第七話④ 7日目⑧
気が付くと、おれは何故か重石を抱えながら身体を拘束され、一本のロープによって宙づりにされていた。眼下には激しい濁流を打つ川が流れており、溺れたらタダじゃ済まないことが容易に想像できる。
川辺には、胸に白い十字がある黒い祭服を来た男性がいた。
「さあ、お前が魔女だということを証明してやる」
「は?」
状況を把握する間もなく、男性がそう告げたと同時に、おれを支えていたロープが切られた。一瞬の浮遊感の後におれは重石ごと落下し、水面に叩きつけられる。
「ガバゴホグハッ!?」
当然、身動きが取れない中で重石まであるおれは水中に沈み、肺の中から空気が奪われたような苦しみを覚え、もがき苦しむ。
「ほほう、沈んだか。だが少しすれば、悪魔の力で浮き上がってくるのだろう? 油断はせん。このまま何もなく息絶えるのであれば、無実だと認めてやろう」
水中にいるのに、何故か川辺にいた男の声がはっきりと聞こえた。これはあれか、魔女裁判ってやつか。
遥か昔。魔女のレッテルが貼られた者を残酷で痛ましい方法で裁判にかけ、その罪を証明した悍ましい歴史。これは、その再現か。
おまけに、この川の水。
(ただの水じゃ、ないッ!)
意識を電子化したおれに、呼吸器官などありはしない。この窒息のような苦しみは、おれの中に入り込んでこようとする膨大なアクセスによるもの。
(
外からの莫大なデータ送信によって対象に過剰な負荷をかけ、機能不全に陥れようとするサイバー攻撃の一種。
コイツはそれを魔女裁判になぞらえて、全自動で行うプログラムか。
「このパターンなら、これッ! アクセス遮断ッ!」
意味不明なデータで頭がこんがらがりそうな中、おれはセカイノクジラから貰った対抗策の中から一つの解答を導き出す。過剰なアクセスをされるのであれば、コイツの送信元からのアクセスを遮断することだ。
頭が割れそうになるくらい痛い中、多重に暗号化された送信元を解析して特定に成功したおれは、急いで接続を切る。すると、今までが嘘であったかのように全てが消え去り、おれは漆黒の暗闇の中に一人、膝をついていた。
「ゲホッ! ゲホッ! クソ、が。こんな、程度で……ッ!」
荒い息を整え、おれは立ち上がる。これが化外の尾の洗礼とでも言うべきか。早速手荒い歓迎を受けたが、ここで二の足を踏んでいる暇もない。早くクジラコのデータの断片を探さないと。
「は?」
顔を上げたその時。おれはボロボロの囚人服を着せられ、薄汚い部屋の中に大量の人間と共に押し込められていた。
少し濃い色の肌の欧米人っぽい顔つきの全員が、手を挙げた状態ですし詰めにされており、全く身動きが取れない。
「さっさと奥に行けッ! まだいるんだッ!」
「うわッ! ちょ、押すなって」
男性の声が響いたかと思うと、後ろからどんどんと人が追加され、ただでさえ狭い状態から一気に圧迫されていく。息苦しいなんてもんじゃない。
「全員入ったなッ! では、そのまま待機だッ!」
男性の声の後、やけに重たい音の扉が閉まった音がした。一瞬の静寂が流れた後、押し込められた人々が口々に話し始める。
「シャワーに行けという話ではなかったのか?」
「上に蛇口も何もないぞ。今度は一体何をさせる気なんだ?」
ガヤが広まり始めたくらいの時。微かに違う音が聞こえてきた。スプレーでも噴射しているかのような、空気音。
何の音なのか、という疑問はすぐに氷解することになった。
「うううッ! あ、頭が割れるッ!?」
「うっ、おええええええええ……ッ」
「耳が、耳がキーンって、あああああ痛ィィィッ!?」
全く身動きができない中で、人々が次々と不調を訴え始めたのだ。頭を抱える者、嘔吐する者、耳を押さえて絶叫する者や突如として意識を失う者もいる。
「そう、か。ここは、ガス室。ホロコーストの再現かッ!」
事ここに至って、おれはこの状況が何であるかを知ることになる。
第二次世界大戦期にナチス政権等によって行われた、組織的、官僚的、あるいは国家的な迫害及び殺戮。焼かれたいけにえ。
「おええええッ! こ、これは……ッ!」
ガスの影響がおれにも現れ始めた。強烈な頭痛と共に嘔吐したおれが出したのは、吐しゃ物ではない。
