スペシャルスコア1
入学三日目の朝、登校してすぐのこと――俺の視界へと入り込んできた光景は、なんというか、奇妙な光景だった。
いや、ちょっと違うか。
奇妙な光景というよりも異様な空気に晒されていた。と言った方が正確な気がする。
なんだろう、見られている?
注目を浴びるとまではいかないにしろ、複数人からの視線を感じる。それも此方の挙動を確かめるような嫌な視線ばかりだ。
校門をくぐってまだ数歩しか進めていないけれど、隣を歩くナノカにも感じ取れたことだろう。馬車の中では口数多かったはずが、学校の敷地内に入った途端に口を噤んだ。
「一応言っておくけど、見られてるのは"私たち"じゃなくて、"お兄ちゃん"だからね?」
「……みたいだな……」
なんとなくそんな気がしていたところだった。ナノカが言うのなら俺の思い違いではなかったわけだ。
だとしたら、だよ。
見られている理由は何にあるのか。
まったく心当たりがないな。
もしかして社会の窓口を全開にしているのかも……、そんなことを思いながら下半身へと目を落とす。
「そんなわけないでしょ?」
思考を読まれた。
やれやれと言わんばかりに首を振る妹の隣で、俺はチャックを引き上げる。隙間なく閉じていたからそれ以上に持ち上がらなかったわけだけど、一応確認しておいた。
「ま、開いてたところで見えるはずもないか」
「それにお兄ちゃんが恥ずかしい格好をしていたら隣を歩く私にも視線が向くはずだよ。気付いてあげろってね?」
「確かに、それもそうだな」
「もしかしてなんだけどさ。お兄ちゃん昨日、座ってるだけに耐えられなくて暴れたりした?」
「なんだその危ない質問は……いやまあ、仮にそうだったとしたら視線を向けられるのも納得なんだけどさ」
どうなの、とでも言いた気に顔を覗き込んでくる。
信用ねえな。お兄ちゃん悲しいよ。
「……精神錯乱状態に陥った覚えはないから安心してくれ」
「ん、それならいいの」
「え、なに、本気で疑ってたの? もしそうなら地面にめり込むよ?」
「半分本気。というかなに? 地面にめり込むって」
「落ち込むってこと」
半分本気にされていたことにより足が地面にめり込んだ。膝下10センチメートル程度まで、割りかしガッツリとめり込んでしまった。
「なに!? どういう現象!?」
「落ち込みめり込み現象だ」
腕を組み、仁王立ちの構えを取って俺は答えた。
「そんな状態で冷静に答えないで。余計に注目を浴びちゃうんだから早く抜いてよ」
「抜いて欲しかったら、『お兄ちゃん大好き』って言え。可愛い感じで頼む」
「なんで!?」
「一度めり込んでしまった足は元気になる一言がないと抜けないようになってるんだ」
「何を言ってるの? そんなことあるわけないでしょ?」
「嘘だと思うなら試しに引っ張ってみろ」
そう言って腕を差し出すとナノカは言われるがままに腕を引いた。みるみるうちに俺の体は傾いていく。だが、傾くだけで足が抜けることはない。
「うんとこしょ! どっこいしょ!」
まだまだ俺は抜けません……って、カブか。俺は大きなカブなのか。
そんな言葉が喉元まで上がって来たけれど外に出すことはしない。
「んーっ! んーっ!」
引かれる腕、前のめりになる体、地面にめり込んだ俺の足。それらすべてが原因となって共通の感覚を過ぎらせる。
「痛い痛い痛い痛い痛いっ!」
「あっ、ごめんなさい」
急に腕を離されたことで俺は尻餅をついた。痛みから逃げた先にも痛みが待っていたと、そういうわけだ。
「……っつつ……」
痛みを抑えるようにして自慢のお尻をさする(ちなみに、柔らかさと小ぶりでプリティな感じが俺のお尻のチャームポイントだ)。
「コレで分かっただろ? 俺が元気にならない限り、この足が抜けることはない」
「だとしてもそんなことを言えるわけがないでしょ!? ココは学校だよ?」
"お兄ち
痛みを味わったせいで少しだけめり込み具合を深めてしまったし、この足を抜き去る言葉を探すとなると困難を極めるぞ。
「試してみろ」
「……よっ、お兄ちゃんは今日もカッコイイね!」
なるほど、シンプルな褒め言葉で攻めてみるわけか。咄嗟に発した褒め言葉にしては随分と気持ちがこもっている。特に、"今日も"と言ったあたりに高得点を与えられるな。
『しかし抜けませんね』そう云うように、俺は首を横に振った。
「……一緒にいると楽しいよ! すごく面白い! 頼りになる――」
嘘か真か、ナノカは手を拡声器代わりにして叫び続ける。
昇降口を目前に控えた学校の敷地内。次々に登校してくる生徒たちから汚物でも見るかのような視線が送られている。
