第七話③ 7日目⑦
「おはようございます、レイヤ。気分はどうですか?」
「セカイノ、クジラ」
おれは意識を取り戻した。目の前には、あのシロナガスクジラ型AIがいる。そこは真っ白な空間だった。上も下も右も左も、全てが真っ白な空間。
俺はその中に、浮いていた。身体の負傷こそなかったが、意識を失う直前の格好をそのままに。
「意識の電子化は無事に完了いたしました。記憶や思考、元の身体と同じアバターに不備はありませんでしょうか?」
「……ああ。忘れてることもねーし、感情も覚えてるよ。ただなんか、いやに軽い感じがするけどな」
「肉体から解き放たれましたので、重みを感じることがないのでしょう。その違和感はあるかもしれませんが、すぐに慣れると思われます」
「にしても、なんもねーんだなここ」
ここが電脳空間ってやつなのか。思ったよりも、味気ねえとこなんだな。もっとこう、意味不明の文字や記号、あるいはプログラミング言語なんかが羅列してるのかと思っていたけども。
「ここは既にレイヤの身体の中です。今は何のデータも書き込まれておりませんので、何もありません」
ああ、なるほど。まだ何のデータも入ってないってんなら、そりゃ殺風景な訳だ。
「この空間に、化外の尾のデータを移します。その際に私も接続を切らせていただきます。その前に、いくつか連絡しておくことがあればと」
「連絡しておくこと?」
「はい。対外的には、あなたはネバーランドゲームの最中にテロの被害に遭い、重体となって入院しているという扱いにさせていただきます。会社方面には私から連絡させていただきますが、各業務の引き継ぎ及びプライベートの連絡もお願いいたします。今のあなたであれば、
「連絡すること、か」
そっか。クジラコを探す為に、おれはしばらくいなくなる。社会の歯車の一員としての責任は、取らんといかんな。
あとはプライベート、か。
「じゃあ今抱えてる案件をこんな感じでまとめて……おっ、すげえ。もう資料ができた」
内容をイメージすると、それ通りの資料を作ることができた。すげー、これが意識の電子化の力か。おれ自身がCPUになったことで、入力の手間すらねーしな。
あとはプライベートで連絡しておくべき奴ら、ね。
「つっても、おれに身内はいねーし……ああそうだ、ヨイチには連絡しておかんとな。
思い浮かんだ相手は、二人。まずはこっちだと、おれは彼女の名前を口にだした。
すぐに
『もしもし、ヨイチでござる。師匠、ご無事でありましたかッ! テロが起きてから全く連絡が取れませんでしたが』
「おーっす、元気元気。そっちこそ足、大丈夫だったのか?」
『それは何よりでござるッ! 何、拙者の足も無事でござる。軽い捻挫とのことだったので、ひと月もしない内に回復するであろうと、お医者様より聞いておる』
ピンク色の忍者服に黒いマスクをし、黒いポニーテールを揺らして緑色の瞳でこちらを見ている小さい彼女の姿が映る。
挫いた足首も、大事がなかったみたいで何よりだ。うんうん、良かった。おれももうちょっとしたら人類が積み上げてきた悪性データを身体に突っ込まれるけど、まだ元気よ。
『師匠。
「まーな、ゲームはもう終わったよ。んでさ、お前にパルクール教えてやるって話をな」
『そうでござるッ! 師匠、いつから教えていただけるんでござるかッ!? 拙者はもう首を長くして……』
「それがな。おれ、テロに巻き込まれて入院することになっちまったんだわ。お前の怪我もあるけど、おれの方もしばらくは無理なんだ。すまん」
『えっ……し、師匠ッ!? さ、さっき元気って言っていたではござらんかッ!?』
あっ、しまった。そういや最初に元気元気とか、適当なこと言ってたんだっけ。
「あー、まー。いきなりだと心配させるかなーって思って、適当ぶっこいてたんだよ。悪い」
『入院とは一大事ではござらんかッ! 何なら拙者がお見舞いに行くでござるッ!』
「あー、それはな……」
「面会謝絶という設定にしておりますので、そのように」
セカイノクジラに目配せすると、こういう話で頼むとカンペがあった。
「ちょーっと怪我が酷くてよ、面会は駄目なんだってさ。治療に入る前に連絡だけしたかったから、
『そ、そうなのでござるか? なんと大変なことに』
