赤貧令嬢の借金返済契約
夏菜しの
本編
01:返還と拉致
八年前から、治療の方法が無いと言われた大病を患ったお父様。
徐々に衰弱していく病にあらがうため、その治療費は年々かさんでいく。当主が倒れて領地の維持もままならず、いよいよ首が回らないところまで来た。
ある春先の事、わたしはお父様から呼び出しを受けて寝室を訪れた。
「失礼します」
ノックをしてカーテンが引かれたやや薄暗い部屋に入る。
お父様は我が家の唯一の侍女に体を支えられてベッドで半身を起こした。わたしはベッドの側にあった椅子に座ってそれを待つ。
毎朝にお会いしているけれど、今のお父様のお顔は随分と痩せこけて見えた。
「よく来たね。
わたしはもう駄目だろうと思う」
そう言われてわたしはなんと返せば良いだろうか。
ヒュゥと喉が鳴り再びお父様が口を開いた。
「済まない、わたしは決断が遅すぎたようだ。
もっと早くにお前の夫になる者を見つけていれば良かったな」
「いいえわたしの年齢を考えれば仕方がない事です」
わたしは今年で十九歳になるが、婚姻が結べる三年前の十六歳の時にはとっくにお父様は床に伏せっていた。
あの時分にはこのようなことになるとは思っていなかったのだから、振り返っても仕方がない事だとわたしは思っている。
「爵位を返還しようと思う」
唐突な話ではない。
なんとなく呼ばれたときからそんな予感があった気がする。
だからわたしは、
「解りました」
と、とても自然な気持ちで返すことが出来たのだろう。
※
滅多に使わない馬車は、治療費に充てる為にとっくに売ってしまって持っていないので、平民が使う乗り合い馬車を使った。
右へ左へ様々な町を経由する乗り合い馬車は、本来の四日の行程を大きく超えて、一週間もかけて目的地にたどり着いた。
本日やっとわたしがたどり着いたのはゲプフェルト王国の王都だった。
ちなみに随伴の従者は無し。
伏せたお父様に変わって領地を取り仕切っている執事は多忙だし、唯一の侍女は病床のお父様と、屋敷に残るお母様のお世話があるからわたしに着いてこれる訳がない。
さてわたしがここに来た目的は爵位を返還する為だった。
お父様に書いて頂いた書類を貴族省に提出する。その手続きが無事に終われば爵位と領地は国に返還されて、わたしたちは爵位を失って平民となる。
正直な話だが、わたしやお母様は爵位よりも借金の方が気になっていた。
何故なら我が家の家計事情は先ほど支払った乗り合い馬車の代金でさえも痛いのだ。
しかしお父様は、領地も合わせて返還するので、残った借金は国に肩代わりして貰えるだろうと言っていた。
知らない事なのでそう言う物かと納得するしかないけど、それほど都合が良い物だろうかと不安を覚えるわね。
馬車の停留所は街外れの城壁の近く、その先の方に頭だけちょっぴり見えているのが王宮だろうか?
はたして貴族省と言うのは王宮にある物なのかしら。
馬車を降りた所で作業員に聞いてみたが、自分は外回りだから知らないと首を振られてしまった。
だったら内回りと言う人に聞けば分かるのかしらね?
内回りの人を紹介して貰い、同じ質問を重ねた。
「ええ貴族省でしたら王宮の内側にある建物です。
そちら行きの馬車でしたらもう間もなく出ますが、乗って行かれますか?」
「いいえ大丈夫。わたしは王都に来るのが初めてなの、見学もしたいから歩いていくわ」
「なるほど、しかし少々お遠いですよ?」
「疲れたらどこかで拾うから大丈夫よ」
「左様ですか、差し出がましいことを言いましたな」
わたしは御者に別れを告げて王宮の方へと歩き始めた。
歩き出して数歩、なんの気なしに「はぁ」とため息が漏れた。
今の台詞、上手く笑顔は作れただろうか?