先程まで感じていた異様な空気感は消え去ったけど……、代わりに痛々しい空気感がこの場を包み込んでいた。
褒めるのに必死で、周りから浴びている視線に気付いていないナノカは言葉を投げ続ける。
「ーー剣術の達人! 体術の達人! 太鼓の達人!」
心得のない技能の達人にされてしまった。太鼓の達人ってなんだ。ドンドンカツカツと陽気な音が聞こえてきそうな言葉だな。
「ーー体力おばけ! 知力はおばか!」
然りげ無く悪口も織り交ぜてくる。本気度に著しい低下傾向が見受けられる。
「――いい筋肉! 足が速い! 強い! 強すぎ! 最強!」
小さな子供でもあやすような単純な褒め言葉が続く。やはり褒め度が弱まっているとしか言いようが無い。
「ーー男! 人間! 動物! 生物!」
その後も続いた褒め言葉。ナノカの持ち得るレパートリーをすべて出し尽くしてしまったのか、膝に手をつきながらにぜぇぜぇと息継ぎを繰り返す。
最後の方は褒め言葉ではなくて、ただの事実を述べただけなんだけど、まあいいか。
「あーお兄ちゃんこのままじゃあ遅刻しちゃうよ。ナノカのせいで遅刻しちゃうよ。あー大変だー」
抑揚を無視して淡々と言った。いわゆるところの棒読みというやつだ。
「……」
「ん? どうした? 言えないなら先に行っていいぞ。俺のことは心配するな、時間経過と共に足が抜けるかも知れないしな。まあそれが
「……言えば元気になるの……?」
「もちろんだ」
観念したようにナノカは深く息を吸った。
「……お、おに……」
視線を落としてもじもじとしている。
羞恥心に悶えるナノカの姿は大層愛らしい。思わず口角が釣り上がる。
「……おに、おに、おにおに……」
「鬼? ナノカ、俺は鬼なのか?」
「……鬼だよ。こんなところで――とか言わせようとするなんて、鬼以外の何者でもないよ。お兄ちゃんじゃなくて鬼いちゃんだよ」
上手いことを言う。意外に冷静だな。
「あー今のでさらに深くめり込んでしまったー。コレはもう他の言葉じゃあ元気にはなれないなー」
「……っ」
「まあでも、心にもないことを言わせるのは間違ってるしな。思ってないなら大丈夫だ。さっきも言ったけど、俺のことなんか放っておけばいいよ。"鬼"いちゃんである俺のことなんか」
「もうっ。分かったよ、言うよ……言えばいいんでしょ」
「ああ。とは言っても心がこもってなければ意味がない。大丈夫か?」
「大丈夫じゃない! けど……一回言ってみる。それでダメなら諦めて」
「良いだろう」
腕を組み直して俺は言葉を待った。
確かに俺は鬼かもしれないな。言わせようとしているそれはまさに鬼畜の成せる所業だろう。
「……お兄ちゃん、大好き……」
おぉ。おぉ。
なんだろうこの気持ち。
かつて無いほどの活力が体の芯から漲ってくる。
「声が小さくてよく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
あろうことか、再言を要求した。
「いや!」
「それなら仕方ないな。この足は諦めるか」
「……もおおおおっ! ちゃんと言うから、聞いててよね!」
「分かった。ちゃんと聞く」
視線を落として告げられた一回目とは違う。
俺の瞳を真っ直ぐに見据えてナノカは言う。
「お兄ちゃん」
優しい調べの中に強い意志を感じる。ニヤついていた口角を戻して俺は問う。
「どうした?」
「大好き」
沈黙する場とは裏腹に、俺の心中は穏やかではいられなかった。
『あはははははっ。いいぞ、コレはいい!』
そんな、えも言われぬ高揚感が湧き上がってくる。
今後なにか落ち込む事があった時はその都度言ってもらうことにしようと心に決めて、
「よっこいせっ」
言いながらに地面から足を引き抜いて見せる。
「ねえ、ホントに抜けなかったの?」
「信じてたのか? いつでも抜けたに決まってる」
……。
あれあれ? ナノカさんの表情に影が差したな。
これはあれだ。怒っているというわけだ。
アネットとよく似た表情をしているから大変分かりやすい。さすがは親子と云うべきか。
「……□□□□□……」
「え、なんて?」
間抜けにも聞き返してしまった。
目前に展開された魔法陣を見れば何を言いたかったのかなんて明白であったというのに。
「お兄ちゃんなんか、だいっきらい」
ああ、短い人生だった。
悔いがないかと聞かれれば、大いにあると答えるけれど、ナノカの手で彼の世へ旅立てるのなら本望だ。
そんな風に黄昏ていた矢先、魔法陣が効力を発揮する。
空白部に記された
『
刹那、腹部に衝撃走りて我が身を虚空へ葬り去る。
お、いい感じの文章が出来たな。俺の人生を綴る伝記があったのならば必ず入れてもらいたい一文だ。
なんて、言ってる場合か!
「ぐぉおおおおお!」
魔法陣から一直線に吹き抜けた風が俺の体を持ち上げた。そればかりか、校門を越えて学校外まで吹き飛ばされる。
評価すべきは登校してくる生徒たちを傷付けなかった点だ。
誰一人として身を躱したりはしていない。ナノカ自身が無人空間を貫くように魔法を行使したわけだ。さすがは三級魔術士様。
「……ごほっごほっ……」
顔を持ち上げて学校へ目を向ける。そこにナノカの姿はなかった。どうやら俺を放って先に行ったらしい。
俺が悪いんだけどさ。何もここまでする事はなかったろう。危うく死人が出るところだった。無論、死にそうだったのは俺なんだけど……。
はぁ。早いとこ謝らないと後が怖いな。
そんなこんなで、すっかり視線が気にならなくなった俺は足を引き摺りつつも学校へと向かうのだった――なんて、冒頭から情けなさすぎるだろ、俺……、いや、ほんとに。
◇
今日で三度目の登校。守性防御学科一年八組の教室に入るのもコレで三度目ということになる。
一昨日の入学式も、昨日の通常授業も始業時刻間際での登校だった。三日立て続けに遅刻すれすれで登校するのは流石に印象が悪い。
俺はともかく、ナノカは新入生代表の肩書きを背負っているわけだしな。悪印象を与えるような行動は極力控えるべきだ。
とまあ、そんな理由があって少し早めの到着である。
授業が始まるまでにまだ三十分程はあるだろうといった時間帯。それなのに八組の教室内には既にちらほらと生徒たちが登校してきていた。
「おはようございます、トーヤくん」
すっかり自分の席として定着してしまった中央列二段目の真ん中――腰を下ろしてすぐに、前の席に座るテアが声を掛けてくる。
「おはよう、テアは真面目だな」
着目すべき点は挨拶をしてきたことではない。
テアの机の上には教科書やノート、筆記用具などが綺麗に揃えて置かれており、すでに一限目の準備が整えられている。
「そうでしょうか? 私なんかよりトーヤくんの方が余程真面目な方だと思います」
「俺が真面目? まさか……」
「昨夜も遅くまで出向されていたと聞き及んでいます。国民の平穏な暮らしを守るために働きたいと志を同じくする者は大勢いる事でしょう。けれど、学業を終えた後に働くとなると、並の人間には務まりません」
「そう真正面から褒められると照れるな……って。あれ? なんで知ってんの?」
「え? エントランスの貼り出しをご覧にならなかったのですか?」
「貼り出し? いや、全然見てない」
そこに俺の事が書かれていたということか? それはまたどうして……。
「特別奨励得点の獲得、おめでとうございます。なんでも、学校創設以来の最速記録というお話です」
「特別奨励得点? ってなんだそれ」
さっきからオウム返しばかりしちゃってるな。たった二、三の会話で疑問に思うことが多すぎる。
「えっと……」
テアは目を丸めて俺を見た。
分かったよ。ここじゃ常識なんだな。知らなくて驚かれているわけだ。
魔術や剣術だけじゃなくて、この国の常識についてももっと勉強しておいた方が良さそうだな。
「そういえばトーヤくんはエストレア王国で学業を学んではいないのでしたね。御出身はどちらなんですか?」
「あーっと……うん。出身か……出身は、山……だな。ウエナ山脈ってところなんだけど」
「ウエナ山脈出身……ですか……」
「いや、俺も変なこと言ってるとは思うんだけどさ。どこで産まれたのか、どこで育ったのか、自分の出身ってのがよく分からなくて……。気付いた時にはそこに居た、んだよなぁ」
まあそうなるよ。何言ってんだコイツ、だよな。
俺自身がそう思っちゃってるし。
「ごめんなさい。知らず知らずのこととは言え、お辛いことを聞いてしまいました……」
なにか勘違いをさせてしまったかな? テアの考えてることが全く読めないから何を想像したのか分からないけど、俺は自分の過去を覚えてないからな。辛いことがあったとしても、それは無かった事だと言える。
「俺は平気だから気にしないでくれ」
自分たちの境遇を一々説明する必要は無い。そもそも俺はよく知らないしな。
「そう、ですか。それでも謝罪はさせてください」
テアは言って席を立った。
嘘だろ? きちんと謝り直すためか? それはやめてくれ。
「待て待て待て。謝罪ならさっき聞いたよ、もう必要無いからーーというか、一回だって必要なかったくらいだ」
