炎の聖女と楔の騎士


 そうしてリンが本を読み始めて二時間十四分後。


「うん。面白かった」


 彼女は本を閉じると、私を見上げて満足げに微笑んだ。


「何度も読んでいるのに、まだ面白いのですか?」

「もちろん。好きな物語は、何度読んでも面白いわ」


 声を弾ませてリンは言う。

 炎の聖女とくさびの騎士は、リンが子供のころ博士が与えたものだった。

 それはいま読んだ小説ではなく表現が軟らかい子供用の絵本だったが、博士が一度読み聞かせるとリンはこの物語を大層気に入り、それからは毎日のように私か博士に読むようせがんでいた。

 成長してからもこの物語が好きなのは変わりないようで、リンはこの小説版を定期的に読み返している。


『――リンは彼女に似たのね』


 不意に、脳裏に記憶が呼び起こされた。

 微笑みながら愛おしそうに娘を見る博士が発した言葉が。

 ……今まで昔の記憶が呼び起こされることなど一度もなかった。不思議な感覚だ。

 リンを見ると、彼女は不思議そうな顔でこちらを見ていた。

 会話が止まったからだ。言うべきことを言わなければ。


「メモリに保存しておけば、読まなくても引き出せますよ」


 人間が機械化することは法律で禁止されている。

 それは技術的な問題というよりは、人としての尊厳と宗教的な問題、そして道徳的な意味での禁止だ。

 それでも記憶容量の拡張メモリは、許可さえ取れば埋め込むことが許されていた。データーによるとドーム都市ノースニベルの人間は半数以上メモリを埋め込んでいるらしい。

 リンも記憶のバックアップ用にメモリは埋め込んでいると博士から知らされているし、本人も知っていた。


「それだとなんだか味気ないじゃない」

「データーで引き出すと味気ない、面白くない。面白い物語なのに面白くない、矛盾しています」


 くすくすとリンが笑う。


「確かに。口に出してみればそうね」


 リンはティーカップを手に取り、一口含んだ。

 温くなっている筈だが問題はない。この温さを彼女は好んでいる。


「要は気持ちの問題かな。ケイも読んでみる? 絵本版は読み聞かせてもらったから覚えてるかもしれないけれど、小説は読んだことないでしょう?」

「貴女が私の隣で読んだ本は、例外なく全て記憶してます」

「そうなの?」

「はい。ところでリンは、その本のどの場面が一番好きなのですか?」

「その質問はどうしてしようと思ったの?」


 リンは興味津々そうに私の顔を覗き込んだ。

 質問を質問で返すのは、私の質問の意図や思考の変化を探るためだ。

 元々は彼女の母親である博士が行なっていたことだったが、それをリンは自然と覚えてしまった。


「人間は成長すると嗜好が変化すると言います。それは本の内容に関しても適応されるのかと思い質問しました」


 なるほどね、とリンは言うとティーカップをテーブルに戻した。


「因みに幼少の頃は、騎士が悪を倒すところが好きだと言っていました」

「そういえばそうだったかな。んーそうねぇ……今だと騎士が世界を巡るところかな」

「盛り上がりにかける中盤、その場面を選ばれるのは意外です」

「そう? あ、もちろん前半の二人の恋模様や別れ、最後の場面も好きよ。でも中盤のあの場面、騎士が聖女への想いを募らせる長い時があるからこそ最後の再会がより一層、感動的なものになるの」


 私は記憶メモリから、炎の聖女とくさびの騎士の中盤から最後までの内容を引き出す。

 騎士は仲間達と世界を救ったあと、統治者の地位を断わり一人旅に出た。

 理由はただ一つ。

 外の世界に出たことがないと言っていた聖女の、外の世界を見たいという彼女の願いを叶えるためだ。

 騎士は聖女の代わりに世界を巡り、行く先々でまだ残っていた脅威から人々を助けた。

 真の勇者、救世主、と讃えられるようになった騎士だったが、それでもその間、家族も作らず、どこにも定住することはなかった。

 そうして百年の歳月が経った。不死であった騎士は百年前と変わらぬ姿で、全ての始まりの場所――聖女が命を落とした、聖女の墓とも言える記念碑の前に戻ってきていた。

 記念碑の前で騎士は百年の間、薄れることなく、それどころか募らせた想いを吐き出す。

 