下手に馬車に乗って帰りの運賃が足りないなんてことになったら目も当てられないわよね……
街の城壁から王宮までの距離は思ったよりあった。
なるほど馬車を薦める訳だわと納得する。しかし日々の食を得る為の畑仕事に比べれば大したことではない。たった今日一日のこと、足を進めればほどなく着くだろう。
王宮を護る城門に歩み寄ると槍を持った兵が警戒した表情を見せた。
「ここから先は王宮である。用が無ければ控えて貰おう」
今にも飛び掛かるぞとばかりの威圧的な態度。
わたしは首に掛けていたお父様にお借りした身分証のペンダントを取り出した。
「バウムガルテン子爵家の長女クリスタです。
本日は病床の父に代わりまして貴族省に用があって参りました」
こちらが貴族だと知れると兵の態度はくるりと変わる。
「子爵家のご令嬢でいらっしゃいましたか、大変失礼いたしました。
失礼ですが貴族省の場所はご存知でしょうか?」
「いいえ、知らないわ」
「ご案内出来れば良いのですが、あいにく持ち場を離れる訳には参りません。言葉のみでの案内になりますがご容赦ください。
貴族省はこの門を抜けられて、道沿いに右手の方へ進んでください。両手のない女神像を左手に見ながら右へ、
「えっ、
「はい
真顔だった。
「右に行って女神像で左の右?」
「いいえ違います両手のない女神像を左手に見ながら右です」
「で、
「はい
「……行ってみるわね、ありがとう」
「ハッ失礼いたします!」
あれが門兵とかこの国の兵士は大丈夫だろうか?
不安げに道なりに右手を進んでいくと女神像が見えてきた。手があるのでパス。二つ目も手がある。三つ目は片手で、四つ目が両手が無かった。
道はやや傾斜の激しいイの様なT字、なるほど女神像を左手に見ながら右へね。
そして問題の
頭よりも高い綺麗に刈りそろえられた迷路のような花壇、S字だったりL字だったりするが道は一本道だ。
なるほどこれは説明のしようは無いかもしれない。
春先ではなく季節が季節ならさぞ見事な花が見られたであろうに残念だわ。
そんな事をぼんやりと思っていたからか、曲がり角でドンッと言う衝撃を受けてわたしはその場に転がった。
「ああ失礼」
それは謝罪の為ではなく、なんとなく口にしただけの台詞。
声を発した人物、つまり転がったわたしを見下ろしているのは、銀髪碧眼の身分の高そうな若い男だった。
身なりの良い男はわたしの方をチラリとみて、
「おい使用人がこんな所で何をしている?」
と、訝しげに睨みつけてきた。
今回は乗り合い馬車の旅なので平民に浮かない恰好をしていた。費用が不安で一泊もせずに帰るつもりだったので、服装はもちろんそのままだ。
だからパッと見、わたしの姿は平民つまり使用人にしか見えない。
まぁ馬車で浮くような恰好はとっくに借金返済の為に売ってしまったから、最初から浮きようはないけどね……
おっと、それとこれとは話が別だ。
わたしはさっさと立ち上がり、
「わたしは
と、文句を言ってやった。例え数時間後には貴族で無くなろうとも、今は貴族で間違いはない。
「貴族? お前がか」
「ええ。わたしはバウムガルテン子爵家のクリスタです」
「バウムガルテン子爵家……、悪いが聞いたことが無いな」
辺境も辺境の領主な上、ここ数年、当主のお父様が病に伏せって社交界に出ていないから当然だろう。
わたしが少しばかりガッカリしていると、
「お前年齢は?」
「クリスタです」
「それは名前だろう」
わたしのちょっとした嫌味は軽くスルーされたらしい。
「十九歳です」
「子爵だったな。ふむ丁度いいか……」
年齢を聞くや顎に手を当てて何やらブツブツと独り言を言い始めた。
「よし少し付き合え」
男はガシッとわたしの腕を掴むとわたしと一緒に転がった小さなスーツケースを手にして、いまきた
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