偽りの笑顔


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 昼食後の昼下がり。リン型アンドロイドはいつものように図書館で過ごしていた。

 今は本を読み終わり、次のを選んでいる最中だ。

 普段は本を選ぶのに時間をかけない彼女だが、今日は珍しく苦戦している。これは生前の記憶の中でも非常に稀な出来事で、再生されるのも三週目にして今日が初めてだった。

 彼女が本を選んでいる間、私はソファに座って待っている。最初は側に付き添っていたが、リンが十二歳の時に『ソファで待ってて』と言ってからはこうしている。

 私はリン型アンドロイドが迷っている様子を、ぼうっと眺めていた。

 ぼうっ、とするなどこれまでは無かった、いや、出来なかったことだ。

 これも心が成せることなのだろうか。それとも夢を見ることによる影響なのだろうか。


 夢――今まで仕舞われていた博士との記憶。


 何故、今になって昔の夢を見るようになったのだろうか。

 これには何か意味があるのだろうか。

 それとも、ただ単に人恋しくなっているだけなのだろうか。

 ……今思えば、二人と過ごしたあの日々は幸せというものだったのだと理解できるから――。


「んっと」


 不意に耳に入ってきたリン型アンドロイドの声に、私は反射的に頭を上げた。どうやら考えごとをしている間に俯いてしまっていたらしい。

 リン型アンドロイドを見ると、彼女はいつの間にか脚立を用意してその上から手を伸ばしている。高い位置の本を取ろうとしているのだ。


 ――この記憶は。


 と思うのと同時に、私の身体はリン型アンドロイドの元へと駆けていた。

 背伸びをして本を取った彼女が体勢を崩し脚立から落ちる。私はそれを間一髪、腕と身体で受け止めた。が、その反動で彼女を抱えたまま後ろへと倒れ込んだ。図らずも当時の再現をするかのように。


「リン。大丈夫ですか?」

「えぇ……大丈夫。ありがとう」


 突然の出来事で驚いたのだろう。そう答えた彼女の顔は強張っていた。


「高所の本は私が取りますから言って下さい」 

「うん……――ケイ、手……!」


 私の腕から離れたリン型アンドロイドが声を上げた。

 促されるように手を見るが、特に異常は見当たらない。

 そして思い出す。当時はリンを受け止めた時に倒れた脚立に当たり、右手に青あざが出来たのだと。

 今回は当時のように手を殴打してはいない。けれどリン型アンドロイドの人工脳は辻褄を合わせるために、そう見えるように処理しているようだった。


「脚立で打っただけです。問題ありません」


 私も辻褄を合わすべく――と言うより違う返答をすればリン型アンドロイドがエラーで止まってしまうので合わせるしかないのだが――当時の通りに答えた。

 するとリン型アンドロイドは眉をつり上げて、こちらを見た。


「問題ないわけないでしょ」


 彼女は少しばかり声を張り上げると、私の左手を取り立ち上がった。行き先は医務室だ。

 私は手を引かれながら、そういえば博士が死んでからリンが怒ったのはこの日が初めてだったことも思い出す。

 昔のリンは笑ったり怒ったり泣いたり拗ねたりと喜怒哀楽が激しい子供だった。


 けれど九歳の時、博士が――母親が死んだのを境にリンは変わった。


 博士が亡くなった当初はリンもずっと泣いていた。埋葬が終わってからも食事を摂らず、博士のベッドで泣き暮れていた。そんなリンに私は必要以上に干渉しなかった。それは悲しみの淵にある人間にもっとも効果的な対処法は《そっとしておくこと》という演算結果に基づいた行動だった。リンの栄養管理については、彼女が泣き疲れて寝た後に栄養剤を打つことで対処していた。

 そうして博士が死んでから三日後、リンはいつもの調子に戻っていた。まるで何事もなかったかのように泣き腫らした目で笑っていた。それはその日だけではなかった。それから彼女は微笑みを浮かべていることが多くなった。感情も以前のように爆発させることもなくなり、落ち着きのある性格となった。

 だからこの記憶の日のようにリンが負の感情を表に出すのは、本選びに苦戦するぐらいに珍しいことだった。


「ごめんね」


 打身用のスプレーを吹きかけながら、リン型アンドロイドが申し訳なさそうに言った。


「謝る必要はありません」

「あるのよ。私の所為で怪我をしたのだから」

「主人である貴女を守るのは当然のことです。その結果として私が負傷しても貴女の所為ではないし、気に病む必要もありません」

「それは無理よ。ケイが怪我をしたら、私は悲しいもの」

「悲しむ必要もありません。私は人間より自然治癒力が高い。放置しておいてもこの程度の怪我なら半日で治ります」

「そういう問題じゃない」


 強い語気でリン型アンドロイドはそう言った。

 彼女の視線はまだ、青あざがあるであろう私の右手に注がれている。


「アンドロイドだって不死身じゃない。そうでしょう?」

「その通りです」

「もし打ち所が悪かったりしたらケイでも、最悪、死ぬかも、しれないんでしょう?」

「可能性はあります。ですが、死ぬ、という表現は不適切です」

「どうして」

「死とは生命に対して使われる言葉です。アンドロイドは人工生命体であり生命ではありません。なのでこの場合は機能停止、もしくは壊れる、が表現として正しいかと思われます」

