序章後編 1日目②
「ここまで来ればもう安心」
「そうだね。高いね、ここ。なんでここに?」
おれは眼下に広がる街の光景が、ミニチュアにしか見えない高さに立っていた。
あれからしばらく逃げ回り、最終的にクジラコに連れてこられたのは、街の中心部にある一番高い電波塔。その頂上付近にある、展望台の屋根の上だ。
屋内じゃないよ、屋外だよ。風がめっちゃ吹き込んでて凄い、寒い。今は夏なのに凍えてきそうな感じがある。
「? 絶対に捕まらない場所と思ったけど、不満だった?」
こてんっと首を傾げてみせるクジラコ。さっきもそうだったが、背も胸も何もかもが大きい癖に、まるで小動物みたいな仕草だ。可愛いなオイ。
「うん、ちょっとどころじゃないくらい寒い」
「じゃあ、こうすればあったかい」
「ちょ、おまッ!?」
愚痴を吐いてみると、クジラコはおれの後ろに回り、抱き着くことで解消してこようとした。
いきなりのスキンシップに、おれの心臓が垂直跳びを敢行する。ちょうど頭の部分に、二つのたわわに実った胸が来ている。
「胸の部分はクローン素体で柔らかいし、人肌の温度に調整してるからあったかい。どう?」
「その、あの。すごく、大きいです……い、いやね。好きでもない人とこういうことするのは、あんまり良くないかなーって」
「? わたしはレイヤのこと、好きだよ?」
「ッ!?」
いかん。突然の告白と相まって、おれの胸と共にオトコノコがトキメキしてしまう。
見上げてみれば、半分しか開いてない癖にもの凄く純粋な瞳を持ったクジラコが、胸越しにこちらを見ながら首を傾げている。
長身巨乳美少女に後ろから抱きつかれたまま、見つめ合うと、素直に、お喋り、できない。
落ち着け、相手はAI搭載の
「あ、ありがとなッ! もう大丈夫だからッ!」
羞恥心と息子とその他諸々が限界を迎えそうだったので、おれはクジラコから離れた。動悸が激しい、先ほどのおふざけのような胸キュンとは違う感覚がある。落ち着けおれ、クールになれ。
どうせ、ティンカー・ベルはピーター・パンへの初期好感度が高めに設定されているとか、そういうオチに決まってる。期待するな。
第一、もう恋なんてしない、なんて言ったじゃないか。
「あっ……」
名残惜しそうに声を漏らした彼女に対して、おれの中でキュンポイントが加算される。なんなのこのティンク、いちいち可愛いなオイ。
「で、でよ、クジラコさんッ!」
「呼び捨てで構わない。わたしはレイヤだけの、ちょっと可愛いティンカー・ベル」
「じ、じゃあクジラコ。おれのティンクってのは分かったから、早くチェックポイントを教えてくれよッ!」
自分でちょっと可愛いとか言うあたり、コイツの自意識は高めらしい。イメージとしては棒高跳びくらいの高さか。ティンカー・ベルっつーには、何もかもがデカ過ぎるけども。
まあ良い、話を変えよう。何せおれはチェックポイントとなりえる場所は知ってても、自分がどういう順番で向かうのかが分からないんだ。それを教えてくれるのがティンクだと、ルールにはあったのだが。
「?」
「ウッソだろお前」
もう一度、こてんっと首を傾げて見せた、このティンク。嘘やん。
「嘘じゃない。わたしのストレージに、その情報がない」
「案内役が知らなかったら、おれは何処へ行けば良いんだよ」
「?」
「可愛さで誤魔化せるのは一度までだ、よーく覚えておけ」
こんなことになるなんて誰が想像できたであろうか。否、こんなことになるなんて、誰も想像できなかったに違いない。
「えっ、何? これクレーム案件じゃね? ちょっとセカイノクジラに文句言いたいから、
「できない」
「そっかー、できないのかー……えっ、マジ?」
「マジ。今、わたしの
「どーすんだこれェェェッ!?」
こんなことある? 返品したいのに連絡もできねーとか、状況としては最悪じゃね?
