18:母の愛

 玄関を抜けてシリルが向かった先はお父様の寝室だった。ノックをするとハンナがドアを開けてくれて入れてくれる。

 お父様は半身起こした状態でベッドに居て、その側に連れてきたお医者様とにっこにこ笑顔のお母様が……

 あの上機嫌っぷり、わたしの居ない間に一体何があったのか?


「クリスタよく帰ったね」

 今日は体調が良いのだろうか、お父様の声はそれほど擦れていなくてよく聞こえた。

「はいただいま帰りました。

 お父様、こちらをお返しいたします。言い付けられたお役目を果たせずに申し訳ございませんでした」

 差し出した一通の封書。

 それはわたしが王都に行く発端となった、爵位の返還を願う書類だった。

 勝手な判断になるが、これはもう必要としないはず。


 差し出した書類に視線を落としたお父様は、それに手を出さずに、

「本当にいいのだね」

 と静かな声で確認してきた。

 シリルのお屋敷でお父様から頂いた手紙には『わたしの為であれば無理をする必要はない』と書いてあった。きっとそれを問うているのだろう。

 でも大丈夫。

 わたしはお父様の為に無理はしていない。だから笑顔で「はい大丈夫です」と言って書類を父の手元に置いた。

 途端に、やっと用事が終わったのだ、と気が抜け天井を仰いだ。


 呆けたのは一瞬。再びお父様の方に視線を向けた時には意識をすっかり切り替える。

「わたしが言うことではありませんがご容赦ください。

 バウムガルテン子爵家はシリル様の新たな領地として、きっと繁栄すると思います。だからお父様はご安心してください」

 しんみりとした風になる……はずだったのに。


「何を勝手にお父様を亡き者として扱いますか!」

 にっこにこの笑顔だった母がここで吠えた。

「殺してないもん! ちょっと先の話をしただけでしょ!」

「それを殺したと言っているのです!

 いいですか、お父様の病気はとても孝行な息子のお陰で治ります!」

「ええっ!?」

 なにそれ初耳!? じゃなくって!!

「ちょっと待ってよ。うちには息子なんて居ないじゃない!?」

「そう言えばあなた、家の孝行な息子シリルの婚約者だったかしら?」

「ちょっ! お母様!?」

 わたしがガタッと席から立ち上がれば、お母様も同じく席を蹴って立ち上がる。

「貴女に母と呼ばれる覚えはありませんが、孝行な息子の懇願もありましたから、仕方なく屋敷に入れてあげたのよ。感謝なさいな」

「何その言いぐさ! わたしがシリル様を連れて来たんでしょ」

「二人ともそろそろやめなさい」

 お父様の声が割って入る、病床ゆえに静かな声だが声色には怒りが含まれていた。

 わたしとお母様は二人でしゅんとして席に座り直した。


 シリルが「本当にそっくりだな」と、笑ってを取ると、お医者様が、「では説明させて頂きますね」と後を引き取った。

 お父様の罹っていた病気は、体力を徐々に奪っていきいずれ衰弱死するという治る見込みのない物であった。

 貴族しか掛からないと言う奇病で、そこまでは老主治医の言った通りだ。


 しかし〝治らない〟と言うのは二年前の事。


 実は二年前にこの病に効く特効薬が完成していたそうで、今はそれを投与すればちゃんと治るらしい。

「はい?」

「ここは王都から離れていて、おまけに主治医がかなりのご高齢だったので、その新薬の存在を存じておられなかったようですね」

 新しい薬が出来ると医者の間で情報として流れるらしい。しかしうちが懇意にしていた医者はわたしの子供の頃から姿が変わらないほどの老医だったから、医者友達はとっくに亡くなっているし、体力的に王都に赴き新たな知識を得ることもできなかったようだ。

 いい意味でこの田舎の領地で細々と余生を終えるつもりだったとか。


 この様にして新薬の情報が入るルートは無くて……


「えーと。つまりお父様は治ると?」

「はい完治には半年ほど掛かるでしょうが、確実に治ります」

 医師は自信を持ってそう断言してくれた。

「シリル様はご存じだったのですか?」

「まあな、貴族省で同じような症状を持つ貴族の話を何度か耳にしていた。しかし二年ほど前から治ったと言う話を聞いていたからもしやと思ってな」

「お母様……、治るそうですよ」

「先ほど孝行な息子に聞きました」

 つんっと顔を背けられた。

「ではその孝行な息子との結婚は許して頂けるのでしょうか?」

「それとこれとは話が別です」

「ええっなんで!?」

「クリスタ、貴女ちょっとこちらにいらっしゃい!」

 ぐいぐいと腕を掴まれて隣の部屋へ連れてこられた。



 お怒り中のお母様と二人っきり。

 嫌だなぁ~と内心で嘆いていれば、急にお母様の態度が柔らかく変わった。

「クリスタ正直におっしゃいな。

 貴女は本当に自分が公爵夫人になれる・・・・・・・・と思っているの?」

 流石は生まれた時から長年わたしの母親をやっていただけの事はある、完全に見透かされている。


「……なれるわ」

 声に出して言うとまたもズクンと胃が痛んだ。

「本当に? わたくしの眼を見て誓える?」

「だって。ならないとお父様が……」

 泣いてはいないが、後半は耐え切れず情けない震えた声が出た。

「よく聞きなさい。

 先ほどの新薬は高価だと言う話ですが、貴女との関係が無くともバイルシュミット公爵閣下は、治療を終えるまでのお金を貸して下さると仰っています。

 しばらくは細々とした生活は続くでしょうが、それもお父様が治ればきっと改善するわ。だからもう、あなた一人が抱え込む必要はないのですよ」

「本当に、いいのですか?」

「ええ。もちろん。

 ただすぐに決めては駄目。どれだけ掛かっても良いわ。真剣にどちらを取るのかよ~く考えなさい」

「でもシリル様はお忙しい方なのよ、きっとそんなに待ってくれないわ」

「馬鹿にしないで頂戴、公爵と戦う覚悟くらいわたくしにだってあります」

「それ、お父様も言ってらしたわよ」

「あらそうなのね。

 だったら大変ね、二人でかかるならきっと勝っちゃうわね。どうしましょう」

「ふふっ心配する所はそこじゃないでしょ」

「ええそうね。これはクリスタが心配することじゃないわ。

 だからあなたはゆっくりと考えなさい」

「助言はくれないの?」

「この子ったら、十九歳にもなって何を甘えているのかしら」

「ケチ」

「うちは貧乏ですからね、切り詰める所はちゃんと切り詰めないと。

 でもそうね。わたくしは貴女を一端の淑女レディとしてちゃんと育てたつもりよ。無いのはお金と、ドレスと、宝石と自信だけかしら?」

「そう聞くとほとんど何も無いみたいだわ」

「本当の事だから仕方がないじゃないの」

 そう言うとお母様はふふふっと声にだして笑った。

 わたしも釣られて笑う。

 お母様はそのまま立ち去って行き、わたしは部屋に一人残された。

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