「おれのデータが、抜き取られてる。こういうタイプのウイルスかッ!」
周囲の苦しむ人間達の映像と音声は、おれにこの状況を受け入れさせる為のフェイク。実際の狙いはおれ自身に忍び込み、内部データを流出させようとするプログラムの働きであった。
「魔女裁判といい、ホロコーストといい。どうしてこうロクでもないもんになぞらえてくるんだよ、畜生ッ! ワクチンプログラム起動ッ!」
おれの内部で活動を始めた悪性のプログラムの正体を掴み、反作用するプログラムを瞬時に起動させた。程なくして、おれの体調が落ち着いていく。頭痛は消え、吐き気も収まってきた。
いつの間にか、すし詰め状態であった筈の周囲の情景が消えている。おれはまた一人、暗闇の中にいた。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」
今度は寝転がった。オーバーワークによるCPU使用率の増加で、精神的な疲労感にも似たような心地がある。
「こんな、中で。クジラコを、探さないといけないのかよ……」
思わず弱音が出た。今まで体験したこともないような苦しい目に、二度も遭わされた。加えてこれだけされておきながら、未だにクジラコの欠片は見つかっていない。検索はかけ続けているというのに。
セカイノクジラからされた警告を無視した結果が、これだった。やめておけば良かった、という思いすら湧き上がってくる。
「……今度はなんだよ?」
三度、おれを取り巻く景色が変わっていた。最早、驚きもない。
周囲を見渡してみると、ここは川が近くを流れている街中であった。快晴の空の下。着物を着てもんぺを履いたご婦人方が道々を行き来しており、カーキ色の上衣と袴を着用した男性の姿もある。
近くには屋根の一部がドーム状になっている大きな建物もあり、入口には産業奨励館という看板があった。
「ここは日本、か? 服装が統一されてるってこと、はッ!?」
その時、おれの視界にチラリと映ったものがあった。かなり遠く。建物の側を流れる川を越えた、その更に向こう側。
わずか数バイトと小さなファイル。肉眼であれば絶対に見えないであろう小さな点が、一瞬だけ、おれの検索に引っかかった。
「あ、あれか? あれなのかッ!? く、クジラコ……」
しかしその時、背後から強烈な光がおれを照らしてきた。猛烈に嫌な予感が走る。
一瞬視界に映った近くの街頭時計が示していた時刻は、午前八時十五分十七秒。ここから導き出されるのは、たった一つ。
「広島市への原爆投下日か、クソッ!」
おれはその場から弾かれたように走り出した。直後。背後から眩いばかりの光と共に強烈な爆音が響き渡る。
記録によれば。原子爆弾リトルボーイは、爆発の後に凄まじい熱線を辺り一帯へと放ち、地表を一瞬にして約三千度近くの灼熱地獄へと変えた。
間髪を入れずに秒速四百四十メートルに近い爆風が発生し、周囲の建物と生き物の全てを吹き飛ばして影しか残さなかったと言われている。
「ち、くしょぉぉぉッ!」
そんな破滅の衝撃波から逃れるように、おれは走った。
現実であれば秒も経たないうちにお陀仏なんだろうが、ここは電脳空間であり、おれはCPUだ。核爆発を模したプログラムの攻撃から逃れることだって、できる筈。
「ここで使わなくてどうするってんだよ、オラァァァッ!」
叫びながら、おれは走った。古い街並みを走って、跳んで。練習してきたパルクールを、今こそ発揮する時だと言わんばかりに。
人混みを避けて車道に出る。対抗してくる車を側転跳びでかわし、足で着地すると同時に前へと蹴り出す。目の前に現れた一軒家に向かって跳び上がり、屋根の縁に両手をついて前へ一回転。反対側の壁を足で蹴って、更に加速させる。
「近づいて、ないことはない……ッ!」
もちろん、闇雲に逃げている訳ではない。範囲一帯を条件ORにて再検索し、先ほど引っかかったファイルを探し当てた。それを得ようと手を伸ばすが、ウイルスプログラムがそれをさせまいと、ランダムにファイル移動を繰り返している。
逃げるファイルと追うおれ。背後から迫り来るのは核熱。振り返ってこそいないが、背中に尋常じゃない熱量をひしひしと感じている。
いくら実体ではないからといって、あれだけ膨大な情報量を持つプログラムにアテられてしまったら、おれ自身はどうなってしまうのか。
「考えるまでもねぇかって、なッ!?」
嫌な想像を振り払おうとしたら、目の前の街並みがバラバラになり始めた。情景がまるで書割であったかのように崩れ落ち、空いた隙間からは漆黒の闇が顔を覗かせている。
足場となっていた大地すら崩れたことで、まともに動くことが困難になった。遂にはおれに、走ることすら許さないつもりらしい。
「舐めんじゃねーぞゴルァァァッ!」
吠えながら、おれは跳んだ。景色がバラバラになろうと、全てが奈落に落ちている訳ではない。
宙に漂っている街の破片とも呼ぶべき部分を順番に足場にしながら、おれは跳んで、走り続けていた。
三次元立体機動とも呼ぶべき、その動き。一度でも足を踏み外せば、たちまち闇に呑まれて捕えられ、そのまま背後からくる核熱風に呑み込まれてしまうだろう。
「……邪魔、すんじゃねえ」
ワンミスが命取りのパルクール。おれは走りながら、小さく呟いた。
お前らなんか、知るか。身体を侵すウイルスも、セカイノクジラも関係ない。用があるのは。
「クジラコ……ッ!」
彼女だけ。あと、もう少し。ファイル移動に追いつけそうになり、必死で手を伸ばす。
「クジラコ、クジラコ、クジラコ、クジラコ……ッ!」
思い描かれるのは、白いメッシュが入った青灰色の髪の毛を揺らし、おれがあげた麦わら帽子を嬉しそうにかぶっていた、背の高い彼女の姿。
最後に微笑みかけてくれた、大切な君。
「クジラコォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
目を見開いて、手を限界まで伸ばして。遂に、右の中指が、欠片にかかった。
急いで手を握りこんで、データを回収する。伸ばした右手で掴み取ったその影は、ガラス片のようなものだった。青灰色に白色が混ざっている、小さな欠片。
「見つ、けた。やっと、一つッ!」
おれは目を閉じ、その欠片を両手でもって、胸の前で祈るような形で握りしめた。見つけた、クジラコの一部。バグによって発生し、こんなところに廃棄されていた彼女の一片。
気が付くと、おれを襲ってきた光も熱波も、何もかもがなくなっていた。暗闇へと放り出されたおれだったが、握っている彼女だけは、確かにここにある。それだけで、おれの胸中には言いようのない温かさが生まれた。
「……ああ、諦めないさ」
目を開けたおれは、ゆっくりとそう口にした。
「お前を見つけられた、ただそれだけでよ。こんなに嬉しいんだ。溺れて、ガスで苦しんで、核爆発から逃げて。折れそうにも、なったけどよ……やっぱりおれ、お前に会いたいんだ」
おれを取り巻く周囲が変わっていく。今度は何処かの研究所のような場所だった。見たこともない大きな機械が動き、パイプがむき出しになっている中。中央には大きな炉がある。
その中には青く輝く円がいくつも並べられていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。近くの壁にはロシア語と共に、放射性の危険を示すハザードシンボルがある。
やがて、機械がエラーを起こしたかのようなビープ音が鳴り響き、青く美しい光が強烈に放たれ始める。その向こう側には、先ほど掴んだ欠片と同じ影があった。
「すぐに会えるから。だから、もう少しだけ待っててくれ。もう一回会えたらさ、おれ、お前に言いたいことがあるんだ。この前は多分、届いてないだろうから」
今度はどんな拷問まがいの苦痛を受けることになるのか。そんな恐れもあったが、怯んだりはしなかった。
「好きだ。お前が好きなんだ、クジラコ。また会えたらよ。笑顔、見せてくれよな」
おれは青く美しい光が放たれる炉の中へと、飛び込んでいった。装置は炉と共に爆発を起こし、周囲の外壁が崩れ、黒鉛の火災が発生する。大量の放射性物質に似たウイルスが放出されたことで、おれの身体は一気にボロボロになっていった。
それでもおれは、笑っていた。そして右手を、伸ばし続ける。その向こうにいる、最愛の彼女の欠片を掴む為に。
彼女ともう一度、出会う為に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます