19:子爵夫人

 公爵夫人になった後、わたしに何が出来るか?


 これは最近すっかり胃の痛い悩みになっていた『わたしにどんな価値があるのか?』に通じることで、無価値なわたしは何もできないと断言できる。

 だったらシリルは何故わたしを選んだのだろうか?


『あなた公爵夫人になれると思ってるの?』

 そんな事を母に言われるまでもない。

 なれる訳がないわよ……


 貴族夫人になれば、貴族然とした立ち振る舞いもそうだし、他貴族との繋がりや、自らの属す派閥や勢力図に従った行動をするのが必要とされる。

 これは多かれ少なかれ普通の貴族なら大抵身についている事だ。

 普通と違うわたしは当然ながら自然と身についていなくて、むしろその様な立ち振る舞いは最も苦手としているところだろう。

 これだけでも致命的なのに、わたしがなろうとしているのはよりによって、発言力の最も高い公爵夫人だ。

 馬鹿じゃないの?

 どう考えても身分不釣り合いだわ。



 考えている間にすっかり陽が落ちて、晩餐の時間となっていた。答えはまだ出ていないのだが、ここらでお暇しないと流石に不味いと考えて部屋を出る。


 我が家の貧相な食事がシリルの口に合わないのは百も承知だが、今回はそれ以前の話なのだ。公爵閣下が移動するのだから、今回の旅では護衛を含めて結構な人数を引き連れていた。

 つまり我が家にこれほどの人数を食わせる余力は、とっくにないでしょって話だ。

 わたしは廊下でずっと待っていたらしいマルティナに、シリルの居場所を聞いてそちらに向かった。


 結論が出て無いのにノコノコと来てしまったことに一瞬躊躇したが、今さらだと思いノックをしてから部屋に入った。

「失礼します。シリル様、あのぉ本日は街の方で宿を取りませんか?」

「随伴の人数が多いからと、俺もそう言ったのだがな。

 どうやらそれには及ばんらしい。今日は屋敷に泊まって言ってくれと言われたぞ」

「ええっ!?」

 いったい何を考えてんのよお母様あのひとは!?

 シリルから今は晩餐の準備中だと教えて貰い、わたしは「失礼します」と言って部屋を出て、食堂の方へ急いだ。

 食堂に近づくとふわっと良い香りがしてくるが、食事は量に関わらず等しく匂いはするのだから騙されていはいけない。


 食堂に飛び込み、自分の眼を疑う。

「あらクリスタどうかした」

「これは……?」

 食堂の置かれた大きなテーブル。その中央に置かれた立派な花瓶にお母様が花を活けているのだが……

 普通ならばどうでもよい光景だろう。しかしわたしはこんな大きなテーブルも立派な花瓶も見たことが無い。

 いや子供の頃には見たことがあるけど、お父様が倒れてからは治療費に充てる為に売ってしまったはず。

 返事も聞かずに今度は厨房の方へ向かう。

 厨房では数人の女性がいて料理を作っていた。

「あらクリスタちゃん、どうかした?」

「花屋のおばさん? どうして……」

 全員は知らないけれど何人かは街に暮らす顔見知りのおばさん達だと判った。


 わたしを追いかけてきたらしいお母様が、

「臨時で領民の皆さんにお手伝いをお願いしたのよ」と教えてくれる。

 ここで話すことではなかろうと、再び母の手を取り食堂の方へ戻った。そして母にきつい口調で問う。

「こんなに無理して、いったいどうするのよ!?」

 食材の量もそうだし、人を雇えばお給金が必要だ。いくらシリルが肩代わりしてくれたとは言え借金の事もある。これほどの事をして明日からどう生活するのかと言外に込めて睨んだ。

「あら失礼ね。このくらいの事が出来ないほど我が家は貧しくは無いわよ」

「だって……、こんなのわたしの誕生日パーティーより豪華だわ」

「身内に対して切り詰めるのは当たり前です」

 バッサリ!

 えっなにその発想。

 一人娘をなんだと思ってるのよ?


「でも本当に大丈夫なの?」

「ええ大丈夫よ。使うべき時の為にいくらかのお金はどけてあるわ」

「ほんとにほんと?」

「しつこい子ねぇ。誰に似たのかしら……」

 このやり取りをシリルが聞けばまた嗤われそうだと思い口を噤む。

「とにかく! 無理しないでよ」

 料理の方は大丈夫そうだと食堂を後にした。


 次の問題は泊まる部屋だ。

 うちはそれほど大きな屋敷ではないが部屋の数はきっと足りるだろう。

 しかし問題の客間の中身は、すっかり売り払って空っぽなのだから、うちに人に貸せる余分なベッドやらタンスなんて無い。

 掃除が楽だわ~なんて言っていられたのは昨日まで!

