第六話① 7日目①
「うっ、あ? ゲホッ、ゲホッ」
目を覚ました時、うつ伏せに倒れていたおれの身体は最悪だった。壁に強かに打ち付けた背中と、後頭部からの痛み。全身に広がっている倦怠感。瓦礫の粉塵と思われる埃が舞い、おれは咳き込んだ。
何とか首だけを上げてみれば、亀裂の入った壁。散乱した缶詰等の非常食。崩れ落ちた固定端末の操作面と、割れた画面。ほとんどの衝撃に耐えられる筈のシェルター内が、今や無残な有様へと成り下がっていた。
「なん、だってんだよ。ゲホッ、ゲホッ……く、クジラコ、クジラコはッ!?」
彼女の存在を思い出したおれは、痛む身体からの信号を無視して立ち上がった。咳き込んだ際に血は吐いたものの、幸いにして四肢は無事だ。痛みこそあるものの、歩くには支障はなさそうだ。
顔に何かが乾いた感触がある。掻いてみれば、それは血が固まったものだった。額でも切ったのか、おれの周囲には血が流れて乾いた後があった。少しして、ズキリと頭が痛んだ。
「痛ってぇ。クソ、がよォッ!」
よろよろと歩き出したおれは、先ほどまでビクともしていなかった入口の扉にヒビが入り、隙間が空いていることに気が付いた。この金属製の扉がいかれる程の威力。まさかすぐ近くに、ケリュケイオンの杖でも撃ち込まれたのか。
何がともあれ、出られる。痛みと疲労感でロクに頭も回らない中、おれは何とかシェルターの残骸から脱出した。
外は燦々と輝く太陽が、雲によって遮られている。明るさからして朝か昼くらいっぽくて、おれは日付が変わったことを悟った。
目を細めつつ外の光景も、酷い有様だった。ビルは崩れ、道路はめくれ上がり、信号機なんかは根元から吹き飛んでいる。
「う……ッ!」
人間の死体もあった。焼け焦げている人であったモノ。おれは口元を覆う。無添加のミルクとトマトをもらったあの夜以降、何も口にしてはいなかったが、胃液がこみ上げてくるのを我慢できなかった。
落ち着いて、それらを見ないようにと顔を上げる。遠くに目を向けてみれば、中心街のビルや電波塔なんかは無事だ。ある線を境に、壊滅した部分と無事な部分が綺麗に分かれている。
「クジラコ、クジラコ。何処、何処だ?」
辺りを見回しながら、おれは探す。おれを守ってくれた、大きな彼女の姿を。おぼつかない足取りで歩き回ってみるが、彼女の姿はない。それでもおれは、足を動かし続けていた。
散々歩き回って見つけたのは、
瀕死の中で歩き回り、息も切れてきた頃。ふと、風が吹いた。瓦礫の粉塵か何かが目に飛び込んできて思わず片目を閉じたが、そんなおれの視界には見覚えのあるものが舞っている。
「あ、あれは」
ボロボロになった麦わら帽子だった。おれがクジラコに渡した、ランクDのサブスクで買える安物の帽子。破れ、穴も空いているというそれが何処かから風に乗って舞い、ヒラヒラと地面に落下していく。
その落下地点の近くの瓦礫の中から、何かが飛び出していることに気が付いた。
「ッ!? て、手だッ!」
コンクリート内に埋められている鉄筋かとも思ったが、違った。先が五つに分かれている、特殊セラミックの手。普段は人工皮膚で覆われていて見えないが、
おれは弾かれたように走り出し、急いで手の周辺にある瓦礫をどけ始めた。
「クッ、こんのォォォッ!」
手でどけられるサイズは良かったが、中にはそうもいかない大きさのものもあった。おれは近くに飛び出していた信号機のパイプ等を引っかけて、テコの原理で持ち上げる。
瓦礫がゆっくりと持ち上がり、隙間ができた。その中に見えたのは、白いメッシュが入った青灰色の髪の毛。
「クジラコッ! ォォォオオオオオオオオオオッ!!!」
彼女だった。おれが見間違える筈がなかった。声を上げて、おれはテコを押し抜いた。身体中から悲鳴が上がる。昨日怪我した脇腹からは、血が噴き出した。
その全てを無視して力を込めた結果、彼女の上に乗っていた瓦礫がひっくり返りながら横へと倒れた。
「ップハアッ! ハア、ハア、い、てぇぇぇ……く、クジラ、コッ!?」
力を使い果たしたかのように肩で息をし、ズキズキと痛む脇腹を押さえながら、おれは倒れている彼女を見た。
目を見開いた。両足どころかへそ以下の下半身がなくなっていて、脇腹には風穴。左腕も肩から先がなく、反対側は腕から顔にかけて、人口皮膚が剥がれ落ちている。内部の金属やセラミックが、むき出しになっていた。
