第五話① 6日目①


 おれが次に目を覚ました時、既に日が暮れかかっていた。身体を起して周りを見渡してみれば、ここは病院の一室のような場所。白いカーテンが窓にかかっていて、おれは白いベッドの上にいた。


「気が付きましたか、レイヤ様」

「ッ! く、クジラコ。ここは?」


 すぐ隣から声がして、顔を向けてみれば。ノースリーブになった白いワンピース。衝撃でボロボロになったと思われる麦わら帽子。いつもの無表情そのままのクジラコが、そこにいた。

 しかし、彼女はまるで別人だ。顔は変わらなくても声の調子と雰囲気が、前の彼女と全く異なっている。


「街の中央病院です。レイヤ様、ご無事で何よりです」

「お、お前は、その。大丈夫、なのかよ」

「身体的な機能は問題ありませんが、先の衝撃で共有シェア機能に一部障害が発生しております。現在、自己復旧機能にて修復しておりますが、まだ時間をいただければと思います。申し訳ございません」


 またもや、クジラコの共有シェアは使えなくなったみたいだ。確認してみたらおれの共有シェアもまだ使えない為、このままではセカイノクジラに連絡を取ることができない。


「レイヤ様。まずは謝罪からさせていただきたいと思います」


 するとクジラコは、真っすぐに頭を下げてきた。


「この度はあなた様を危険な目に遭わせまして、誠に申し訳ございませんでした。あの状況下においてあの行動を取ることが最も生存率が高かったのですが、危険であったことには変わりありません。共有シェアが復旧し次第、セカイノクジラからもお詫び申し上げますが、まずはわたしの方からも謝罪いたします」

「あっ、えっと」


 あの時のセカイノクジラの言葉は、覚えている。多数を幸せにする為に、少数を切り捨てなければならない時がある、と。

 シンリューは最悪のテロリストだったらしい。以前あった都市区画爆破事件の首謀者。百人単位の人間が死んだ原因を企画、先導した機械人形オートマタ。そんな彼を消すのであれば、おれを犠牲にすることさえいとわないと。


 それは酷く正しいやり方なのだろう。巨悪を倒す為に一部の犠牲は許容する。一部を惜しんで巨悪を逃せば、後々に多くの人間が被害に遭う。天秤にかければ、どちらを取るかなど一目瞭然だ。

 切り捨てられる方は、たまったもんじゃないが。


「言いたいことはいくらでもあるけど……その前に、一つ教えろ」

「はい、何でしょうか?」

「お前は、覚えてるのか?」

「覚えている、とは何のことでしょうか?」

「……おれと出会ってからのこと、だよ」


 不満はあるし、不平もある。文句を並べろと言われたら、今なら百貨店レベルで並べられるかもしれない。

 それよりも何よりも、おれには聞きたいことがあった。目の前で顔を上げた、このティンクに対して。


「申し訳ございませんが、覚えておりません」

「何にも、覚えてないのかよ?」

「はい。おそらくレイヤ様は、シンリュー達によってプログラムされた人格の際のやり取りのお話をされていると思いますが。セカイノクジラと共有シェアし、スキャンした結果。わたしの運用に支障が出ると判断された為に、現在のわたしのストレージからは削除されております」

「ッ!!!」


 データが削除された。それがどういうことなのか、おれはよく知っている。


「ば、バックアップは?」

「今朝の段階での状態から、バックアップはスタートしております」

「い、いや、データの復旧はできる筈だッ! 削除されたデータは新規データが来るまでは完全に上書きされない筈……」


 仕事柄、データ保存については少しの知識がある。バックアップが残っていない場合でも、データ復旧が全くできない訳ではない。ストレージから削除されたデータは、すぐに跡形もなくなる訳ではないからだ。

 参照できなくなり、次に書き込める領域だとシステムからみなされるだけで、データ自体は残り続ける。それが本当になくなるのは新たなデータがやってきて、上書きされた時だ。その時に初めて、データは完全に失われる。


 裏を返せば、新たなデータが来る前であれば、残っている筈なのだ。現在のデータ保存形式だとストレージ内に分割されているだろうし、データの全てが上書きさえされていなければ、まだ。

 おれだって必死こいて残業しながら復旧させたことだってあるんだ。まだ、まだ諦めるには早い筈。


「削除後、既に十五時間近く経過しております。削除されたデータがあったストレージ領域に新たなデータが書き込まれた可能性は、極めて高いかと」

「分かってんだよ、そんなことはァッ!!!」


 気が付くと、声を荒げていた。認めたくなかったからだ。いつか会社の上司に言ったように、削除してすぐならまだ芽はある。ストレージ内を隅々まで検索すれば、見つけ出すことも不可能じゃない。

 問題なのは、データ削除から時間が経ち過ぎたことだ。機械人形オートマタであれば、視覚情報や聴覚情報、内部ソフトウェアのアップデート等の新たなデータが随時更新されていく。書き込み可能領域として残っていた場所など、もう他のデータに使われているに違いない。


「申し訳ございません。不快にさせてしまいました」

「クソッ! クソッ! なんで、なんでなんだよッ!!!」


 おれは握りこんだ拳を、ベッドに叩きつける。彼女はいる。おれの目の前にいる。なのに彼女は、クジラコじゃない。クジラコなのに、おれの知っているクジラコじゃない。

 おれの心を揺さぶり動かした彼女は、もういない。立っている彼女は、ただネバーランドゲームの補助をすることだけを考えた、参加者に配布される一体の遊戯進行及び生活補助型機械人形ティンカー・ベル


