第四話④ 5日目⑦


 突如として鳴り響いたビープ音に、おれは跳び起きた。何事かと部屋を見回してみれば、暗闇の中にシンリューさんとアリサさんの姿がない。廊下の方からかすかな灯りが漏れており、多分隣の部屋に二人がいるとすぐに分かる。

 ベッドを出たおれはすぐに部屋から出て、廊下を挟んだ反対の部屋に入ろうとする。しかしドアノブを回そうとしても動かすことはできず、扉を開けることができなかった。


「お、おいッ! 何の音だ、一体何があったんだよッ!?」


 扉を叩きながら、おれは声を上げる。ビープ音は間違いなくこの部屋の向こうからだったし、隙間から変な光も見えている。何があった、クジラコは無事なのか。

 そんなおれの目の前で唐突に、扉が開いた。呆気に取られる暇もないまま、おれは中へと引っ張られていく。気が付くと、おれはシンリューさんに捕まり、こめかみにレーザー銃を突きつけられていた。


「えっ?」

「セカイノクジラ、取引だにゃー」


 部屋の中にはネバーランドゲームに勧誘された時と同じ花畑の光景が広がっており、空にはセカイノクジラがいた。おそらくは視界共有アイシェアで見ている立体映像だと分かるが、状況はあの時とは明確に異なっている。


「そっちのアリサとこっちのレイヤ君で、人質交換だにゃー」

「応じなければ?」

「俺はレイヤ君を殺しておさらばするだけにゃー。そん時は悪評もセットでつけてやるにゃー。セカイノクジラは民衆を人質に取られた時に、それをあっさりあっさりあっさりあっさり見捨てるんだってにゃー」

「ただでは転ばないと、そういうことなのですね」


 おれを拘束して銃口をこめかみに当てているシンリューさん。部屋の中であの群体型無線制御兵器ホエールコロニーを展開し、アリサさんを拘束しているクジラコ。取引を持ち掛けられて考え込んでいるかのような、セカイノクジラ。

 状況が一切、飲み込めない。


「えっ、おい。これ、どういう?」

「ごきげんよう、レイヤ。セカイノクジラです。この度は私どもの不始末で危険に晒してしまい、申し訳ございません」

「ハッ! 相変わらず入力された通り一遍の謝罪だにゃーッ!」

「あなたも同じではないですか、シンリュー? レイヤ。手短に説明させていただきますと、そこの二人は反クジラ派の過激派です。彼らが私への反逆を企み、クジラコを捕らえて改造した張本人。先ほどもクジラコを解体して私への不正アクセスを試みていましたが、それを予見していた私が防ぎました。その身柄を拘束する前にあなたが来てしまい、人質に取られたのです」

「は? えっ? シンリューさん達が、過激派?」


 端的に説明してくれたセカイノクジラ。言われたことが分からなくはないが、いきなり過ぎてまだ感覚が追い付いてこない。


「ま、そこの世界の管理者気どりのAIが説明してくれた通りにゃー。ごめんにゃー、レイヤ君。でも俺達も、伊達や酔狂で反クジラ派名乗ってる訳じゃないからにゃー」

「あ、アンタ。おれを騙して」

「騙すなんて人聞きが悪いにゃー。俺達は反クジラ派って言っただけで、一言も穏健派ですなんて言ってないからにゃー」

「ッ! く、クジラコは。クジラコは無事なのかよッ!? おい、クジラコッ!」


 軽い調子で言っているシンリューさん……いや、シンリューに謝る気がさらさらないことは、態度と行動でよく分かった。今さらコイツをさん付けしてやる義理はない。

 それよりもクジラコだ。先ほどセカイノクジラは、コイツらがクジラコを解体していたと言っていた。今は動いているみたいだが、大丈夫なのか。


「はい。なんでしょうか、レイヤ様」

「く、クジラコ?」


 返事をしたのは、間違いなくクジラコだった。二メートルはあろうかという長身。白いメッシュが入った青灰色の髪の毛の上に、おれが渡した麦わら帽子。黒インナーとスパッツ姿で、白い破片を宙に浮かばせ、アリサさんを拘束している彼女。

 声は同じだ。しかしその口から放たれた言葉は、おれの知っている彼女ではなかった。


「な、なんだよその喋り方は? お前、そんなんじゃ、なかっただろうが」

「? わたしは元来、このように喋るようにプログラムされておりましたが」


 首をこてんっと傾げる姿も、クジラコそのものに見える。だけど、違う。何かが、根本的に間違っている。


「ッ! し、シンリューッ! テメーがクジラコを壊したのかッ!?」

「……もしかしてレイヤ君、人格プログラムのこと言ってるのかにゃー? それなら俺じゃなくて、セカイノクジラの所為にゃー。だってアイツが、俺らがプログラムした内容を消して、全部書き直しちまったからにゃー」

「は?」


 悪いのはお前かと声を上げたが、レーザー銃の引き金に指をかけている男はあっけらかんと言い放った。おれはその言葉が、にわかには信じられなかった。


「レイヤ。この男があなたの元に到着する前のクジラコを捕獲し、プログラムの全てを書き換えてしまいました。その為、今まであなたと関わっていたクジラコは、この男が作り出した偽物です。私が先ほどマザーパスワードにて、本来のクジラコに戻させていただきました」

「ま、待て。待って、くれって」


 シンリューが、セカイノクジラが、次々に情報をくれる。それが分からない訳じゃないんだ。頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、分かりたくないんだ。

