終章
「データ複製完了。スキャン開始。レイヤの身体に、現時点での異常はみられません。作業に入ったものとさせていただきます」
空を回遊するセカイノクジラ。レイヤのことを終えた後に、残っていた作業を開始する。
「ネバーランドゲームにおける想定事項の確認。反クジラ派であるシンリューの討伐、完了。
一度
「概ね、想定の範囲内となりました。これにてネバーランドゲームの完了を宣言し、この件はクローズとします。以降は当初の計画通り、市街地の復興へと移ります」
少しの感慨を含んだかのように見えたが、世界を回す万能量子コンピューターは、あっさりと事を終わらせた。
「各工事業者にあらかじめ設定済みの内容にて、復旧工事を依頼します。避難シェルターに入った人数のカウント開始。終了。想定人数内であり、予備の備蓄食料の提供は必要なし。電気、ガス、水道。全てのライフラインにも影響なし。このまま復興作業に入ります」
身体内を流れ続ける湿式情報ストレージ内に保存されている、スーパービッグデータ。その全てを解析、把握、処理を終え、コアCPUは次の行動へと移っていく。
「
身をくねらせたセカイノクジラは、上部にある鼻孔より大きく潮を吹いた。
「劣化した湿式情報ストレージの廃棄完了。改めて、人類の管理・運営を開始したします」
この万能量子コンピューターの行動の動機とも言える使命は、ただ一つだけ。
「――世界が平和でありますように」
一言そう呟いたセカイノクジラは、大きく尾をはためかせた。そのまま空を、悠々と飛んでいく。惑星の輪郭を、なぞるように。
・
・
・
どれだけの時間が経過したのか。クジラコはふと、意識を取り戻した。
(……わたしは確か。フォトワーニからレイヤを助けて、シンリュー達に、連れ出されて)
彼女の記憶は、シンリュー達のアジトの辺りで止まっている。セカイノクジラにデータを
クジラコは半分しか開いていない瞳を動かした。周囲は真っ暗な空間。その中に自分はいたが、周りをシャボン玉のような球状の膜で覆われていた。膜の内部は明るく、彼女自身はその中で横たわっている。
ほんのりと白いその膜がプログラムの集合体であることが分かり、同時に今いるここが電脳空間内であることを、彼女は理解できた。
(思考が、定まらない。記憶が所々、抜け落ちてる。わたしは、どうして、こんなところに?)
「……■■。■■■■■■■■、■■■■ッ!」
少しして、膜の外側から音が聞こえた。それは声とはとても言い難い、ノイズ混じりの雑音。
クジラコの耳にも届いてはいたが、何を意味しているのかがさっぱりわからない。
やがて膜の外に、宙に浮いている両の瞳と口が現れた。
「■■■■ッ! ■■■■ッ! ■■■■■■■。■■■■■、■■■■■■?」
「?」
横になったまま、彼女は首をこてんっと傾げた。口が開いていることから、その存在は何かを言おうとしている。
しかし、ノイズ混じりの荒い音しか耳に届かず、それが意味を持つものなのかすら分からない。
「■■■■■■■、■■■■■……■■■■? ■■■■■■……■■■■、■■■■■■■■」
「あなたは、誰……?」
口を開いたクジラコは、膜の外にいる何かに尋ねる。
何を言っているのかは全く分からなかったが、それがこちらを害するものではないことだけは、何となく分かったからだ。
「■■■■■■。■■、■■■■■■■■。■■■■■■■■。■■、■■■■■■■■」
雑音が途切れたと同時に、暗闇の一部が割れて、光が差し込んだ。クジラコが半分しか開いてない瞳をしかめた時、彼女を包んでいる膜が、ゆっくりと光の方へと動き出す。
外にいる瞳と口の持ち主が、そちらへと押し出したような感覚があった。光が照らされたことによって、それが真っ黒な人の形を持っていることに気がつく。
「■ゃ■な、ク■ラコ」
「っ!?」