でも、と粘り腰を据えるテア。俺が良いって言ってるのになんでそんなに謝りたいんだ。
「……納得できないなら、そうだな。その特別奨励得点ってやつについて教えてくれ」
「そんなことでよろしいのですか?」
学生証や案内に目を通せば確認できるらしい。それを踏まえれば確かにそんなことだと言えるか。
だけど。
「ああ。文字を読むのは苦手なんだ。出来れば人の口から聞いておきたい」
「ありがとうございます」
礼を言うのは俺の方だろうに、律儀にも感謝を述べてからテアは説明を始める。
「特別奨励得点とはその名の通り、模範となる正しい行いをした生徒に対して付与される点数の事です。魔法分野での貢献や、日常生活においての支援、エストレア王国の治安改善などーー点数を得られる機会は多岐に渡ります」
なるほど。治安改善か。
今回の場合は危険指定生物の討伐が評価されたということ。
「入学した生徒たちはその時点で一律の10点が与えられています」
「それはどこで確認できるんだ?」
「学生証に記載されています。付陣された魔法によって書き換えられますのでトーヤくんの学生証も既に反映されていると思いますよ?」
言われて学生証を取り出してみる。
「コレか……13点になってるな」
「はい。今回トーヤくんは危険指定生物、それも危険度6の個体を討伐したわけですから加算点数3点は妥当なものだと思います」
危険度も知られているのか。ということは具体的な対象も判明しているのかな。
「3点が妥当、か……。判断基準を知らないから反応し辛いな」
「それも学生証の中に記述されていますよ。12ページの『特別奨励得点の評価基準について』という項目です」
実際に12ページを開いた後、テアは読み上げてくれる。
危険指定生物を対象とする場合。
・発生状況三項(偶発的に発生した遭遇戦、又は他者からの依頼を受けて遂行する外的要因による戦闘、又は自衛や狩猟を目的とした個人的判断による戦闘)。
・達成状況三項(討伐・撃退・捕獲)。
・貢献した人数。
・個体の危険度と個体数。
・戦闘終了時の被害状況(人的被害、建造物被害、自然被害、家畜農作物被害、経済被害など)と非戦闘時における推定被害状況の差分を精査。
記されている情報によるとこれら状況を加味して褒賞得点を定めているらしい。
昨日は国家任務としてササザラシを討伐したわけだから、外的要因による戦闘に当たる。
達成状況は討伐。
貢献した人数は一人、若しくは二人。
個体の危険度は6。
個体数は一匹、若しくは二匹。
被害状況は……自然被害が少々ってところかな。
一人で一匹討伐したけれど、ウィンディがどう報告したのか分からないから二人で二匹と判断された可能性はある。
まあどちらが高く評価されるか分からないし、そこは正直どうでもいい。目下の問題は――
「命をかけてもたったの3点しか得られなかったわけか」
自然を少しだけ破壊してしまったけれど、商業山道の解放はそのまま経済回復に繋がったはずだ。もちろん、自発的に参加したわけじゃないからその功績は全てデイネスの物だと思っている。
だけどそれでも、一応貢献はしたからな。何もせずにただ指を咥えて見ていたわけじゃない。それこそ身を切られる寸前だったし、もう少し高得点をくれたって良いと思うんだ。
「いえ、一度の加点で3点も貰えたのは極めて高等な評価だと思いますよ?」
不満の呟きに対してテアが訂正を告げた。続けて、「これまでの評価では1点未満の授与が基本だったようですから」と付け足す。
「1点未満?」
「はい。0.2点だったり0.5点だったり、貢献度によって配当は変わりますけど、正数以上の加算は珍しいはずです」
テアの話によると、評価点はまず全体の数値を算出される。今回の場合なら3点。
全体評価点を貢献人数で割り、少数第二位を四捨五入した数値が賞与されるらしい。貢献度合いは等しいものと定められて個人差は発生しないようだ。
それを考慮すれば――なるほど分かりやすい採点方法だと言える。
危険度6の討伐推奨は30人。
推奨通りに達成していれば一人につき0.1得点が貰える計算になる。俺は一人で討伐したから3点だった。
まあこれはあくまでも結果からみた単純な予測だ。学校側の思惑を知ることができない現時点において詳細までは分からないけど……。
「それにしても……、テアは随分詳しいんだな」