「クジラコ、クジラコッ! 起きて、起きてくれッ!」
「…………」
慌てて抱き起してみたが、彼女は目を閉じたまま動かない。半分しかない顔はそれでも安らかな表情で、まるで死んでいるかのような印象を受ける。
「
おれは辛うじて残っていた彼女の右手を握ったが、視界に彼女を操作するコンソール画面は出てこない。うんともすんとも言わないということは、電力が切れてしまっている。充電用電波受信器が壊れたか。
と言うかおれも血液を失って血中ナノマシン濃度が下がった為か、
「どっかに電気、電力は……あれだッ!」
近くを見回し、おれは使えそうなものをみつけた。先ほどテコに使った信号機だった。基本的に信号情報も
「よし、まだ受信器は無事だッ! 起きてくれ、クジラコッ!」
信号機の中にある充電用電波受信器さえ無事なら、まだ可能性があった。おれはすぐに受信器とコードを引っぺがしてくると、彼女の右手へと
程なくして受信器が動き始めた。セカイノクジラから街に発信されている充電用の電波を拾い、電力が生み出される。
「……んん。レイ、ヤ」
「クジラコッ!」
目を開けてくれたクジラコ。彼女の声が、おれの耳に届く。
「ってかお前、おれのこと覚えてるのかッ!?」
「途切れ途切れだけど、レイヤのことは、覚えてるよ。シンリューに撃たれたウイルスプログラムから更にバグって。一周回って、戻ってきちゃったのかな」
「んなことはどうでも良いんだよッ!」
もう一度、クジラコに会えた。それだけでじっとしていられなくなったおれは、彼女に抱き締めていた。
「ごめん、レイヤ。抱き締め返してあげられなくてててててて」
「クジラコッ!?」
喜びもつかの間だった。甲高い異音がしたかと思うと、彼女は壊れた音声データのように単語を続けている。
「ごめ、レイ、ヤ。いし、き、たもてななななななな」
「しっかりしろッ! すぐ直してやるからなッ! い、痛ッ!? く、そォォォッ!!!」
受信器を持たせたまま、おれはクジラコを抱き上げた。脇腹がズキリと痛み、血が滲んで顔が歪む。痛かったし苦しかったけれど、おれは踏ん張り直した。
彼女を直すには、セカイノクジラに連絡を取るしかない。おれは頭の中で行き先を思いつくと、そのままゆっくりと歩き出した。
「い、つもはわた、しが、だっこして、たのに、ね」
「そう、だな。ま、本来は男が女の子を抱っこするもんなんだぜ?」
「そ、うなの。どこ、むかっ、てる、の?」
「電波塔だ。こっから一番近いし、ピーター・パンのおれなら入れる。最悪これもあるから、何とかなるだろ」
街で一番高い建物、電波塔。ネバーランドゲームで首吊り人の木に指定されていたあそこなら、拾ったフックがありゃ入れる筈だからな。
緊急事態で他のビルが軒並み閉まっている為に、近くで出入りできそうな建物がそこしかないこともある。中にある
「おれの最後のチェックポイントがあそこだ。そこで最後のお宝を手に入れれば、セカイノクジラが迎えに来てくれるって話だ。行けばどっちにしろ、セカイノクジラに会える」
「そ、っか。レ、イヤ、クリア、できるん、だね」
「ま、こんなことになっちまったし、ゲームもクソもない気がするけど。お前のお陰だよ」
「ティンク、とし、て、わたしの、せきむだ、った。シン、リューも、もういないから、しんぱい、しな、いで?」
「分かった。ありがとな、クジラコ」
表情は全然動いてなかったけど、彼女の声色は酷く安心したものだった。おれはおれで彼女と話ができるだけで、痛む身体も軽く思えるくらいだ。
セカイノクジラに連絡さえ取れれば、クジラコだって元通りになる筈。あとは彼女をもらいつつ、殺されかけたことに対してクレームでも入れてやれば、
大変だったし、身体だってボロボロになったが、これで全部終わり。詳しくは分からないがシンリューもいなくなったのなら、襲ってくる輩もなし。クジラコだって、取り戻せた。終わったんだ、全部が。
言いたいことはあるが、クジラコが直った後でも良いだろ。落ち着いて、彼女をもう一度向き直って。おれは伝えるんだ。やっとこさ、自分の気持ちを、想いを、この
安堵の気持ちと共に息を吐いたおれは、再度足腰に力を込め直した。人っ子一人いなくなった静かな街を、一歩ずつ歩いていく。
あと一息だ。
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