05:公爵家の日常①

 目が覚めて見知らぬ天井を見て、『ああ……』と激動の昨日を思い出した。

 長旅の疲れのお陰で色々な事を考え込む間もなく、意識を手放すことに成功したお陰様で、昨夜はぐっすりと眠ることが出来たのは僥倖。

 我ながら図太いな~とひとりごちたけどさ。


 さて起きよう。

 今は朝日が少しだけ顔を出した時間。春先のこの時間はまだ薄暗くて、普通ならきっと灯りをつけるだろうけども、うちの経済状況だとそんな贅沢はしない。

 わたしは灯りをつけることなくベッドを降りた。


 まずはクローゼットを開けて洗って仕舞われていたワンピースに着替える。

 大きな鏡の前に座り、髪に櫛を入れ始める。括り用の麻ひもを口に咥えて髪を結っていき終わりを麻ひもで結んだ。

 普段はこれで身支度は終了なのだが、櫛を取った際に開けた引き出しに色とりどりのリボンがあったのを思い出し、深い緑のリボンを麻ひもの上から結んだ。

 よし完成!

 鏡の中には化粧っ気のないいつものわたし。一つ違うのは母譲りの明るめのブロンドに深い緑のリボンが映えていることか。


 ドアを開けて廊下に出る。

 身支度をしている間に少々だけ太陽が昇ったらしい。今日は晴れそうだな~と廊下から見える朝の光を眩しげに眺める。

 廊下には仕着せを着た下女が居て掃除を行っていた。

「おはよう、ご苦労様」

「も、申し訳ございません!」

 声を掛ければ謝罪と共に脱兎のごとく逃げられた。


 そう言えば執事や侍女と違う位の低い使用人は、主人が起きる前に仕事を終えて極力姿を見せないようにしているのだっけ?

 わたしはここの主人などではないのだけど客人ではある。

 いや自分に言い訳は止めよう。

 許嫁の契約をした雇われ令嬢なのだから、むしろ誰よりも主人に近しい存在だ。

 つまり先ほどの使用人は仕事が遅いと叱られると思って逃げて行ったのかと思えば、悪い事をしたなと反省だ。

 動き回って方々で困った顔されるのも面白くないわね。

 仕方ないか、しばらく部屋で大人しくしていようかしら。



 部屋に戻って陽が半分ほど登った頃にマルティナがそぅとドアを開けて入って来た。

 彼女は部屋中をこまごまと歩き掃除をしているわたしを見て悲鳴を上げる。

 そして、

「申し訳ございません、クリスタ様!

 起きていらっしゃったなら、お呼び下さればすぐにお伺いいたしましたのに!」

「いつも通りに目が覚めただけだから気にしなくていいわよ」

「いいえそう言う訳には参りません。

 あたしはクリスタ様のお世話をすることでお給金を頂いております。それをせずにお給金を頂いてしまえば皆から叱られてしまいますわ」

 その後、わたしが起きた時間を問い詰められて答えると、明日からはちゃんと起きますからお待ちくださいねと宣言された。

 それにしても、マルティナはもっと流されるままに従順に従うだけの子かと思っていたけど、思ったよりぐいぐい来る子で驚いたわ。


 そしてもう一つ。

「クリスタ様がご自分で掃除するのは禁止です」

「でもね、何もせずに座っているのが落ち着かなくて……

 それにちょっと気になる所を軽~く掃除していただけよ?」

「ダメです!

 いいですか? 先ほども申しました通り、あたしにはクリスタ様のお世話をするお仕事がございます。同じようにこのお部屋を掃除するという仕事を持っている者もいるのです。

 その仕事を取ってしまっては、その者から生活するための生業や、はては仕事に対する矜持などを奪っていると思ってください」

「そんな大げさな~」

「ダ・メ・です!」

「はい、判りました」

「お分かり頂いてありがとうございます。

 では早速、お着替えをいたしましょうか」

「え?」

「もしやワンピースで朝食のお席に着かれるおつもりですか?」

「ダメ「です!」」

 その後、ドレスに着替えて、化粧を施し髪を結い直しと、なんだかんだで一時間ほど掛けて身支度を整えられた。


「うう朝からドレスなんて……」

「そんなクリスタ様に助言をいたしましょう。

 クリスタ様はバイルシュミット公爵閣下から婚約者として雇われたのでしょう?

 つまりクリスタ様のお仕事はまさにそれなのです」

「なるほどね。

 この格好も仕事のうちと言うことね、うん分かったわ」

「お分かり頂いてありがとうございます」

 すっかり丸め込まれた気もするけれど、マルティナの言いたかった事はちゃんと理解できたと思う。




 陽は登りすっかり朝になる頃にマルティナに促されて食堂へ向かった。どうやらこれらの細かい時間の話は、昨日のうちに執事から伝え聞いていたようだ。

 これもまた彼女の仕事の範疇なのね。


 食堂に入るとシリルはまだ居なかったが拍子抜けすることは無い。わたしは客人ではあるけど、婚約者という立場なので主人よりは下だ。だから主人より後に入って、主人を待たせるなんてあり得ないからむしろ当然のことだわ。



 席に着いて数分、食堂にシリルが現れた。

 立ち上がり、「おはようございます」と挨拶をする。それに続いて使用人らも挨拶をした。あえてわたしを待つ姿勢、流石は公爵家、本当に教育が行き届いた使用人ばかりね。

 シリルはわたしにだけ軽く挨拶を返しつつ向かいの席に座った。


 シリルが座ると何も言わなくても食事が運ばれてくる。ついでに給仕の係りが飲み物が乗ったカートを引きながらやって来る。

「クリスタ様、お飲み物は如何いたしましょうか?

 本日は朝汲みの新鮮な井戸水も準備してございます」

 昨日の事もありちょっと誇らしげな給仕さん。

「じゃ、じゃあ、そのお水を頂こうかしら」

 自らが招いた失言から出たことだ。これ以外の選択肢があろうか?

 事情を理解しているシリルは昨日同様にくつくつと嗤っていた。

 うぅ意地悪だ。

 朝とは思えない豪華な料理にお水。

 お水って淡泊だね……


 食事が終わりお茶が入ったところで、

「昨晩はよく眠れたか?」

「はいお陰様でぐっすりと眠れました」

「それは良かった。

 クリスタ嬢、悪いが今日も昼から付き合って貰えるだろうか」

「はい喜んで」

 笑みを浮かべて返事をする。

「理由はいいのか?」

 彼はニヤッと口角を上げた。

「いいえ聞く必要はありません。だって必要な事なのでしょう」

 これは仕事なのだから~と思えば、答えはすんなりと出た。

「ふん、まあ必要な事だが……」

 わたしの返事を聞いてあからさまに機嫌が悪くなるシリル。

 おや何か失敗しただろうか。しかし今の会話の中に失敗する要素なんてどこにも無いはずだ。

 何か別で嫌な事でも思い出したのかしらね。

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