「え、そうでしょうか?」
「過去の記録も知っていただろ? 見たところ学生証には載ってない情報だよな」
「……たしかに、そうですね。個人的に興味があって調べる機会がありました」
……。
嫌に目が泳ぐな。心なしか声量も弱まっている気がする。
「ふーん、そうかぁ」テアの様子から感じた違和感のおかげで気の抜けた返事をしてしまった。
なんだろう。なにか後ろめたいことでもあるのだろうか。
「しかしあれだな」
少しだけ沈んでしまった空気を払拭するように口を開いた。
「この制度は何のためにあるんだろうな」
「当然気になりますよね」
正直に言えば、そこまで気にならない。
空気を変える為に発しただけのその場凌ぎ。
だけどそうだな。敢えて拒否する必要もないか。それこそテアは当然のように知っているみたいだし、ここは一つ享受してもらうとしよう。
「まずはそうですね……。特別奨励得点という制度ですが、トーヤくんのように加点される事もあれば、反対に減点される事もあります」
犯罪行為や素行不良の生徒が減点対象になるようだ。
加点される時と同様に、罪の重さに比例して減少する点数が決められる。
「持ち点が0、若しくは0以下に下がった時はどうなるんだ?」
「0点にまで減点された方はその時点で退学となります。故に、0点以下にはなりませんね」
さかなっ!
「退学? いやいや、犯罪に加担したともなれば退学になって然るべきだとは思うけど、素行不良も対象になるのか?」
「えっと……、私としては当然の対応に思いますけど……」
「忘れ物とか遅刻欠席も評価対象になるってことだろ? 厳し過ぎないか?」
「一度忘れたくらいでは減点になりませんよ? それは素行不良というよりも失敗や失態の扱いになりますから」
……たしかに、テアの言うことも尤もだ。退学という言葉に気を取られて極端に物事を考え過ぎてしまった。
「ですがそうですね。それが故意的な行いであれば話は別になってくると思います」
「もちろんそんな事はしないけど……、俺は朝が苦手だからな、聞いておいて良かった。遅刻には気を付けようと思う」
「ふふ。良い心がけだと思いますよ、せっかく加点されたのに失ってしまっては勿体無いですから」
「だな。つまるところ、この得点は保険になるわけだ」
持ち点が多ければ多いほど退学処分からは遠退く……、と結論付けたのだが、テアは首を横に振った。
「この制度は、そんな生徒たちの怠慢を促すようなモノではありませんよ。重要なのはやはり、加算される得点です」
力強く告げたテアの瞳には、期待や希望を感じさせる輝きが満ちていた。
その光を受けて、俺の中にも期待感が芽生えてくる。
「一定の得点に達すればなにか貰えたり?」
「まさに、トーヤくんの仰る通りです」
「冗談のつもりで言ったんだけど。まさかまさかの正答だったとは」
くすくすと鈴を鳴らすように笑ってからテアは言う。
「特別奨励得点が101点に達すると、その生徒は特別奨励生徒と定められて、学校から
101点という得点が高いのか低いのか分からんけど。
「
「確かにそれも魅力的ですけどね、残念ながら違います。戴けるのは褒賞ではなくて褒章、
「……おりあると紀章……」
「ふふ。トーヤくんは正直者でいらっしゃいますね。とても残念そうなお顔をされています」
恥ずかしい。
金に目がない卑しいやつって思われた。
「い、意図して知らせたわけじゃないからな。正直者とは違う気がする」
「いえいえ、それは受け取る側次第かと思いますよ? 先ほどのトーヤくんの様子には言葉以上の分かりやすさがありましたから」
「大変お見苦しいお姿をお見せしてしまったとお反省しております」
「敬語接頭辞の乱用が著しいですね。お反省だなんて、なんだか卑猥な表現に聞こえてきます」
「お大変見苦しい姿を見せてしまったと深く反省しております」
「深くなったと思わせておきながら、文頭に雑念が残っていますね。おかげさまで反省の色が見受けられません」
「"お変態"の見苦しい姿を見せてしまったと深く反省しております」
「文頭が大変な変化をみせてしまいました! それが事実だとしたら本気で反省するべきです!」
「お変態は見苦しい姿を見せるのが責務であります」
「軌道修正を行うどころか、文全体が変質者の影響を受けてしまいました! 下劣な宣言は控えてください!」
「お変態は大変」
