夢――意思
……また夢を見ている。
私はシェルターの一室にいた。
その部屋にはベッドとクローゼット、そしてデスクと最低限の家具のみが置かれている。
ここは博士の私室だ。私は朝の挨拶をしに訪れたのだ。
私を迎え入れた博士は、いつも身に付けている白衣をまとっていなかった。
支度が終わっていない可能性は無かった。博士は私よりも早起きだからだ。
これまで博士が白衣を身に付けていなかったことは二度ほどあった。何れもシェルター内の娯楽施設に行くときだったので、だから今日もそうだろうと私は予想した。
「博士、お出かけですか?」
「えぇ。付いてきてくれる?」
「希望ではなく、指示してください」
「それでは、貴女の意志を無視することになるじゃない」
「私に意志などありません」
「はいはい。それでどうしたいの? 待ってる?」
「お供します」
この頃の私には、朝にやることがなかった。
博士は朝食を軽い携帯食だけで済ますし、その用意も自分で行なう。リンのように朝食の準備や、後片付けをする必要がない。掃除をするにしても大半は掃除ロボットが行なうので、私が手を出す部分は殆どない。
朝に仕事があるとしたら、博士の朝食後に紅茶を出すぐらいだった。それも博士がいなければする必要がない。
「そうしようと思った理由は?」
「やることがないからです」
「つまるところ暇だと」
「そうとも言えます」
「あるじゃない」
博士は私の顔を覗きこむと、意地悪げな微笑みを浮かべて言った。
「意志」
博士に付き従い辿り着いたのはシェルターの入口だった。
人の行動は予測通りにはいかないものだと学習しつつ、私は博士に確認する。
「行き先とは外ですか」
「そうよ」
博士は防護服が設備されている部屋へと続く扉には見向きもせず、真っ直ぐに防扉に向かった。
「今日は東から汚染風予報です」
「そうね」
そう答えながらも、博士は端末にパスコードを入力し始める。
私は防扉の上の数値計へと視線を向けた。表示されている数値は六十七~七十。
「本日の汚染濃度は中濃度です」
「えぇ、そう表示されてるわね」
「人には毒です」
科学者である博士が汚染風の危険性を認知していない筈がない。だというのに何故か彼女は生身で外出しようとしている。その科学者らしからぬ不可解な行動に、私は思わず語尾を強めてそう言っていた。
博士は入力する手を止めて振り返った。その表情には驚きが表われていたが、すぐに何かを思い出したように苦笑へと変わった。
「あぁ、ごめんなさい。伝えてなかったわね。私はもう汚染されているから、中濃度で進行することはないわ」
中濃度では進行しない――その言葉は博士の身体が高度汚染されているという意味でもあった。
身体が高度汚染すると、中濃度までは汚染度が上がらない代わりに寿命の半分が失われるとされている。現在の人間の平均寿命は落差があれど六十前後だ。当時の博士の年齢は二十三なので単純計算ではあと七年の命――実際は九年だったが――ということになる。
しかし見る限りでは、博士にそのことを憂う様子は微塵も感じられなかった。
「そうでしたか」
「そうなの。心配してくれてありがとう」
「制作者の身の安全の確保は当然のことです」
「そういう風にプログラムも命令もしてないのに?」
問われて、私は返事に窮した。
博士の言う通りだった。
リンに関しては、生活と健康と安全の管理を博士に命令――頼まれてはいた。
しかし博士に関してはそのようなプログラムも命令もされてはいない。
制作者と制作物としての関係性がそうさせているのだと言ってしまえばそれまでだが、それは最もらしい言い訳のようにも感じられる。そのこと自体もプログラムはされていないのだから。
そうなると私の行動は本能的なものに起因しているということになる。
博士を止めたのは、本当に彼女のことを心配してのことだと。
まるで無条件で子が親の心配をするかのように……。
この時の私は、人間のようなことを考える自分に少なからず当惑を覚えていた。
それが顔に出ていたのかは分からないが、博士は苦笑して言った。
「今のは少し意地悪だったわね」
博士がパスコードを入力し終え、何枚もの防扉を抜ける間も、私は先ほどのことが頭から離れなかった。演算もせず、まるで人間が思い悩むかのように思考を巡らせていた。
その行為自体がもう、アンドロイドとしては異常だとは気づかずに。
「なんだか、久々に外へ出た気がするわ」