 しかし部屋に入れば、小さいながらタンスとベッドが備え付けられていて、綺麗に整えられていた。

 王都に出る前は確かに空っぽの部屋だったはずなのに、いったいどこから……


「おやお嬢様、こんな所でどうさなったのですか?」

 そこへ真っ白なシーツを抱えたハンナが入って来た。

「そのシーツはどうしたの?」

「ああ、今さっき領民の方から借りて来ました」

「またそんな無理をして……」

「無理なんかじゃありませんよ。奥様はお優しくてお顔が広いですからね、そのお願いとなればみんな喜んで手を貸してくれてますよ」

「そう、なの?」

「ええ奥様は領民に慕われている、とても立派な子爵夫人でございますからね」

「そう……、なんだ」

 貴族とは程遠い、泥と汗に汚れて働く姿。

 あんな姿を見せて、どうして慕われているの……?



 その日の晩餐。

 始めにお薬を頂いて体調が少々よくなったらしいお父様が─執事に支えれれながらではあったが─、挨拶にいらした。ずっとベッドから起きる事が無かったことを思えば、わたしはそれに驚き、改めてシリルに感謝した。


 お父様が下がられたあとを引き継ぎ、今度はお母様が場を取り仕切る。

 その立ち振る舞いは威風堂々、とても毎日わたしと共に畑仕事をしている様な風には感じられない。

 挨拶が終われば先ほど見た料理が順番に運ばれてきた。

 高級さにおいては公爵家の食材には及ばないだろうが、田舎だけあり野菜は採れたての新鮮さがありとても美味しかったと思うのはわたしの贔屓目ではないだろう。

 最初こそ不安気だったシリルも、途中からはわたしが家の事を大袈裟に伝えたのではないかと密やかに笑うほどになっていた。



 晩餐が終わりシリルは自分の部屋へを帰って行った。わたしは一旦部屋に帰った後、ワンピースに着替えて厨房へ向かった。

 案の定、厨房の灯りはまだ点いていた。

 中に居たのは食事を終えた食器を片づけるお母様とハンナの二人きり。どうやらお手伝いに来ていた領民のご夫人方は帰ったらしい。

「お母様」

「なに~?」

 振り向きもせず片手間の様な返事が返ってくる。それもそのはず、その間もお母様の手は忙しなく動きハンナが洗った皿を受け取り布で拭いているのだ。

「手伝います」

「じゃあわたくしと変わって洗ったお皿を布で拭いて頂戴な」

 お母様はわたしに場所を譲ると、先ほど拭き終えていたお皿を丁寧に新たな布に包み飾りの入った箱に入れ始めた。

「このお皿もお借りしたのですか?」

「ええそうよ。欠けたりしたら大変よ、だから丁寧に扱って頂戴ね」

 それは言われるまでもない。

「本当に大丈夫なんですか?」

「あなたもしつこいわね~大丈夫だって言ったでしょう」

「でも借金もあるのに……」

「クリスタ、どうやらあなたは勘違いしている様だからちゃんと言っておきます。

 うちの借金はうちの物で、バウムガルテン子爵の物ではないわよ。そして今日の晩餐を開いたのはうちではなくてバウムガルテン子爵だわ」

「はい?」

 わたしはバウムガルテン子爵とうち・・の違いが判らずに首を傾げる。

「うちと言うのはこの家に住むわたくしたちの事です。バウムガルテン子爵と言うのはこの地を治める貴族の事ですよ」

 それを聞きハッと思い当たったのは、シリルと初めて出会った時に交わした会話だ。

「お父様の治療費は個人の借金ゆえに国が何もしない……?」

「あら知ってるじゃないの」

 そう言うとクスクスと笑うお母様。

「いまはです……

 残念ながら王都に行くまでわたしはなにも知りませんでした。

 でもお母様はそのご様子だと知っていらしたのですね。ならばなぜわたしに爵位を返還させに行かせたのですか!?」

「クリスタ手が止まってるわよ」

 それがいま言う事かと睨むが、再び「手!」と今度は厳しく言われたのでお皿を丁寧に拭く作業を続けた。


 そのお皿を包みながら、

「わたくしたちの家の都合で、これ以上領民に苦労させないために爵位を返還する必要があるとわたくしは考えたのよ。

 でもあの人は決定するのは自分の代ではない、クリスタだろうと言ったわ」

「つまり理解していないままわたしは爵位を返還しようとしたのですね」

「でもいまは知っているわね?」

「それは……」

 あそこでシリルと偶然ぶつからなければ、知らないままに爵位を返還してしまっていただろう。そして後になり、借金が残ることを知り慌てたはずだ。

 つまりわたしは運が良かったのだ。


「クリスタよくお聞きなさいな。あなたに残せる物は少ないけれど、それでもうちの借金はあの人とわたくしの物です。

 どうなろうとあなたには害が及ばないようにするつもりよ。だからなりたくないものになる必要はないの」

「ねぇお母様、わたしはもう十九歳なのよ。借金を返すならちゃんと手伝うわ」

「ふふふっ年齢は関係ないわ。いくつになってもわたくしはあなたの母親なの。こんな時くらい恰好付けさせて頂戴な」

 最後の皿を仕舞い終えると、お母様は「じゃあね、おやすみクリスタ」と言って厨房を出て行った。


 普段と違う一面を見せたお母様。

 わたしはすっかり大人になったつもりでいたけれど、どうやらその背中はまだまだ遠いらしいわね……

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