「せめて後者に! 仰っられた言葉は紛れもない事実ですけど、変質者に敬称は必要ありませんから! せめて後者に重きを置いてください!」
「大変なお変態」
「ああ、せっかく後者に敬称が渡ったというのに、変質者までもがついてきてしまいました……。もう収拾が付けられません」
やるな、テア・フィルティ。
突拍子のない俺のボケを拾ってくれたばかりか、こうもスムーズに合わせてくるとは。
それができるのはナノカだけだと思っていたけれど……、どうやら俺の早とちりだったらしい。
コレは称賛せざるを得ないな。
「……お見事……」
「えっと、ありがとうございます……?」
「楽しませてくれたお礼に、俺の特別奨励得点から3点を贈呈しよう」
「こんなことでは戴けません」
どこか呆れた様子でテアは言うが、気になったのは『こんなことでは』という発言。
俺はテキトー言っただけなんだけど。
「もしかして、特別奨励得点って譲渡可能なのか?」
「あ、そうでした。トーヤくんは知らないのでした」
前置きをしてから。
「はい。動機の有無や事実確認、成果に見合った点数かどうかなど――学校による精査はされますが、得点の受け渡し自体は可能ですよ」
続いたテアの言葉には、なるほど納得できる。
「例えば、人命救助の功――それには学校から得点が賞与される可能性が十分にありますが、救助された人間がこの学校の生徒だったなら、学校とは別に、自分の得点を渡したいと思っても不思議はありません」
恩返しの品として見合っているかどうかはともかく、そういう使い方が出来るわけだ。
俺だったら得点なんかより金目の物を要求したいところ――おっと、またもや卑しいことを考えてしまった。
「奉仕活動や支援活動の御礼として譲渡する場合がほとんどですが、迷惑をかけた際などの謝礼にも用いられた事例がありますね。それと過去には、個人間で行われた勝負事の賭け金の対象にされた事もあるようです」
「得点を賭けて競う……か。0点になったら退学だってのに、よくもまあそんなことが出来るよな」
第一、学校側が認めたということにも驚きを覚える。
「退学を賭けても良いほどに、101点達成時に得られる褒章は莫大なモノなのです」
「おりあるって称号と宝石の紀章だろ? そんなに良いものなのか?」
「はい。一塊の金なんかより遥かに高価な代物です」
「……一応確認なんだけど、テアは金の価値を分かってるよな?」
「もちろんです。トーヤくんの言う金一塊とは1キログラムのインゴットのことですよね?」
「その通りだ」
「でしたら問題なく価値を把握しています。そうですね……、スティブランの小型馬車を一台と二頭の馬が購入できます。軍用武装で例えるなら、凡そ10人分の中級装備一式が揃えられるでしょうか?」
……だいたい合ってるな。いやまあ、初めからテアが金銭感覚の狂った世間知らずだとは思っていなかったけど……。というか、この教室内で一番の世間知らずは俺だろうに、よく問い掛けれたもんだな。
自分の不敬さに関心すら覚えてしまう。
「悪い、侮りすぎた発言だった。許してくれ」
「いえいえ、特別奨励得点の制度を知らない人からすれば疑いたくなるのも当然かと思いますので。気にしないでください」
テアは寛大な心を持っている。トーヤの心ノートにしっかりとメモしておこう。
「ありがとう。それでその、おりあるってやつは一体何なんだ?」
「宝石の種類については問われないのですか?」
小馬鹿にされた仕返しだろうか。
テアは悪戯な笑みを浮かべて問い返して来た。
「まあ、それも気になるけどな」
卑しい一面を披露したばかりだし、敢えて否定はしない。
だけどコレが仕返しのつもりなら、お返しに――寛大さとは言えぬまでも、しっかりしている一面を見せておこうじゃないか。
「紀章ってのはつまるところ、
どちらにせよ、栄誉ある品物ということだ。
「たとえ宝石が何であったとしても、売ってお金に変えるなんて倫理に反することはできないし、してはいけない」
宝石で模った紀章からは金銭的な価値を見出すことができない。だからこそ、金塊以上の価値を見出だせるのは"おりある"という称号になる。
「私の方こそ、トーヤくんを侮辱してしまいましたね」
「謝らなくていいぞ? これで御相こ、お互い様だ」
「ふふ。それでは、トーヤくんのお言葉に甘えて喉元に出掛かった謝罪文は呑み込むことにしましょう」
