03:知れる正体

 荷物は着替えが入った小さなスーツケースと、貴重品やら父から預かった委任用の書類が入った肩掛けのカバンの二つっきり。

 こんな小さなスーツケースなんぞ誰に持って貰う必要もない簡単な物なのだが、申し訳ない事に執事さんが部屋まで運んでくれた。


 わたしと王宮からお借りした侍女さんは揃って宛がわれた部屋に入った─主人に宛がわれる客間の隣には使用人用の小部屋があるのだ─。

「えーと、変なことに巻き込んでしまったみたいでごめんなさいね」

 巻き込んだ当事者はシリルだけど、ここで謝って置くくらいの分別はわたしにだってあるわ。

「いいえ構いませんわ」

 そう言って頂けると有り難い。

 マルティナと名乗った侍女。彼女は今年から王宮に勤め始めた侍女だった。勤め始めて約一ヵ月、先輩侍女の仕事を見て覚えて、そろそろ客人の世話を一人で任せても良いかも~と言われていたらしい。

 身分が程よく低く手頃という意味から、栄えある一人目の客人がシリルが遣わせた護衛の騎士だったらしい。

 きっと緊張して迎えただろうに、相手がアレってとんだ肩透かしよね。



 三〇分ほどお喋りをしていただろうか、客室のドアがノックされた。

「はい」と、マルティナが応対する。

「旦那様から言いつかりましてドレスをお持ちいたしました」

 やって来たのは執事さんとその他大勢。すぐに執事さんの指示で数点のドレスが部屋に運び込まれる。

 ドレスを運び終えると執事さんは一礼して去って行った。

 何も言わなかったけれど、これに着替えておけと言う意味であろう。

 つまりここで過ごすのに平民の服では都合が悪いってことよね?


 マルティナは、わたしにドレスをあてながら楽しそうに微笑んでいる。

「なんだか楽しそうね……」

 わたしがため息交じりなのはどうしてこうなったのかと、軽率な判断をしたことに後悔し始めたからだ。

「ええもちろんです。

 お給金も上がりますから仕送りの額も増やせます。それに何と言ってもお噂のバイルシュミット公爵閣下の邸宅にお仕え出来るのですもの、楽しくない訳がありませんわ」

「はい?」

「お給金が上がります」

「そっちも気になるけど……」

 いま聞きたいのはそっちじゃない。


「今回の件は秘密だそうで、口封じの代わりにあたしもこの屋敷で雇われることに決まりました。すべてクリスタ様のお陰ですわ」

「いつの間に……

 じゃなくて、もう一つの方!」

 もはや何から驚けばいいのか分からない。

「お噂のバイルシュミット公爵閣下ですか?」

「そう、それ!」

「お噂通り、バイルシュミット公爵閣下はとても素敵な美男子でしたわ。

 でもクリスタ様が平手打ちされたのはとても驚きました」

「うっ……」

 あれは勝手に触れたシリルが悪いと思う!

 が、それは今はどうでも良い!


「いまバイルシュミット公爵と言ったわよね。

 わたしにはシリル様の家名が公爵と言う意味に聞こえたのだけど?」

 おまけに閣下・・って、公爵本人じゃないの!?

「ええそうですよ。もしかしてご存知なかったですか?」

 社交界からすっかり遠のいた辺境貴族の令嬢が、例え公爵閣下だろうが顔なんて知っている訳がない。

 やはりトンデモナイ所にわたしは来てしまったのだと、本日最大のため息を吐いた。



 ほんの三〇分でドレスに着替え終わった。

 結論から言うとわたしには黄色いドレスは似合わない。

 日々食べるために畑仕事をしていたから、令嬢らしからぬ日焼けした肌のわたし。そのわたしが黄色のドレスを着ると、肌の小麦と黄色が混じって色の取り合わせが最悪だったわ。

