王立高等魔道学校入学試験5



 時は夕暮れ。

 正門の前にはおびただしい数の馬車が停車していた。そして、馬車の数を上回る人の群れ。


 あぁ、そうだよな。みんな今から帰宅ですもんね。


 試験を終えた者たちが次々と正門へ集まって来るおかげで人と馬とが大混雑。

 これじゃあナノカが居たとしても見つけられないーーそんなことを思いながら足を止めてきょろきょろと辺りを見回す。


 その矢先、ドン、とーー本日二度目の人との接触。

 今回は俺からじゃないぞ、その証拠に足を止めていた俺の背に、その衝撃は来た。

 だけど、どうだろう。

 自らぶつかったわけでは無くとも謝罪をするというのは人として当然であり、言葉は軽かろうともその一言が大事であると俺は思うわけだ。倫理的にな。だから、心の底からの謝罪ではなかったけれど、「わりぃ」そう言いながらに俺は振り向いた。


 そこには見覚えのある顔が二つ並んでいた。そしてそのどちらの顔も俺をめつけているようだった。


 どこかで見た気がする。誰だっけか。


「貴様、こんなところで立ち止まるな。通行人の邪魔になるとは思わないのか」


 おーいおいおいおい。自分からぶつかってきておいて第一声にそれはないだろうが。

 道のど真ん中で腕組みしながら仁王立ちしていたわけでもねえってのに、どんな言い草だよ。


 謝罪むなしく、俺は無視を決め込んできびすを返した。


「おい貴様! ビルドレックス様の言葉を無視する気か!?」


 ん?

 ビルドレックス様、聞き覚えがあるな。

 ああ、思い出した。朝ぶつかってしまった上に、恥ずかしい目に遭わされた時のアイツか。

 

「貴族の真似事なら家に帰ってからやってくれ。それじゃ」


 それだけ言って再び踵を返す。


「貴様! ビルドレックス様を愚弄する気か!」


 お付きの男がさらに声量を上げて喚いた。


「まぁ待て、ダイス」


 ビルドレックスが手を前に出して制止を促す。

 お付きの男の名はダイスというらしい。

 覚える必要は無さそうだけど……一応、心に留めておくか。


「貴様の先の発言、僕がファーマン男爵嫡男ちゃくなん、ビルドレックスと知らずの発言であったのだろう。だから咎めはしない」


「ほう。ならもう行っていいか? 待たせてる人がいるんだよ」


 ナノカが先に終わっていれば、の話だけれど嘘は言っていない。

 ビルドレックスは不敵な微笑みを浮かべた。


「何を勘違いしている。たった今、僕が男爵家嫡男であると知り、貴族であると理解できたであろう」


「……だから?」


 俺は返ってくる言葉に大体の予想が立てられたけど故意に聞き返した。


「先ほどの発言を撤回し、謝罪をしろと言っているんだ」


 想定外の返答が貰えないものかと淡い期待を寄せただけに残念でならない。

 想定通り、貴族様にはこうべを垂れろと言いたいわけだ。

 しかしながらビルドレックスの要求に応えてやれるだけの寛容な器というモノを生憎と俺は持ち合わせてはいない。

 キッと目を細めてビルドレックスを見やる。

 最初にそうされたように、俺も奴らを睨めつけた。


「だったらまずは、ぶつかってきた事を謝れよ。お前が何に対して謝罪を要求しているのか知らないけどな、話はそれからだ」


「貴様っ……」


「それと、さっきから貴様貴様って……」


 キサマという呼び方には二種類の思惑が存在する。

 親しい間柄である相手に対して敬意を払う場合と、相手を蔑んで罵る場合。

 ビルドレックスがどちらの意味合いで使用しているか気付けない人間はきっと居ない。

 

「馬鹿の一つ覚えみたいに人を呼びやがって……勝手に見下してんじゃねえよ」


「僕は貴族だぞ? 貴様のような平民が本来口を聞けるような身分ではないんだ! 身の程を弁えろ!」


「偉いのはお前じゃなくて、親だろうが。お前の方こそ身の程を弁えろよ」


 面食らったように口を開けて固まる二人。

 おそらく自分を貴族として扱わない人間に会ったのは初めてなんだろうな。

 世襲制である貴族の嫡男ともなれば将来的にビルドレックスはそのまま男爵の位を貰い受ける事になる。人柄がどうであれ、敬重すべき人物であることには違いない。

 普通ならば、ここは俺の方から膝でもついて謝罪をするのが妥当なんだろう。それは辺りに群がる受験生たちの表情(目を丸くしながらに青い顔を浮かべている)からも察する事ができる。

 彼ら彼女らの瞳には、俺が常識知らずの危険人物にでも映っているのだろう。まあそれは仕方のないことだ。

 周りからの評価を下げてでも譲れない――譲りたくない気持ちもある。


 自分の発言に後悔はない――


 しばしの硬直から逃れて先に動いたのはお付きの男、ダイスであった。

 ダイスはずかずかと進み出て俺との距離を詰めてくる。


「お前! いい加減しろよ! ビルドレックス様に対して無礼にも程があるわ!」


 胸ぐらに手を掛けて、ダイスは言った。

 しかし気になるのは、呼び方が"お前"になったことだ。どうやらさっきの発言は効果覿面てきめんだったみたいだな。


 鬼気迫るといった面構えで俺を睨めつけるダイス。その後方から、「くくくーー」と不気味な笑い声が発せられた。

 ダイスの顔面に視界を奪われていて後方の様子を確認することは出来ないけれど、声色で判断するにビルドレックスが笑い出したようだった。


「……ここまでコケにされたのは産まれて初めてだ……」


 だろうな。

 不幸なことにお前の周りには傲慢さを咎めてくれる人間が居なかったと見える。


「ふっ、いいだろう。キサマが口にした先の発言、全て覚えておけよ。貴族であるこの僕を馬鹿にした事、後悔させてやる」


 ビルドレックスが何を言わんとしてるのか、コレにも大凡の予想が付けられたけれど惚けたように俺は言う。


「なんだ? 俺は頭が悪いから理解できないんだ。具体的に言ってくれ。一体俺はどうなるんだ?」


「ロードレックス・ファーマンの名において出頭を言い渡す兵が直に出向く。キサマはこれに従うしか無く、残りの余生は檻の中で暮らす事になるだろう」


 言い切った後で不敵に笑うビルドレックス。

 ヤツの言う言葉の意味はともかくとして、俺はまず初めに胸ぐらの拘束を払い除けるーーダイスは抵抗するかと思ったけど、存外簡単に手が離れた。

 次に俺は、れてしまった襟を正しながらビルドレックスへと向き直す。


「……ロードレックスっていうのはお前の父親か?」


「そうだ。僕の父であり、ファーマンが家長。ファーマン男爵その人である」


「……はっ」


 込み上げてくる気持ちを俺は抑えられない。


「ーーははっ。あはははははっ」


 俺は下品に笑い出してしまった。

 腹を抱えて膝を叩く。

 理由ならば無論のこと、ビルドレックスの発言が愉快すぎたからである。


「……何がおかしい……」


「はははははっ。あひー。ぐふふふ」


「何がおかしいと聞いている!」


 ビルドレックス様はご不満であらせられるご様子。

 際限なく込み上げてくる愉快な気持ちを抑えて、何とか平静を取り戻した。


「ーーあー。笑った笑った」


 ぷるぷると肩を震わすビルドレックス。怒りはまもなく頂点を迎えそうだ。

 

「まったく自覚はねえんだな。お前の台詞全部、おかしいところだらけだってのに……」


「なんだと?」


 空を指し示すようにして俺は人差し指を立てる。


「一つ。父親に泣きついてんじゃねえ。俺がコケにしたのは"ビルドレックス・ファーマン"お前個人に対してだ」


 一連の口論は俺とこいつ等三人の間で交わされたもの。ロードレックスは関係ない。


「ーーっ!」


 怒りの感情を露わにして毛を逆立てながら一歩歩み寄ってきたビルドレックスを制止するように二本目ーー中指を立てる。


「二つ。物を知らないお前に教えてやる。国際連盟加盟国はギルドが制定する規則に一部従属することになっている。お前は三〇ある規則のうちの一つ、関公正法かんこうせいほう十二条の第二項に違反している。つまり俺のことを、侮辱や名誉毀損めいよきそんで訴えたとしてもお前の立場を危ぶめるだけだ」


【関公正法十二条第一項、自由権の獲得。国際連盟純粋意志情報機関 (ギルド)と提携を結ぶ国営機関の敷地内において、全ての人間が等しく自由権を獲得する】


【第二項、自由権の侵害。前項に記述した状況下において他人に義務のない行動を強要した場合、個人の獲得した自由権に対する侵害罪となる】


 王立ハスファルク高等魔道学校はギルド提携機関のため、敷地内では規則を遵守じゅんしゅしなければならない。

 今回の場合、ビルドレックスは己を貴族として敬い振る舞うよう、父親の立場を持ち出して俺に強要をしたと言える。これは立派な違反行為だった。


 理解が追いついていないのか、口を開いたまま固まっているビルドレックスを置き去りにして三本目ーー薬指を立てた。


「三つ、関公正法二三条、第一項。急迫した状況において不当な暴行及び暴言に対する自己防衛権の獲得。俺の事を平民だと見下したその時を以って、俺はお前に対して正当防衛レベル1を主張できる。よって、その後の口論にどんな思惑があろうとも全てこちら側に正当性が認められる」


【関公正法二三条、第一項。急迫した状況において不当な暴行及び暴言に対する自己防衛権の獲得。連盟加盟国の国土における全ての闘争に適応され、不当侵害に対応する防衛水準を設定し、これの遵守を原則とする。ただし、十人以上が該当する団体同士の衝突しくは、個人に対して不特定多数による侵害、に対しては防衛水準に明確な値を設けない】


【水準一(レベル1)、言葉の暴力に対して、言葉による防衛を許可する】


 さらに俺からしてみれば、状況が味方だと言える。

 この場は公然だしな。

 どちらから先にぶつかったのかを見ていた者がまだこの場に残っているとも思えないけれど、まあ多分大丈夫だろう。どの道、謝罪を強要して来たのも相手が先だ。それは足を止めて俺たちを見ているギャラリーが聞いてたはずだ。


 俺は四本目、小指を立てた。


「四つ、俺は獲得した権利をすべて放棄する」


 この宣言により、ビルドレックスは俺に対して侮辱されたと正当に訴える権利を得た。

 俺は自ら優位な立場を捨て告発される危険に身を晒した。

 その事にビルドレックスが気付いているかどうかはともかくとして、五本目ーー親指を立てた。


「五つ、俺の名前はトーヤ。今からビルドレックス……お前の顔を力一杯ぶん殴る」


「ーーはっ?」


 ここに来てようやく反応を示したな。

 俺は理解してもらうために鼻頭を指で示す。


「ここの、鼻のとこだ。そこを思いっきりぶん殴る。お前は呼吸器官の一つを失う事になるが、その代わりに……宣言通り俺を檻へ閉じ込める権利を得る。良かったな?」


 立てていた指を全て折りたたみ拳を丸めた。

 俺の拳と同様に、目を丸くして動かないでいるビルドレックスへと俺は一歩、歩み寄る。


「お、お前、何を言っている……?」


「だから、鼻をへし折ってやるって言ってんだよ。その、低い鼻っ柱をな」


 歩みは止めない。一歩また一歩と、着実にビルドレックスへと近づいていく。


「ま、待て。来るな! は、話そう! 話せば分かる、そうだろう?」


 足を引きずりながら、ビルドレックスは後退していく。

 たった数歩近付いただけなのに、先ほどまでの威勢は消え去り、随分しおらしい事を言うようになったものだ。


「暴力を受けるのは初めてか? お前のさっきまでの傲慢こうまんな態度を見る限りじゃあ随分好き勝手に生きて来たらしい。ずっと加害者側だったんだろ? これからもそうだ。お前は変わらず父親の立場を盾にしてずっと傲慢に振る舞い続ける。だったら、後学のために知っておくのもいいとは思わないか?」


「な、何をだよ」


「虐げられる痛みを、だよ」


「…………」


 言葉もない、か。

 少しは否定して欲しかったんだがな。

 俺が指摘した事に間違いがないなら迷いも必要ない。一度痛い目を味わうべきだ。

 コイツも、コイツを取り巻く周りの環境も、少しは改善してくれれば良いんだがーー。


「行くぞ」


 端的に、それだけ告げて踏み込んだ。

 狼狽えて動けないビルドレックスの顔面目掛けて跳び出し、拳を振りかぶる。

 ビルドレックスは咄嗟に腕で顔を覆った。

 防御するにしてはお座なり。宣言した鼻先までの動線を直線的には塞げているが縦横に掻い潜れるだけの隙間が存在している。

 それに視界を塞いでしまうせいで直撃の瞬間を知覚することもできない。

 痛みを知らず、痛みに備えることも知らない。

 ビルドレックスは貴族であるにも関わらず名前だけを盾にして生きてきたから本当に必要な教養を欠いてしまったのだろう。

 武術を習えるだけの金も名声も時間もありながら、怠惰に生きてきたという良い見本だな。


 瞼を食いしばって、襲いくる衝撃から目を逸らしたビルドレックスの肩に俺は優しく手を置いた。

 いや、殴ろうとしていた人間が『優しく』なんて言葉は使うべきじゃないか。その行為自体に優しさは微塵も感じられないしな。

 だから分かりやすく言うなら、俺はポンとビルドレックスの肩に手を置いた、か。

 

「ーーこれにりたら、自分の身分を笠に着て人を見下さない事だ」


 屈辱に身を震わしたビルドレックスが逆上して襲い掛かってくるなら宣言通り殴るだけだ。

 果たしてーー。


「わ、悪かった」


「……ふむ……」


 謝ったな。予想外だしつまらない。

 おっと、余計な事を考えてしまった。謝れるのは良いことだ。

 だから俺は良い意味で「ふむ」と言ったのだが――ビルドレックスは俺に不満があると勘違いしたのか。


「ぶつかって、しまって……申し訳ありませんでした」


 と丁寧に言い直した。

 どうやら性根まで腐ってはいなかったらしい。

 しかしこれでは追い打ちをかけて脅したみたいになっちゃったな……、まあいいか、脅したのは確かだし。


「許す。俺も馬鹿にするような発言をして悪かったな。お互い入学できたら仲良くしよう」


 他意はない。

 俺はそれだけ告げて踵を返した。


 さて、面倒事も済んだしナノカを探さないとなーー。


「って、さかなっ!」


 俺は思わず驚きの声を上げた。理由はもちろん、探し人であるナノカが真後ろに居たからだ。


「あ、間違えた……うお、だった」


「一々訂正しなくて良いよ。というか、そんな間違え方する?」


「事実、したじゃねえか」


「まあそうなんだけどね。いい? 驚いた時に声を上げるとしても、それは"うお"であって"うお"じゃあないんだよ。分かる?」


「分かる。咄嗟に冗談を言っただけだ……って、そんなことよりいつから後ろに居たんだよ」


「あ、そうだった。お兄ちゃん」


 鋭い眼光が俺を睨めつける。ビルドレックスたちの眼光とは比較にならないその重圧を受けて俺は狼狽えてしまった。


「喧嘩はダメ、絶対」


 見られてた。

 やばっ。


「いや? 喧嘩なんかしてないよ?」


「うそ。お父さんとお母さんに報告するから」


「……そ、それは」


「なに? 文句でもあるの? それとも、私にも"お前がかかって来いよ"って言いたい?」


 それも結構序盤から……、しっかり聞いていやがる。


「いえ、そんなことは思ってないです。喧嘩してごめんなさい」


「よろしい。それじゃ帰ろっか?」


「……はい……」


 妹にはとことん弱い兄の姿がそこにはあった。

 肩を落としてトボトボと歩いていく俺の背後で、誰が何をしているのかなんて。まぁ、当然俺は気付けなかったわけだけどーー後から知る事になる。彼、ビルドレックスの心には復讐の炎が灯っていたという事に。


 とか、言っておけば後々の敵キャラに最適だと俺は思ったり、思わなかったりーー。

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