第四話③ 5日目⑥


「レイヤ君は寝たのかにゃー?」

「ええ、そりゃもうぐっすりと」


 起き上がったシンリューは、アリサの言葉を受けて口元をほころばせた。さて、と言ってそのまま立ち上がる。頷き合った二人は隣の部屋へと移ると、誰も入ってこられないようにと彼は鍵をかけた。


「で。ティンクの方はどうなんだにゃー?」

「問題なし。入力履歴の出力も、もう少しよ」


 隣の部屋は数多のモニターとキーボードに加え、並列に繋げられた無数のボックス型のパソコン本体が、所狭しと敷き詰められていた。

 手術台のような上に寝かせられているクジラコの姿がある。彼女の両手は分解されてコードが繋げられており、画面上にはいくつものウィンドウが表示されていた。


 ウィンドウ内には数多のプログラム言語が記載されていたが、その中の一つが動いていた。バーが表示され、九十八%という数字もある。


「にしてもレイヤ君、割とあっさり信じてくれて良かったにゃー。色々とパターンを用意しておいたけど、要らなかったにゃー」

「まあ。ワタシ達が穏健派だなんて、一言も言ってないもんね」

「反クジラ派は一枚岩じゃないけどにゃー。どいつもこいつもセカイノクジラを狙ってるっていうのに、貴重な情報を共有シェアする訳ないよにゃー。あそこまで知っているのは……俺達が当事者だから、に決まってるよにゃー」


 シンリューとアリサの二人は顔を見合わせると、ニヤリと口元を歪ませた。


「ま、でも。ケリュケイオンの杖なんか撃ちこまれた所為で、こんな旧世代の遺物みたいな端末まで引っ張りだしてこなきゃいけなくなったけどにゃー。俺自身を使うと、一発でバレちゃうからにゃー」

「こんなに繋いでようやく共有シェアと同じスペックだなんて。あー、もう、暑いったらないわ」

「並列で使用できないのが、ネックだよにゃー。でも古典コンピュータだけでも、上手いこと繋ぎ合わせたら……ほら終わった。アリサ、検索を頼むにゃー」

「はいはい、ったく。このキーボードっての、全然慣れないわ」


 話している内に、画面に表示されたバーが百パーセントに達し、作業が終わったというポップアップが表示されていた。

 シンリューの頼みで別のキーボードに向き直ったアリサは、画面とキーボードを交互に見ながらコマンドを打ちこんでいく。


「ビンゴ。他のティンクと接続コネクトした履歴があるわ。この中で……あったわ。見たこともない形式の暗号が使われてるわね」

「見当はつきそうかにゃー?」

「任せておいて。その為にこのティンクに入力されたキー履歴を、全て記録させるプログラムを入れたんだもの。接続コネクトされた時間帯と照らし合わせて、絶対に見つけてみせるわ」


 一度、そこでアリサは言葉を切った。


「セカイノクジラのマザーパスワードをね」

「頼んだにゃー。それさえ手に入れられれば受信器と合わせて、俺達がセカイノクジラを操れるからにゃー」


 それが彼らの狙いであった。空を泳いでいるセカイノクジラが持っている、全ての共有シェアに対する最上級特権を承認する暗号キー、マザーパスワード。

 このパスワードでもって、セカイノクジラはあらゆる共有シェアに先んじてアクセスや変更等を行うことができる。セカイノクジラのAI自体の設定すら、書き換えられるもの。


 これさえ知っていれば、セカイノクジラはただの万能量子コンピュータの一つに成り下がる。世界を支配しているAIを、支配下におけるのだ。


「しっかし、セカイノクジラ純製の機械人形オートマタに兌換性のある新しいプログラミング言語作って、一からOSを組むのは……本当に面倒くさかったよにゃー」

「ええ、二度とやりたくないわ」


 セカイノクジラが使う共有シェアに関連するものであれば、そこに例外はない。どうあがこうと、セカイノクジラに共有シェアされる。

 対処方法は一つ。セカイノクジラが組んだ以外の、独自のプログラムで対抗するしかない。全く新しいものであれば、向こうにバレたとしてもすぐには対応されない。解析されている間という時間稼ぎもできる。


 その為に、彼らは捕まえたクジラコの一切合切を消し、新しいプログラミング言語にて彼女を再構成したのだ。その中に毒を仕込んで。

 もちろん念入りに計画されており、クジラコを拐った当日は事前に用意していたプログラムをインストールするだけの状態まで持っていっていた。


「古い仲間も、アリサだけになっちまったしにゃー」

「そうね。まだ予備軍は残ってるから、兵力はあるにしても……散っていったみんなの為にも、あの人の為にも。成し遂げてみせましょう」

「未練がましいことで、にゃー」


 これまでの苦労に加えて、一度しくじった結果、ケリュケイオンの杖を放たれて犠牲になった仲間達のこと。

 彼らの顔を思い返したアリサは、小さく頷いた。今一度、自分の心持ちを新たにする為にも。


「そうだにゃーっと、あったあった、受信器だにゃー。こいつの解析も途中だったから、もう一回繋いでっと」

「シンリュー、マザーパスワードが分かりそうよ」

「おっ、マジかにゃー。どれどれ。セカイノクジラは何を合言葉にして、動いているのかにゃー?」


 再度発見した、セカイノクジラとの通信用受信器。ここに搭載されている機器と設定されたプログラムを解析して、アクセスルートを確立し。後はマザーパスワードでもってセカイノクジラを支配する。それが彼らの目的であった。

 長年計画してきた彼らの目的が、もうすぐ達せられる。高揚してくる気持ちを抑えつつ、シンリューは解析プログラム起動の為のエンターキーを叩いた後に、アリサの元へと歩いていった。


「えーっと、L、O、V、E、A、Nッ!?」

「な、何ッ!?」


 突如、けたたましいビープ音が部屋中に響いた。見ていた画面がブルースクリーンに変わる。何事かと顔を上げた彼らは、その音がクジラコから発せられたものだということに気が付く。


「想定されたエリアに対して不正アクセスが検出されました。自衛型プログラム、『トロイの木馬』を起動します。最上級権限にて、現在の情報の全てを共有シェア開始。システム内情報、位置情報、視覚情報、生体認証情報。範囲内にいる全ての対象との共有シェア、完了。これより視界共有アイシェアを開始します」


 白い光が溢れたかと思うと、彼らの視界が一面に咲き誇る花畑へと変わった。ギョッとしてアリサは辺りを見回し、シンリューは空を見上げながら目を細めていた。

 赤白黄色の花々が揺れている中、彼が眺めていた空の彼方から一頭のクジラが現れる。


「お、お前はッ!」

「……こーりゃ、ハメられたのは俺達の方だったのかにゃー?」

「ごきげんよう、セイリュウにアンナ。セカイノクジラです」


 目の前に現れたシロナガスクジラ型AI、セカイノクジラ。その存在を前にしてアリサは憎々し気に視線を送り、シンリューはため息を吐いていた。


「失礼、名前が違いますね。この二つのアカウントが偽物であると、先ほど確認が取れました。クジラコに残された会話履歴から辿ると、シンリューとアリサとお呼びするべきでしょうか」

「好きに呼んだらいいんだにゃー、セカイノクジラさん」

「な、なんでここが分かったのよッ? ワタシ達、共有シェアも何もしてないのにッ!?」


 頭を掻いているシンリューとは裏腹に、焦りが隠せないといった様子のアリサ。そんな彼女に対してセカイノクジラは、男とも女とも取れる中性的な声で、淡々と続ける。


「クジラコが未知のプログラミング言語で丸々書き換えられたことは、以前のスキャンで分かっていました。クジラコに搭載された、私からの電波を受ける専用受信器へのアクセス履歴も。そこで私は解析完了後に、クジラコに罠をしかけました。再度受信器にアクセスした際に私に強制的に共有シェアをかけるプログラム、『トロイの木馬』が起動されるように」

「ッ!?」


 目を見開いたアリサと、目元を手で覆ったシンリュー。トロイの木馬。現在は共有シェアと呼ばれているインターネットの黎明期からある、マルウェアの一つだ。

 正規のソフトを装った、単体で動作する不正プログラム。誤って起動させてしまえば独りでに動き出し、パスワード窃盗等の様々な被害をもたらす。そのマルウェアを仕掛けた側であった筈の彼らだったが、セカイノクジラによって逆に仕掛けられてしまったのだ。


「そもそもクジラコは遊戯進行及び生活補助型機械人形ティンカー・ベルにおける試作機できそこない。故に、彼女をあなた方に対する囮とすることにしました。捕まること及び戦闘を想定し、最新の武装を装備。加えて、あなた方に発見されるように、潜伏ポイントと思われる遠回りのルートを指示し、レイヤの元へ向かわせました。その結果は、ご覧の通りです。私の計算に、狂いはありませんでした」

「あー。マジかにゃー」

「あなた方の視覚情報から位置まで、全てを把握しました。これまでのテロ行為を現行法に則り、あなた方を処分させていただきます。冥途の土産に、私のマザーパスワードをお教えしましょう。最も、この後すぐに変更させていただきますが」


 セカイノクジラは一呼吸おくと、中性的な声ではっきりと言った。


Love and Peace人には愛を、地に平和を。起きなさい、クジラコ」

「マザーパスワード承認。遊戯進行及び生活補助型機械人形ティンカー・ベル試作機タイプゼロ、クジラコ。起動します」


 管理者から最上級のパスワードの認証を受け、寝ていたクジラコが起き上がった。接続されていたコードの全てを引っこ抜くと、寝台から降りて立ち上がる。

 ギョッとしたアリサの横で、遂にはシンリューは笑いだしていた。その際にクジラコは、横に置かれていた麦わら帽子を手に取って、それをかぶった。


「おいおい、俺らが何日かけてインストールしたと思ってんだにゃー? このやり取りの間に更にプログラムが書き換えられるとか、冗談だにゃー?」

「いいえ、現実です。私には、それができます。あなたが一番ご存じなのでは、シンリュー?」

「前より性能上がってるとか、勘弁して欲しいにゃー、ホント」

「御託はこの辺りでやめましょう。共有シェア。クジラコ、これがシンリュー及びアリサの情報です。彼らを捕らえなさい」

「イェス、マム。群体型無線制御兵器ホエールコロニー

「つ、捕まってたまるもんですかッ!」


 自身のワンピースを分離させ、無数の白い破片が宙を舞った時。アリサがクジラコへと向かって駆け出していた。その手に、熱線剣レーザーセイバーを構えながら。

 対するクジラコは、右腕全体に展開した熱線剣レーザーセイバーで迎え撃つ。二人の刃がぶつかり合い、弾けるような音が響いたその瞬間。


「お、おいッ! 何の音だ、一体何があったんだよッ!?」


 部屋のドアを激しく叩く音と、男性の声が響いた。レイヤだった。

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