長々と話しているとボロを出しそうだったので、早くしなければいけないと勝手に時間を区切らせてもらった。
「まー、そんな訳でよ。いつ教えられるようになるか、分からないんだわ。で、おれのパルクールの師匠にヨイチのこと
『嫌でござる。拙者は師匠からしか、習いたくないでござるよ』
さっさと話を終わらせようと思ったら、ヨイチから思いもしない言葉で遮られた。
「はい? い、いやいや。おれなんかより上手いし、教えるのも上手いからよ。忍者目指すなら絶対そっちの方が良いって」
『拙者はパルクールの上手さというやつだけで、師匠と定めた訳ではござらん』
もう一度、念押しするような形で言ってみたが、彼女は折れなかった。
『こんな拙者のことを馬鹿にせず、あまつさえ協力してくださるという心意気。拙者はそんな御仁だからこそ、師と仰いだのでござる。誰でも良かった訳ではござらん。師匠が師匠であったからこそ、拙者はお頼み申したのだ』
「あ、あー、その……」
『拙者、師匠の回復まで待つでござる。師匠から習ったパルクールで、忍者に近づきたいのでござるッ! どの道、拙者も足を挫いておるが故に、しばらくは運動できぬしな』
ヨイチの真っすぐな視線が、電子空間内のおれに突き刺さる。彼女は、待ってくれるのだと。おれだからこそ、習いたいのだと。
ったく、ちょっと会っただけだってのに、何を殊勝なこと言ってんだか。
「……分かった。ただおれの方も、いつになるか分からんからな。基礎の練習ができる動画送っておくから、治ったら自習しててくれ」
『相分かったッ! 宿題でござるな、任されよッ! 拙者は学業の成績こそ振るわんが、宿題を忘れたことがないのが自慢でござるッ!』
「期待の弟子だな。また会えるの、楽しみにしてる」
『ッ!? し、師匠ッ!? い、い、今拙者のこと弟子って……』
「んじゃ、そろそろ医者に怒られるから切るな。じゃあな」
『あああッ! ま、待ってくだされ師しょ』
目を丸くした彼女との
「…………」
「どうかされましたか? 他に連絡を取る相手がいないのであれば、コピーを開始させていただきますが」
「いんや。もう一人、いるよ」
余韻にすら浸らせてくれないセカイノクジラ。まあ、何かをすることがメインのAIに、余韻という概念はない。せいぜい
そんな文化の違いは置いておいて、だ。おれはもう一人、連絡をしなきゃいけない人物を見つけ出して。
「……
「ごめん、コトワリ。おれはやっぱり、お前には応えられない……送信」
すぐには送れず、散々悩んだ後。おれは入院することになった旨と共に、簡潔なメッセージを送った。後ろ髪が引かれないと言ったら嘘になるし。あまり長々と話していると、揺れそうだったから。
少しして既読がつき、次に通話がかかってくる。おれはその通話に、応えなかった。
「……よし、これで良いさ。セカイノクジラ、始めてくれ」
「通話がまだかかっておりますが、よろしいのですか? 電子化が済んだ以上、お話していただく時間も十分にあると思われますが」
「いいんだ。今はこう、あんまり話したくねーから」
「承知いたしました。では通話を強制切断した後に、まずは私の中にある現在確認されているウイルスプログラムの情報、それに対抗する方法やワクチンプログラム等のデータをお送りします。お役に立つかと。その後に、化外の尾のデータのコピー作業に入らせていただきます」
「おー、サンキュー」
おれの中に多数のプログラムが送られてくる。へー、ウイルスプログラムってこうやって作られてるのか。
すげー、なんだこれ。
「ただ今より、複製作業を始めさせていただきます……レイヤ」
貰ったデータを眺めていると、セカイノクジラがおもむろに声をかけてきた。なんだなんだ。
「どうか、お気をつけて」
「……あっそ」
おそらくこの言葉も、機械的にこの状況であればこう言うべきだと導き出されたものだ。コイツに情はないんだから、そうに決まっている。
にも拘わらずおれは、この言葉を少し、嬉しいと思ってしまった。不覚だ。
そんなおれに構わずに、セカイノクジラが姿を消した。真っ白だった虚空から、突如として真っ黒なものが広がっていく。その浸食は瞬く間に空間を覆いつくしていき、おれの視界を覆っていった。
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