シリル③

 執務室で仕事をしているとクリスタが訪ねてきた。

「なんだどうかしたのか?」

「この手紙がわたしの中に混じっておりました」

「うん? 手紙」

 裏を返すとマイヤーリング侯爵家の家紋が見える。

 カッと頭に血が上り、

「おいトルマン!! なんだこれは!」

 隣の席を睨みつけながら執事トルマンを怒鳴りつけた。

 仕事の正確さを買って雇っていると言うのに、よりによってこの手紙をクリスタに見せるとは!?

「いいえわたくしではございません。

 マルティナ、貴女がここで手紙を落とした際にどうやら間違って拾ったようです。

 わたくしも監督不行き届きでした、申し訳ございません」

「ええっあたしですか?」

「マルティナは減俸一ヶ月とする。トルマンお前は同じことが起きないように改善だ」

「畏まりました」



 一部始終が終わった後、クリスタに確認すると半分ほど読んだと返ってくる。

 思わず口からはぁとため息が漏れた。

 するとクリスタの眼がキッと一瞬で鋭くなった。

「ズバリ、シリル様にお伺いします!

 その手紙の差出人のマイヤーリング侯爵夫人とのご関係は?」

 俺は問われている意味が解らずに首を傾げる。

 俺の実家の名がマイヤーリング侯爵家と言うのは周知の事実で、その夫人だと言えば実の母以外にありえない。


 そう言えばクリスタは貴族間の繋がりには疎かったなと思い出す。だから知らないのも無理はない。

 では何を聞きたいのか?

 少し考えてクリスタが聞きたがっている内容にピンと来た。

 ふふん、これは使えるな。


「これはクリスタの想像する様な手紙ではない。解ったら忘れろ」

「しかし中身は恋文と違わぬ内容です。

 それを忘れろと? 婚約者のわたしに本気で言っておられるのですか!?」

 やはり完全に疑っている。いつの間にか俺に嫉妬してくれるようになったのだと思えば喜ばしいぞ。

 どれ次は煽ってみるか。

「だが俺はその婚約者からすっかり相手にされていないのだ。

 ならば少しくらいの息抜きは良いだろう」

「確かにえーと……

 ですが! だからと言って不倫なさるなんて、不道徳にすぎます」

「ならお前が俺の相手をしてくれるとでも言うのか?」

「えっええ? えーと婚約者ですから、まぁ少しくらいでしたら。あれ?」

 自分の気持ちに自覚が無いのだろうか、少々混乱しているらしい。ならば考える暇を与えずにさっさと話を畳むのが良さそうだな。

「よし判ったすっぱりと止める。だから今後はクリスタに頼むことにしよう」

「そうですか、でしたらいいのですが。えーと、ええっ!?

 ちょっと待ってください。わたしにいったい何をなさるおつもりですか!?」

 やっと気づいたかと、くつくつと嗤った。

 そして俺はクリスタにやっと恋人らしい行いをする権利を得た。



 晩餐の席で抱擁するとクリスタはビクンと震えた。

 しかし震えたのはそれっきり、後は大人しく、むしろ心地よさそうにこちらへ寄りかかり体重をかけてきた。

 そして就寝前、頬にキスをする。

 顔を離すと耳まで真っ赤に染めた、クリスタが潤んだ瞳でこちらを見上げていた。思わずこのままドアを開けて一緒に入りたくなるが、流石にそれは許されまい。

 しかし俺からだけと言うのは味気ないな……



 朝起きて身支度を終える。

 俺が向かう五分前、クリスタは食堂に入ると言うのがルールなのだが、今日は俺はそのルールを破った。

 食堂の前でクリスタに会い、昨夜思った事を伝えようとした。

 しかしどう伝えていいのかが分からん。言い淀んでいると悪い事があったのかと心配されてしまった。

 そう言えばクリスタは卑屈で、金を出す俺に負い目を持っていたのを思い出した。それを当たり前として交渉したくは無いが、今回は頼ることにするか。

 素直に頼みがあると言えば、

「わたしに出来る事でしたらどうぞ遠慮なく仰ってください」

「本当か!?」

 俺はクリスタに近づきその耳元で、

「(朝はお前からしてくれないか?)」

 と囁いた

 その時のクリスタの顔は真っ赤になっていて、困ったように目を白黒させていた。







 王都の夜会から数日後のことだ。

 シーズン始めに運悪く領地でいざこざがあり、それを治めてきた父と母が遅れて王都にやって来た。その頃には俺が婚約したと言う噂はどこででも聞くことが出来ただろう。


 親に報告なく婚約したので、俺は早々にマイヤーリング侯爵家じっかに呼び出されていた。

 家に帰ると激怒する母が待っていた。

 領地から王都に出てみれば、─自分で言うのはなんだが─最愛の息子が勝手に婚約していた。そんな事は許せる訳がない。

 と言うのは母の言い分だ。


「わたくしが見定めます! まずはそのクリスタと言う娘を連れていらっしゃい!」

 ここまで激怒している所に連れて行けば、良い結果にはならない事は明白だ。

 さてどうするかなと考えている所で、父が間に入ってくれた。


「お前も爵位を得たのだから自分で決めたことに責任を持って行動しなさい。

 お前がちゃんと決めた事なら大きく間違っては居ないだろう。だったら父さんは反対しないよ」

 父は昔から俺の言う事を尊重してくれる。特に公爵位を祖父から受け継いでからは、息子ではなく一人前の男として扱ってくれるようになった。



 まず俺は父と相談して、クリスタは王都ここには居ない事に決めた。

 彼女は病床の義父上の看病の為に、バウムガルテン子爵領で暮らしている。だから俺も滅多には逢えていないと言う設定。

 他の夫人らからのご意見番である母は何かと忙しい身だ。

 往復一週間は掛かるバウムガルテン子爵領に向かう暇などない。



 これで上手くいっていた矢先にあの事件だ。

 お茶会に向かったクリスタが賊に襲われた!


 この話はすぐに社交界に知れ渡った。

 そして母は再び激怒した。

「王都に居たのに嘘を言ってまで会わせたくなかったなんて、その様な娘との結婚は断じて認めません!」

 俺と父はどうやら失敗したらしい。



 そんな父から手紙がよく来るようになったのは最近の事だ。

 手紙の文章はどんどん短くなっていき、最後に来たのは、

『すまんがそろそろ限界だ』

 とだけ書いてあった。


 情けないなんて思わない、むしろ思ったより持った方だなと思う。

 あの母相手に親父は頑張った。


 今日は居ない。

 領地に帰った。

 出掛けている。


 この辺りは言い訳として何度も使った。

 そしてついに、『今からそちらに行きます』と言う先触れが届いた。


 トルマンを呼び急いでクリスタを外に逃がす算段を始める。

 マイヤーリング侯爵とブルツェンスカ侯爵に向けて早文を送り、クリスタを受け入れてくれるか確認。

 なんとかブルツェンスカ侯爵から返事を貰い、いざ玄関へ。

 しかしクリスタが浮気かと疑い初めていた。あの恋文の件から嫉妬の様な態度を見せる様になったのは、一足飛びに関係が進んだ様で嬉しかったのだが、今はそんな場合ではない。

 何とか事情を話して解って貰わなければ……


 そして俺は失敗した。

 クリスタはもう居ないのだ。

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