この三年間、家族の他に俺が相手にしてきた存在は、その殆どが会話の成り立たない獣たち。
ギルドに行った時やデイネスの仕事の手伝いで他人と会話をする機会があるにはあったけれど、どれも社交辞令といった無機質な会話ばかりだった。
実のところ、テアとの会話には少なからずの緊張があった。
それがどうだ。気さくに話してくれるおかげで、俺の心には
心に余裕があるおかげか、朝日を受けて満足そうに笑うテアの姿はとても綺麗だと、素直にそう思えた。
「おっはよー、皆のしゅー! 今日も元気? 私は元気です!」
唐突に、見れば分かると言いたくなる自己宣告をしながら女子生徒が一人、教室へと入ってきた。
「テアちゃんは今日も早いねー!」
彼女、インニーはそう言って、陽気なステップを踏みながらテアの元へと近付いてくる。
昨日は最後に登校したおかげで自分以外の登校時間が分からなかったけど、どうやらテアは昨日も朝早くから登校していたらしい。
「いえいえ、私もつい先程教室に着いたところですよ」
「うっそだあー。来たばかりの人が授業の支度まで終えてるとは思えないなぁ?」
和気
そんな物が無くてもコミュニケーション能力の低い俺では混ざり得ないハードルの高さがある。
早くに着いた弊害か。
一人ぼっちで寂しい時間を過ごす事になりそうだ。
「お、トーヤならもう来てるぞ?」
教室の入口からそんな言葉が聞こえてきた。
目を配ると、そこにはアランの姿があった。
「ホントだ。昨日も一昨日も遅刻ギリギリの到着だったのに、今日は早いねぇ」
余計な一言を織り混ぜながら、少し遅れてモネが姿を見せた。手のひらを使って、開く口元を隠しながら歩み寄ってくるが、大きく開きすぎていて隠しきれていない。
「モネは随分と眠たそうだな」
「モネリアちゃん」
なんだコイツ。一々訂正してきやがった。欠伸を見られたことは良いのかよ。
「……モネリアちゃんは随分と眠たそうだな……これでよろしいか?」
「よろしい。オマケに、素直に聞き入れてくれて私は嬉しい。おかげさまで眠気が吹き飛んだよ」
「それはそれは。良うございましたね」
呆れた態度を全開にして言ったのだが、モネリアちゃんには堪えなかったようだ。
「んなことより! トーヤ! おまえ(す)っげえな!」
振り上げた両腕を勢い良く振り下ろし机を叩くアラン。
「"っげえな"ってなんだよ。溜め込みすぎて"す"が消えちまってるじゃねえか」
「伝わってるなら別にいいだろ……、ってそんなことは、どうだっていいんだよ! 入学してから三日目にして"スペシャルスコア"獲得って、凄すぎるだろ!?」
「すべ、すぺしゃるすこあ?」
「ん? なんだ? もしかしておまえ知らねえの?」
記憶に新しい光景だな。それも、ほんの数分前に見たばかりだ。
「スペシャルスコアというのは特別奨励得点の俗称ですよ」
半身だけを此方へと振り向かせてテアが補足をくれる。
先ほどテアから聞いていた情報を考えると、そんなところだろうとは思っていた。学校創設以来の最速記録だ、とも言っていたしな。
自惚れるわけじゃないが、今日明日、俺に話しかけて来る人間が居たとしたら、それはきっとスペシャルスコアについての事柄になるのだろう。
「アラン、その話ならテアから聞いたばかりだ。昨日のことが評価されたのは素直に嬉しいけれど、あまり騒ぎ立てないで欲しい。いつも通り生活していた結果に過ぎないからな、恥ずかしいんだ」
「かぁー! 流石はアクリスタの血筋。妹は学年主席、兄はスペシャルスコアを早期獲得したってのに自慢しねえのな。尊敬に値するぜ」
「俺もナノカも養子だからな、俺たちにアクリスタの血筋は通ってないよ」
「……え……?」
あ、やべ。なんでもないことを話す時の調子そのままで言ってしまった。
会話をしていたアランやモネはともかく、意図して聞こうとしていなかった生徒たちにも聞こえていたのだろう。先ほどまで教室に存在していた活気がまるで幻だったかのように静まり返っている。
「間違えました。今の無しで」
「……は……?」
「どうした? なにかあったのか?」
「いや、どうしたって……、え? おまえたちは養子なのか?」
呆気に取られた様子で問い掛けてきたアランに対して、「ちょっと、アランくん!」急ぎ制止を促すモネリアちゃん。
「あ、すまん。なんでもない。聞かなかったことにしてくれ」
