第六話③ 7日目③
「もともとわたしは、あなたのほじょ。げーむがおわれば、ばいばい」
「ふっざけんなッ!」
おれは声を上げた。叫び声に近いものだった。
「やっと、やっとお前を取り戻せたって言うのに、ここでまたさよならなんて認められるかッ!」
クジラコが直ってから改めてとか、悠長にしていられなくなった。おれは想いを叩きつけてやろうと、息を吸い込み直す。
「おれは。おれは、お前のことが……」
心の底から言える。もうしないなんて言っていた自分の殻を、破る。そう決意したおれが口を開こうとしたその時。
「――ッ!?」
「だい、じょうぶ」
おれの唇に、特殊セラミックの冷たくて固い感触があった。クジラコだった。彼女が人工皮膚が剥がれてむき出しになった人差し指で、おれの唇を遮っている。
「いわ、なくても、わか、るから。レイヤ、がわた、しの、ことを、そうおも、ってくれた、って。みちびき、だせた、から」
「ッ!」
クジラコの言葉もそうだったが、それ以上におれは息を呑んでしまった。
無表情だったクジラコが、今までずっと顔色を変えなかった彼女が。おれを見て、優しく、微笑んでいたのだ。
「ばぐ、でえたこい、ごころだっ、たけど。ずっとこ、こちよか、った」
「レイヤ、のことをか、んがえ、るだけで、ずっと、ず、っと、うれし、かった。かん、じょうぷ、ろぐらむな、んかない、はずな、のに。いっしょ、にいられ、て、しあわ、せだ、った」
「く、クジラコッ! おれ、おれはッ!」
「もう、じか、んがな、いの」
「グハッ!?」
やっと正気を取り戻せたその時、クジラコが右腕一本でおれを突き飛ばした。
後ろへと尻もちをついたおれとは対照的に、彼女自身は前へと。青灰色の髪の毛をなびかせながら、子クジラの口の中へと吸い込まれていく。
「クジラコッ!」
「レイ、ヤ」
即座に立ち上がったおれの目には、閉じられていく子クジラの口があった。慌てて駆け寄るが、どんどんと彼女の姿が見えなくなっていき。
「あな、たがだい、すき」
「おれも。おれも、お前のことが……ッ!」
子クジラの口は、完全に閉じ切られた。おれはそこを、ガンガンと叩く。
『
「好きだ、好きなんだッ!
『警告、警告。これ以上、機体を叩かないでください』
子クジラの側面が開き、中に乗れと促される。おれは聞いてなんかいなかった。
ずっと、ずっと子クジラの口元を叩き続ける。中にいる彼女を返して欲しくて、彼女の微笑みがもう一度見たくて。おれは握った拳を、ぶつけ続ける。
『警告が規定回数以上に達しました。
「ぐあッ!?」
突如として電流が走り、おれは子クジラから飛びのいた。再び尻もちをついたおれに対して、容赦のない警告音声が鳴り響く。
『これ以上の暴力行為が認められれば、失格とさせていただきます』
「クソがァァァッ! ああああああああああああああああああああああッ!」
おれはその場で膝をついて、足元の屋根を殴った。零れ落ちる雫を拭いもしないままに、何度も、何度も、拳を叩きつける。
「ああッ! ああッ! あああッ! ああああああああああああああッ!」
一発、二発、三発、四発。利き手の右手で、殴りに殴る。おれの下に広がっている屋根は、ビクともしない。ただただおれの右手に痛みが走り、それは徐々に大きくなっていった。
そんなことはどうでも良かった。失った。おれは再度、失ってしまったのだ。大好きになった人を。今度は、絶対に取り返しがつかないのではないかと思えるくらいに。
「馬鹿ッ! 馬ー鹿ッ! おれの、馬鹿野郎ォォォッ!」
コトワリの時に懲りた筈なのに。あの時に心底悔いた筈なのに。言えずにいて失って、傷つきたくないから心を決めて。もう恋なんてしないなんて、声高に言っていた癖に。結局は、このザマか。
どっちつかずの半端もん。絶対に恋なんてしない、と心を鉄にすることもできず。恋をするなら、ちゃんと相手に伝えることもできず。煮え切らない気持ちのまま、なあなあに過ごしてきた結果が、同じことの繰り返し。馬鹿以外の言葉が、見当たらない。
ただただ彼女と出会ってからの日々を思い出しては、涙を流した。
『レイヤ様、子クジラへお乗りください。このまま乗車が確認されなければ、辞退したものとさせていただきます』
「ッ!」
嗚咽で喘いでいるおれの耳に、冷たい言葉がかけられる。ハッとしたおれは急いで中へと駆け込んだ。
その後に扉が閉まり、子クジラが動き出す。宙に浮いた子クジラが両側のヒレを動かして方向を変えると、何処かへ向かって動き始めた。
中にはファーストクラスを思わせる一人用のソファーが置かれ、空調も効いている。壁際には小型の冷蔵庫もあり、ご自由にお取りください、の表示もあった。壁の全ては外を透過しており、三百六十度、床以外の全てを見渡すこともできた。
「ううッ、うううううううう……まだ、だッ」
車内でも情けなく涙を流していたおれだったが、思いっきり鼻水をすすった。袖口で涙を拭うと、キッと目線を向ける。
「クジラコはシンリュー達にプログラムされた内容を、セカイノクジラに
思い出したからだ、クジラコとのやり取りを。あれからだいぶ時間も経ってしまい、構造解析が終わった可能性は十分に考えられる。終わったデータとして、既に破棄された可能性は高い。
か細くて、そうなっていたら良いという希望的観測が多分に含まれている。おおよそあり得ないと言っても過言ではないくらいの、極小の可能性。今のおれには、他にすがれるものもなかった。
「まだ終わってない、クジラコはまだ諦めない。それにセカイノクジラ。神にも近いと言われているお前に、おれは貸しがある」
目の前に小さな影が見えた。それは徐々に大きくなっていき、全貌が明らかになる。表面にコーティングされた太陽光発電素材によって自家発電をしながら世界の空を泳ぐ、シロナガスクジラ型万能量子コンピューター製AI。
ネバーランドゲームを企画し、おれとクジラコを引き合わせてくれた、今回の事件の全てに関わっていそうな張本人、セカイノクジラ。そのセカイノクジラが動き、口を開けた。
『ようこそお越しくださいました。セカイノクジラは、あなたを歓迎いたします』
開いている口の中に迷いなく進んでいく子クジラ。ほとんどの人間がその内部に入ったことがない、ブラックボックス。おれは拳を握りこみ、顔を上げる。視界を大きなクジラが覆っていく。流れ落ちた一筋の雫を、もう一度だけ拭った。
完全にセカイノクジラ内へと入り込んだ後に、口が閉ざされる。周囲から光が失われ、視界が一気に真っ暗になった。
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