10:夜会の準備中です

 部屋に帰って改めて、「ふぅんわたしが公爵夫人ねぇ~?」と、呟いてみた所、マルティナが鏡越しで首を傾げて不思議がっていた。

「クリスタ様、なぜそこが疑問形なのですか?」

「そりゃあそうでしょう。

 わたしはシリル様と出会ってまだ四日しか経っていないのだもの、あの気まぐれっぷりが逆さまに作用すれば婚約なんてすぐに解消されると思わない?」

「あのぉそこは、決意新たに婚約を解消されないように頑張ると仰るところではないでしょうか?」

 と言われてもねぇ。

 そもそもわたしは婚約や婚姻に憧れる気質を持っていない。これはわたしに限ったことではなく、一端の貴族の令嬢として教育を受けた者ならきっと同じだと思う。

 従ってシリルに対して愛だの恋だのといった感情はなく、当初のとおり利害契約ありきの割り切った関係のままだ。

 つまり婚約破棄そういうこともあるかもって感じ。

「う~ん……」

 結局、まともな返事は出来ず悩む声だけが漏れた。


 それにしてもつくづく愚か、と言うかなぜ気付かなかったのだろうか。

 シリルがわたしに向けていた視線と態度、あれは確かに契約した偽の婚約者ではなく、本物の婚約者へ向けたものであったわ。

 思い返せば、何と頓珍漢な行動をしたことか。


 しかし過ぎた時間はもう戻らないのでさっさと忘れることにする。

 貧乏暇なし、後悔している暇があったらさっさと次の事に掛かるべきよね。




 陽が落ちる頃。

 今日はなぜか早めの晩餐ならぬ遅めの軽食が部屋に運ばれてきた。皿の上には、お茶を飲むときに貰う様なクラッカーやらチョコレートといった物ばかり。

 お肉やパンは無しだ。

 これを軽食と言わずしてなんという。

 もしや!? ごく潰しのわたしがいる所為でついに公爵家も貧しくなったのかと少しばかり焦る。


「これは?」

「夜会の開催時刻まで何も食べないのは健康によくありませんし、お腹が鳴ると恥ずかしいでしょう?」

 そろそろわたしの扱いに慣れてきたのか、マルティナの説明は取り繕う余分な部分が省かれて非常に判りやすい。

 なるほど~と言いつつ運ばれてきた、チーズやフルーツがあしらわれたクラッカーをぱくぱくと食べた。

 皿の上の物をあらかた口に運び終えた頃、

「クリスタ様、あまり食べると苦労しますよ」

「どういう意味?」

 振り返ればコルセットを両手に構えたマルティナがとても良い笑顔を見せていた。

 そう言うことはもっと早く言って欲しい……

 しかし出された物に罪はない、と言うか、我が家ではお残し厳禁だ。

 全部食べたさ!


 コルセットを苦労して着用。胃が締めつけられて思わずお見せできない状態になる所だった。お残し厳禁に対処するため、次からは量を控えて貰えるように伝えようと思う。


 ドレスを着て髪やら化粧をして貰い、身分不相応な宝石と身に着けて鏡の前に立つ。

 有名デザイナーのエルゼが手直ししたドレスは、とても吊るしの品とは思えない独創的な物に仕上がっていたし、宝石もさすが、ドレスの色にとても合う素晴らしい品だ。

 もちろん宝石の値段はまだ知らないわよ……

「とてもお綺麗ですわ!」

「ほんとねー」

「どうして他人事ですか」

 そりゃそうだよ。

 顔は化粧、髪の毛はウィッグで盛られ、身に着けるドレスも宝石も身分不相応な品である。この鏡の中のどこにも素のわたしは居ないもん。

 しかしそんな事を、苦労して準備してくれたマルティナに言えるわけはなく、誤魔化すような笑みを浮かべて聞き流したわ。




 二時間も前に支度を始めたはずが、準備が終える頃にはほぼ時間ギリギリと言った所であった。

 夜会用ドレス、恐るべしだ!

 慌てて走る─夜会用の重いドレスで走れるわけないけど─必要はないが、早足くらいは必要かもしれない。

 しかし履いたことのない高いヒールで不安だ。念のため、マルティナの手を借りて転ばないように部屋から玄関へと急いだ。


 玄関ホールにはすでにシリルの姿があった。

「申し訳ございません、遅れましたか?」

 主人より遅かったことを謝罪するが、シリルから返答は無し。

 視線はわたしに向いているので気づいていないと言うことは無いはずなのだが?


「あのぉシリル様?」

 再び声を掛けるとシリルがはっと我に返った。

「っ、とても綺麗だ」

「ありがとうございます。すべてシリル様のお陰ですわ」

 盛られた髪から始まり、この日の為に買って頂いたヒールまで。まさに頭の天辺からつま先まで、すべてシリルが準備してくれた品だ。

 お礼を言うのは当然の事よね。

「そう言う意味ではないのだが……」

 小さな呟きが聞こえるが、その言葉の表す意味はわたしには判らない。

 借り物の品で着飾ったわたしの一体どこにそれ以外の意味があるのだろう?


 シリルと馬車に乗り夜会の会場へと向かう。

 そう言えば、今日は一体どこの貴族の夜会なのだろうか?

 雇われの婚約者だと思っていたから今まで聞く必要もないかと思ってスルーしていたのだが、雇われではなくて本物の婚約者だと解ったいま、そのくらいは知っておくべきではないかな~と思わないでもない。

「ところでシリル様、一つお伺いしたいことがございます」

「なんだ」

「本日の夜会はどちらの貴族のお屋敷でしょうか?」

「貴族? いや違うぞ」

「あれ?」

「首を傾げてどうした」

「今日は夜会の日ですよね?」

 だからわたしは着飾って馬車に乗っている。違いませんよね? と再確認だ。


「ああそうだな」

「でも向かっているのは貴族の屋敷ではないと」

「ああ」

「もしかして……」

「ああ言ってなかったか、今日の会場は王宮だ」

「ええっー!?」

「こら突然叫ぶな」

「す、すみません!」

 デビュタントの夜会に出られなかったわたしには、王宮なんて一生縁のない場所だと思っていた。それがなんと!!

「ええっ!?」

「またか、今度はなんだ?」

「ただの思い出し驚きですわ」

「……今度からはそれも控えてくれ」

「はぁすみません」

 うわっヤバい。場所が王宮だと知ったら急に緊張してきた。

 初めての夜会が王宮なのはデビュタントと同じ立場だ、しかしわたしは十九歳でとっくにデビュタントではない。つまり失態しても笑って許しては貰えない。

 ど、ど、ど、どうしよう!!?

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