『……会いたい』


 すると、騎士の背に言葉が返ってきた。


『どなたに、会いたいのですか』


 騎士が振り向くと、そこには聖女によく似た少女が立っていた。


『……君に、君に、会いたかったんだ――』


 そこで物語は終わる。

 生まれ変わった聖女と、百年の時を経て再会した騎士。


 ……そう、まさに奇跡だ。


「ですが最後は少女の明確な台詞は無く、彼女が本当に聖女の生まれ変わりなのか、記憶を持っているのかの明記はありません」


 物語的に考えれば、あの少女は聖女の生まれ変わりなのだろう。

 だが現実的に考えれば、ただ困っている人に声を掛けた可能性だってある。


「そこは想像で補なわなきゃ」

「想像、おしはかる、発想。人間が得意とし、私たちアンドロイドが一番不得意とするところです。だから人は、創造することができるのですね」

「そうね。人は夢を見るのが好きだから」


 そう、夢をみるからこそ人間は創造をする。

 現時点では不可能なこと、前例のないこと、それでも実現させようとするのが人間という生き物だ。

 五から十にすることは得意でも、0から生み出すことが出来ないアンドロイドには、人間を越えることはできない。そしてそれが不可能な理由は、心の有無なのだと私は考える。


「博士が私のような、従来に反したアンドロイドを作ったのもそうですね」


 アンドロイドは本来、身体の八割が機械で構成される。

 だが私は、機械部分が人工眼と人工脳と人工心臓しかない。

 量産型アンドロイドに搭載されている、疑似感情プログラムも搭載されていない。

 それは感情の発現を観察しやすくするために、博士が意図的に行なったことだった。


 ……そう、博士は、心を持てるアンドロイドを作ったのだ。


「そうね。心を持てるアンドロイドなんて、素敵よね」

「ですが、今回は失敗です」

「どうして?」

「私に心はありません。世界の都市でもアンドロイドに心が宿ったという事例は出てはいません」

「まだ、結論を出すのは早いと思うけど。それに――」


 リンがこちらを、じっ、と見る。

 そして言いかけた言葉を飲み込むようにふっと微笑むと「何でもない」と言った。


「でもケイを生み出すなんて、お母さん凄いよね」


 正確には遺伝学が専門だった博士一人では、アンドロイドを作ることはできない。

 私の設計の殆どは太陽の一族最後の人間が行なったものだ。博士はその研究を引き継いで、私を完成させたに過ぎない。それは本人も言っていたことだ。

 だがこのことを博士はリンに伝えなかった。だから私も伝える必要はないだろう。


「リンは、博士みたいに何かを作りたいとは思わないのですか?」


 だから私は、話題から離れすぎないように話を逸らすことにした。


「私? 私はお母さんみたいに頭は良くないから」


 そうリンは自分のことを評価していたが、彼女の知能指数は決して低いわけではなかった。むしろ数値だけならば、都市で科学者になるために定められた知能指数を余裕で上回っている。

 けれどリンは科学というものに全く興味を示さなかった。機械に関しても何故か苦手意識があるらしく、端末操作を必要とするものは全て私に任せている。その所為で都市では子供でも使っているという通信機器を扱えないし、未だに気象予報の見かたも知らない。


「でも、そうね。物語は作ってみたいかも。恋物語がいいわ」

「体験しなくとも想像で生み出すことができるのが人間ですが、だとしてもやはり実体験があったほうが物語に現実味が出るのではありませんか」


 リンは意外そうな顔を浮かべた。


「あら、ケイは私が恋したことないと思っているの?」

「貴女は博士以外には誰一人、人間には会っていませんが」

「そうね。人には会っていないわね」

「リン、自覚しているかは分かりませんが、貴女の言葉は抽象的で意図が分からないことがあります」

「自覚してる。でもね人は困った生き物だから、言葉を固めるのではなくて、ふわふわっとした状態を楽しみたい時もあるの」

「益々意味が分かりません」

「いつか、ケイにも分かるときが来るわ」


 いつものように希望的観測のようでいて、確信に満ちた声音でリンはそう言うと、何故か楽しそうに笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る