後編
夢――目覚め
「おはよう」
人工脳が立ち上がるのと同時に耳に届いたのは、人が朝に交わす挨拶の言葉だった。
瞼を上げると、目の前には先ほどの声の主だと思われる人物が立っている。
白衣をまとった、長く真っ直ぐな黒髪に青い瞳の女性。
外見推定年齢は二十代前半。
「貴女の名前はケイ・ニベルファルンよ。よろしくね」
女性はそう言うと、たたまれた衣類を差し出してきた。そのことから自分が今、何もまとっていないことに気づく。
私は直立しているカプセルから出ると、女性から衣類を受け取った。そしてそれを身に付けながら、目の前の女性が誰なのかについての演算を行う。
演算は三秒で終了した。その結果は〈初起動に立ち会うのは増産型でもない限り制作者と相場が決まっている〉だった。
増産型――私は人工脳に登録された自分の型番 [ ANDROID-YEN-01K ] を都市で増産されているアンドロイドに一致するものがないか検索をかけた。結果は該当なしだった。つまり私は増産型ではないらしい。
そうなると目の前の女性は制作者の可能性が高くなるのだが、私の人工脳には制作者として登録されている名前が二つ存在している。
それならばまず、目の前の人物がそのどちらなのかを確認しようと考えた。
私は着替え終わると姿勢を正して言った。
「よろしくお願いします。早速ですが貴女のお名前をお教え下さい」
着替えの間、顔を逸らしていた女性はこちらを向き直ると、微笑みを浮かべて答えた。
「
女性が口にしたのは制作者二人の内、一人の名前だった。
「なんとお呼びしましょうか?」
「そうね。何でもいいのだけれど」
「では、マイ、で宜しいですか?」
名を呼ばれた瞬間、女性は驚いたように目を見開いた。
個人を認識するには家名よりも名前のほうが適切だと考えての提案だったのだが、女性の反応を見るにどうやら最適解ではなかったらしい。
「不適切な発言をしてしまったでしょうか?」
そう訊くと、女性は取り繕うように苦笑を浮かべた。
「いえ、貴女は悪くないわ。ごめんなさいケイ。何でもいいと言った手前、申し訳ないのだけれど、博士って呼んでくれる?」
「構いませんが、個人を認識するのに不便では?」
「大丈夫よ。ここには私しかいないから」
「そうですか。承知しました。以後、博士とお呼び致します。ところでもう一人、制作者としてエン・ニベルファルンが登録されていますが」
博士は白衣の胸ポケットから一枚の紙を取り出すと、こちらに見せた。
「彼女がエンよ」
差し出された長方形の紙面――写真には、一人の人物が写っていた。
赤い眼に、癖毛気味のショートな銀の髪、そして中性的で整った顔立ち。一見すると性別が見分けにくいが、博士が彼女と口にしたことから女性なのは間違いないだろう。
私が「確認しました」と言うと、博士は写真を胸ポケットに戻した。
「エン・ニベルファルンはここにはおられないのですね」
「彼女は半年前に亡くなったの」
「そうですか」
「貴女を設計したのもエンよ」
「家名を頂けたのは、それが関係ありますか?」
「彼女が生きた証に貰ってあげて」
「こちらに拒否権はありません」
「そういうときは、有難く頂きますっていうのよ」
「お言葉ですが、人間のような応答をお望みでしたら疑似感情、もしくは人格プログラムを搭載することをお勧めします」
「それを搭載したら、貴女が貴女でなくなってしまうじゃない」
「仰ってる意味がよく分かりません」
「そのうち分かるときが来るわ」
博士は科学者らしからぬ不明瞭な物言いで話を切り上げると、私たちの間にディスプレイを開いた。私の初期起動に問題が無いかチェックしているようだ。
「問題はないみたいね。よかった。私も専門ではないから少し不安だったのよね」
登録されている情報によれば、博士の専門は遺伝学となっている。アンドロイドが専門の人工生体学とは確かに分野違いだ。
「エンの設計だから心配はないと思うけれど、それでも異常を感じたら教えて」
「承知しました。それで私は何をすればよろしいでしょうか」
「この子が生まれたら面倒を見て欲しいの」
そう言って博士は左横へと顔を向けた。彼女の視線の先には、数本のケーブルに繋がれた液体に満ちたカプセルがある。高さは七十センチほど。中には五ミリほどの細胞と思われるものが浮かんでいる。周囲の機器とディスプレイに表示されたコードから、それが培養器――人工子宮だと分かった。
「名前は
「博士のクローンですか?」
「いいえ」
博士は培養器の側に寄ると、優しい手つきで培養器を覆うガラスを撫でた。
「私と、エンの子よ」
ピー、ピー、ピー。
午前六時のアラームの音で、意識が覚醒する。
瞼を開け、寝台から上体を起こすと、頭が不明瞭で違和感があることに気づいた。
原因の分析に入る。似たような事例をネットワークで検索し、参照して結果が導き出された。
夢を見たことにより、眠りが浅くなっている可能性。
「夢……」
参照された事例の一覧を、空中のディスプレイに映し出す。流し見ると、その事例は全て人間のものだった。それは当り前だった。人工脳であるアンドロイドの睡眠はパソコンのスリープ状態に近い。なので眠っているという感覚もないし、夢を見ることもない。
しかし今日は、昔の記憶を見た。
私が始めて起動し、博士と対面したときの記憶を。
メモリの奥に仕舞いこまれていた記憶が呼び起こされただけなのだろうか。
それとも本当にこれが、夢というものなのだろうか……。
そんなことを考えながら空中のディスプレイに表示された時刻を見る。
時刻は、午前六時十分。普段ならすでにダイニングキッチンに到着している時間だ。
私は急いで寝台であるカプセルから出ると、部屋に備え付けられているシャワールームへと入った。
睡眠時に衣類は身につけていないので、そのままシャワーを浴びる。普段はシャワーに三分ほど時間をかけるが、今日は一分に留めておく。シャワーを止め、乾燥風で髪と身体に付着した水分を飛ばしてから、昨日のうちに用意していた衣類を身につける。
次に隣の洗面台へと移動する。
そこで歯を磨き、乾燥風で乱れた髪を整えていると、ふと鏡に気を取られた。
鏡には自分の姿が写っている。赤眼に真っ直ぐショートな銀髪。髪質だけは違えど、その容姿は夢で――仮に夢とする――見た写真のエンに瓜二つだ。
自分の容姿モデルがエンだということは、スペック情報に記載されているので知ってはいた。
今までその事を意識したことはなかったが、今日は先ほどの夢の影響か妙に気になってしまう。
何故、博士は私をエンの姿で生みだしたのだろうか……?
そんな疑問まで湧いてくるが残念ながらもう、その問いに答えてくれる人はいない。
洗面台から離れ、時刻を今一度確認する。
時刻は、午前六時十四分。
私は足早に自室を出て、ダイニングキッチンへと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます