第七話① 7日目⑤


「な、なんでそんなデータまで保存してんだよ?」


 悪性データなら、構造解析を終えた後に消去しても問題ない筈だ。どれだけ手の込んだウイルスを作ろうが、セカイノクジラ程の万能量子コンピューターであれば、解析し終えたら複製や再作成も容易だろう。わざわざそれを残しておく必要はない筈だ。


「"彼ら"に提出する為です」

「彼、ら?」

「はい、私を完成させた"彼ら"です。人間の遥か高みに位置する、存在的上位者オーバーマインド。"彼ら"は人間がその手で作ったものを求めておりますので」


 いきなり話がぶっ飛んでしまい、おれは面を喰らってしまう。セカイノクジラを完成させた、存在的上位者オーバーマインド。口ぶりからして、おれ達より遥かに高度な文明でも持ってる生物、っぽいけど。


「な、なんなんだよ。その存在的上位者オーバーマインドって?」

「申し訳ございませんがこれ以上は機密事項となる為、お答えすることができません。私の話としては、その領域であればクジラコのデータも残っているという可能性の提示です。シンリューが組み上げた独自のプログラムと共に、そちらへと保存した履歴は残っておりますので。データ自体が壊れてさえいなければ、という前提はありますが」


 疑問こそ多大に残るが、おれには光明が見えた気がした。その化外の尾という領域に、クジラコのデータが残っているというのだ。


「よく分からんけど、その領域からクジラコをサルベージしてくれりゃ良いんだなッ!?」

「ですが、事はそう簡単には行きません。まずその化外の尾は、悪性データ感染防止の為に、私には高度なアクセス権限が設定されています。その為、一方的に書き込むあるいはコピーしてくることしかできず、データ内部を参照したり検索したりすることができません。ウイルスプログラムに侵される危険性を排除する為です」


 意気込んだおれだったが、すぐにセカイノクジラから注意される。冷水を浴びせられた気分だった。


「仮に検索できたとして、私にはそれがクジラコかどうかの判断基準がありません。直接クジラコと関わっていたレイヤにお願いするにしても、あなたが目で見て確認し、精査していては時間がかかり過ぎてしまいます。対処するには、あなたが私ほどの処理速度を持つ必要があります」

「じゃあ結局は駄目じゃねーかッ! 余計な夢見せるんじゃ……いや、待て」


 その時のおれは、一つ思い出すことがあった。ネバーランドゲームの当選を連絡してきたあの日、願い事の例として出された一つの提案。

 セカイノクジラ程の処理速度を、おれが獲得する方法。そうなれば可能になるのではないか、という閃き。


「おれの意識を電子化させれば、お前と同等の処理速度が出せるんじゃねーかッ!?」

「はい。私が提案しようと思っていた内容と同じです、レイヤ」


 おれの思いつきをセカイノクジラも肯定してくれた。そうか、おれ自身の意識を万能量子コンピューターとすれば、数多のデータの中でも短時間でクジラコを探し、精査することができる。

 他の誰かではなく、おれ自身でクジラコを助けることができるんだ。莫大なデータの中から探し出すには時間がかかるが、生身のままで確認していくよりは遥かに早い。


「この方法にも、問題がいくつかあります」


 希望があったと気分が高揚しているおれに対して、セカイノクジラは何処までも冷静だった。


「まずは化外の尾に向かった場合です。あの中は私でさえ、内部を完全に把握してはおりません。電子化したあなたの意識が悪性データに侵される、乗っ取られる、あるいは破壊されることだって十二分に考えられます。AI搭載型の悪性のプログラムは、他のプログラムを取り込んで自己進化を遂げている可能性すらあります。おそらくは、こちらで想定できる範囲以上の無法地帯であるかと」


 セカイノクジラからの言葉に、おれは身震いせざるを得なかった。人類が悪意を持って組み上げたプログラム。それが壺に入れられた毒虫達のように互いを食い合い、進化を遂げているという可能性。


「あなたはそんな悪意の塊の中で、クジラコのデータを探し、選別し、組み上げなければなりません。更には構築したクジラコ自体を、破壊されることもあるでしょう。例えるのであれば、積み上げる石を塵から組み上げる賽の河原の石積み、と言った方が分かりやすいでしょうか」


 賽の河原の石積み。先立つ不孝によって両親を苦しめた子どもが、五逆罪を報いる為に三途の川のほとりで石を積んで仏塔を立てなければならない、という話。

 一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為、と懸命に石を積んだとしても。完成前に獄卒の鬼によって、作りかけの塔を何度も何度も壊されてしまう為、いつ果てるともなく石積みを繰り返すという俗信だ。


「悪性のプログラムによって絶えず攻撃され続けるという、真の意味での苦行。報われる可能性も極小となれば、私としてはそこまでして、バグの発生したクジラコに執着する理由がありません。終わったものだと割り切り、新たな相手を探す方が合理的だと思われます」

「お前には、人情ってもんがないのかよ?」

「ありません。多少の感情の機微を把握する部分こそありますが。私は世界の運用の為に、一人でも多くの人間に幸せになってもらう為に。誰彼を優先する可能性のある自我を持つことを、許しておりませんので」


 セカイノクジラの考え方も、分からないではなかった。人間自体を幸せにしようと思ったのであれば、個々を鑑みる必要はない。一体何人の人間が救われたかという、数字の結果があれば良いだけだ。

 思えばコイツはシンリューを葬る為に、ケリュケイオンの杖でおれごと攻撃してきたような奴だ。機械は人を、個々人で判別したりはしない。


「ああ、そうかよ。お前からしたら、おれもクジラコも一人っつー数字かもしれねーけどな。おれにとってのクジラコっていうのは、代えの効かないただ一人なんだよッ!」

「納得はできませんが、あなたのその不合理な選択が感情によるものであることは理解しました」

「あっそ。んで、まだ他になんかあるのかよ? なけりゃさっさとやらせてくれ」


 元々このAIに、全てを理解してもらおうなんざ思っちゃいない。そういうことができないからこその管理者。

 分かる一方で、おれには快くない気分がある。反クジラ派が、どうしてセカイノクジラを敵視するのか。その理由が少しだけ、分かったような気がした。


 とは言え、今はクジラコのことが先だ。提示された三つの問題の内、ほとんどは解決できた筈。ならばこれ以外に、まだ何かあるというのか。


「問題はまだあります。化外の尾は基本的に、一方的な書き込みしかできない領域です。そこにあなたを書き込んだとしても、今のままではその領域から出てくることができません」


 悪性データが自分の元に来ないようにと、一方通行にしていることが問題になっている訳だ。このままじゃ賽の河原の石積みを終えたとしても、クジラコと共に戻ってくることができない。


「んじゃどうするんだよ? おれに特権でもつけてくれるのか?」

「いいえ。特権を渡しますと、あなたがウイルスに侵された場合に逆に利用される恐れがあります。提出用のデータを削除する訳にもいきません。つきましてはデータのコピーを別媒体に移した上での、切り離しを考えております」


 おれがクジラコを探し回る用の場を、別で用意してくれるって訳か。まあセカイノクジラとしても、データ書き込みが出来なきゃ困る訳だしな。当然か。


「コピーっつっても、そんな簡単にヤバいデータが置ける領域があるのかよ? それに化外の尾だかなんだか知らないけど、相当な容量があるんじゃねーの?」

「はい。化外の尾の領域を丸々コピーしようとすると、同じくらいの湿式情報ストレージが必要となります。用意するには、年単位での時間がかかるかと」

「んなもん待ってられるかッ!」


 全長約百メートルのシロナガスクジラの尻尾。そこに血管のように流れている湿式情報ストレージとか、一体どれくらいの量があるのか。どれだけの容量を持っているのか。

 度重なる情報爆発によって、一つ当たりのデータの容量も膨大になった今。それくらい必要で当然っちゃ当然なのだが、こちらとしても大人しく待ってはいられない。


「分かりました。ではレイヤに協力していただければ、その問題は解決できます」

「おれの協力? おれは意識を電子化して、クジラコを探すんじゃねーのかよ」

「それもありますが、もう一つお願いしたいことがあります。時にレイヤ。あなたに両親はいますか?」

「は?」


 首を傾げたおれに投げられたのは、思いもしなかった問いかけだった。


「い、いない、けど」

「では次に、あなたの特技はなんですか?」

「え、えーっと。パルクール、とか?」

「いいえ、もっと能力的な部分のことです」


 続けられる内容に思わず素の調子で答えたが、セカイノクジラが望んでいた答えではなかったみたいだ。


「の、能力的な部分? そんなこと言われても、おれは人よりちょっと物覚えが良い以外は、特に」

「はい。あなたは常人と比べて、遥かに物覚えが良い。一度聞いたら忘れないという、人間としては破格の能力。?」

「は、はあ?」


 いきなり自分が何故物覚えが良いかと言われても、全く分からん。生まれ持った才能とか、そういう話にしかならない気がする。


「結論を申しますと。あなたが物覚えが良いのは、私がそのように造ったからです」

「……は?」


 おれはその場で凍り付いた。セカイノクジラが言っていることが、全く分からなかったからだ。


「あなたは企業と共同研究の末に私によって作られた、次世代データ保管技術であるヒューマンストレージ用人工人間の試作機タイプゼロ。簡単に言えば、情報保存に特化するように遺伝子操作されたクローン人間です」

「ッ!?」


 セカイノクジラから告げられた真実は、金槌で頭を殴られたかのような衝撃だった。

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