 だってコイツらが言っていることが真実なら、おれと一緒にいたクジラコは。おれが想っていた、クジラコは。


「レイヤ様。バグが発生していたことで様々なご無礼を働き、今まで数々のご迷惑をおかけしました。この場にて、謝罪させていただきます。どうか、ご容赦を」

「く、クジラコ……」

「以降はあなたのティンクとして、陰ながら精一杯サポートさせていただきます」

「お前、おれのことが、好きだって……」


 クジラコの次の一言が、おれの心に突き刺さった。


「あなたのことが好きだとか言って、申し訳ございませんでした」

「ッ!!!」


 目の前が真っ暗になったような心地があった。景色が、立体映像が、見えている筈なのに。頭がそれを、認識してくれない。見えているのに何も見えてない中で、ひたすらに木霊しているクジラコの言葉。

 音が絶えず反響する鐘の内側にいるかのように、彼女の言葉が繰り返されている。好きだと言って、ごめんなさいって。


「お、おいッ! 立つにゃーッ!」


 足に力が入らずに、膝から崩れ落ちる。シンリューが何か言っていたけれども、おれの頭には入ってこない。彼女の言葉によって否が応でも理解してしまった現実が、ただただおれにのしかかってくる。

 おれのことを好いてくれていたクジラコは、もういないんだと。


「時間です。クジラコ、離脱の用意を」

「イェス、マム」

「は? な、なーに言ってるのかにゃー? まだこっちには人質が……」

「いいえ。もう結構です」


 セカイノクジラが口を開いていた。茫然とクジラコを見ているだけのおれを置いて、話が進んでいく。


「ケリュケイオンの杖を放ちました。まもなくそこは、焦土と化すでしょう」

「は? お、お前ッ! 人質諸共、俺達を皆殺しにする気なのかにゃーッ!?」

「一人の民間人の犠牲で、反クジラ派の過激派筆頭のあなたを始末できるのであれば、破格と言うものでしょう。死んだ彼も、あなた方が殺したことにさせていただきます。その報復として、ケリュケイオンの杖を放った。ストーリーに破綻はありません」

「お前には人情ってもんがないのかにゃーッ!?」

「ありません。が、私はそれを理解したうえで、より多くの人間を幸せにしたいと思っております。実際、全ての人間を幸せにすることはできません。自分達の幸せの為に、他者を切り捨てること。人間の歴史は、それの繰り返しでした。私はそれを鑑みたうえで、より大多数が幸せになれるように、少数を切り捨てましょう。最小の犠牲で最大の効果を。間引く枝は、少ない方が良い」

「ふざけんじゃねーにゃーッ! そんなおためごかしで殺したってのか、俺達の仲間を、家族をッ!!!」

「申し訳ありませんが、あなた方は間引くべき対象と定めています。捕らえられ、書き換えられた結果。犯罪者を家族とし、都市区画爆破事件等で多くの犠牲を積み重ねてきた最悪のテロリスト、シンリュー。いえ、人間型業務支援機械人形ビジネスサポートオートマタ試作機タイプゼロ、コウリュウ。あなたが捕らえられ、改造されたのは私の不手際です。それを帳消しにする為であれば、少数の民間人でさえ犠牲にしましょう。もちろん、簡単にはさせませんが。クジラコ、時間です。レイヤを」

「イェス、マム」

「クソッ! アリサァァァッ!!!」


 クジラコがアリサを置き、こちらに走ってくる。シンリューもおれを置いて、彼女の元へと向かった。

 すれ違った彼らは互いの目的の人物までたどり着くと、それぞれを横抱きで抱える。


群体型無線制御兵器ホエールコロニー

「俺はテメーらを絶対絶対絶対絶対忘れねェェェッ! これで終わったなんて思うにゃーッ!!!」


 白い破片によって壁をぶち壊し、抱き上げたおれごとクジラコが外に出ようとした、その直前。シンリューが叫んでいた。クジラコはそれに反応することもないままに、破壊した穴から外へと躍り出る。

 空から甲高い音が響いたかと思った、次の瞬間。空に一粒の光が煌めいたかと思うと、眩い光が物凄い勢いで落下してきた。


 ケリュケイオンの杖。宇宙空間から特殊な金属棒ロッドを放つ、セカイノクジラが持つ衛星兵器の一つ。音速を越えて大気圏を突破してくるそれは、異常な運動エネルギーを携えてログハウスへと突き刺さる。

 屋根も壁も吹き飛び、爆発が起きたかのような衝撃波が走った。生い茂る木々は粉砕され、地面もめくれ上がり、周囲に瓦礫や粉砕された木や岩の破片が飛び散っていく。


群体型無線制御兵器ホエールコロニーっ!」


 激しい衝撃の中。クジラコはおれを抱きしめながら、白い破片で壁を作っていた。飛来する瓦礫などは防いでくれたが、ほとばしってくる衝撃の波はそうはいかない。二人揃って吹き飛ばされた。

 視界が上下左右に次々と入れ替わり、強制的に三半規管が揺らされる。世界と自分の角度がわからなくなり、めまいや吐き気を通り越して意識が飛びそうになった。


「レイヤは、わたしが、守るからっ!」


 爆発音でロクに耳も聞こえない中。おれはクジラコの声が聞こえた気がした。まるで今までの彼女に戻ったかのような、そんな言葉を。

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