第五話③ 6日目③
レイヤをシェルターに投げ込んだ後、クジラコは踵を返して跳び立った。一足飛びで片側四車線の道路を飛び越し、距離を取る。
彼女の足元が爆発した。顔を向ければ、続々とこちらに向かってきている黒い迷彩服の人員の姿がある。反クジラ過激派の面々だ。
彼らは人間とは思えない速度で、こちらへ向かってくる。その中には、シンリューの姿もあった。
「手足をサイボーグ化している可能性が高い。モードを人間制圧から
クジラコが
瞳を閉じ、女の子座りで動かなくなった彼女を、反クジラ過激派が取り囲む。全員がレーザーガンの銃口を彼女へと向け、いつでも発射できるようにと引き金に指をかけていた。
「ようやく効いてきたみたいだにゃー」
彼らの後ろにいたシンリューが、楽し気に口元を歪めている。
「俺お手製のプログラミング言語で作った、コンピュータウイルス入りの電脳光線だにゃー。人間相手にゃ効かねえが、
(……これが元セカイノクジラ純製の、
チラリと彼に視線を向けているアリサ。ケリュケイオンの杖の爆発の中から自分を守り、損傷を負ってしてなお、まだこのレベル。彼女は身震いせずにはいられなかった。
「さて。さっさと最終調整を……」
「グアアアアアッ!?」
そこまで彼が口にした際に、数多のレーザー光線が飛来した。一人は倒れたが、訓練された彼らは咄嗟に携帯障壁を展開して防いでいく。
ただし全員が防ぎきることはできなかった為に、何名かの隊員が直撃を受けて地面に倒れ伏していった。
「ッ!? 不味いわシンリューッ! コバンザメよッ!」
「ったく、出待ちでもしてたのかにゃー? 良いところで邪魔してくれやがってにゃーッ!」
シンリュー達の迎撃の体制が整った辺りで、コバンザメと呼ばれた一団が建物の陰から姿を現した。
黒に白いラインが入った全身装着型の強化スーツを身にまとっている、彼らこそがコバンザメ。セカイノクジラ直属の警察機構の一つであり、対テロリストや治安維持を担う特殊部隊だ。
「目標、反クジラ過激派首領
「お前ら、ここでカタをつけるんだにゃーッ!」
サメをモチーフにしたヘルメットから声が放たれ、シンリューもそれに合わせる。結果、その場にて壮絶な銃撃戦が繰り広げられた。
レーザー光線が辺り一帯に飛び交い、怒号と悲鳴。建物や道路が砕け散る音に包まれていく。
「自衛型プログラム『トロイの木馬』を起動します。エラー発生。起動に必要な回路に損傷がありまままままままま新たな設定が追加されました。管理者権限にシンリューを追加かかかかか周囲にゲーム進行の障害と成りうる不適格者の確認んんんんんんんんエラー、エラー、システムが正常に作動できません。倫理システムに重大な欠かんんんんんんんんん」
阿鼻叫喚の中、クジラコは微動だにしないままでその場に座り込んでいた。彼女の中では、プログラムを書き換えようとするシンリューの放ったウイルスと、セカイノクジラが仕込んだ『トロイの木馬』がせめぎ合っている。
そこにかつての自分であったデータと、破棄されたデータ内に残された新たな自分を構築していたデータの残骸。大量に溜まっていくエラーコード。諸々の処理が追い付かなくなっていき、遂に彼女のコアとなるCPUが悲鳴を上げた。
甲高い音が彼女の頭部から発せられる。それと共に大量のバグデータが発生し、各種のシステムを埋め尽くしていった結果。
「
クジラコは立ち上がった。彼女の周りにはワンピースから分離した白い破片が無数に中を舞い、その手足には万物を溶かし斬らんとする光が宿る。
その光は通常の白色ではなく、見開かれた彼女の瞳と共に赤く輝いていた。
「ゲーム進行の障害となりえる不適格者の全てを、排除します」
彼女は動き出した。限界を迎えたCPUの暴走。彼女の中で動いているのは一つ。ティンカー・ベルの任務の一つとして与えられた、ゲームの妨害者に対する排除のプログラムだけ。
「ぐあああッ!?」
「ぎゃぁぁぁッ!?」
「あ、あいつはティンクじゃないのかッ!? なんで俺達まで……」
周囲にいた全てを妨害者と認識した彼女は、反クジラ過激派とコバンザメの隊員を区別しないままに襲い掛かった。
宙を舞う破片が彼女の身を守り、レーザー光線を放つ。彼女自身も彼らに肉薄し、
本来、
人や動物を殺めないこと。ゲームを妨害する輩についても、殺すことなく制圧すること。そういった制約が最上級特権でインストールされている、筈であった。
「排除、排除。不適格者を全て、排除します」
「ぁぁぁああああああああッ!?!?!?」
「セカイノクジラ、応答願うッ!
しかし今、クジラコは全く遠慮をしないままに人を撃ち、溶断する。過度な負荷がかかって暴走した結果、倫理プログラムすらも破損してしまっていた。
結果、彼女の足元には反クジラ過激派とコバンザメの隊員達の屍の山が、次々と築かれていく。
「逃げるにゃー、アリサ。あれは俺が相手するにゃー」
「シンリューッ!?」
反クジラ過激派もコバンザメの隊員も、ほとんどいなくなった頃。彼女の前に立ちはだかったのが、シンリューであった。
彼はレーザー銃を捨てると、その拳に光を宿す。彼女がまとっているのと同じ、
「あれはダメダメダメダメダメだにゃー。暴走した
言うや否や。駆けだしたシンリューは拳を振りかぶり、クジラコへと向かっていく。宙に浮かぶ
通りがかりに
「よお、後輩。同じセカイノクジラ純製の
「
「まあ今の俺は、反クジラ過激派筆頭のシンリューだけどにゃーッ!!!」
近距離で繰り広げられるのは、一発当たれば終わりの殴り合い。シンリューはジャブの要領で打っては引き、すぐに防御にも回せるようにと常に拳を自分の前に構えている。
隙を一切見せず、
一見すると、両手両足にプラズマ光刃をまとっているクジラコの方が有利に見えるが、戦局自体は両の拳だけのシンリューが握っていた。
「もらったにゃーッ!」
シンリューの拳が、クジラコの左腕を捕らえた。
「左腕の損傷を確認。エラー、エラー。身体バランスに影響あり」
「どうした後輩。
余裕の軽口を叩きつつも、シンリューの攻撃は止まない。一方で、クジラコはエラーが発生した所為か、両足にまとっていたプラズマ光刃が無くなってしまっていた。
「お前自体には用はないにゃー。お前の胴体にある受信器さえ無事なら、あとはどうとでもなるからにゃー。こっちからすりゃ、お前が五体不満足でも、一向に構わんのにゃー」
「エラー、エラー。身体バランスに……レイ、ヤ」
打ち合いが続く中。右腕一本で攻撃を捌いていたクジラコは、彼の名前を零した。彼女の瞳が、元の黒色に戻っていく。
それは一番最初に設定された、自分の役目。シンリュー達によって書き換えられた後、バグによって使命感だけが過剰にピックアップされたことで、保護対象から庇護対象へと昇華。最終的には恋心のような感情を持ってしまった、参加者であるピーター・パン。彼についてだった。
「レイヤ」
彼女は再度、彼の名前を口にする。元々が芽生える筈のなかった想い。事故によって偶然発生した感情には、理由も重みもない。プログラム上、それを優先させるべき論理すらなかった。
「あなたを、守る、のは、わた、し」
それでもクジラコは、その感情を優先させた。縋れるものが他になかったからだ。
自分が何者かも分からなくなって暴走した結果、宙ぶらりんになってしまった彼女。残っていたものは、ピーター・パンである彼を守らなければならないという、異常に高められた目的だけ。
「それ、が。わたし。わたしは、彼だけの、ティンカー・ベル……」
だから、彼女は飛んだ。自分の中に残された断片的なデータを復元させて、参加者である彼の情報を得て。自身の存在意義となる、彼の元へ。
「わたしは、レイヤの、為にいる……っ!」
「遂にバグも限界かにゃー? このままバラバラに、グアッ!?」
「くっ!?」
突如として、シンリューが態勢を崩した。同時にクジラコも、右の膝をつく。
「お、お前、まさかッ!?」
「ほ、
「自分ごと俺を撃ち抜くつもりかにゃーッ!?」
周囲を見渡したシンリューが叫んだ。彼らを包囲するように宙を揺蕩っている
「あなたは脅威。ここで、止める。レイヤには、近づけ、させないっ」
クジラコは麦わら帽子を遠くへと投げた。
「お、俺はただAIは人間と対等であるべきと思っただけだにゃーッ! 能力の優劣や管理するされるじゃなくて、平等に。人と共に、在りたかっただけなのに。こ、こんなところで」
「……改造されたあなたには、同情する」
「や、やめるにゃぁぁぁッ!!!」
「でも、止めない。
シンリューの叫び声を聞かないままに、クジラコは各破片に対して指示を出した。各破片から白光のレーザー光線が放たれる。シンリューとクジラコの身を無数に貫いた後、破片は操縦者からの指示が途絶えたことで動きを止め、地面へと落下していった。
後に残ったのは、重点的に狙われたが故に、バラバラになるまでその身を貫かれたシンリューの残骸と。穴が開いた胴体に繋がっているのが首と右腕だけになったクジラコであった。
「シンリューッ!!!」
彼らに駆け寄る影がある。アリサだった。逃げろと言われた彼女は、逃げずに状況を見ていた。
残骸に駆け寄った彼女はシンリューの頭等、両手いっぱいに持てるだけの残骸を拾い集めた後に、その場から走り去っていく。
「排、除……完……了」
クジラコが呟いたその直後、街に警報が鳴り響く。
『セカイノクジラより、中央病院区画の破棄が決定されました。ケリュケイオンの杖が放たれます。付近の住民は速やかに避難してください。繰り返します。セカイノクジラより、中央病院区画の破棄が……』
「わ、たしの、帽、子……ど、こ?」
顔を上げた彼女は、残った右腕で探す。大切な彼からもらった、一番大切な麦わら帽子を。右手だけで這い回って探す。探す、探す。見つからない。
そんな彼女の目に映ったのは、空から落下してくる一筋の光であった。
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