハスファルク高等魔道学校の入学試験当日。

 7時30分に受付を開始して、9時00分が最終受付時間となる。受験者数の関係により多少の前後が見込まれるということだったけれど、9時00分までに校門を潜っていなければ受験資格を得られない。

 現在時刻は7時57分。デイネスの言葉を真に受けるなら多少の余裕があると言える。

 しかしながら急ぐ理由は到着時間じゃない。操縦手を待たせてはいけないという倫理的な観点が俺たちの焦りを駆り立てているわけだ。


「取り立てて急ぐ必要は無いよ。業者に依頼したわけじゃなくて俺が用意した馬車だからな。操者も部下だから気にするな」


 気にするなと言われても、素直に聞き入れることはできない。というよりも、人として聞き入れていいものなのかどうか。


「だとしても……もうたくさん待たせちゃってるし……」


 同じ思いを共有しているナノカが遠慮がちに口を開いた。


「ナノカ、良いんですよ」


 続くはずだった気遣いの言葉を遮るようにしてアネットは言う。


「私の言葉が二人を急かしてしまったわね。ごめんなさい。先程の発言は取り消しますから此の人の好意に甘えておきなさい」


「うーん。いいのかなぁ」


「貴女たちのそういう謙虚な所はとても素敵だと思います。だけど、貴女たち二人が万全の状態で試験に臨む事が第一よ。なんて――焦らせてしまった張本人である私が言うのもおかしな話よね」


「そんなことない! アネットの言う通りだと思う!」


 撒き散らしてしまった食材を片付けながら俺は同意を示す。空きっ腹に収めるはずだった食材は床へと放出してしまった。今の状態を万全だとはとてもじゃないが言えないからな。ここは好意に甘えるべきだ。


「ねえ、汚いってば」


 僅かに口の中に残っていた食材が再度飛び出していたらしい。自分でも汚いとは思っている。オマケに、はしたない。


「お兄ちゃんはとりあえず口の中を空にしてから喋って」


「うぅ、すみません」


「それとトーヤ。片付けならやっておきますから、私の分の朝食を食べて行きなさい。もう手をつけてるから食べ残りにはなりますけど」


「いや、どっちも大丈夫。流石に申し訳ない。片したら適当に食材を漁るよ」


「私がさっき言った言葉をもう忘れたの? 貴方たちが万全の状態で試験に臨める事が第一よ」


「でも……」


 遠慮する俺の口にーー


「えいっ」


 アネットがフォークを突っ込んできた。


「うぐっ――」


 程よい火加減で焼かれた薄切り肉。香辛料と肉が持つ香ばしい風味が口いっぱいに広がる。カリカリとした食感が旨味に立体感を演出していて美味以上の愉悦を覚える。


「はぁ、お兄ちゃん。床掃除は私がやっておくからご飯を食べちゃって」


 ナノカ様のお許しが頂けた。


「ありがとう。でも床の掃除は俺がやります。他の人にはさせられないです」


 自分の口から飛び出た物の後始末だからな。

 もしこれを他人にやらせようものなら、俺は人として落第だったろう。

 その一線を守れるだけの自制心はあった。良かった。


 少し慌ただしい朝の食卓。アクリスタ邸ではさして珍しくもなくーー。

 掃除を再開した俺を横目にナノカは言う。


「急いで掃除して、急いで食べてね?」

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