 あーでもないこーでもないと、マルティナにドレスを散々あてられて、最後には濃いめの青系統のドレスに落ち着いた。




 お昼前に王都に入り、貴族省へ向かう。

 手続きは一~二時間で終わり、最後の贅沢に王都のおしゃれなお店でランチを食べて馬車に乗って家に帰る。

 そんな手筈だったはずが、どんな因果かわたしは公爵家の食卓に着いていた。

 向かいの席にはすまし顔のシリルが座っている。

 ほんとうに、どうしてこんなことになったのだろうか……



 給仕の係が飲み物が乗ったカートを引きながらわたしの元へやって来た。

「クリスタ様、食前酒は如何いたしますか?」

「お酒を飲んだことが無いので止めておきます。お水を頂けるかしら」

「お水ですか?」

 何かおかしかったかと思ったのは一瞬、何がダメか自分ですぐに気付いた。

「えっと、うちの領地は井戸水がとても冷たくて美味しいので……」

 向かいの席ではシリルがくつくつと嗤っている。

 ううっ気づかれた~

「左様でしたか、申し訳ございません本日はお水の準備はしておりませんでした。

 晩餐には準備しておくようにいたしますので今はご容赦ください」

「い、いえ準備はいらないわ。

 えーとじゃあ、あなたのお勧めを頂けるかしら」

 紅茶になるかと思いきや、一度も飲んだことが無いなら飲んでおく方が良いとシリルから助言が入り、食前酒ワインがグラスに注がれた。


「では二人の出会いに、乾杯」

「はぁ……」

 実際にグラスを合わせるでもなく─テーブルが広いしね─、真似だけしてお酒を口にする。飲んだことが無いので良し悪しは不明。ただしここは公爵家、きっと良い物だろうとは思う。

 もう一度口に含み。

 うんやっぱり分からない。

 初めて口にしたのだもの、それを測る物差しもないから土台無理な話よね。


 食前酒を皮切りに、幼い頃以来食べていない豪華な食事が次々と運ばれてきた。もちろん格が違うからきっとこっちの方が豪華だろうけどね。

 それにしてもよ?

 お皿の上で主張してるこの大きなエビを見てよ。この皿の品一つで、いまのうちの何日分の食費かしら。

 皿が来るたびに驚きよりも卑屈さを味わうとか、我ながら情けないわ。


「クリスタ嬢、悪いが昼から一緒に出掛けてくれるか」

 早速、噂のご令嬢に会いに行って三行半を告げるのかな~と思ったが、この屋敷の誰がどこまでその事情を知っているか分からないので詳しくは聞けない。

「ええ喜んで」

 と、空気を読んで笑みを返して置いた。

「おや理由を聞かないのか?」

 楽しそうにくつくつと嗤うシリルを見て、返答が素直すぎたことを悟った。

「確認した方が良い事でしたら、ぜひお聞きしたいです」

「ハハハッ、実は四日後に夜会がある。

 そこで皆に貴女のお披露目をするつもりだ。だから昼からは貴女のドレスを買いに行くぞ」

「あら先ほどドレスは頂いてますよ?」

 出来る執事さんの独断で知らなかったのかな~と思って、なるべく当たり障りないように伝えたつもり。

「ああそう言えば着替え用の、吊るしのドレスを買いに行かせたな。

 だが今度のは夜会の物だ、当然オーダーメイドになるぞ」

「ええっそんなの勿体ないですよ!」

 オーダーメイドと言えば値段は高い癖に個人専用だ。そして個人専用だから借金返済の為に売りに出す時にはかなり安く買い叩かれるという残念この上ない品物でしかない。

 だからこその叫びだったが、その理由に気付いたらしいシリルは「フッ」と小さく笑って一蹴された。


 偽物だけど公爵家の婚約者なのだから滅多な服は着せられないと言うことね。

「判りました、お任せいたします」

 何も持っていないわたしが、それ以外に言えることなんてない。

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