王立高等魔道学校入学試験3


 裏庭演習場。

 本校舎の南に広がる幅360メートル、奥行き200メートルの土壌グラウンド。

 初等学校や中等学校の運動場と比べてみれば一目瞭然、圧倒的な広さを誇るこのグラウンドで体力測定は行われる。

 筆記試験、魔力測定を済ませた者たちが次々と演習場へと集まってくる。

 グラウンド各地では、飛んだり走ったりーーすでに試験を始めている人も結構な人数いるみたいだ。

 すでに全課程を終えた人もいるのかもしれない。


「あ、お兄ちゃん!」


 不意に、背後から聞いた声がした。

 振り向くと駆け足で向かってくる女の子の姿がそこにはあった。


 というかナノカだった。


 きちんと整備させたグラウンドはとても綺麗な平地を維持している。故に、その場に目立った凹凸などはなく、躓いて転ぶ危険性などは皆無であるーー。


 しかし、ナノカは自身の足に片足を取られて転んだ。

 どてっ、という音がよく似合いそうな見事な転びっぷり。


「顔から行ったな、ありゃ」


 周りには大勢の人。

 恥ずかしいのか、地面に突っ伏したまま起き上がれないでいる妹に俺は歩み寄る。


「大丈夫か? ほら」


 顔を上げたナノカの瞳は薄らと潤いを帯びていた。

 

「おにいちゃん……わたし、転んじゃった……」


 震える声でナノカは言う。

 俺は手を取って無理矢理に引き起こした。


「転んだからどうした。起き上がればいいだけだろ? そんな迷信なんか実力でじ伏せればいい」


「……うん……頑張る」


 転んだ痛みか、迷信から来る将来への不安か――それとも恥ずかしさからだろうか。依然として涙を浮かべるナノカは鼻をすすりながらに答えた。

 ココは話を反らしてあげるのが優しさかな。


「それより、ナノカはこれから体力測定なのか?」


「……うん……そうなの」


 涙を拭いながらナノカは答える。

 もうひと押しで元気を取り戻すだろう。


「俺もちょうど受付に行くところだったんだ。一緒に行こうか」


「うん!」


 一緒にという部分が重要だったりする。

 まあコレは俺にも言えることだけど知り合いが居ないというのはそれだけで心細いモノだ。知ってる人、それも関係が明確であればあるほど側にいるだけで力が貰える。

 いつまでも放置して周りから女の子を泣かせていると勘違いされても困るしな。

 すぐに涙を収めてくれて良かった。


「扱いやすくて助かる」


 ボソりと呟いたそれは余計な一言だったろう。


「なにか言った?」


 きちんと聞こえていていなかったらしい。それなら教えて上げないとな。


「扱いやすくて助かるって言った」


「聞こえてたから言い直さないで。そういうことはちゃんと隠してよね」


「傷付く?」


「ううん、傷付かない。お兄ちゃんの言う事なんて蚊ほども効かないんだから」


「おいおいナノカさんや、蚊を馬鹿にしちゃあいけないぜ。アイツはアレでいて人間に甚大な被害をもたらしてるんだ。なにも蚊に限った話じゃないんだけどな、虫刺されってのは時に命を危ぶめるとても深刻な被害だと言える。だから俺の言葉も放っておけば大変な事になるかもしれないぞ?」


「ねえ。比喩を真面目に受け取らないでよ。お兄ちゃんの言葉は虫刺されとは全然違うモノでしょ? 仮に一緒なんだとしたら、そんな危険なことをしてこないでよね」


「こいつぁ痛え。一本取られたな」


「墓穴を掘っただけだからね?」


 もうっ、とそんな風に頬を膨らませたナノカ。元の状態を通り越して、いつも以上に元気が出てきたようで何より。

 そう、俺はナノカからツッコミを引き出すために敢えて墓穴を掘ってみせたのだ。

 ツッコミが生み出す身体的エネルギーは何かを成し遂げた際に感じる達成感を凌駕する。ツッコミとはつまるところ人の間違いを指摘する行動であり、愉悦による満足感を増幅させるモノ。その満足感が脳内報酬系に作用してドーパミンの分泌を促進し人のやる気を向上させる。

 ツッコミ一つ打ち込むだけで落ち込む心は上向きになる。それは謂わば精神安定剤にも成り得るということだ。素晴らしい行動だと言えるだろう。

 しかし残念なことに、ツッコミには欠点も存在する。それはツッコんだ際に得られる満足感が脳内報酬系に過剰作用してしまうことがあるという点だ。

 過剰作用してしまえばそれに伴ってドーパミンも過剰に分泌される。得られる多幸感や覚醒効果には依存性が見込まれるため依存症を患ってしまうリスクがあるのだ。

 過去の満足感に駆り立てられた人間が猟奇的な判断に至ってしまったという事件がいくつか挙げられる。例えば、ボケてもいない人間に対して無理なツッコミをしてしまい場の空気を乱したといったケースや、自分がツッコミをするためだけに他人にボケる事を強要して喧嘩に発展したというケース。こうしたツッコミ依存症の人間たちによる被害が年々増加の一途を辿っており、国はコレに対して――


「ねえ、お兄ちゃん今何考えてる?」


「え? ああ、ツッコミ依存症のことを考えてた」


「なにそれ! 私が転けた話からそんなところに落ち着いたの? 予想外が過ぎるよ」


「いいか? ツッコミ依存症ってのはだな……」


「そんなことより、ほらっ早く行くよ」


 手を引かれて足を進める。

 そうだった、試験中であることを完全に失念していた。それもこれも全部ツッコミ依存症のせいだ。

 そもそもツッコミのありがたみを理解していない人間がこの世には……


「お兄ちゃん。考えてる顔してる」


「はい。やめます」


 それがどんな顔だったのか、具体的には分からないけれどきっと間抜けな面なんだろうなと俺は思い、思考に蓋をした。


 ◇


 演習場の東側、総合受付に付いた俺たちは記録用紙を提出した。


「受験番号19001、トーヤ・アクリスタ」


「受験番号19000ナノカ・アクリスタです」


 一礼の後。


「はい、トーヤさんにナノカさんですね。体力測定のご説明をさせていただきますーー」


 係の者からの説明を聞く。


 体力測定では短距離走力、瞬発跳躍力、高前こうぜん跳躍力、調節遠投ちょうせつえんとう力、平衡へいこう柔軟性、荒進こうしん持久力の六項目を順に測定するということだった。

 魔力測定合計40点、体力測定合計60点、それらを合わせて100点満点というわけだ。

 魔力測定同様、終わり次第次の項目へ移るのだが魔力測定とは違う点が一つ。

 各種測定が済んだのちに個人判断で休息を取っても良い。という部分。

 魔力測定では次から次へ即座の移動を促されていたが、体力測定は万全の状態で臨んで良いということだった。

 注意点は本日の十五時までに試験を終了させる事。


「ーー以上が体力測定の流れになります。ご質問はありますか?」


「いえ、僕は大丈夫です」


「私も大丈夫です」


「それでは、受付はこれで完了となります。お二方のご健闘をお祈り申し上げます」


 記録用紙を受け取った後、適当な挨拶を済ませ、その場を離れる。

 まずは短距離走力。種目は100メートル走だ。


「ふむふむ。100メートル走5秒未満で10点だって」


 記録用紙に記された得点表を見ながらナノカが言う。


「5秒っていうとどのくらいだ?」


「家にアクちゃんがいるでしょ?あの子が100メートル4.7秒で走るみたいだよ?」


 アクちゃんとは家長であるデイネスが騎乗する馬である。

 馬種名アクリスティード。牝馬。

 名前はアクリス。

 愛称がアクちゃん。


 国内最速馬としてエストレア王国中に名前を轟かせている名馬である。


「国内最速の馬と同じ速度で走れて10点って……馬鹿なのか?」


「お兄様、自信の程はいかがでしょうか?」


 突然のお兄様呼び。それは華麗にスルーして。


「これしか取り柄がないからな。自信なら過剰に持ち合わせてるよ」


 鼻高々に俺は言う。


「10点いけちゃう?」


「流石にそれは無理。だけど、デイネスなら行けるかもな。アイツこの間かけっこしてたから」


「アクちゃんと?」


「うん。しかも勝ってた」


「すご。私ももっとお父さんと特訓しておけば良かったなぁ」


「……地獄だぞ?」


「いつも見てるから知ってるよ」


「そうだった」


 そうこうしている内に100メートル走会場に着いた。

 例に倣って記録用紙を提出。

 順番待ちは無い。

 10コース用意されており、次々と流れるように測定をしている。


「19001番、位置につけ」


「うっす」


 軽く体を捻り準備を整える。

 体力には少々の自身がある。予想外に高得点を取れた魔力試験とは違って、確実に高得点を積みたいところ。

 係員の指が全部折り畳まれたらスタート。

 ふぅ。得意分野なだけに緊張するな。


 五本全て開かれた状態から、親指をたたみ四本に、小指をたたんで三本へ。着実に指は折りたたまれていき、全て折り畳まれてーー出走。


 全速力。自身が持てる最高速度で足を前へと運ぶ。

 イメージするは追い風。

『常に風に背を押されるイメージをしろ』とは父の言葉。その時々の環境を言い訳にしないという心意気、この考え方が結構好きだったりする。

 さらには、少し前を走る父の背中を追い、追い越すイメージ。それは俺だけが持つモチベーションとなる。

 それら二つのイメージが俺をさらなる加速へと導いてくれるーー。


 気付けば100メートルを大幅に超えて走り抜けていた。


「うぅ。加速が足りなかった。100メートルじゃあ短すぎる。もう一回やりたい……」


 振り返ればゴールテープを切ったばかりのナノカがいた。

 ナノカもゴールを超えてから止まらずに俺の元へ駆けてくる。


「はぁ、はぁ……お兄ちゃん速すぎだよ……」


「いや、全然だった。もっと早く走れたはずなのに……くそっ、アイツに笑われる」


「う、嘘でしょ? 一緒にスタートしたのにあっという間にゴールしちゃってたよ?」


 あれ、同時にスタートしてたのか。ということは隣のレーンにいたらしい。全然気付かなかった。


「とりあえず、記録を確認しに行くか」


 自分で時間を測っていた訳じゃないからな、期待は捨てきれない。

 だけどまあ、10点を取り損ねた確信はある。


「ちょっと待って……はぁ、疲れた」


「おいおい、そんな調子で持久走は大丈夫か?」


「大丈夫、持久走なら捨ててるから。ゆっくり走るよ」


 そういう手もあるのか。

 俺は全部全力でやる。ここで筆記試験のマイナスを大幅に取り戻すしかないからな。


「そういえば、お兄ちゃん筆記試験はどうだったの?」


 ギクりと肩を上げた。


「お前はエスパーか?」


「魔術士だからマジシャンかな?」


「そんなことは聞いていない」


「ふふっ。その様子だと、全然できなかったみたいだね」


「だからここで頑張ってる」


「聞いたよ? 魔力測定で結果を残せたんでしょ?」


「多分、それだけじゃ足りないくらいに筆記試験が最悪だった」


「そんなに難しい問題なかったけどなぁ」


 ああ、頭のいい者には分かるまい。興味のない分野の文字の羅列というだけで脳内にフィルターがかかり問題を余計に難しくしてしまうという心理的要因による不思議現象をーー。


 記録用紙を受け取った俺たちは記録の確認をする。


「10.7秒かぁ。私にしては頑張ったと思わない?」


「ああ、十分だと思うよ」


「お兄ちゃんは?」


 俺はそっと背後に紙を隠した。


「え? なんで隠すの?」


「アイツに知られたくないからだ」


「私よりは速いんだからいいでしょ?」


「良くない。見たいなら教えないと誓え。知られたら絶対笑われるからな」


「……お父さんはそんな事しない、よっと!」


「あ、おい!」


 隠した用紙を奪い取り記録を確認する悪妹の姿。


「6.2秒! すごいすごい!」


「だあああああああ! せめて6秒は切りたかった……」


 膝をついて項垂れる俺の背中に手が置かれる。


「まあまあ、次頑張ればいいじゃない」


「うん、お兄ちゃん頑張る」


「きも」


「きもってなんだ!?」


 思わぬ悪口に俺はすぐさま立ち上がって抗議をした。


「はい、立てたね」


 とナノカは言った。

 なるほど、俺を元気付けるための言葉だったのかーー


「……って、そんな言葉に騙されるか」


「うそうそ。お兄ちゃんはキモくないよ、すごくかっこいいよ」


「きも」


「きもってなによ!」


 そんなやりとりを経て、元気いっぱいとなった俺たちは瞬発跳躍力を測定する会場へと移動した。


 瞬発跳躍力。

 種目、六輪跳び。

 六色に色分けした直径50センチのサークルが魔法によって6個地面に記されている。

 赤のサークルから左周りに、橙、黄、緑、青、紫と円形に並ぶ。


「瞬発跳躍力は、反応速度と判断力を測定する種目だ! 各自持ち時間は60秒! 試験が開始するとこの色分けされたサークルは二色同時に光を帯びる。光るサークルは不規則に変化するから、常に光っているサークルに足を置くように移動し、跳躍を繰り返せ。光っていないサークルに足が置いている間、持ち時間である60秒から時間が失われていく! 60秒を消費する間に光るサークルを踏んだ回数が諸君らの記録になる!」


 なるほど。よく分からん。


「一度手本を見せよう」


 そう言って試験官の女性は赤に右足を置き、橙に左足を置いた。

 GOの掛け声と共に光るサークルが変化する。

 赤と橙だったものが、赤と紫へ。

 一つずつ右のサークルへと足をずらすように跳び左足で赤を、右足で紫を踏んだ。


 光るサークルは変化して紫と青に。


 最初の移動と同じように一つずつ右のサークルへと飛んで足をずらす。


 黄と橙。


 左右の色一つ飛ばしでサークルが点灯。試験官は前方に跳躍、空中で体を反転させて着地。左足で黄色を右足で橙を踏む。


 なるほど。ただ前に跳躍しただけでは設置されたサークルに対し背中を向けてしまう。だから体を反転させて常にサークルが見えるように立ち回ったわけだ。


 その後も光は点滅を繰り返し、試験官は対応するサークルを次々と踏んでいく。すでに踏んだサークルは100を超えている。残り時間は20秒と示されていた。

 点灯するサークルが切り替われば、踏んでいたサークルは不点灯となり時間が失われる。

 点灯する二つのサークルは常に隣り合わせ。

 片足立ちや両足で同じサークルを踏んでも不点灯滞在時間としてカウントされてしまう。

 できる限り早く光るサークルへ両足を移さねばならないというわけか。

 かなり難しそうだが楽しそうだ。


 制限時間は失われていなかったが試験官は跳ぶのをやめた。

 あくまでも、手本を見せたかっただけだからだろう。


「これで試験内容は理解できたかな? 質問がある者が居なければすぐに始めよう」


 小さく挙手をしてからナノカが質問する。


「数え方は二つ踏んで一回として数えるのか、二つ踏んで二回と数えるのか。どちらでしょうか?」


「んー、いい質問だね。回答としては後者が正解だ。きちんと両足が点灯サークルを踏めていれば2点。正確に踏んだサークルの数だけがカウントされる。点灯していないサークルを踏めばもちろんカウントされない。足がサークルを僅かに逸れて踏めていないと判断された場合もノーカウントだ!」



「違うサークルを踏んだ際に回数の減点などはありますか?」


「ないよ? 点灯していないサークルを踏んでいる間は制限時間が消費されるからね。ま、そういう意味では時間が減点される、と言えるのかな」


 同じサークルを両足で踏んでしまった場合は1回とカウントされるが時間も減る、か。

 光るサークルは常に隣り合わせだし、すぐに足を置き直せばいいだけの話なんだけど点灯時間が不定期ってのが難しいポイントだな。

 足元に集中しすぎれば変化した先の点灯サークルを把握するのに少しだけ時間を使う。

 把握しているうちに足は出せないから時間のロスはことさら大きくなる。

 ミスをした時は諦めて次の点灯に意識を向けたほうが良さそうだ。


「ありがとうございます。質問は以上です」


 ナノカが言葉を締めた事により試験官は質問を打ち切る。


「よし。それじゃあ始めようか!」


 俺は順番待ち三番手。

 次いで四番手にナノカ。

 二人同時に試験に臨むみたいだから前者の二人が終われば俺はナノカと一緒に挑戦することになる。

 一番手、二番手の受験生が配置についた事を確認してすぐに合図が掛かり測定を開始した。

 二人にしてみても初めての試みなのだろう。やはり苦戦しているようだった。

 試験官は飄々ひょうひょうとしていたが、彼女は何度もやっているからこそできる芸当である。


 こうして見ていると、持ち時間一分がかなり短く感じるな。

 みるみる内に制限時間が溶けていき、二人の挑戦はあっという間に終わりを迎えた。


 記録は63回と72回。その記録は3.5得点と4得点。昨年度平均と同等の記録だった。


 次に控える俺たちに緊張が走る。

 この場合は昨年度平均よりも前者の二人の記録が基準値になる。ライバルとの差を縮めるためにも越えた方がいいだろう。俺たちの後に続く受験生たちもきっとそう思考しているはずだ。


「じゃあ次の二人、トーヤ・アクリスタとナノカ・アクリスタ準備をしなさい」


 お互いに前へと出て、点灯している赤と橙のサークルに足を置いた。


「二人は兄妹かな?」


「はい」


「トーヤ君がお兄ちゃん?」


「そうですけど……」


「それはそれは、負けられないね?」


「……始めてください」


 くすくすと笑うナノカを横目に、やめてくれと切に願う。

 でも、確かにそうだ。

 カッコ良くはなくとも格好付けられる兄でいたい。

 魔力測定同様、気を引き締めて合図を待つ。


「はじめっ!」


 点灯する二つのサークルは不規則に変化する。早く切り替わる時もあれば、遅い時もある。けれど、遅くとも3秒以内には必ず切り替わるようだ。

 跳んだ次の瞬間には、備える。

 光るサークルを踏んだその時にある程度の目算を立てて体制を整える。

 必ず一つは光るサークルが変化する。コレはこの試験に挑む上で一番重要だと言えるだろう。


 青と紫。赤と橙。橙と黄。緑と青。赤と紫。紫と青ーー。


 俺は制限時間に気を使うことはなかった。終わった時は試験官が止めてくれるわけだし、意識するだけ無駄だと思ったから。

 サークルのみに集中力を割く、その考えが功を奏したと言える。


 試験開始からそう時は経たずして、早くも体が覚えてきた。


 考えずとも体の方が光を自動で追ってくれるような感覚。点滅が終わった瞬間に両足を浮かせて次のサークルへ。


 緑と黄。黄と橙。青と紫ーー。


 前方に跳ばなければならない場合、地面を斜めに蹴って跳躍する。そうすることで空中での反転に体力を使わない。

 短時間の間に跳躍を繰り返すこの試験では体力調整も必須能力だと言えるだろう。

 無駄に気負わず必要最低限の力加減を意識する。


 赤と紫、緑と青、緑と黄、青と緑、赤と橙ーー。


 心なしか、点灯速度が早まっているような気がするーーいや、気のせいじゃない?

 着地した瞬間、次のサークルへーー1秒と間を置かずに飛び続けていた。

 タイミングによってはサークルの点灯が切り替わる前に跳んでしまっている。

 それでも御構い無しに俺は跳び続けた。

 青と紫に着地。

 赤と橙へ向けて跳躍。点灯しているサークルは未だに青と紫だ。

 けれど着地の瞬間、俺を救うように赤と橙が点灯する。


 不点灯滞在時間0.0秒。


 ーー分かる。


 何故か分からないが、次に光るサークルが手に取るように分かる。


 緑と黄。紫と赤。赤と橙。青と緑。


 分かる、次が分かる。跳んで、予想通りのサークルが光って、踏んで、そしてまた次に飛ぶ。

 楽しい。

 試験だと言う事を忘れてしまいそうだ――


 ◇


 一瞬のミスもなく跳び続けるトーヤ・アクリスタ。周りでその挑戦を見ていた者たちは驚愕の表情色濃く、空いた口が塞がらないという状態だった。


 トーヤは時間を気にしていない。課せられた試験通り、点灯するサークルを踏むことのみに集中していたーーそれは"没頭"と呼ぶに相応しい。


 没頭していたが故に知らない。


 隣で挑戦していたナノカはとっくに終了していて、それから5分以上も飛び続けているということを。


 試験官、ビビアンは先ほどの自分の発言を思い返す。

 兄ならば妹には負けられないよねーーそういう意味での発言。完全にトーヤという少年を侮っていて煽るための悪戯心を口にした。

 だけどそれは完全に見誤っていた。

 今、目前で空中を舞い続けるトーヤ・アクリスタという男の子は笑いながらに試験に臨んでいる。

 妹に勝つどころか、世界中探したってトーヤと同じように跳び続けられる人間なんか居やしない。


 開始してから10分を経過しようとしている。19000人に及ぶ受験者数、本当なら次から次に試験をしなければいけない状況だ。

 だけど止める訳にはいかない。

 この前代未聞の挑戦者の行末を見届けたいと――いや、必ず見届けなければならないと義務感が湧いていた。

 トーヤの持ち時間は残り34.6秒から減っていない。

 妹を負かして5分以上の跳躍。彼は一体、なにと戦っているのかーー不意にそんなことを思った。


 カチリ。


 時計を刻む音がして、時計に目をやると34.2秒とあった。

 僅か、僅かではあるけれど減っている。

 ミスがあった?

 反応が遅れた?

 今も高速で動き続けているおかげで原因がビビアンには分からなかったけれど確かに時計は減ったのだ。


 カチリ。


 再び、時計を刻む音。

 残り時間は33.9秒へ。

 そして33.7秒、33.0秒。

 ゆっくりとだが、着実に時計は減ってきていた。

 目にも止まらぬ速度で跳び続けたトーヤであったが、彼にも避けられぬ問題があった。

 それは体力の消費。

 少しずつ、本当に少しずつではあるけれど、反応速度に遅れを生じさせている。そして、ミスを侵す度に生じる心の乱れが点灯サークルの予測に影響を与え、踏み外す。

 その後も小さなミスを繰り返していき、気付けば時計は残り10秒を切っていたーー。


 ◇


 今、何回踏んだ?

 分からねえ。

 あ、またミスった。ちくしょう。

 流石に疲れてきた。ナノカはもう終わったか? 切り替わりが速すぎてよそ見ができない。

 クソ、疲れた。

 まだ試験を残してるのにこんなに疲れて大丈夫か?

 赤、青。緑、黄。紫、青。緑、黄ーー。

 次は、次はなんだ。

 橙と黄のサークルから足を離し、次の点灯サークルに集中したーーだが、どのサークルも光らなかった。


「あれ、なんで!」


 俺は思わず叫んだ。


「トーヤ君、終了よ」


 試験官に声を掛けられて、ようやく理解した。

 制限時間を消費したのか。

 俺は疲れ果てて尻餅をついた。そして、そのまま背中を倒す。


「だぁあああ! 疲れたー!」


「お疲れ様、お兄ちゃん。そこは邪魔になるからずれようね?」


 倒れ込んだ俺の頭上でナノカが顔を覗かせた。


「ナノカに頼みがある」


「なあに?」


「引っ張ってくれ」


「……ねえ、そんなに体力を使い果たしちゃって大丈夫?」


「大丈夫じゃねえよ。けど、なんか辞めれなくてなぁ……」


「と、に、か、く。そこを退くよ」


 そう言ってナノカは俺の手を掴み一生懸命に引っ張った。

 ずるずると運ばれる俺。記録は勝ったけど、かっこ悪い兄の姿そのものだった。


「ーーアクリスタ兄妹! お疲れ! いやー凄いねえ君たち。特にお兄ちゃん! 天晴れだよ」


 記録用紙を差し出して試験官は言った。


「ありがとうございます。ちょっと立てなくて、こんな格好でごめんなさい」


「いいよいいよ! 気にしないで! 私はこの学校の先生ってわけじゃないからね!」


「先生じゃないんですか……?」


「きみぃ。こんな若くてピチピチの女性捕まえて何を言ってんの。私がそんな歳に見える?」


 確かに。自分たちと大差ない年頃といった容姿をしている。


「じゃあ、あなたは……」


 一体誰なのか。


「私はここの生徒だよ。ハスファルク高等魔道学校、軍事魔法学部、攻性防御学科三次生! ビビアン・アルバスハイン! よろしく!」


 声が大きい。


「よろしくお願いします」


 差し出された腕を取ってから。


「生徒が試験官を務めているんですね」


 俺はそう続けた。


「去年も去ることながら今年はさらに増えて2万人近く受験生がいるからね。先生だけじゃ人手不足なのよ。だから手伝ってるってわけ」


「それは、ありがとうございます?」


 ししっ、とビビアンははにかんで。


「いいって事よ! それに、これは私たちのためにもなるしね」


「そうなんですか?」


「ほら、君たちみたいな優秀な新入生に唾をつけて回れるからね」


 言い回しが汚い。

 付けて回るのは目星くらいにしておけよ。


「いやー、それにしても。君はどうやって跳んでたんだ?」


「どうやって、というと」


「ほら、まだ光ってもないサークルに。見ていた感じ、まるで次に光るサークルが分かってたみたいだったけど」


「あー、アレですか。詳しくは自分でもよく分からないですね。何となくそんな気がした? から、その方向に跳んで。そしたらそれが当たってーーって感じでしょうか。つまりはただの勘ですね」


 勘以上の何かを感じていたけれど上手く言葉に出来なくて俺は誤魔化した。


「凄いな、そこまで勘が冴えてる人は見た事がない。それがなくても、あれだけ跳び回れる人は少ないからね。二つの意味で君は天才だな!」


「少なくとも、後者に関して天才性はないですよ。地獄のような訓練を繰り返して来ましたから」


「そうなのかい?」


「父が馬鹿なもんで」


 説明も面倒だしーーそんな軽い気持ちで俺は言った。


「それは、お兄ちゃんが頼んだんでしょ?」


 結果、ナノカに突っ込まれることになった。


「そうだけど……出来ないとか、疲れたとか弱音を吐いてみろ。俺がそう口にする度に木刀持って追いかけ回されるんだぞ? 呪いたくもなるのが人の性ってもんだろう?」


「自分から頼んでおいて呪うなんて事はありません」


「そう言えばさっき、訓練を受けとけば良かったって言ってたな……よし、帰ったらデイネスにナノカの特訓をお願いしよう」


「やめて! 私には無理!」


「ほら、嫌なんじゃねえか」


「嫌なんじゃなくて、出来ないの」


「それを聞いた俺が木刀でしばいて来たらどうする?」


「しばき返す」


「ほら! そうなるだろ!?」


「呪ってはいない……でしょ。だからセーフ」


「いいか? しばき返そうにもしばけない相手なんだ。だから呪う以外の反撃手段が残されてないってわけ。分かったか?」


「うっ……」


 ーーあはははは、と。

 俺たちのやり取りを見ていたビビアンが吹き出した。


「そうか、君たちの姓はアクリスタだったね。デイネス様に鍛えてもらっていたのなら……うん、君の身体能力にも頷ける」


 納得したビビアンはうんうんと首を縦に振る。


「しかしそうか、デイネス様は自分の息子にはスパルタなんだね。私も何度かあの方の指導を受けた事があるけれど、とても優しく教えてくれた。一つ一つ丁寧に、失敗しても諦めるなと根気強くーー」


 恍惚の表情を浮かべて話すビビアンの言葉に首を傾げる。


「……それって誰の話をしてますか?」


「誰って君たちの父親の話だろ?」


「僕の知っているデイネス・アクリスタとはあまりにも違いすぎて、別人かと思いました」


「ははっ、君は正直だね。正直な人間は嫌いじゃないよ。入学したら是非、私の運営しているサークルに顔を出してくれ」


「サークル?」


「そ、サークル。同じ志を持った人たちが集まって活動する団体のこと。まあ詳しい事は入学すれば分かるからね、今はそういう物があるという事だけ覚えておいてくれればいいよ」


 ちなみに"慈善活動サークル"だという事を付け足して彼女はV字に指を立てた。


「つまり……僕たちは唾を付けられた、ということですか?」


「そう! 唾さ! なんなら忘れないように本物の唾も付けておこうか?」


「冗談だとしても、下品な発言は控えてください」


 呆れ気味に俺は返した。


「別に冗談じゃないよ? 私は君たちのことが気に入ったからね」


 そう言ってビビアンは屈む。

 横たわったまま動けないでいる俺に唾を垂らそうってか? なんて女だーーそんなことを考えていると。


「あ、ちょーー」


 ナノカが声を上げた。


 言葉の制止も時すでに遅し。

 チュッと手の甲に僅かな温もりが走った。

 温もりの正体はビビアンの唇。

 その後、放心しているナノカの手を取って同じように口付けをする。


 唾ってーーあぁそういうこと。


「これでよし、と。じゃあ私は試験官の仕事があるからこれで。さっきの話、本気だから考えておいてくれると嬉しい。それじゃ!」


 言いたいことだけ言って去っていく破茶滅茶に元気な先輩の背を、俺たちは黙って見送ることしかできなかったーー。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る