前言撤回した俺と同じようにアランもまた発言を無かった事にしたいらしい。
俺自身、気を遣ってほしくなくて前言を撤回したけれど、逆に気を遣わせてしまったみたいだな。
「別にいいよ。俺は気にしてないから――というか、俺から言っちゃったしな」
遅かれ早かれ、何れは知られることだ。それに、既に知られてしまった後だ。まあそれは他でもない自分のせいなんだけど。
というか、だよ。
そもそもの話、デイネスやアネットほどの有名人に子が産まれていればエストレア全土に広まっていてもおかしくない。アランたちは俺と出会うまでデイネスたちに子供が居たという事実を知らなかったみたいだし養子の可能性は十分に考慮できたはずだ。
だからこそ、逆に何故知らなかったのかと問いたくもある。
「あー、テアには少しだけ話したしな。変な噂が回るのを避けるためにも言っておくよ」
そんな風に前置きをして、俺は自分の過去を話すことにした。とはいっても全てではない。
俺たちは捨て子であり実親がいないこと。
3年前にウエナ山脈で拾われたこと。
普段の生活や、この学校に入る経緯などの一部分。上手く話せれたかどうかは不明だけど、記憶喪失という事実を除いて俺が経験した概ねの出来事を話した。
事情が事情なだけに、過去についてこれ以上掘り下げようとする者はいないだろう。記憶喪失の事実が露呈する可能性は極めて低い。
まあ、たとえ露呈したところで別段問題はないし別にいい。強いて云うなら、俺ではなくてナノカの方に問題が起こるかもな。
「先に言っておくけど、謝る必要はない。むしろ謝らないで欲しい。俺もナノカも今が幸せだからな、何も問題はないんだ」
「え、ああ。そうか。トーヤがそう言うなら謝らない。けど……、なんて言ったら良いのか」
アランの発言も尤もだ。かくいう本人の俺ですら、なんて声を掛けられたいのか分からない。
「こういう時は、おめでとうじゃない?」
モネリアちゃんは良いことを言うな。幸せを宣言する俺たちにはピッタリの言葉だ。
「なんでだよ。いや、でも待てよ? 確かにめでたいかもしれねえな。デイネス様とアネット様の子供になれるなら俺も拾われたいかも」
不謹慎極まりない願望を口にするアランだったが、今の状況を思えばこそ、有り難い発言だった。八組の教室は失われた活気を取り戻し、「確かに確かに」と同意見が飛び交っている。
流石は英雄と謳われる夫婦だな。子供たちからの敬念も厚い。
ただし、俺だけは知っている。アランたちの考えが如何に甘いかということを――英雄に憧れを抱き、胸のうちに描いた人物像は、やはり妄想でしかないのだ。
「やめとけ。お前たちが想像しているような平穏で高尚な日常生活はそこには無い。デイネスの特訓も、アネットの教育も……、あれは単なる地獄だぞ」
後半に進むにつれてガタガタと身を震わせながら俺は告げた。わざとらしい演技だったとは思うが、どうやら皆にも伝わったようだ。
再び沈黙が教室を包み込んだ。ゴクリと唾を呑み込む音すら
せっかく盛り上がりを見せていた雰囲気を台無しにしてしまった感がある。これはあれだな、やらかしたってやつだな。
さて、どうしようか。
対策を考え始めたその時に、始業五分前を告げる鐘の音が校内に響き渡る。
思わぬ形ではあるが、沈黙は破られた。
「まあそうだな。そんなこんなで俺には同世代の友達が居なかったんだ。皆んなが初めての友達ってことになるのかな」
「おいトーヤ。なんだってそんな話をしてくれたんだ。俺の良心が
「ははっ。だからさ、遊びに来てくれよ。デイネスもアネットもきっと喜ぶ」
「……トーヤは親孝行な子供なんだな? それに、随分と庶民的だ」
「気楽で良いって話だろ?」
「……違いない。そういうことなら、そうだな。遠慮なくお邪魔させてもらうとするか」
「ねえ! それって私も行っていいの!?」
「もちろんだ」
アランとモネリアの約束を皮切りにしてクラスは再び湧き上がる。
俺も私も僕もと、そんな風に遊びに来たがる候補者が次から次へと増えていく。それはデイネスやアネットの偉大さが垣間見える瞬間だった。
同時に、ふと、こんなことを思った。
あれ、俺ってデイネスやアネットに会うための体のいい口実になってない?
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