セカイノクジラのType ZERO

沖田ねてる

序章前編 事前連絡


 安アパートのシャワールームから出て、バスタオルで頭を拭いていた時。おれの視界には、三件の通知があった。


「課長とコトワリと……セカイノクジラ公式から?」


 灰色の短髪から滴る水を拭き取って見れば、通知欄に見慣れない名前があった。

 身体も拭いて黒いトランクスの上に紺色の短パンを履き、白い半袖のシャツに袖を通す。夏場ということもあり、じんわりと汗がにじみ出ていたが、まあそのうち乾くだろ。


 チラリと姿見に映った平均身長以下の自分が持つ金色の瞳には、疲労の色が見えている。今日も疲れたなあ。

 脱衣場から出つつ、薄い褐色肌の指を動かして、仕事のことであろう課長のチャットから確認してみた。


『レイヤ君へ。三日前に作ってその日のうちに消した資料が明日の会議で必要になったから、バックアップから復活させてくれない?』

「いや無理」


 台所にやってきたおれはゲンナリしながら、頭の中で言葉をまとめていく。


「増分バックアップは一日一回なので、その日のうちに作って消したファイルは残っていません、っと」

『前みたいにデータ復旧で何とかならない?』

「あんな手間をもう一度やれと申すか。第一、三日前のデータなんざ、ストレージに残ってる訳ねーだろうが」


 丁寧に無理な理由を並べて、チャットを送り返す。程なくして、仕事なんだからそれくらい何とかしてよ、全く最近の子は、という嫌味付きで諦める旨の返事がきた。

 新卒二年目を馬鹿にすんな。つーか社内ネットワーク管理担当を何だと思ってんだ。別部署の奴は、こっちの仕事の内実も知らんのかい。よく課長になれたな、あいつ。


「あー、クソ。たまには平日も走りてえなあ。定時終わりとか、入社日以来やったことねーぞ」


 ため息をついてからタオルを肩に乗せ、課長とのチャット画面を切った。

 公共機関である今の会社。おおよそ就職できない倍率から内定を貰った時は喜んだものだが、入ってみればこんなもんかという落胆ばかり。部屋にあるボックス型のリモートワーク用スペースが、段々と恨めしく思えてきた。


 その辺に放ってあるゴミ袋を避けつつ、冷蔵庫を開ける。


「げっ、あと一本しかねーじゃん。ヘイ、リーズン。これ追加注文しといて」

『了解いたしました。視界共有アイシェアにて商品を確認。定額生活費ライフコストサブスクリプションランクD、発泡酒。追加発注をかけます』

「あーあ、たまには生が飲みてーわ」


 給料よりも福利厚生を取った所為で、給料が安い安い。残業代こそ出るものの、しこたまやって、やっと民間レベル。もうちょい企業研究しときゃ良かったかなあ。

 VAバーチャルアシスタントの注文完了報告を聞きつつ、取り出した缶のプルタブを開ける。景気の良い音が鳴った。おれは笑顔と共に口をつけ、一気に呷る。喉を通過していく刺激的な炭酸とほろ苦い舌ざわりが、おれの身体を満たしていった。


「プハーッ! あー、効くわー。んで、コトワリの方は、と」


 冷蔵庫を閉め、サブスクで届いたおつまみセットを持って、おれは居間へと向かう。おつまみと飲みかけの缶を机に置き、ソファーに座りこんだ。

 袋を破ってスナック菓子を口に放り込みつつ、幼馴染から届いたチャットを開く。


『彼氏と最近ハマってるゲームがあるんだ、君もやらないかい? 私の招待コードがあれば、特典がつくぞ』

「……んなもん、彼氏とやってろっつーの」


 おれは再度、発泡酒を呷った。アルコールが回り始めた頭の中で、さっと返事の言葉をまとめる。


「オッケー、招待コード送っといて、っと……うわ、もう返事来た。今度はタワーディフェンスゲームかよ」


 ゲームを起動させると自分の部屋の景色が変わり、中世ヨーロッパの城の門の前になった。門が開き、ゲームのタイトルが表示される。


「リーズン。ゲームはサブウィンドウ。メインをクジラチューブに」

『了解いたしました』

『あなたとわたくしで、今日もヴィクトリーッ! 完全AIVtuber、マグノリア=ヴィクトリアのチャンネルへようこそですわーッ! 今日は今人気のタワーディフェンスゲームお実況と新曲のおMV。お歌ってみた配信とお雑談配信の計四つをお送りしていますわーッ!』

「はーあ、別に引きずってるつもりはねーんだけどなぁ」


 視界いっぱいのゲーム画面を小さい画面に切り替えて、いつもの動画サイトをメインに置く。推しの金髪碧眼爆乳お嬢様系AIVtuberチャンネルは、今日も人で賑わっていた。

 新曲をタッチすると、程なくしてアップテンポの音楽が流れ始める。にも関わらず、おれの心模様は曇天だった。


「……もう恋なんてしない」


 あの時の苦い思いが蘇ってくる。嫌な気持ちを出し切った筈なのに、小さなトゲが心の何処かに刺さっているような気がした。忘れようと思い、おれはMVの音量を上げた。

 そのまま新曲を流しつつ、片手間でサブウィンドウのゲームを適当に進めていく。コトワリの言ってた特典を得る為には、メインメニューが出るとこまで終わらせておかなければならん。めんどい。


 空いている手でスナック菓子と発泡酒を交互に口に放り込んでいたら、ようやくメインメニューが出てきていた。おMVとやらも終わり、次の動画の前に広告が自動再生される。


『今この会社が熱いッ! セカイノクジラと共同開発ッ! 増え続ける情報爆発に光明を見出す、新たなるデータ保存技術。ヒューマンストレー……』

「スキップ」

『建物の保険なら、クジラ公式が断然お得ッ! 万が一倒壊した場合でも……』

「スキップっと。最近多いな、建物保険の広告」

『次のニュースです。本日未明、反クジラ過激派の組織を位置を特定し、周辺地域の避難完了後にケリュケイオンの杖が放たれました。以前起きた都市区画爆破事件の首謀者がいた可能性があり、避難シェルターの整備と合わせて……』

「スキップ。つーか物騒だな、おい……あっ。そーいや、もう一件チャット来てなかったっけ」


 視界に流れる広告とニュースをスキップしていた時、おれはもう一件来ていたメッセージの存在を思い出した。未読になっていたチャットを開き、内容を確認。差出人は、セカイノクジラ公式だった。


「ネバーランドゲームの当選についてって、マジ? あなたはピーター・パンに選ばれました。ゲームに勝利することで、セカイノクジラが一つ望みを聞いてくれるッ!? 反クジラ派からのスパムとかじゃ……って、もう一通きた」


 書かれていた文面に、おれは身を乗り出していた。酔いも一気に醒めてきた感じがあり、徐々に口角が上がっていく。

 続いて届いたのは、同じ差出人からであった。一時キーと件名にはあり、チャットには参加を希望する場合はここから共有シェアをかけろ、という指示もある。


「モノホンっぽいな、やってみっか。生体認証共有パーソナルライセンスシェア開始。氏名、レイヤ」


 クジラ公式から来ているチャットということもあり、おれはその一時キーをタップして共有シェアを行った。程なくして、向こうから返事が返ってくる。


『スキャン開始。生体認証共有パーソナルライセンスシェア、完了。レイヤ様本人と確認が取れました。頂きました一時キーを破棄し、共有シェアを開始します。ようこそ、セカイノクジラへ』


 チャット画面が自動的に削除され、動画サイトも閉じられる。視界に映る自分の部屋の景色が一転した。

 白い光が溢れたかと思うと、一面に咲き誇る花畑へと景色が変わった。赤白黄色の花々が揺れている中。机と椅子はそのままなので、おれは発泡酒を啜りながら待つ。相変わらずスゲーよな、この視界共有アイシェア


 空から現れたのは、視界の全てを覆いそうなくらい巨大なシロナガスクジラだった。

 公式情報によれば、全長約百メートル。世界の空を泳いで各種の生活を支えつつ、漫画、ゲーム、小説、動画等のエンタメまで提供してくれている、人類の管理AI。


「ごきげんよう、レイヤ。セカイノクジラです」

「ども。チャット見て来たんだけど」

「はい、お待ちしておりました。あなたは次に開催されます、セカイノクジラ公式の参加型企画。ネバーランドゲームにおける逃亡側、ピーター・パンに選ばれました。つきましては参加の有無の確認の為、今からこのゲームの概要を説明させていただきます」


 男性とも女性とも取れる中性的な声色で、流暢に説明してくれるセカイノクジラ。

 今の時代、声のサンプルデータさえあれば波形を解析して、その声で喋ってくれるボットなんざ溢れかえってるけど、セカイノクジラにも誰かモデルがいたりするんかね。


「今回のゲームは、多人数鬼ごっこです。ピーター・パンに選ばれたあなたは参加者から捕まらないように逃げ回りつつ、七日間以内に指定された五つのチェックポイントを目指し、お宝を手に入れてください。捕まらずに全てのお宝を集めたら、あなたの勝ち。途中で参加者に捕まったら負けです」

「一週間かー。それって仕事は大丈夫なん?」

「参加していただける場合は、私から仕事場へ直接連絡させていただきます。その期間の給与相当分の補填もさせていただきますので、ご心配なく」

「負けた場合って、なんか罰とかあんの? あと勝ったら望みを一つ叶えてくれるってあったけど、具体的には何処までやってくれるん?」

「負けた場合はそこでゲーム終了になり、次の日から仕事に復帰していただくことになります。捕まえられても罰はありません。逃げ切った場合の願い事はそちらの要望とすり合わせをすることになりますが、ご希望はありますか? 未だ試作段階ではありますが、意識の電子化による永遠の命等も可能ですよ」


 言われてから、はたと考える。いきなり望みを叶えてやろう、と言われてもなあ。日々をダラダラ過ごしている身からしたら、なかなか思いつかない。


「……コトワリ」


 いや。正確には、思いついてないことはないんだけども。


「はい、なんでしょうか?」

「い、いや何にもッ! え、永遠の命とかは別に良いかなー。そうだッ! 働かなくても生きていける権利とかは?」

「可能です。定額生活費ライフコストサブスクリプションランクAの生活を、生涯送ることも可能です」

「うっは、マジでッ!? やるやるッ!」


 おれはソファーから飛び起きた。ランクDのおれからしたら、Aとかもうセレブの領域だ。

 どのお店でも食い放題になるし、どんな服も選び放題。うっとおしい広告なしで動画やゲーム、映画や漫画や小説なんかも見放題。やっすい発泡酒ではなく、上質な生ビールを浴びる程飲めるし、何よりもこれ以上働かなくても済む。最高じゃん。


「参加希望ですね、ありがとうございます。では、レイヤ様をピーター・パンとして登録させていただきます。要望につきましては、逃げ切った際に改めてお伺いしますので、今すぐに決めていただかなくても大丈夫です。では細かいルールについて、説明いたします。必要であれば繰り返しますので、お申し付けください」

「一回で覚えられるから、別に大丈夫」


 仕事せずに生きていけるってんなら、一週間逃げ回るくらいやってやろうじゃねーか。

 こうしておれはセカイノクジラが開催するネバーランドゲームに参加することになった。

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