38:バイルシュミット公爵夫人

 あれから一ヶ月が経っていた。

 まだ公爵夫人になる自信は無いけど、前よりはマシと言う程度には成長したような気がしている。

 これもお義母様のご指導の賜物だろうね~


 本日は一週間ぶりにシリルとお出掛けだ。わたしはマイヤーリング侯爵邸で朝からニコニコ笑顔で過ごしていた。


 まだかな~と待っていると玄関に来客があった事が知らされた。

 でも時計を見ると約束の時間よりちょっと早い。きっとシリルもわたしと同じ気持ちで、待ちきれなかったに違いないわね。

 わたしはマルティナが止めるのも聞かずに早足で玄関に向かった。

 しかし玄関ホールにシリルは居なくて……

「あらシリル様はどこ?」

「クリスタ様、お客様は応接室でお待ちでございます」

 すっかり肩透かしをくった気分だ。

 なんだろうお義父様かお義母様と大切なお話でもあったのかしら?

 わたしは再び急ぎ足で応接室へ向かった。


 ノックをして待つ間さえも勿体ない。

 しかししなければお叱りを受けるので、ちゃんとノックしたよ!


 すぐに返事があってドアが開いた。

「失礼します」

 ぺこりとお辞儀をして顔を上げると、

「久しぶりですねクリスタ」

「えーっシリル様じゃないじゃん」

「おほほほ、これはお恥ずかしい所を、娘が大変失礼いたしました」

「いいえ構いませんわ、よく存じておりますもの。さあクリスタお座りなさいな」

 そう言われて我に返ったのだが、座るってどっちに……?

 片方にはお義母様が、そしてその向かい側にはお母様が座っていたのだ。先ほど教えられた来客とはバウムガルテン子爵夫人、つまりわたしの実のお母様だった。

 ちなみにおほほ~がお母様で、いいえ~がお義母様だよ。


 どちらへ座るのか判断が出来ないのでとりあえず立ったままで失礼。

「お母様、領地は、いえお父様はよろしいのですか?」

「ええ頂いたお薬のお陰で随分と良くなりました。大事を取って今回は見送りましたがあなたの結婚式には一緒に出席できるわよ」

「そうなのね、良かったわ」

「あらいい顔で笑うじゃない。良かったわ。ちゃんとバイルシュミット公爵閣下にお伝えしたのね」

 ん、何か伝える事があったかな?

「実はそのことでバウムガルテン子爵夫人をお呼びしたのです」

「もしかして……」

「ええクリスタは何も言っていない様で……

 先日シリルから聞いてわたくしも大変驚きましたのよ」

「それは申し訳ございませんマイヤーリング侯爵夫人。この子ったらそう言うことにはまったく疎いのです」

 何か知らない所で馬鹿にされているような気がするんだけど?


「クリスタ、ちょっと座りなさい」

「えっどっちに?」

「どっちもないでしょう、貴女はそこよ」

 お母様はピシッと人差し指で床を指した。急にどうしたのとよく見れば目が笑っていなかったわ……

 どうやら大変にお怒りのようだ。

「で、でも、いまはドレスですし、それにこれからシリル様がいらっしゃるので時間も……」

「あらそうなのね。だったら急がないと!」

 その後お義母様からフォローがあって、お母様側に座ることになった。

 なんだろうこの、義理の母の方が優しい状況……


「もう一度確認します。クリスタは結婚する意志があるのよね?」

「はい」

「つまり公爵夫人になるつもりもあるのね」

「まだまだ未熟ですが、あります!」

 屋敷を出てこちらに来てからは、特に立場の問題よりシリルと一緒に居たいと言う思いの方が勝っている、だからちゃんと返事が出来た。

「じゃあクリスタはそれをシリルちゃんに伝えたのよね」

「いいえ?」

 はぁとため息が二つ。

「婚約しているのですから普通は・・・破棄しなければ結婚しますよね」

「よいですか普通は・・・婚約した後にこれほどごねたりしません!

 自分から普通ではない事をやっておいて、何を今さら普通ぶっているのですか!」

「クリスタ、つまりね。

 ちゃんと貴女からシリルに伝えてあげて欲しいのよ」

「なるほど、判りましたわ」


 とは言ったよ?

 でもさ、なんで親が見ている前で~って言う話になったのよ!

「こういうことは二人きりの時に言う物ではないでしょうか?」

「何をおっしゃい! そんな時期はとうに終わってます」

「なあクリスタどういう話なのだ?」

「ちょっとシリル様は黙っていて下さい」

「未来の旦那様に向かって黙っていろとはなんですか!」

 お母様だってそういうこと言うじゃん!

「ややこしいからちょっと黙って」

 親に向かって~と吠えているのだけど無視だ。

 改めてシリルの方に向き直る。銀髪碧眼の美丈夫は、いま何が起きているのかとちょっと不思議そうに首を傾げている。

 出会った時の印象は最悪だったのに、ここまで好きになるとは思わなかった。


「えっと一度しか言いませんのでちゃんとお聞きくださいね」

「あ、ああ?」

 手を添えて「耳を」と囁く。

 シリルは上体を曲げてわたしの口元に耳を寄せてくれた。

「あなたをお慕いしております」

 シリルは何も言わずに上体を起こした。せめて『そうか』とか『ありがとう』くらいの返事が欲しかったかも?


