夢――太陽の一族
博士の目的の場所は、シェルター入口から森の中を歩いて十分ほどで辿り着いた。方角としてはリンがよく訪れていた広場とは真逆に位置する。
そこは自生した草花が地面を覆う小さな広場で、特に目に付くものは何もない。
博士は広場の中心辺りで足を止めて地面を見た。地面には周囲とかわらず草花が生えている。しかしよく眼を凝らしてみると、周囲より花の密度が高い。そのことから手が加えられていることが分かった。
博士を見ると、彼女は地面から視線を離すことなく口を開いた。
「エンのお墓よ」
エン・ニベルファルン。
この惑星ニーベのかつての神、
そして、心を持てるアンドロイドを設計した私の生みの親――。
ここがエンの墓だと聞いて、私は意外に感じた。
記録によると、確かにエンは科学者として何も評価されていなかった。
都市に住んでいた頃からアンドロイドに心を持たせる研究をしていたことから周囲からは変わり者として見られ、彼女の死後に発表された世界初の汚染風に耐性を持つ新型アンドロイドに関しても、中央研究庁では人類の存続には何の役にも立たないという過小評価を受けていた。
だとしても、このような扱いでいいのだろうか。
たとえ人類を、世界を救えなかったとしても、これまで人類のために奮闘してきた一族最後の人間が眠る場所が、こんな墓標もない寂しげな場所で――。
「ここに眠ることは、エンが望んだことよ」
まるで私が考えていることを見透かすように、博士は言った。
「世界を終わらしたのは自分だから、家族や先祖に会わす顔がないんですって」
その言い回しに、私は疑問を覚えた。
世界を終わらした? 救えなかったではなく?
しかし博士が醸し出す厳かな雰囲気に、私はそれを問うことができなかった。
「そんなこと気にしなくていいのにね」
博士はその時のことを思い出すかのように淡く苦笑すると、しゃがんで話し始めた。
私のこと、リンのこと、そしてこれまでの日々を――。
それが独りごとではなく、地面のエンに向けて話していることは分かっていた。だがその行為自体を理解することは、到底できるものではなかった。
そんなことしても、死者に言葉は届きはしないのに。
もうエンは死んでいるのに――と、文字通り心無い私はそう思っていた。
エンの墓参りのあと植物のサンプルを採取した私たちは、シェルターに向かって帰路についていた。
「何故、エンはクローンを作り出さなかったのですか」
その道中、私はエンの墓前の会話で疑問に思っていたことを訊いた。
元々、太陽の一族は汚染風に対する抗体と、天才的な頭脳を持って生まれる代わりに短命だった。
それは生まれつき身体が弱いというものではなく寿命そのものが短い所為で、エンが二十五歳という若さで亡くなったのも寿命が原因だった。
これまで太陽の一族の跡取りは子孫が残せなかった場合、自身のクローンを作って一族を存続させてきた。
けれどエンはクローンを作らなかった。
リンというエンの遺伝子を受け継ぐものはいるが、彼女は博士とエンの遺伝子を掛け合わせたクローンだ。多くの面において博士似である彼女には、人知を超えるような太陽の一族の性質はほとんど受け継がれてはいない。
「ケイ。何故、今人類が滅亡に向かっているのか分かる?」
それは、疑問に対する答えではなかった。
それでも博士が望むのならと、私はその問いに答える。
「汚染風による生殖機能の低下が考えられます」
人類はドーム都市の防壁を設計した太陽の一族のおかげで、汚染風に晒されない環境を手に入れた。それからほどなくして軽度汚染した身体を除染する技術も一族によって開発され、ドーム都市内での自給自足の環境も整い、人類は限られた生活圏ならば何も問題なく存続できるかに思われていた。
しかし時が経ち、人類は人口が緩やかに減少していることに気がついた。
汚染風により都市間の争いもない、ある意味では平和な世の中で、人口が減少する原因として考えられるのは一つしかなかった。
出生率の低下だ。
人類は最初、生殖行為の減少が人口にそのまま表われているのだと考えていた。それを解決するための政策も取られたが、出生率は上がるどころか変わらず減少の一途をたどり、一向に改善が見られなかった。それもそのはず、原因は生殖行為の減少にはなかった。それを発見したのもまた太陽の一族の人間だった。
原因は人体そのものと、汚染風にあった。
汚染風は身体に害がない程度のものや、例え除染をしていたとしても、一度浴びてしまえば知らずうちに人体の機能に影響を与えていたのだ。
その最たる影響が生殖機能の低下だった。