両手で頭を抱えてしゃがみ込んだおれ。待って、ここまでとは思ってなかった。行き先も分からない上に、
「大丈夫。レイヤはわたしが守るから」
「おれが君に求めてるのってそうじゃないんだ。でも意気込みだけは、どうもありがとう」
「どういたしまして」
「ちなみに皮肉って知ってる?」
「知ってる。食べたことある」
「それは知らないって言うんだ。つーか
マジでどうすんだこの状況。おれはこの天然ボケの入ったティンクを、何回サポートしなきゃならんのだ。案内してもらう筈が行き先は分からず、おまけにぶっ壊れてると来た。
「なんで壊れてんの? 出荷された時からそうだったん?」
「ううん、最初は壊れてなかった。でも途中で、一度記憶が途切れている。気が付いたら、レイヤの元に行く時間から大幅に遅れていたから、慌てて飛んできた」
「記憶が途切れた?」
慌てて飛んできた結果、下敷きになったユースケには合掌しかできんが。
それよりも何よりも、なんか不穏なことを言い出した、このティンク。おれのとこに来るまでに、一体何があったというのか。
「しゃーない、ちょっと
「っ!?」
このままじゃ埒が明かんので、おれはクジラコの設定を見てみることにした。
そう思って手を差し出したおれに対して、クジラコがビクッと身体を震わせていた。
「レイヤのことは、その、好きだけど。いきなり
「お前は何を言っているんだ?」
自分の身体を抱いてモジモジし始めた
にもかかわらず。彼女は無表情の顔を赤くさせながら、おずおずと手を差し出してきた。
「その、わたし、初めてだから……優しく、してね?」
「はい」
「あんっ! レイヤがっ、わたしの中にっ!」
反応が生娘のそれなんだが、おれはどうしたら良いのか。諸々を無視して、おれは自分の視界に現れたターミナル画面を確認した。
「んん? なんだこの画面、見たことないぞ。設定とかどっから見れるの?」
「そ、そんなとこ見ないでっ!」
「ログインパスワードは流石に分からんにしても……おい、
「あっ、そんな、激しく弄らないでっ!」
「…………」
困っているおれの傍ら。ティンクさんは遂に、喘ぎ声っぽいものまで出してくる始末で、非常に気が散る。
「あの、その。静かにしてくれない?」
「んっ、んっ……あ、んんっ!」
視界に映るコンソール画面の向こう側で、空いている左手で口元を覆っているクジラコ。必死になって声を抑えているが、時々指の間から声が漏れていた。
なんだそのバレたくない状況でいたしているみたいな振る舞いは。おれがそういうプレイを強要したみたいになってるじゃねーか。マジやめて、いやらしいことなんてこれっぽっちもないんだから。
「駄目だこれ。マジでどう操作して良いのかが分からん」
「はーっ、はーっ、はーっ」
あれこれと弄ってみたが、全く反応がないのでお手上げだった。いや、反応って言ったらクジラコが異常に喘いでいたので、語弊がある気もする。
彼女がその場に座り込み、半開きになった口で事を終えた後みたいな息遣いをしている所為で、余計な誤解を生みそう。違うんですお巡りさん。
「いやマジでどーすんだこれ?」
「なんのアフターフォローもないとか、賢者タイム中のレイヤが冷たい」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる?」
ふざけてないで、本格的に今後どうしたら良いのかを考えにゃならん。
頼みの綱であった筈のティンカー・ベルは、この有様だ。女の子座りをして半目のまま、恨めしそうにこちらを睨みつけてきている。誰が賢者タイム中だ。
「もうやだこのティンク、他の奴と変わって欲しい」
「レイヤがわたしをヤリ捨てるつもりだ」
「そういう意味じゃねーんだよッ! ……ん、他の奴?」
頭の中がピンク一色のティンクにツッコミを入れつつ、おれはハタと引っかかったことがあった。自分で言った言葉の中に、ヒントがある。
「そうだよ、他の奴を頼れば良いんだよッ!」
「……わたしじゃ、頼りにならないんだ」
「うんごめんね。そういうことじゃないし、そこまで凹むとは思ってなかったからさ。とりあえず機嫌直して、おれの話聞いて、ね?」
体操座りして、のの字を指でなぞりながら、いじけ始めたクジラコ。最初は無表情淡々口調のクール系天然だった癖に、実は感情が豊か過ぎない? 顔は無表情のままだけど。
何とか立ち直らせつつ、おれは言葉を続ける。
「こうなったら他のピーター・パンを頼るしかねーってことだ。参加者の
「なるほど、凄い。レイヤ、頭が良い。ぱちぱちぱち」
「いやあ、それほどでも」
素直に感心してくれるクジラコ。ご丁寧に拍手までしてくれてて、なんかこそばゆい感じがある。
それはそれとして。君が正常なら、こんなことしなくても済んだのよ、本当は。連絡がついたら、絶対セカイノクジラにクレーム入れたる。
「じゃあ下に降りて、レイヤ以外のピーター・パンを探すんだ」
「そういうこと。ま、今日はもう遅いしな。家に帰るか」
気が付くと、もう日が暮れ始めている。今日のネバーランドゲームはここまでか。寝床は、自分の家に帰るしかないか。
あーあ、ゲームの間はティンクのアカウントで、ランクCのホテルが泊まり放題って聞いてたのになー。
「わかった。なら今から……っ!?」
「どしたん?」
と思ったら。西日に照らされたクジラコが、何故か顔をしかめていた。無表情以外もできたのかコイツ。表情筋は餓死していなかったらしい。
「目が痛い」
「えっ、マジ? 目も壊れてんの?」
「見えないことはないけど、とても眩しい」
とはいえおれの専門はソフトウェアの方だ。ハードの方は分からん。
「ほい、帽子」
なのでかぶっていた麦わら帽子を、クジラコに渡すことしかできなかった。眩しいんなら帽子をかぶる。うん、至極当然の判断だな。
「やるよ、それ」
「えっ。い、いいの?」
「いいよ、別に。どうせサブスクのやつだし」
「ありがと。レイヤだと思って、大事にする」
「おれってそんな安物なん?」
「ううん、わたしにとっては特別。わたしだけの、特別」
一度ギュッと麦わら帽子を抱きしめたクジラコは、嬉しそうにそれをかぶった。顔が無表情のまま、両手で帽子のつばを持っている仕草はルンルンだ。
「これなら眩しくない、大丈夫。じゃあわたしが先に行って、危険がないか見てくる。後からついてきて」
「えっ、ちょ」
そのままクジラコは、一人でさっさと飛び降りた。おれを置いて。この吹きざらしの展望台の屋根上に、独りぼっちで。
「おれはこんな高さから飛び降りて大丈夫な人間じゃないんだけど?」
いくらおれにパルクールの心得があるからって、この高さは一歩間違えたらデスだ。つーか展望台が柱から飛び出してる所為で、降りようにも足掛かりになるとこがない。無理。
前途多難。このティンク、マジで不安しか覚えない。全然降りてこないのを不審に思ったクジラコが戻ってくるまで、おれは展望台の屋根の上で体操座りして待つ羽目になった。めっちゃ寒かった。
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