外に踏み出した博士は、木々を見上げてからそう言った。その声は心なしか弾んでいる気がする。閉鎖空間から出ると開放感を感じるのは、母娘共に同じようだった。
「ところで、博士はどのような経緯で汚染されたのですか?」
私は歩き出した博士の横に付き従いながら訊いた。
「その質問はどうしてしようと思ったの?」
「博士の行動原理を把握することにより、サポートがしやすいかと考え質問しました」
「なるほどね。でも、貴女だったら大凡の見当はつくんじゃない?」
「そうですが、当人に確認したほうが確実です」
「まずは貴女の考えを聞かせて」
「分かりました。記録によると博士はドーム都市ノースニベルで生まれ、中央研究庁で科学者として勤めていました」
「えぇ」
「ですが十七の歳に職を辞し、今はここにいます。ここは都市から百二十五キロほど距離が離れている。現在の技術ではこの距離を汚染されずに移動できる完全防備の乗物と防護服は開発されていません。つまり博士はここに来る道中に汚染されたということになります」
「正解。ではどうしてここに来たのかは分かる?」
「はい。このシェルターは〈
「最後は何から導きだしたの?」
「シェルターのお二人のID登録日付のずれによるものです」
「そんなの残ってるの? 知らなかったわ」
博士が感心したように笑う。
「正解よ。大したものだわ」
「ありがとうございます。ですが、分からないこともあります」
「なにかしら」
「エンを追って来た動機です」
「あぁ。それは、寂しがりやを一人にするわけにはいかなかったからよ」
寂しがり屋――それは話の流れからしてエンのことを指しているのは分かっていた。
「それは寿命よりも大事なことなのですか」
「えぇ。私にとってはね。理解できない?」
「はい。理解しかねます」
「正直でよろしい。それでも少しは私の行動原理、分かったでしょう?」
「想像の域を越えるものではありません」
「それでもいいから貴女の見解を、そうねぇ。折角だからタイプで言ってみて」
「タイプですか」
「ほら、性格診断とかでよくあるでしょう? 慎重なタイプとか、大胆なタイプとか」
「分かりました」
要は説明ではなく簡潔にまとめることを博士は要望していた。
変わった要望だと思いつつも、私は博士についての情報を整理する。
博士は十四の若さで都市の上級職である中央研究庁の科学者になったエリートだ。
生まれながらに知能指数も高く、専門である遺伝学の分野でも功績も残している。
だが十六の時、記録によれば上司に逆らったのを理由に処分を受けている。その処分先が中央研究庁の別塔の主であるエンの助手だ。
そして博士が助手になって八ヶ月後。エンが都市を離れ、その翌日には博士が辞職表を提出して都市を離れた記録が残っている。その記録からエンは事前に博士にそのことを伝えていなかった可能性が高い。でなければ別々に都市を出る理由はない。そうすると博士は一日も経たず、人にとっては重大な選択であろう、命を縮める行動を決めたことになる。
その結果から導きだされる答えは――。
「博士は考えてすぐ行動に移すタイプか、もしくは考えるより先に行動に出るタイプです」
私の言葉を受け、博士が笑った。
「素晴らしいわ。それが分かれば上出来よ」
「ありがとうございます」
「今のは演算したの?」
「いえ、情報から導き出しました」
「いいことよ。今後もなるべくは物事を自分で考えてみて」
「何故ですか?」
「心を生む手助けになるんですって」
「曖昧ですね」
「本当にね。実のところ私もよく分かっていないの。エンが書いた心のプログラムコードは私には理解できない部分が多いから。彼女が生きていれば、貴女の疑問にも全て答えてあげられたんだけど」
そこで返しができなかったことで自然と会話が途切れた。
しばらく黙って歩いていると、博士が笑いを漏らした。
私は何かあったのかと思い、横を歩いている博士を見る。
「いえね、話し相手がいるのは良いものだなと思って」
「話し相手になれていますでしょうか」
「えぇ。とても楽しいわ」
「そうですか。ところで博士、外での目的は何でしょうか?」
質問を受けて、再度、博士が笑いを漏らした。
「ごめんなさい。私ったら本当に何も言ってないわね。一人の癖がついてしまったのかしら」
と言うとコートのポケットから小さなシリンダーを取り出して私に見せた。
「植物のサンプルを採取したいのと、あとは寂しがりやに会いにね」
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