「いまのは本心か?」

 シリルはしばしの沈黙の後にしかめっ面でそうたずねてきた。

 面と向かって聞かれるのは恥ずかしいのだけど~と言う気持ちと、なんでしかめっ面なの? と言う疑問。返事に詰まったところにさらに一言。

「まさか二人に言われて仕方なくと言う事はあるまいな?」

 そう言ってギロッと母親ズの方を睨みつけるシリル。

 あ~そう取っちゃうんだ~と、今までちゃんと好意を伝えなかったことに反省した。

「いいえ先ほどの言葉はわたしの本心でございます。

 シリル様もう一度~」

 ちょいちょいと手招きし再び顔を下げるようにお願いした。

 眉を顰めながら~だけど、シリルは再び身を屈めてくれた。わたしは降りてきた首に両手を巻き付けた。

 何度か頬で交わしたことはあったが……

 わたしはそっと触れるだけの口づけをすると、手を離してひょいと一歩離れた。

 シリルは驚いたままの表情で固まっている。

 うん満足。そういうが見たかったわ~


「本当に本当か?」

「ええ」

「夢ではないな」

「あんまり言うと女々しいですよ?」

「す、すまん」

 謝罪の後、シリルはハッと我に返り、わたしの手を取った。


「クリスタ、俺と結婚してくれるだろうか?」

「ええ喜んで」

 瞬間、わたしは手を引かれてシリルの胸の中に。シリルの香り包まれて、わたしは力強い抱擁に身を委ねた。







 ちょっと風変わりな事だが、バイルシュミット公爵家の庭は花ではなくて多くの野菜や果実が生ると言う。そこに住まう夫人はそれらを収穫するとジャムを作るそうだ。

 とても美味しジャムと評判で、彼女のお茶会に招かれたご夫人だけがそのジャムを味わう事が出来るらしい。


「母上、こちらの収穫は終わりました」

 シリルをそのまま小さくしたかの様な利発な少年が、籠いっぱいの果実を持って駆け寄って来た。

「あらスヴェンありがとう。こちらももう終わるわ。

 これでジャムを沢山作りましょうね」

「ほんとですか! 母上のジャムは美味しいですから楽しみです」

「あたしも手伝う!」

 ニパッと笑いながら手を上げた少女。ユールヒェンの口は果実ですっかり汚れている。収穫したばかりの果実を籠からあさってむさぼっていたから当然だ。

 妹のユールヒェン。スヴェンと同じくシリル似で、将来はきっとクールな美人さんになるはずだったのに、なぜこんな風に育ったのかしら?


 今度お母様かお義母様に預けてみようかしら……


 しかしわたしはその考えを首を振って捨てた。

 孫が生まれてからと言う物、厳しかった互いの両親はすっかり骨抜き。ただし孫に限る・・・・だ。

 娘のこんな姿を見られれば、孫を飛び越えてわたしが叱られるに違いないじゃん!


「やぁここに居たかクリスタ」

 お父様~といってユールヒェンは元気よく走っていきぴょんと抱きついた。果実で汚れた手や顔でもお構いなし。彼女はグイグイとまるでシリルの服でそれを拭うように押し付ける。

「こらユールヒェン!」

 娘に抱き着かれて満更でもない様子のシリルは、まあまあと頬を緩めて窘めてくる。

 うっちょっと眩暈が……

 じじばばに続いてこの人も娘には甘かったわね。


「それで何か御用?」

「お義父上とお義母上がいらしたぞ」

「ああそっか、今日だったわね」

 シリルと共に両親が待つ応接室へ向かった。両親は二人の孫を見ると嬉しそうに頬を緩めて笑った。笑顔に随分と皺がまた少し老けたようだ。



 お父様とシリルが互いに書類にサインを終えた。

「はい確かに。これで問題ございません」

 出来る執事トルマンが書類をざっと点検してOKを出した。

 この書類を貴族省に出すことで、バウムガルテン子爵の名前は正式にシリルが引き継ぐことになる。そしてその名前は、

「これなに~」

 お父様から象牙の蝋印を手渡された娘が無邪気にそう問い掛けてきた。壊されては大変とその手から象牙の印を慌てて奪い取る。

「これはバウムガルテン子爵の蝋印です。貴女が結婚する未来の旦那様にお渡しするまで、お母様が大切に保管しておきますね」

「えーあたしお父様と結婚するもん。だから要らない~」

 いやあ~と嬉しそうに笑うシリルの足を踏みつけて、

「いーえ、お父様とは結婚できません!

 はぁ……貴女は落ち着きがないから今から心配だわ」

「それは大丈夫だろう」

「あぁ儂もそう思うよ」

 そして母も同じように頷く。

「皆がそう言うなんて、いったいどういう根拠ですか?」

「だってこのはお前にそっくりだ。きっと上手く行くさ」

 だから心配なんじゃないかと、わたしは口には出さずに頭を悩ませた。


 だってわたしのような幸運が何度もある訳がないでしょう?




─ 完 ─



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