「……それに、何の違いがあるの?」

「リン?」


 今まで聞いたことのない何かを押し殺したような声音に、当時の私は思わず声をかけていた。

 リン型アンドロイドはゆっくりと顔を上げる――その瞬間、私は、はっ、とした。

 この時の彼女の表情は怒っている、筈だった。

 彼女が望む言葉を返せなかった自分に対して憤りを感じている――少なくとも当時の私はそう思っていた。

 しかし今の私の目には、彼女の表情が感情の波に耐えているかのように映っていた。


「動かなくなるのは人もアンドロイドも同じじゃない。ケイも動かなくなったら、お母さんと同じになるじゃない。それにいったい何の違いがあるの?」


 それは問い詰めるようでいて、どこか悲痛な叫びのようにも聞こえた。

 ……この日、何故リンがここまで感情的になっていたのか私には分からなかった。

 でも今なら分かる。


 リンは、恐れていたのだ。置いて行かれることを。


 この時の彼女は既に自分の短命について知っていた。

 寿命だけを見れば、不死とも言える私が彼女を置いていくことはないと理解していた。

 それでも、想像してしまったのだ。


 もし、ケイが自分を受け止めた時、倒れ込んだ先に何かがあったら。

 もし、ケイがその何かに手ではなく頭を打ちつけてしまい動かなくなったら。

 そうしたら、機械に疎い自分ではケイを治すことはできない。

 ケイに何かあれば、自分は独りになってしまう。

 この広いシェルターで、独りきりになってしまう――と。


 そうして想像から生まれた感情が、この時のリンの心を埋めた。

 湧き上がった孤独と寂しさに襲われてしまった。

 最後の時、私がここで独り過ごす姿を想像して泣いていたように――。

 リンの言葉に対して、当時の私は何も答えなかった。

 返す言葉がなかったわけではない。リンが怒っていると勘違いしていた私は、これ以上、発言をしても彼女の感情を逆なでするだけだと考えていたからだ。

 勘違いから生まれた少しの沈黙は、意図せず気持ちを高ぶらせていた彼女の心を落ち着かせる結果となったようだった。

 リン型アンドロイドは私から視線を外すと「ごめん」と小さく零した。


「ケイを困らせて。今のは気にしないで」


 そうして会話を終わらすと、私の右手に湿布をはり包帯を巻き始めた。

 そこまで大層な怪我ではなかったのだが、当時の私はリンの気が済むようにさせたほうがいいと判断し黙っていた。


「はい。終わり。今日は右手に優しくしてあげてね」


 包帯が巻き終わったころには、彼女はいつもの微笑みを浮かべていた。

 だがそれは今にしてみればどこか無理のある、作ったような表情のように感じた。

 少しでも触れてしまえば途端に崩れてしまいそうな、まるでヒビだらけの微笑みに――。


「――――」


 そこで私は、自分の愚かさに気づいてしまった。

 私は博士が亡くなってからリンの性格が大人しくなったのは、彼女の心身が成長したからだと思っていた。泣き腫らした目で笑っていたのは、彼女が博士の死を乗り越えたからだと。

 だが、それは違っていた。とんだ思い違いだった。


 身近な人の死は、そう簡単に受け入れられるものではない。

 失った悲しみは、そう簡単に癒えるものではない。

 それは何より自分が今、実感していることではないか。


 二年以上たった今でもリンの記憶に縋っている私が何よりの証拠ではないか。


 それなのにたったの三日で、子供が母親の死を受け入れられたわけがない。

 唯一の肉親を失った悲しみが、癒えていた筈がない。

 リンは、我慢していたのだ。

 本当は吐き出したい感情があるのに、悲しくて寂しくて仕方がなかっただろうに、訴えたところで私には理解できないから、私を困らせるだけだと分かっていたから我慢していたのだ。


 笑っていたのは、本心を隠すための嘘だった――今、目の前の記憶の笑顔のように。


 ……分かっていたつもりだった。

 だからこそ、改めて思い知らされた。

 私はリンが生きているうちに、彼女のことを何一つ理解してあげられなかったのだと。

 彼女が悲しんでいる時に、何もしてあげられなかったのだと――。

 リン型アンドロイドはまだ微笑んでいた。

 本心とは裏返しの笑顔で、私の言語入力待ちをしていた。

 そんな彼女の顔に無意識に手を伸ばしそうになっていたことに気づき、私はその手を止めた。

 当時の私はそんなことをしていない。

 泣いていない限り、心ないアンドロイドは主人の頬に手を差し伸べない。


 それでも私は記憶の彼女に触れたくて、彼女を慰めたくて、仕方がなかった。


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