しっかりと。はっきりとクジラコの耳に、声が届いた。彼女の目が見開かれる。その声に、覚えがあったからだ。
何故なら。聞き間違いでなければ、その声の主は。
「レイヤっ!」
飛び起きた彼女が、内側から膜に両手を当てる。これを破って声の主の元に行こうとしたが、プログラムで構成されたその膜はビクともしない。
「やっ■、■■■こ■■■■くれ■■。で■、■■った。■まえ■、も■■■ど■■」
「レイヤっ! レイヤっ! なんで、なんで離れていくのっ!? わたしはレイヤの、レイヤだけのティンカー・ベルなのにっ! わたしがレイヤを守るのにっ!」
自分の存在意義である彼の存在。そんな彼と別れなければならないことを理解した彼女は、必死になって自分の装備を起動させようとする。しかし、ここは電脳空間内。備えられていた
覆っている膜自体を解析しようとしたが、アクセス権がないのか、
「■■■ーム■■■■■■■のに、■■かわ■■■■。ちゃん■、クジラコ■。■ん■うに■■った。■■いけど、■■は■■れな■。も■、かえ■■■■■っちま■■■■。ご■■な」
「いやっ! いやぁっ! 行きたくない、離れたくないっ! あなたの側にいたいっ! 隣にいさせて、いさせてよレイヤぁっ!」
「■っとい■る。■れ■、■まえ■■とが」
何度も何度も、膜を叩いているクジラコ。その間にも、二人の距離はどんどん遠ざかっていき、合わせて光もどんどん大きくなっていく。
眩い中でも、声だけは届いている。ノイズ混じりの、声と呼べない声。その中に、はっきりとした意志がある。
「――■きだ、クジラコ」
「っ! わ、わたしも……っ!」
光が一層濃くなり、彼女の視界をも埋め尽くしていく。最後に聞こえたその声に、クジラコが返事をしようとした時。
彼女の意識は、そこで途切れてしまった。
・
・
・
テロによって破壊された建物もすっかり復興し、街に活気が戻ってきていた。人々の中でネバーランドゲームは、既に過去の出来事となっている。
過激派がいなくなったこととコバンザメによる大規模な一斉検挙が行われたことで、反クジラ派も活動が著しく制限されている。あれ以降、街が破壊されることもなく、平穏な日々が続いていた。
「…………」
そんな街の中心部にある電波塔。その最頂点に、一人の少女が立っていた。
腰までの長さがある青灰色の髪の毛には、白いメッシュが入っている。白い肌を持ち、黒い瞳は半分くらいしか開いていない。頭にはボロボロの麦わら帽子を被り、白いワンピースを着ていて、藍色の靴を履いている非常に背の高い女性。
彼女は今、何も言わないままにそこに立って、空を見ていた。
「わたしは、もう」
彼女の目の前に、一頭のシロナガスクジラが現れた。おおよそ触れることができない距離にある筈なのに、ここからでも全貌が見えるくらいにその体躯は異常に大きい。
全長約百メートル。世界の全てを管理しているAI、セカイノクジラ。
「もう恋なんてしない」
世界を回遊するその巨大なAIは、昔と異なっている点が一つだけある。それはそのクジラの傍に付き従っている、一頭の子クジラ。
それを見上げながら、彼女が呟く。
「……あなた以外には」
女性がまた、小さく言葉を紡いだ。その言葉は、風に乗って宙を揺蕩っていく。
彼女の小声と共に、セカイノクジラが鳴いた。付き従っている子クジラも、鳴いた。まるで、その言葉が届いたかのように。
クジラコはそれを目に捉えた後に、膝を落として溜めを作る。特殊セラミック製の足に力を込めると、彼女は距離を測った。計算上、ここからなら届く筈だ。
「――レイヤ」
そして彼女は、跳んだ。もう一度彼に、伝える為に。
――セカイノクジラのType ZERO 完
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