第六話④ 7日目④


 暗闇が一瞬にして消え去った。視界に現れたのは、燦々と輝く陽の下で色とりどりの花が咲き誇るお花畑。セカイノクジラと会う時の、いつもの光景だ。

 乗っていた子クジラが停止して、花畑の中央に着陸する。外に出るように促されたおれは、その中へと足を踏み入れた。空調が効いて空気が循環しているのか、そよ風が頬を撫でている。


 眩しい陽に、一つの影ができる。それはゆっくりと降りてきて、おれが全体像を見ることができる距離で制止する。世界を回す、一頭のシロナガスクジラ型AI。


「セカイノ、クジラッ!」

「ごきげんよう、レイヤ。セカイノクジラです。ネバーランドゲームのクリア、おめでとうございます」


 強い視線を向けたおれに対して、セカイノクジラは酷く機械的な挨拶を返してきた。


「この度は数々の身の危険に晒しまして、誠に申し訳ございませんでした」

「ッ……言いたいことは山のようにある」


 こちらが言う前に先んじて、セカイノクジラが言葉を発した。機先を制されたことで、おれは言葉に詰まる。


「クジラコが初めから弄られてたし、ケリュケイオンの杖で殺されかけたりもした」

「あの状況下では、あれが最も適当な行動だと判断しました。その結果負傷されましたことに関しては、こちらの責任となります。その補填及びネバーランドゲームの勝者として、出来うる限りの望みを叶えさせていただきたいと思います」

「そうだ、責任だ。その責任を取ってもらうッ!」


 おれは声を荒げた。無駄な謝罪に付き合うつもりはない。ただ自分の望みだけを、明らかにしたかった。


「クジラコを返せ。おれの望みは、それだけだッ!」

「承知いたしました。では同一の機械人形オートマタを作成し、お渡しさせていただきます」


 こちらの必死さに対して、セカイノクジラはあっさりとそれを了承した。その態度を見て無意識のうちに奥歯を噛んでいたが、おれは何も言わなかった。


「つきましては、いくつか確認させていただきたいのですが」

「なんだよ?」

「レイヤのおっしゃるクジラコとは、私があなたの元に派遣した際のクジラコで間違いないでしょうか?」


 突然の質問だった。おれは眉をひそめる。


「どういう意味だよ? クジラコはクジラコだろ」

「私の質問の意図としましては、こちらから出荷した際のクジラコで間違いありませんかという確認になります」

「出荷した際の、クジラコ?」

「はい。そのクジラコであれば、私はあなたにお送りすることができます。しかし」


 嫌な予感がする。身体が強張るのを感じた。まるで冷たい金属で背筋をなぞられているかのような、不快な形で。


「反クジラ過激派に書き換えられたクジラコについては、私の方で復旧することができません」

「ッ! な、なんでだよッ!?」


 覚悟していた筈なのに、おれは息を呑んだ。口元は震えていたが、考えないままに声を張り上げる。


「クジラコはお前にデータを共有シェアしてた筈だッ! それで持ってお前は、シンリュー達が作ったプログラミング言語を解析したんじゃないのかッ!?」

「確かに私はクジラコ内にあった未知のプログラミング言語の解析の為に、データを共有シェアさせていただきました。解析も既に終了しております。しかし解析に使用したデータは、反クジラ派が作成したもの。こちらに害を及ぼす危険性があった為に、私のストレージからは削除させていただきました」

「ッ!」


 心の中で、冷静な自分がいる。世界中の管理運営をしているようなこのAIが、モタモタと解析している訳がない。終わった無駄なデータを、合理的なAIがわざわざ取っておく必要もない。


「だ、だけどデータが削除されても、まだストレージには残ってる筈だ。そこからサルベージすれば……」

「削除データから復旧させようとした場合。新規データの書き込みをストップさせる為、私自身のストレージの運用を止めなくてはなりません。管理運用に支障が出てしまいます。申し訳ありませんが、他の方々の生活に支障が出てしまう為、承諾はできません」


 セカイノクジラが、順番に説明してくれる。クジラコの復旧ができない、一つ目の理由。


「また、あのクジラコはバグによって発生した人格となります。私とのやり取りの履歴も不足している為に、私にはどのデータがあのクジラコかを、判断する基準がありません。一つずつデータを精査し、全てをレイヤに確認していただく必要がありますが、膨大な時間がかかります」


 これが、二つ目の理由。


「加えて、既に削除から時間が経っている為。理論上、完全に復旧させることはほぼ不可能と思われます。そこまでして構築されたクジラコが、あなたの望むクジラコである可能性はほとんどなく、そもそも構築すらできない可能性が……」

「んなことは分かってんだよォォォッ!」


 最後の三つ目の理由。一つ一つ丁寧に説明してくれたセカイノクジラを遮って、おれは吠えた。膝から崩れ落ちつつも、声だけは張った。

 自分の普段の仕事に関連するものでもあって、嫌でも理解してしまった。せざるを得なかった。


 全部、分かって、いたことだった。


「分かってる、分かってんだよッ! クジラコが戻ってこないなんて、そんなことは分かってんだよッ! 分かって、るんだ……」


 もう二度と、コトワリの時のような思いをしたくない。そんな情けない思いだけが、今のおれの全てだった。

 可能性がないことはない。だがそれを成すには、高すぎる壁が三つもある。しかもそれを乗り越えたとして、完全な彼女は帰ってこない。


 普通に考えれば、諦める一択だ。セカイノクジラがおれに対して申し訳ないと言っており、可能な範囲での償いはしてくれる筈だ。

 例えば定額生活費ライフコストサブスクリプションランクAを貰って、一生働かず、優雅に生活する。クジラコとガワだけは同じ機械人形オートマタだってくれるだろうし、他のことをお願いしても良い。


 妥協するのであれば、いくらでも考えようはあるのだ。


「それでも諦められないんだよォォォッ!」


 おれは曲げられない。あのクジラコを、失いたくない。思い出の中だけにあるなんて、嫌だ。あの彼女に生きていて欲しい。それはただの、おれのエゴだ。


「では、どうしてもクジラコを蘇らせたいというのであれば、私から提案があります」

「ッ!?」


 思いもかけない言葉が飛んできた。うずくまっていたおれは勢いよく顔を上げると、巨大なシロナガスクジラと視線が合った。


「ほ、本当か? クジラコを取り戻せるのかッ!?」

「先に注意しておきますが、完全に取り戻すことはおそらく不可能です。その上で、先に挙げました問題点を解決できる方法があります」

「教えてくれッ! 頼むッ!」


 AIから放たれたのは、地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸。おれは迷わずそれに飛びついた。


「まずは現状、バグで発生したクジラコのデータが残っていると思われる領域についてです」

「えっ? お、お前、さっき削除したって」

「はい。私自身の運用ストレージからは既に削除しております。私がお話するのは、私が持つ保存用のストレージ。一般には公開されていない、秘密のバックアップ。私自身の尻尾に流れている湿式情報ストレージの、その更に奥。ストレージ上の割り当てはZドライブ。通称、化外の尾と呼ばれる領域。非人道的な研究の実験記録や、秘密取引の履歴。私自身を害する可能性すらあるコンピュータウイルス等、一般には公開できない情報を、一方的に保管している場所です」


 初めて聞く内容に、おれは戸惑いを隠せなかった。

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