しかもそれは低下するだけではなく、子々孫々と影響が強くなる特性を持っていた。シミュレーションによれば、除染した人間同士の交配でも三世代で生殖機能は完全に失われるという結果が出ている。
また汚染風を全く浴びたことがない人間と、除染したことがある人間が交配して生まれた子供についても、その影響は九十七パーセント引き継がれることも判明している。
まさにドーム都市に引きこもる人類を滅ぼすには最も効果的な特性だ。
現にこの百年で、世界人口の70パーセントもの人が生殖機能を失っている。
今は太陽の一族が実用化したクローン技術により人口減少は緩やかに済んではいるが、それでも根本的な解決にはならない。クローンにも生殖機能の低下は引き継がれるからだ。
それにクローン技術は処々のリスクから多用することは難しく、現時点でも一部の特権階級にしか利用を許されてはいない。人類を存続させるには、それらの階級の遺伝子でクローンを作り続けるしかない。
つまり、それはこれ以上、人類が生命として前進できないという意味でもあった。
「そうね。それが表面的な理由」
「それは、どういう意味でしょうか」
「人類が滅亡する本当の理由は、人が自ら奇跡を手放したからよ」
科学者の口から出たのは、思いもよらぬ言葉だった。
「奇跡、ですか」
「えぇ。奇跡を起こせる一族――太陽の一族を」
私は自然と息を飲んでいた。博士が言いたいことが自ずと読めたからだ。
「これまで人類に危機が訪れれば、必ず太陽の一族が世界を救ってきた。一族は何の見返りも求めず、その短い生涯を人類のために捧げてきた。けれど一族が何度も世界を救う内に、人はそれが当り前なのだと思うようになった。一族が世界を救うのは、生まれ持った者として当然の義務なのだと」
そう語る博士の横顔と声音には、憤りのようなものが浮かんでいるように感じた。
「そうして人は自ら切り開くことを止めたの。それだけではなく挙句の果てに、一族を世界を救う〈勇者〉という道具として扱うようになった。……最後の勇者様はね、絶望してしまったの。身勝手で傍観者と成り果てた人類に」
「――それが、エンですか」
「そう」
つまりエンがクローンを作らなかったのは、彼女なりの人類への復讐――。
そう考えれば博士が言っていた『世界を終わらした』という言葉にも納得がいく。
エンは世界を救えなかったのではない――救わなかったのだ。
「彼女は最後に、人のためではなく自分がやりたいことのために奇跡を起こそうとした。それが貴女よ」
そう言って博士はこちらを見た。
「エンが起こそうとした奇跡――それはつまり心の発現ですか」
「えぇ」
「博士は、奇跡を信じているのですか?」
奇跡とは神だけが起こせるという、科学では解明できない超自然現象のことだ。
そして〈心〉は、未だ科学では証明しきれていない人間の未知の部分だ。それが人の何から生まれるのかも、身体のどこに宿るのかも、科学者や哲学者のみならず誰も何も分かってはいない。
博士は私の問いに苦笑すると言った。
「私は科学者だから」
それは信じていない、という意味だった。
当然だと思う。だからこそ疑問は解消しなかった。
それならば何故、博士は普通のアンドロイドにはできないようなことを私にさせようとしたのだろうか?
何故、アンドロイドである私の意思など尊重しようとしたのだろうか?
何故、心の兆しがあるとでもいうかのような発言をしたのだろうか?
その疑問を口にする前に、隣を歩いていた博士が「でも」と足を止めた。
私も足を止め、彼女へと向き直る。
博士は微笑んでいた。優しく懐かしむような眼差しを私に向けて。
「エンが起こせるというのなら、私は信じるわ」
――博士は生涯、科学者であることを止めることはなかった。
趣味と言う名の研究を最後まで続けていたのがその証拠だろう。
それでも、博士は信じていた。
本来なら科学者が否定しなければならない奇跡という現象を、エンが起こせると考えたから博士は信じていた。
……今でも不思議に思う。
これまで蓄えた知識も常識も、科学者として培った経験も、何もかもを持ちえた上で何故、博士は奇跡という不確定要素を信じることができたのだろうか――エンを信じることができたのだろうか。
エンが数々の奇跡とも思えるようなことを起こしてきた太陽の一族の末裔だからだろうか。
それとも他に、別の理由があるのだろうか。
エン自体に、信じるに値する何かが――。
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