『? レイヤにはわたしがいる』


 可愛く首を傾げていた彼女じゃない。


『あんまりレイヤに近づくな』


 周囲に嫉妬して、むっとしていた彼女じゃない。


『あなたはわたしが守る』


 おれを守ると言い切って、抱きしめてくれた彼女じゃない。

 違う、違う、違う、違う。割り切れない思いが、やりきれない気持ちが。ふつふつと湧き上がってきて、抑えられない。


「やっと。やっと、そう想えたのにッ!!!」


 両手で顔を覆い、おれは俯く。凝り固まっていた自分の考えを、解きほぐして。恥ずかしいなんて思っていたプライドまで捨てて。ようやく自分が本当にどうしたいのかということが見えた矢先に、亡くした。認めたくなんか、なかった。

 何とかならないのか。彼女を取り戻す方法はないのか。必死に今まで勉強してきたことをひっくり返して思い出すが、物覚えしか取り柄がないおれじゃ、全然思いつかない。覚えられることとそれを活かせることは、違う能力だ。


 だとしてもと、おれは必死に頭の中にある記憶を泳ぐ。何処かに希望がある筈だと、自分に言い聞かせて。先ほどまでのやり取りも含めて、思い出せる範囲の内容を洗いざらい……。


「……ま、待て。おいクジラコ。お前さっき、なんて言った?」


 おれの頭に、電流が走ったかのような心地があった。それはか細くて小さいものかもしれないが、確かにあった光。おれの聞き間違いでさえなければ、その言葉は突破口になり得る。


「申し訳ございません、と」

「その前ッ! おれが何にも覚えてないのかって聞いた時だッ!」

「会話履歴から復元しますと、以下の通りとなります。おそらくレイヤ様は、シンリュー達によってプログラムされた人格の際のやり取りのお話をされていると思いますが。セカイノクジラと共有シェアし、スキャンした結……」

「それだ、それなんだッ!!!」


 聞き間違いではなかった。おれの記憶が正しかったことの裏付けが取れた。顔を上げたおれは、勢いよくクジラコの方を見る。


「お前は前にシンリュー達にプログラムされた内容を、セカイノクジラに共有シェアしたんだなッ!?」

「はい。反クジラ派の作成した新たなプログラム言語ということで、その構造解析の為に共有シェアさせていただきました」

「ならセカイノクジラには、クジラコが残ってるってことだッ!」


 クジラコ内部で削除されたとしても、共有シェアされたのであれば、セカイノクジラの方にデータは残っている筈だ。構造解析を行うのであれば、一朝一夕で削除されることもない筈。

 解析終了後は削除される可能性が高いが、まだ希望はあった。


「クジラコッ! セカイノクジラと共有シェアしてくれッ!」

「申し訳ございません。わたしの共有シェア機能は現在損傷の為、活用していただくことができません」

「畜生、そうだった。おれの方もまだ壊れたまんまだし。こうなったら近くにいる誰かにお願いして……」


 光明が見え、やることが定まった次の瞬間、激しい爆発音と共に建物全体が震えた。


「な、なんだッ!?」

「レイヤ様っ!」


 咄嗟にベッドの手すりを握ったおれを、クジラコが抱きしめてくれた。固い腕と柔らかい身体。彼女の感覚は、あの時と同じだった。

 それに浸っている場合もないままに、天井に取り付けられたスピーカーから警報が鳴り響く。


『緊急警報ッ! 緊急警報ッ! 反クジラ派によるテロ行為が確認されましたッ! 街の皆様は至急、避難シェルターへお逃げくださいッ! 妨害電波の観測もあり、共有シェアが繋がりにくい状況にもなっておりますッ! 繰り返します……』

「は、反クジラ派のテロッ!?」

「レイヤ様、こちらへっ! すぐに脱出いたしますっ!」


 状況を把握するより前に、クジラコがおれを促せて立ち上がらせた。そのまますぐに逃げようとしたその時、病室の扉が吹き飛ぶ。

 続けて中へと入りこんでくる、黒い迷彩服の一団。全員が顔を黒い布で隠しており、素顔が見えない。手に持ったレーザー銃はこちらを向いており、敵意だけは明らかであった。


「動くなッ!」


 その中で一人だけ顔を隠していない女性がいた。首くらいまでの長さしかない、黒いショートボブの髪の毛。昨日おれに温かいミルクとトマト、そして先達としての助言をくれた、彼女。


「アリサ、さん。ってことは」


 おれの言葉を裏付けるかのように、レーザー銃を肩に乗せながら、ゆっくりと部屋の中に入ってきた輩がいた。

 肩まであるブロンドの髪の毛を全てまとめて一本の三つ編みにし、金色の瞳で人当たりの良さそうな笑みを浮かべている男性。顔の半分に包帯を巻いていたが、見間違えようがない、その風貌。


「……一日ぶりだにゃー」

「シンリューッ!」


 おれを騙し、クジラコを利用してセカイノクジラへ攻撃を仕掛けようとした反クジラ派の過激派筆頭の機械人形オートマタ。シンリューだった。

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